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昨日のブログで、「日本が抱える最大の問題は、内政が原発、外政が米軍である。」とコメントした。。。その双方が一気に動き出した。
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沖縄県議会は、辺野古埋立問題で事実上公約を破棄し、県民を裏切った仲井眞知事に辞職勧告決議を下し、政府に対しては「普天間飛行場の閉鎖・撤去と辺野古移設断念」を求める意見書を送ることを決定した。
また、その内容は「決議には拘束力はない。」と伝えるもので、火消しに躍起となっている様子が窺える。
仲井眞知事は、3年前の知事選挙で敗戦濃厚なところを「ヨンピョン島砲撃事件」で起死回生の勝利を収めたのだが、その時から自民党&米軍産企業体の虜となっている。。。予想通り、沖縄を米軍に売り飛ばす腹黒い計略を抱いていたのだ。
この3年間というもの、自民党が復権し、安倍政権が軌道に乗るまで県民・国民を欺き続けていたのだ。何とも情けない限りだ。。。「売国奴」とはこの仲井眞知事のような人物のことを言うのであろう。
この汚い沖縄売り飛ばし計画(辺野古埋立承認を年末のドサクサに紛れて発表したこと)だが、当然、仲井眞氏単独で考えたものではない。仲井眞氏と米軍の仲介役を買って出たのは他ならぬ安倍晋三首相である。。。
安倍首相は、沖縄米軍問題の核心的政治日程である「辺野古埋立承認」から国民の目を逸らせる為に、「現職首相の靖国参拝」という禁じ手をぶつけてきた。。。無論、年末のドサクサに紛れて誤魔化そうとしたことも含めて、首相側から日程・手順を仲井眞知事に提案し、関係者が綿密に打ち合わせを済ませていたのだろう。
その打ち合わせ時間を取るために、仲井眞知事は12月中旬から都内の病院に入院していたのだ。
まったく汚い・・・ 国民を欺く為に姑息な手段を周到に準備していたのである。
これをもって、安倍晋三・仲井眞弘多という両政治家は、戦後日本史に最大級の汚点を残し、後世に「愚かな政治家」として語り継がれることとなった。
投票で選ばれる政治家が、県民・国民・国家の利益に相反する施策を選挙時には気付かれないように隠し、ころあいを見計らって臆面も無く強行するとは・・・
また、米軍関連の困難な政治課題をこなすために、日韓・日中という戦争被害国との間の信頼関係を犠牲にし、『英霊の御霊に尊崇の念を・・・』などと嘯き(うそぶき)ながら靖国参拝を強行して国民の注意を逸らすとは・・・
正に、神をも恐れぬ所業である。。。
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去る12年12月の衆院選で、日本国民は「デフレ脱却を目指す」とした自民党に、ふがいない民主党からの政権奪還を許したが、安倍晋三首相に原発と米軍基地問題でフリーハンドを与えたわけではない。。。これら国家的重要課題は我々日本の主権者たる「国民」の意見が反映される形で決められなければならない。
自民党は、衆院選当時には原発・米軍基地問題で明確な方向性を打ち出していない。
しかし、今となって、これら国家的重要課題がタカ派の安倍首相により、独善的判断で強引に進められている。。。現在の1%支配者らの利益確保のために、将来の国家・国民の利益を損ねる形であらゆる国家施策が歪められている。
日本が壊されてゆく・・・
安倍晋三という1%支配者層の代表者によって・・・
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【ようやく原発が争点で選挙/マスコミが細川氏都知事選出馬を批判】
その1%支配者層の大本営発表機関に成り下がったマスコミだが、都知事選挙に細川護熙元首相が出馬することになったことでかなり慌てている。。。
(毎日新聞記事より)
細川・小泉黒船来襲に慌てるマスコミの中でも、自民が推す舛添氏の都知事選勝利を切望する産経新聞の狼狽ぶりが無様だ。。。まるで、『細川氏が出て小泉氏が推したら、舛添氏では勝てない。』と、産経新聞自ら劣勢予想を吹聴しているかのように受け取れる(笑)。
関西電力からの広告料で成り立つ産経新聞は、敏感に原発政策の「潮目の変調」を感じ取っている。。。実質国家管理となった東電に続いて、原発依存率(廃炉=倒産の可能性)が最も高い関西電力の行末を案じているのだろう。
産経は、早くから都知事選挙について、自民党と政策協定を結べる(原発推進政策=毒饅頭を呑み込むことが出来る)舛添氏を「本命」と囃し立てていたのだが・・・
昨日になって、細川護熙元首相が「脱原発」を掲げて都知事選出馬の意向を固めた事が伝わると、何としてでも出馬を止めさそうと、早速ネガティブキャンペンを張り始めた。。。明らかに細川氏に対する脅しである。
細川氏が正式に出馬表明をするのは週明けと予想されているのだが、マスコミ各社の中でも産経だけは早々に細川氏に対して「過去のスキャンダル」でペンの攻撃を仕掛けている(下段の記事参照)。
「なり振り構ってられない。」と言うのが産経の本音なのだろう。。。その記事には焦りが滲み出ている。
森善朗元首相の『小泉氏の原発反対論で知事選を勝とうしている。卑怯(ひきょう)だ。フェアではない。原発を絡めて通ろうとする人は心がやましい。』という記事を載せるに至っては、最早、負け犬の遠吠えに等しい・・・
みっともない限りである。
『産経新聞・・・ 真実を報道しなさい。。。』
2011年2月、小沢陸山会冤罪抗議の御堂筋デモで産経新聞本社の近くの公園に集まり叫んだ。。。この言葉を久しぶりに思い出した。
(以下、記事転載)
【首相も国会議員も投げだしの過去 細川氏】
2014.1.10 産経ニュース
細川護煕元首相は過去、旧熊本藩主細川家と五摂家筆頭近衛家の血筋を引く華麗さを背景に「新党ブーム」「政権交代」の火付け役として常に脚光を浴びてきた。その一方で、職を途中で投げ出す癖もあった。
「60歳を区切りにしようと思ってきた。ここが区切りのつけ時と判断し、辞職を決意した」
16年前の平成10年4月、民主党結党を見届けた細川氏は突如、任期途中の衆院議員辞職を表明し、政界から身を引いた。
細川氏の国政入りは、自民党公認で初当選した昭和46年6月の参院選にさかのぼる。当時33歳。だが、自身が政界再編を引き起こす覚悟がすでにあったのか、産経新聞のインタビューにこう答えている。
「自民党自体も破滅すると思いますね。また破滅したっていいと思うんですよ。自民党が分裂するなら分裂したらいいと思う」
細川氏は参院議員を2期務め、大蔵政務次官などを歴任。58年に熊本県知事に転じると、2期8年務め、「日本一づくり運動」など斬新な政策で全国的に“ニューリーダー”としての知名度を高めた。
3選を目指すと思われていたが、「『10年一区切り』を念頭に仕事をやってきた」と不出馬を表明。退任後については「衆院議員とか東京都知事とかの噂があるが、全く白紙の状態」と述べるだけだった。
だが、退任1年余り後の平成4年、新党の結成構想を発表。これが後の新党ブームのさきがけとなる日本新党となる。
「私がソロを弾き始めた。次第にそれが大きなオーケストラになる」
新党結成宣言でこう語った細川氏ら野党は、5年7月の衆院選で自民党を過半数割れに追い込み、8党・会派による非自民連立政権を誕生させた。社会党、新生党、公明党、日本新党などの統一候補として推された細川氏は同年8月、79代首相となった。
政権発足後の産経新聞とフジテレビの共同世論調査で内閣支持率は83・4%に達した。自民党時代から最大の懸案だった政治改革関連法を成立させるなど高い支持を得ていた。
だが、政権は新生党の小沢一郎代表幹事が影響力を握る。細川氏が6年2月に発表した税率7%の「国民福祉税」構想も小沢氏の主導とされ、税率の根拠を「腰だめの数字」としか説明できず、翌日には撤回せざるを得なかった。
細川氏が政権の座を降りざるを得なかったのは、佐川急便から1億円を借入した問題だった。6年の通常国会は、自民党の激しい攻撃に遭い、予算審議に入れない非常事態となった。
「私個人の問題が現実に国会審議の障害になっている。政治の最高責任者の道義的責任は重い」
「政治改革」を標榜(ひょうぼう)していた細川氏だったが、退陣を選んだことで、自身の「政治とカネ」の疑惑を闇に葬り去った。
細川氏はその後、日本新党を解党し、小沢氏らと新進党を結党したが、別の金銭問題が浮上し、突然離党。理由を「今の政治の流れがこれでいいのか一人で考えてみたい」と説明したが、その後もフロムファイブなどを経て民主党の結党を見届け、“定年”を理由に衆院議員を辞した。
細川氏は昭和13年、細川家17代当主、護貞氏の長男として生まれた。母方の祖父は近衛文麿元首相。護貞氏は産経新聞のインタビューを受けた際、当時日本新党代表だった細川氏について問われると、こう笑い飛ばした。
「生臭いことをやっている俗人ですな。『そんな俗っぽいことおやめなさい』と言ったんだが。ハッ、ハッ、ハッ」(峯匡孝)
(以上、記事転載)
元記事 http://kochi53.blog.ocn.ne.jp/blog/2014/01/post_5b91.html
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