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食糧難の時代は昆虫を食べろと、国連があなたに言っている 2013-10-19
2013年5月13日、国連食糧農業機関(FAO)が昆虫食を推奨する報告書を発表してから、世論は少しずつ「昆虫食」に向けて動き出している。
昆虫食については、ブラックアジアでも何度か取り上げたことがある。(昆虫食が新しい食材になったとき、あなたは食べられるか?)
すでに世界人口は71億人を超えて、これからさらに増加していくのであり、食糧問題は待ったなしのところまで来ているのだ。
今後は、マスメディアでは繰り返し繰り返し昆虫食の話題が取り上げられ、それが新しい食文化に定着するまで行われるだろう。
なぜなら、最終的に人類は、昆虫食をしなければ生きていけないところにまで追い込まれていくからだ。食文化は、これからどんどん変わっていくことになる。
私たちは、食事についていろいろなものを認める方向で、考え方を転換していかなければならないのだろう。あなたは、準備できているだろうか?
動物の身体は蛋白質でできており、人間は雑食だ
食文化は国によって違う。動物の身体は蛋白質でできており、人間は雑食なのだから、食べる物が違って当然だ。どこの国のどの食事が正しいというものはない。
犬食は動物虐待だとか残酷だとかという話がある。
いつだったか、ブリジット・バルドーが韓国の犬食が動物虐待だと訴えて、逆に韓国人の猛抗議を受けて悔し泣きをしたという話もあった。
私には、牛も羊も犬も猫も、みんな同じ動物に見える。牛や羊が残酷ではないのであれば、イヌもネコを食べて何が悪いというのだろう。フランスではウサギも食べる。日本もかつてはウサギを普通に食べていた。
ニワトリやアヒルが食べられるのであれば、鳩やスズメを食べても何が悪いのだろう。鳩は誰も食べようとしないが、私は公園にいるあれが旨そうに見える。食べてみたい。
しかし、鶏はいいとして、鳩は絶対に食べては駄目だと頑なに思う人は多い。
インドでは牛を食べないが、欧米は食べる。イスラム教徒は豚を食べないが欧米では食べる。
欧米ではイヌやネコを食べないが、中国ではどちらも食べる。仔猫の肉は柔らかくてうまいのだという。欧米ではサルを食べないが、アフリカではサルも食べる。
イスラエルではイカやタコを食べないが、日本ではどちらも普通に食べられている。普通に食べるどころか、これらの食材は日本文化に欠かせないものでもある。
動物愛護団体は激怒するかもしれないが、東南アジアではどこでもイヌ食があった。
カエルは食べることができるが、かたつむりは無理だ
先進国ではカエルやトカゲを食べないが、アジアではカエルもトカゲも食べる国が多い。
カエルはタイでも普通に食べられている食材で、私も何度も食べてきて違和感もない。バングラデシュでもカエルの姿焼きを売っていたのを見ている。
私はあまりにもあちこちでカエルを食べているせいか、他の日本人のようにカエル食がゲテモノだという感覚がない。少し、スジが多い肉程度のものだ。中国人もカエルを「田鶏」と言って普通に食べる。
欧米ではヘビが忌み嫌われているが、中国ではヘビも普通に食べられている。
ヘビの血や肝臓は滋養強壮として知られているから香港でも専門店があって、私はそこで血を吸って蛇肉を食べて帰ってきた。大トカゲはマレーシアで食べた。
それはゲテモノなのかと言われれば、どこかの国から見れば確かにゲテモノなのかもしれないが、現地ではゲテモノではなく普通の食材だ。
フランスではエスカルゴ(かたつむり)料理がある。私はかたつむりを食べたことがない。それは充分にゲテモノだと思うが、フランスではきっとそういう感覚ではないだろう。
フランスに行くことはたぶんないと思うが、もしフランスに行ってエスカルゴ料理が出てきても私は食べないかもしれない。イヌやネコやカエルは食べられるかもしれないが、どうもかたつむりには抵抗がある。
これは単に私の感覚であって、食べたい人がいるのであれば食べてもいいと思うし、それに対してゲテモノだとか残酷だとか禁止すべきだという気持ちにはなれない。単に文化が違うだけだからだ。
もし私がフランスで生まれ育っていれば、サシミは残酷で食べられないけれども、かたつむりは平気だったかもしれない。
エスカルゴ料理。フランス人には旨そうに見えるのかもしれないが、私は食べたくない。
サソリはいけるかもしれないが、タガメは無理だ
今はサシミも世界中で市民権を得たが、数十年前は魚を生で食すという日本文化は、相当なゲテモノだと論じられていた。
エビの踊り食いなんかを知れば、それこそ動物虐待という話になっただろう。
その日本人でも、アフリカやアマゾンの未開人が木の皮の裏に潜む芋虫を生で食べると聞くと、ぞっとして首をすくめる。
シラスやチリメンはそのまま食べる日本人が芋虫でぞっとするのは、もちろん文化が違うからだ。
タイではタガメもコウロギも揚げ物にして食べられていて、中にはサソリさえ売っている。国連は今ごろになって「昆虫食」を提唱しているが、タイ人に言わせれば「何を今さら」というところではないだろうか。
そういった意味で、昆虫食をするタイは最先端を行っているのかもしれない。
サソリはエビのような味がすると言われているが、私はまだサソリを食べたことがない。サソリは、もしどうしても食べなければならないことがあったら食べられるかもしれないが、タガメやコウロギは無理だ。
私の中にあるこの反応の違いは自分でも説明できない。しかし、私の中では、そのような区別がある。
ちょっと昔の日本人は畑のイナゴは平気で食べていた。タイも同じ稲作文化があってイナゴはいまだに食材だ。誰もがちょっとしたスナック感覚で食べている。しかし、私はいまだに一緒に食べる気にはならない。
最初の一歩が踏み出せればあとは慣れなのだろうが、その最初の一歩が踏み出せない。私は国連に叱咤されるだろう。
いつも、これを食べようと決意して、挫折する。
「今度こそ昆虫を食べよう」と思うが、勇気が挫ける
カンボジアではラーメンのような料理があって何気なく頼んだら、中にコウロギが入っていたことがあった。
私はてっきりコウロギが誤入したと思って、店員を呼んで取り下げてもらおうとした。すると店員は「これは食べることができるんです」と笑って言う。
まさかと思っていると、はす向かいで食べていた男が「ほら」と自分の器からコウロギをつまんで、それをおいしそうに食べるのだった。
その後、プノンペンの他のところで、白い炊き立てのご飯にコウロギを載せて食べる人を見て、やっとこの国の人がコウロギを普通に食べるのだと納得した。
カンボジア奥地のバッタンバン地方では、同じようにクモを食べる。タランチュラのような巨大なクモを食べているのである。信じられないが、事実だ。
また、カンボジアではカメを食べる人もいる。プノンペンでも、トンレサップ川で取れたカメを売っている。
カメなら食べられそうだと思っていたが、あの生臭いような泥臭いような強烈な臭いを嗅いだ瞬間に食べられなくなった。
ヘビやトカゲが問題なくてカメが駄目なのは、単なる私の好みである。
クジラは昔、当たり前のように食べていた記憶がある。イルカは食べたことがないが、別に罪悪感もなく食べるだろう。
こうやって考えてみると、食文化の違いというのは恐ろしいほど大きいが、繰り返して言うと、どれが正しくてどれが間違っているというのはないのだ。
どのみち昆虫食の時代が来ると分かっているので、タイに行くたびに「今度こそ昆虫を食べよう」と思うのだが、それを目の前にすると勇気が挫ける。
あなたは、どうだろうか?
カンボジアのクモ料理。こんなものが食べられるとは想像もしなかった。国連も、大喜びだろう。
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20131019T0514010900.html
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