03. BRIAN ENO 2013年11月24日 17:34:21
: tZW9Ar4r/Y2EU
: k5mG1bcH3g
この物語には、 数々のテーマがある・・その中のテーマのひとつを以下に書いてみる・・ 月の世界である罪を犯したかぐや姫・・
罰として、 不浄なる世界である地球に島流しになる・・ 不老不死の平和で穏やかな月の世界。 この世界には、 地球で跋扈するところの争い、 憎悪、 騙し、 殺戮など、 邪悪なものは存在しない・・
しかし、 不浄なる地球は争い、 権力に対する渇望、 底知れぬ物欲、 憎悪、 殺戮が支配する混沌とした世界であり、 聖なる月世界とは正反対の様相を呈する・・
しかし、その不浄なる地球には、 月の世界にはない、 草や木、 美しき海や山、 虫やけもの、 そして、 心やさしき愛すべき人たちもいる・・。 そして、心やさしき、 よき人々は、 草や木を慈しみ、 美しき海や山を愛し、 虫や獣と共存し、 子どもを愛し、 親を愛し、 家族を愛し、 恋人を愛する・・ その月の世界の住人から見れば、 不浄なる人間であっても、 不浄なる地球であっても、
権力欲や、ささいな欲望や、 ある種の脅しに屈したり、 金に惑わされなければ、 心やさしく、 本来の人間の在り方である、 良き生き方ができる、 良き人間でいることができる・・ ちょっとした勇気を持つだけで、 それが、地球の誰にもできることなのであるが、
そのように、 生きるのは、言葉ではいたく簡単だが、 そのことをなすのは、なかなか、難しい・・ それが人間であり、地球の悲しい法則である。 しかし、本来のあるべき人間の姿に回帰する、 その可能性はゼロではない・・ その可能性に賭けたのは、 皮肉にもこの不浄なる地球に住む人間ではなく、 月の世界の罪びと、 かぐや姫であったのである・・・・
しかし、 彼女の賭けとねがいは、 叶うことなく・・無残にも・・ 人間の邪悪な欲望によって 敗北し、破たんする・・ 彼女の望みやねがいや賭けは、あっけなく敗北し、 破たんしても、 彼女は、なおも、頑なに希望を持ち 地球を愛し、 人間を愛し、 父を愛し、 母を愛する・・ 月の住民であるハズのかぐや姫が、 地球の誰よりも人間らしい、 人間の本来あるべき姿をねがい実践する・・。 彼女が本当の人間になる悲しみの瞬間である。 月の住民(使者)から、 「けがれた地球なんぞに、いてもしょうがないだろう!」 と、冷ややかに諭されるが、 かぐや姫は、 激高して 「けがれてなんか、いない!」 と大声で泣き叫ぶ! ここで、涙しない観客がいたとしたら、 その人は、まだ、人間になっていないのであろう・・。 簡単に言えば、この「かぐや姫の物語」は、 この地球と言う唯一無二のかけがえのない地球と、 すべての生命を生み、育む大自然。 唯一無二の人間・・ そして、この人間の愚かさを、 地球人以外の宇宙人(かぐや姫)によって、 警告させた物語であろう・・ この物語は古典だが、 当時は、 (というか今も状況は全く変わっていない) (今も、何も変わっていないが、) (むしろ、ヒロシマ、ナガシキ、フクシマをみるまでもなく、悪化の一途を辿っている) 欲に目がくらんだり、 権力に目がくらんだり 金に目がくらんだり 女に目がくらんだり そして、本来の人間の有るべき姿を 見失い、忘却し、 不幸になっていく 愚かな輩が大勢いた・・ 彼らに対する警告の書である・・。 警告の書の古典なのである。 最後に、 この物語には、 不思議な 「わらべうたが何度も何度も流れる・・」
悲しい曲でもなし、 楽しい曲でもなし、 この世の普遍的な真理を淡々と、 奏でるような、 不思議なわらべ歌・・ と歌詞である・・ このわらべ歌を聴くたび、 なぜか、私は泣けた・・ エンドーロールをみて驚いた・・・
この曲の作詞作曲は高畑勲であった・・ 天才 高畑勲 の真骨頂 である。
私は、高畑監督が、普通の人が、生涯をかけて、ひとつの普遍的な真理を見つけられるか?どうか?だと思うような「普遍的な真理」を、さらりと、語る・・。そのところに、彼の天才を見たのである。(残念ながら、テレビやメディアの露出は圧倒的に宮崎が多いが、宮崎の言葉から、今まで、世の中の普遍的な真理を語るような言葉を、一度も聞いたことがない。)この普遍的な真理を語る「わらべうた」と「わらべうたのメロディー」も、生涯をかけて、ひとつ書けるかどうかの歌詞とメロディーなのだが、こちらは、天才が、生涯をかけて、ひとつかけるかどうかの「わらべうた」なのである。
|