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ビートルズ末期におけるジョン・レノンの作品『カム・トゥゲザー』。イントロでジョンがシュッ、シュッ、とマントラのように囁いているのだが、私はこれをはじめ「肩で風を切って歩く時の音」でないかなどと考えてものである。誰でも聞き取れて当たり前なのだろうが、実はこれがShoot me。
(銃で)撃ってくれ
とジョンは何度も繰り返しているのだ。後で起こったことを考えると不思議な因縁を思わせるが、これをジョンに言わせた背景にひっかかるのがビートたけし「ソナチネ」での一節である。
「人は死ぬことをおそれすぎると、死んじゃうんだよ」
統一教会時代の山崎浩子が暗唱していたことで覚えていたこのフレーズ。日航のベテラン機長がおかしくなって通常着陸を失敗させてしまったこともあったが、人間は避けたいという気持を持続しすぎると逆にそれに直行してしまう本能のようなものがある。ジョンにしてもテキサスや東南アジアでの暴動で生きた心地がしないくらいの脅迫観念にとりつかれ「いつか誰かに殺されるのではないか」とインタビューでさえ公言していた通りである。そのパラノイアが頭から漏れ録音中にささやきになってふと出てしまったのが、Shoot meではないかという仮説があったのだ。
それに加えて今、思うのがShoot me という言葉の持つ強さである。英米の文化といえば勇敢に戦って勝つシナリオばかりが偏重されているイメージがあるかもしれないが、それと同時に死ぬ美学というものがあってヒロイズムのバランスがとられているのである。一体、何人が銃自殺をしてきたか思い出すといい。
この映画では、ジェームス・ディーンの台詞が光る。You can shoot me if you want to.撃ちたければ俺を撃ってもいいんだ!
毎度おさわがせな理由なき反抗を続けていたレノン。どこかで反抗劇が一瞬に弾けて終わってしまう凶弾を予期し、そのスキャンダルの中で自分の英雄性が昇華していく可能性について開けていたのかもしれない。
アル・パチーノ主演のテロ再現映画「ドッグデイ・アフタヌーン」では銃口をとうとうつきつけられた主人公がDon’t shoot meと言った時点でそれまで身にまとった英雄を放棄してしまった。
男はやっぱ、Shoot meと言えないといけないのだろうか。
僕はある時期、あるアジア系の人物から銃を使って殺すと宣言されていた。警察などの「人の助けを借りる」という発想が全くなかったので対処のしようがなかった。結局、その男は遠くへ移住してしまったのだが、1年もしないうちに「自分で撃って終わりにしようか」と本気で自分の頭をShootすることに考えが至ってしまったわけなので、どうせならはなっからShoot meでもよかったのではないかという結論になるのだ。
Shoot me
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