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昼下がりに時間ができたので、いつものように墓地の前に駐車。シートを35度倒してから、空浄スプレーをまいて脱出。心地よい距離感のある墓石の中をゆっくりと歩いて敷地の中心をつっきる舗装された通りまで出る。いつきても他の来客は分あたり0.2人といったところだろうか。
ちょうど目の高さから主軸の幹が上に向かって二つに分かれた大木がきれいに何本かならんで植わっている。木と木の間を18歩で通過し、9以降の奇数のステップの瞬間になにか象徴的な言葉を発しよう。うん。そして計画にうつす。
幸せは・歩・・いて・・・・こない・だ・・から・・・・・・こんな感じの千鳥脚ならずチーター足になってしまうのは、瞬間的なひらめきが足りないからだ。それでも18歩のほうは完結する。3歩すすんで・・・さらに1歩出れば最後の言葉がでてくるだろうか。単語。単語。そして苦し紛れに「Classic=modern」。片仮名で「クラッシク・イーコール・モダーン」と17歩半で完結。
誰もみてなくてよかった。はっ。駐車場に帰ってみると、横に2台の中型ハーレーがスポット内に縦列に止めてあった。なんで、ガラ空きなのにわざわざ俺の横につけるかねえ・・・という疑問はオートバイに乗る人間の心理を振り返るとご破産。彼らは無理に離して止めるより、知くに他の車両があったほうがプロテクションになるという考え方をするものなのだ。無論、バンやトラックのように細かなハンドルさばきをしにくい車だと巻き込まれて転倒させられてしまう可能性があるので、相手はよくみる。
運転席に戻って後ろの小包を開ける。中古書店からのまとめ買い。これを一冊づつ読むことはしない。フィクションの場合はそれもあるが、ここにあるのは全部異なる。中沢新一はスキゾ・キッズ的な読書法として、連鎖読書を紹介していたことがあった。はじめに読み出した本に関連して興味のでてきた別の本に途中で移り、また違う本へと移行して読み進め、それで一冊も読了できないみたいな話だった。まるでグーグル検索みたいだ。僕の場合は全くジャンルの違う本を同時にローテーションで読み進めることによって並列進行する思惟にふくらみを与えるのがその理論である。学者のリテラシーは持たないが、確実に最後まで読み通すことで作者を制覇するのがスキゾとの違いである。
途中でうつらうつらしながらも3冊にとりかかる。ビジネス本・雑文・参考書でどれも和文だ。そんなとき、最近頭の中から抜けない「アノ事」が浮かんできた。それはプーチンの離婚ではなく、はなまるマーケット終了後の岡江久美子の行く末についてでもない。実は、音楽板でこの前くりひろげられたEnoさんの「糖質不要説」なのである。
人はシュガーや炭水化物なしになんて食生活を満喫できるのだろうか?
僕は肉と豆腐とヨーグルトしか食べないダイエットで、力がみなぎった経験もあるし、逆に血糖値を高めるものを少量だけ取るような生活パターンで調子がよかったこともあった。周囲に無糖ダイエットをして顕著な成果のあらわれた人はいないし、どうも査定に困る話だ。
だいたいこんなことできるのか?「今日から肉食は禁止。菜食以外はダメだ」といわれたらたぶんその通りにすることに迷いはないだろうし、フライものを絶つことも、白米を玄米や豆に変えることも簡単だ。しかし・・・・・洋菓子・和菓子の類ときっぱり手を切ることは、殆ど「食べる行為をやめます。栄養剤の注射で余生を送る」といっているのに等しいのである。
具体的にはカルピス。プリン。バタークッキー。ブルボン全種。シュークリーム。アイスクリーム。本当に見違える人になれるんならやめてもいいか。
読書の話から、つながるところだったが、理由により割愛したのでわからなくなったな。
- Re: キングダム・カム BRIAN ENO 2013/11/13 19:47:39
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