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映画「ビート・チャイルド」について
一昨日、「ビート・チャイルド」なる映画を観てきた。
事前情報まったくなしだが、
家内に誘われて、観に行った。
睡眠不足気味なので、
上映中に寝てしまうだろうと
思ったが、予想外の映画だったので、
そのような心配は皆無であった。
逆に眼がさえてしまった。
1987年に熊本県の阿蘇あたりで、
行われた、野外ロックコンサートの
ドキュメンタリー映画だそうである。
正直言って、
出演者の半分くらいは、
知らないバンドであった。
ただ、映画が始まるや否や、
そんなことは、
どうでもよい映画であることが判明する。
ライブ・パフォーマンスがどう・・・
ミュージシャンの質がどうとか、
アレンジがどうとか・・
サウンドがどうとか、
照明がどうとか・・
ライブの映像がどうとか・・
はっきり言って、この映画は、
「音楽映画」の形をなしていない。
ようするに、表向きは、
数多くのバンドが出演して、
確かに、彼らは、唄い演奏した・・
しかし、
この類まれなる「音楽映画」のテーマは
音楽以外の別のところにあったのである。
(まあ、ウッドストックもライブエイドも音楽以外のテーマであるが・・)
私は、
音楽板で映画についても、
数多く投稿している。
そのたびに、
「映画」冒頭と、
エンディングが、
映画の良し悪しを決定する。
そして、それらに、
重要なテーマや要素が含まれる云々と書いてきた。
この「ビート・チャイルド」は、
冒頭とエンディングに、
作品のテーマをしっかり凝縮させていた。
監督がだれかとか、
製作者が誰かとは、
全く知らないが、
映画として、
完成度の高い作品になっていた。
そもそも、
こんな映画を最初から製作しようと言う意図があったわけではなく、
何台ものカメラが撮影したフィルムを編集しただけである。
エンディングの驚愕の場面に関しては、
ネタバレになるので書かないが、
そこまでの、内容で気付いた点だけ書く。
冒頭、
人間の泥だらけの足、靴、泥んこ・・
夥しい数の泥だらけの足と靴と
泥んことぬかるみ・・
傘、カッパ、濁流、震える観客、
これは、衝撃的である。
飽きるくらい、このシーンが続く。
これで、この映画のテーマの半分が、
監督によって観客に刷り込まれる・・・。
ようするに、この映画は、
「西部戦線異状なし」いや、
武器を持たない戦争映画なのである。
じゃあ〜仮想敵国はどこか?
仮想敵国はない、
敵はおのおのの、
心の中にある。
そう、煩悩との戦争なのである。
あの、土砂降りの中、
あの雨の中、
あの泥の中で、
観客は、何を思う・・?
これは、
個人の主観のなせる技である。
敵が明確にならない、
敵を定められない戦争である。
ある人は、自分を憎悪し、
自分に腹を立てるだろう。
あるひとは、
自分を熊本に誘った友人を憎悪するだろう。
ある人は、主催者側を憎悪するだろう。
集まった観客は7万2千人というから、
7万2千種類の憎悪が渦巻く、
何かに対しての戦争になったのである。
これでもか!
これでもか!
というくらい、
土砂降り、泥んこ、濁流、
ずぶぬれの世界が、
スクリーンを跋扈する。
これ、音楽の映画だよね?
どろんこの映画?
と思うくらいである・・。
すごい、演出である。
脱帽・・。
やっと、音楽が流れる・・
前日のリハーサルである・
天気は良好、気持よさそうな阿蘇の風は吹いている。
リハに駆け付けた、ミュージシャンは、
皆、上機嫌で有頂天である。
特に、白井貴子と渡辺美里は、
はしゃぎまくっていた。
しかし、ライブ当日である・・
様相は一転する・・
熊本の阿蘇の大魔神が
目覚め、
雄たけびをあげて
荒れ狂う!
「お前達!阿蘇で、ロック等、やらせてなるものか!」
と雷をならし、挨拶をする!
しかし、我々は、
猪突猛進、
なにやらわからないが、
心はひとつである・・
ブルーハーツ
ジョン・ライドンを真似るような
身体の動きで、
一気に、ライブを終了・・
雨が、少しづつ降り始める。
そしていよいよ、
前日、はしゃぎまくっていた、
白井の出番が回ってきた。
運悪く、
白井の出番の前から、
土砂降りになる。
ここで、驚愕の光景を観ることができる。
普通、野外コンサートの場合、
ステージやPAやその他の機材や照明や楽器類には、
何があっても、
絶対、雨が降り注がないようにするのが、
業界の常識である。
機材は、水を嫌う。
これは、専門家でなくとも
子どもでも知っている。
しかし、ステージ上に、
容赦なく土砂降りが降り注がれている・・
眼を疑うような光景である。
その様子を、
白井は、
昨日のはしゃぎまくってきた陽気なお姉さんどこへやら、
急に、気弱な女に変貌・・・
皮肉にもカメラは、
白井のその気弱な、
その表情を、
クローズ・アップしている・・
白井は、それに気付かないくらい
動揺している。
白井、
阿蘇で、
天国と地獄を体験することになる。
主催者側は、
何があっても、
中止にしない、
続行するとの決意。
しかたなく、
決意を固めて、
エーイ!
と土砂降りステージに飛び込み、
唄いはじめる・・が、
イントロが終わると、
ギターから音が出なくなる・・
当初、
ドラムのバックビートしか聞こえないけど、
かろうじて、
ギター以外の楽器は、
少し、復活するが、
ずっこけて、
白けた感じで、
ギターなしで、
1曲唄いきる。
やはり、
ギターなしでは、
しんどいということで、
ステージ、中央奥に、簡易テントを構え、
ドラム、ギター、キーボード、ベースと
それぞれのアンプや機材を、
簡易テント内にぎゅうぎゅうづめにして、
ライブを続けることになる。
白井だけが、
テントの外、どしゃぶりのステージで唄い踊る。
モニターも破壊され、
モニターなしで、
ライブを続行することになる
頼りは、
各楽器のダイレクトなアンプからの音と、
PAからの間接的な音とドラムの生音・・
だけが頼りである。
異様な光景、
異様なライブとなったのである。
白井は、何を思ったのであろうか?
「この主催者!」
「なんという連中なんだ!」
「ステージ上に雨が降るなんて」
「それも土砂降り」
「こんなのありえない!」
「事務所の連中、マネージャー」
「何も考えないで、」
「仕事持ってきたんだな!」
「こんな時の為に、ちゃんと、詰めた話してきたのかな?」
「契約はどうなってんだろう?」
「いや、何も考えてないのは、」
「主催者側だ!」
「楽器や機材が濡れたら」
「演奏ができなくなるなんて」
「こどもでもわかることなのに」、
「手抜きちゅうか?」
「雨の時の対処方法、」
「何も考えていなかったんだなあ!」
冒頭申し上げたが、
7万2千人の観客は、それぞれの煩悩と戦争している・・
とかいたが、
この煩悩の戦争は、
白井にも伝播する。
ミュージシャンはミュージシャンで、
それぞれの主観により、
それぞれの戦争を開始することになる。
ただ、主催者側を憎悪しても、
今更、なにも解決しない・・
とにかく、
自分一人で、
マリオネットのように、
土砂降りの中、
最後まで、ステージをこなさなければならない!
今度は、土砂降りとの
肉体的な戦いと
精神的な戦いが始まる
そして、
いつも、
自分をサポートしてくれていた
バンドのメンバーがステージ上にいない・・
後ろの方で、テントの中で、
東海林太郎よろしく、棒立ちで、ギターを弾いているだけだ・・
このいつもと勝手が違う、
前代未聞の奇異なる戦い・・
しまいには、やけくそになり、
自ら、バケツをもってきて、
頭から雨水をかける・・
(しかし、途中で乙女心が邪魔をして少しの躊躇が発生、
豪快に、頭からかけることができなかった)
ようするに、こうなったら開き直るしかないのである。
蛇足だが、モニタなしで、やっても
モニターありでやっても、
そんなに、パフォーマンスに変化がなかったことである・・
白井は、
たった二日間で、
天国と地獄を
阿蘇というジェットコースターに乗り、
阿蘇と言う戦場で戦った女戦士なのかもしれない。
その後は、たぶん、
それではまずいと言う事になったんだろう、
白井のライブの後に出演したバンドは
ベース、ギターは、
簡易テントの外に出て、
Voと一緒に、
土砂降りを体験しながらプレイしていた。
たぶん、
それらのアンプや機材はテント内で、
雨を避けていたと思われる。
その後も、
夥しい数のバンドが出ては消え、
出ては消えしたが、
出演拒否のバンドはなかった。
もし、
海外のバンドを呼んでいたら、
あの状態では、
出演拒否したと思われる。
日本のバンドは拒否するような雰囲気すらなかった。
拒否して、
違約金を払うのがいやだとか、
そういうレベルの話ではなく。
大東亜戦争時の特攻隊のような心境だったと思われる。
これ日本人の特性かもしれない・・
ということで、数多くのバンドが出演したが、
冒頭申し上げるように
演奏の質がどうのこうのとか
良かった悪かったというレベルの状態にいっていないので、
それぞれのバンドのパフォーマンスに関しては、
書くべきものは何もなかった。
一言だけ言えば、
1987年の音源とは言え、
音が悪すぎる
具体的に言えば、
中音域だけデフォルメした、
最悪のサウンドになっていた。
ドラムで言えば、
ハイハットやシンバルのおとは全く聞こえない
ベースの音も全く聞こえない
聞こえるのは、ギターの音ばかり・・
こういうのを、
昔のAMラジオのサウンドといって、
最悪のサウンド作りと私は忌み嫌い、
呼んでいるが、
まさに、悪い見本市のようなサウンドであった。
さて、この映画の総括をする。
このイヴェントを企画した一人の男が、
映画の中で何度もメガフォンをもって、
観客に訴える・・
メガフォンおやじと名付ける・・
ことにする・・
この男が、表面上は、
この企画の主催者のようである。
7万2千人の観客の憎悪の矛先は、
この主催者の男に向けるべきではない。
なぜなら、本来、野外ライブの場合、
土砂降りになること覚悟で、
参加すべきなのだから・・
しかし、参加ミュージシャンは、違う。
基本的に、
機材や楽器やミュージシャンに何があろうと絶対に雨水がかかってはいけないのである。
これが、業界の常識である。
この主催者側に、
その常識があったのか?
なかったのか?
常識はあったが、
たぶん大丈夫でしょう!
その時は、その時考えて、応急措置をしましょう!
となったのか?
まったく、
その常識や知識がなかったのか?
それは、謎であるが・・
私は、以下のように推測する。
7万2千人
一人あたりのチケット代が前売りで¥4,500
だそうだから、
当日は¥5,000
3億3千7百50万円以上の売り上げがあったのは事実である。
場所代は、ほとんどかからないと、考えられる。
ミュージシャン、スタッフ、機材のコストもたかが知れている。
だれか、からか、金儲けの話を持ちかけられて、
例のメガフォンオヤジがそれにのって、
不可抗力の想定を、しろうとよろしく、
まったくせず、イケイケドンドンでいった結果が、
このような結果に結びついたと思う。
結局、このあたりでも、
フクイチの事故そして事故後の東電や政府や原発推進派の実効性をもたない場当たり的な対応との類似性を強く感じる。
この映画の本質は、
最後の最後で、
このメガフォンオヤジによって、
暴露されることになる。
あの、
メガフォンおやじのまぬけ面と
原発推進派のまぬけ面が、
映画のエンディングのメガフォンおやじの愚かで子供じみた一言で、
同じに見えたのは、
私だけであろうか?
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