http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/227.html
Tweet |
戦争を起こさない為に過去に自国が行った戦争を「バカな事をやった」と批判する立場を固定化するならば「やむを得ず行った」という主張を否定しなければならない。
もちろん、戦争に反対する立場であれば「やむを得ず」でも戦争を行ってはならないと主張する事は可能だ。
しかし、国益が損なわれている時に最後の手段として戦争に訴える事は権利として認められるべきではないかという主張に対して絶対反戦主義は説得力を持たない。
戦争も選択肢として残しておくべきだと考える人の主観に対して対応している論理ではないからだ。
では、命が最高の価値なのだから命をないがしろにする戦争はやってはいけないと主張する事はどうなのか?
国益を守る為には自分の命も投げ出すべきだという立場の人に対しては同様に説得力を持たない。
従って価値観が違う人々の間では議論はほとんど成立しない。
価値は社会に対して強弁する事も必要だ。
しかし、いくら強弁しても受容されなければ社会の支配的な思想にはなれない。
議論でもなく強弁だけもなく社会に受容されるように行動しなければならない。
「自由、平等、友愛」というスローガンは社会にどれだけ根付いているのか?
意外と大して根付いていないようにも思える。
それらの価値を人々が充分に意識して生活していないようにも見えるからだ。
民主主義は?
アメリカが行った「民主主義の為の戦争」という現実を見た事によって「独裁VS民主主義」という二項対立自体が疑わしいものとなった。
真実という価値観は社会にどれだけ根付いているか?
言葉によって思考する人間が一番大事にしなければならない価値観は真実ではないかと思うようになった。「命、自由、平等、友愛」などよりもである。
よりよき価値観が社会の支配的思想になる為には真実を求める行動によってその為の土台を人類の思想状況内に構築すべきではないのか?
そのように考えるようになった。
その為の場が阿修羅掲示板であると思う。
- Re: 真実を求める行動がよりよき価値観を社会に根付かせる土台を形成すると思う 彼岸楼 2014/1/05 01:08:33
(0)
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。