http://www.asyura2.com/13/jisin19/msg/683.html
Tweet |
脱線した上越新幹線「とき325号」=2004年10月、新潟県長岡市
【警戒せよ!生死を分ける地震の基礎知識】地震による新幹線事故は運次第か 魚沼トンネル崩壊の再来も…
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20140425/dms1404250830002-n1.htm
2014.04.25 夕刊フジ
JRがひそかに恐れていることがある。地震による新幹線の大事故だ。
新幹線が開業してから今年で50年。この間、欧州では何度か大事故が起きたが、日本では人命にかかわるような事故は起きていない。
いままでの最大の事故は2004年、新潟中越地震(マグニチュード6・8)での脱線事故だった。
走行中だった「とき325号」が脱線して傾いた。しかし幸い乗客乗員155人に死者も負傷者も出なかった。
この「325号」は新潟県長岡駅に停車するために減速中で、フルスピードではなかった。そのうえいくつもの幸運が重なった。現場の上下線の間にある豪雪地帯にしかない排雪溝にはまり込んだまま滑走したことも、現場の線路がカーブしていなかったことも、現場が高架だったためにレールのすぐ脇がコンクリートだったことも、対向列車がなくて正面衝突をしなかったことも幸いだった。
そしてこの新幹線が東北・上越新幹線の初代の「ボディーマウント構造」の車両だったために台車の部品と脱線した車輪がレールを挟み込んでくれたことも転覆をまぬがれた理由だった。
じつは、これらの幸運よりもはるかに大きな「幸運」があった。地震が起きたのは10月23日17時56分。そのわずか3分前にはこの「325号」は長さ8624メートルの魚沼(うおぬま)トンネルをフルスピードで駆け抜けていたのであった。
この地震で魚沼トンネル内はめちゃめちゃになった。レールの土台が25センチも飛び上がり、1メートル四方以上の巨大なコンクリートが壁から多数落ちたほか、トンネルの各所が崩壊していたのだ。もし地震がちょうど通過時に起きていたら、新幹線が巻きこまれて大事故になっていたことは間違いない。
この魚沼トンネルは山を掘り抜いた「山岳トンネル」というものだ。阪神淡路大震災(1995年)では天井と床をコンクリートの柱で支えるトンネルが数カ所崩壊したが、それよりも地震に強いはずのトンネルだった。
山岳トンネルもいままでに地震で無事だったわけではない。関東地震(23年)以来、19もの山岳トンネルが壊れている。それが人命にかかわる大事故にならなかったのは、たまたま列車が通っていなかったからにすぎない。
着工予定のリニア新幹線はその86%がトンネルだし、山陽新幹線も51%がトンネルだ。「魚沼トンネルの再来」がいつ起きるか分からないのである。
だが危険はトンネルだけではない。阪神淡路大震災が起きたのは、新幹線が走り出す14分前の朝5時46分だった。地震には耐えるはずだった新幹線の鉄道橋がいくつか落ちたが、もし新幹線が走っていた時間帯だったら大事故になったに違いない。
東日本大震災(2011年)でも新幹線が仙台近くで脱線した。これも運良く、乗客は乗っていない試運転中の列車だった。
連載で書いてきたように日本のどこでも直下型地震が起きうる。また「緊急地震速報」は直下型地震では間に合わない。いままでは運が良かった。しかし、これからも運がいいとはかぎらない。
■島村英紀(しまむら・ひでき) 武蔵野学院大学特任教授。1941年、東京都出身。東大理学部卒、東大大学院修了。理学博士。東大理学部助手を経て、北海道大教授、北大地震火山研究観測センター長、国立極地研究所所長などを歴任。『直下型地震 どう備えるか』(花伝社)など著書多数。
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。