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ひふみ神示 ひとりの気付きが、人を変え、神に近付く者となる。
(ひふみ神示を基にした創作ビデオ)
長い長いというてもの、人の歴史の短さよ。
残りた時間はの、もう人のまばたきの、時間ほどしかありはせぬ。
迫りた大事を知らぬまま、人が笑いて暮らすのは、あまりに哀れとおぼしめし、
眠りて起きれば朝が来て、笑いておれば夜が来る。
それは大きな間違いぞ。まもなくひるもよるもものうなるぞ。
口に入れるものもなく、逃げるところものうなるぞ。
心にきざみてくだされよ。神に祈ってくだされよ。人に伝えてくだされよ。
まことの人とは何ぞやと、人に問いてくだされよ。
人はただ、ただ競い合う。己のために競い合う。
己のよくをなすための、きそい、争い、要らぬのぞ。
人をつくりたは、神と同じ、愛を知るためぞ。争うためにつくりたのでないぞ。
苦しめるためにつくりたのでないぞ。愛せるものとして、人をつくりたぞ。
人に自由を与えたは、神のまことのじひの心ぞ。悟りてくれよ。自由の心、ただしく使えよ。
神がなぜに愛と自由を与えたか、悟りてくれよ。
愛することの気付きはの、小さなことから始まるぞ。
人それぞれの人生で感じた愛は数々の、形をとりておるものぞ。
愛を感じた瞬間を、いつのまにやら忘れ去り、愛というもの知らぬぞと、言うては笑う者ばかり。
生き物飼いて気付く者。男女の縁で気付く者。肉親失い気付く者。
気付きの形は違えども、一度は心にその愛を、感じてわかりておるはずぞ。
そのこと静かに思い出せ。思い出せればその時の、愛に溢れた瞬間は、心豊かに満ち足りて、神の心となりておる。
神の心になるのはの、何も難しいことはない。まことは人は一瞬は、神の心になりておる。
ただ一瞬のまばたきの、ほどにてそれを忘れおる。
人は生きて人のまま、天と地獄を行き帰り。天にも昇る気持ちとは、人が作りた言の葉ぞ。
天にも昇る心持ち、心で覚えてくだされよ。
このとし大きなまがりかど。あちらへ行くも、こちらへ来るも、それはそなたの選択ぞ。
そなたら人の選択ぞ。選ぶは人ぞ。人なるぞ。
「自らを誤魔化すことなかれ!」
神が救うのでないぞ。
己がすくうのぞ。
人が救うのぞ。
花を救うのは人ぞ。
鳥を救うのも人ぞ。
人しか救えぬぞ。
何も言わぬ花の心となれよ。何も言わぬ鳥の心となれよ。
その悲しき目を見取るのぞ。獣の悲しき声を聞けよ。
人も獣も草も木も、すべては巡り、この星をつくりておるのぞ。
奢る人の心が、この星をくるわせたのぞ。めぐりをめぐりでなくしてしもうたのぞ。
めぐりめぐって、人は人ぞ。めぐりめぐって花は花となるのぞ。
そのめぐる力をとりてしまえば、この星は生きる力を失うのぞよ。
めぐる力を呼び起こせ。めぐる力をとりもどせ。
自分の心に忠実に生きよ。
ひとりの気付きが、人を変え、神に近付く者となる。
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人は何で祈るのだろう??
明日の幸せを願い祈る
みんなの幸せを願い祈る
今日、つつがなき日をすごせたことに感謝の念を奉げる
圧倒的な大自然を前にして、人は祈り感謝する
しかし自然を忘れ、祈りを奉げることを人は忘れてしまった
感謝することを忘れてしまった
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