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本日(11月12日)、今年一番の冷え込みでいささか身体は縮(ちぢ)こまり気味だが、昼から思い切ってオートバイを駆って播磨路を北へ走ってみることにした。西神ニュータウンを右に見て国道175号を北上、田井南の交差点を神戸農業公園に向かって右折、高和橋の信号を左折して西盛で神戸電鉄を越えて三木の御坂に出る。付近にちょっと珍しいものがあるが時間がないのでパス。 ↓
(水の話 #10 御坂サイフォン と 淡河川疎水から)
御坂の交差点を越えて山陽自動車道・三木東ICを過ぎると地酒の看板が見える。
するとすぐに大谷口の信号が現れる。右折してしばらく行くと伽耶院の駐車場に着く。
駐車場に面した谷川の対岸にかつてこの付近に大地震を引き起こした断層がくっきり見える。説明が気によれば1bほどのズレがあるらしい。
天台系修験道の寺院で山号は大谷山(おおた にさん)。紅葉は見頃にはちと早いかな。
でも「イチョウは手品師 老いたピエロ」。病気にでもなったか上部を切られている。護摩壇付近のモミジも緑が目立つ。
<参照>
グリーンピア三木(大規模年金保養基地として設立されたが現在、兵庫県に譲渡)をパスして谷口の三叉路を左折。豊地の三叉路を右折して桃坂の信号を左折する。ずーっと丘陵地帯の田園風景が続く。
この付近は現在は三木市細川町と呼ばれているが、中世には播磨国細川庄という和歌所に属する荘園で、藤原定家の子孫(つまり冷泉家)が相続することを許されていた。江戸時代の儒学者、藤原惺窩(冷泉家出身)の生家跡もこの近くだ。
小さな峠を越え集落を抜けを繰り返すうち、嬉野台(加東市)に着く。戦国時代の冷泉為勝は三木城主別所長治に敗れこの地で自刃した。別荘地の入り口付近に墓所がある。
(冷泉為勝・依藤太郎左衛門之墓から)
為勝の墓所に着いた頃、走り雨に見舞われる。少し走行して兵庫教育大学を過ぎたところにある生涯教育センターで雨宿り。正面のロータリ付近で小雨になったところをパチリ。
生涯教育センターから少し行ったところに、やしろの森公園がある。駐車場のすぐ下に活動拠点の建物がある。裏側に炭焼き体験するためのカマがある。
今日の冷え込みは厳しいのでいろりには火が。
人工の湿地帯などを抜けて行くと田圃が3枚、公園の外れにある。
シーズンには「あいがも農法」の水田耕作が見学できる。数十羽の「あいがも」がくわっ、くわっと活発に泳ぎ回って賑やかだ。でも今は。 ↓
小学生が無農薬の稲作りを体験する田圃だ。
ここもご多聞に漏れず、イノシシが活発に地面をほじくっているようだ。冬場は地中の虫を餌にしているのだ。
中国自動車道をくぐって北に行くと東条湖があるのだが、手前にある源平の古戦場、三草山麓へ向かう。源義経はこの付近の平家勢力を一蹴して一気に南下、ひよどり越を経て須磨一ノ谷に攻め下って平家軍を瀬戸内海へと敗走させた。古戦場の近くに国宝、朝光寺の本堂がある。
朝光寺の本堂へ行く前に下を流れる谷川にかかる「つくばねの滝」をたずねてみた。滝というには、いささか小振り。しかしどこから見ても峡谷を刻んで流れ落ちてきた…としか見えないのだが、実際はそうではないらしい。
滝をまいて上に出るとそこには田圃が。
田圃と林の間をのぞくと、白濁した水が流れている。そしてガードレール(上の写真)付近で先が見えなくなっている。つまりそこが滝の落ち口なのだ。
山門にとって返して国宝に拝謁しよう。本堂が室町時代密教仏堂の代表作の一つということで国宝に指定されている。
こちらは兵庫県指定文化財の多宝塔。
重要文化財の鐘楼で、袴腰寄棟造。
さすがに冷えてくたびれてきた。帰ろっと。
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