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300年間沈黙の富士山 巨大地震で噴火誘発か?
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2014.3.3 20:30 THE PAGE
2月23日は「富士山の日」。昨年はユネスコの世界遺産リストに登録され、“日本のシンボル”としても世界にアピールする富士山だが、その一方で懸念されているのが噴火の可能性だ。300年間も噴火もなく優美な姿を見せ続ける富士山に対して、特に2011年3月11日に起きた東日本大震災、さらには静岡県沖から四国・九州沖で発生が予測される“南海トラフ地震”の誘発による噴火の可能性を、火山学者らは指摘する。美しさを翻して突然襲いかかる自然の猛威に、いっそうの心構えや防災の準備は必要だ。
300年間沈黙の富士山 巨大地震で噴火誘発か?
■世界の巨大地震と火山噴火
これまで世界各地で発生したM(マグニチュード)9クラスの巨大地震は、「例外なく火山噴火を誘発した」と指摘するのは火山噴火予知連絡会の藤井敏嗣会長(東京大学名誉教授)だ。1952年のカムチャツカ地震(M9.0)、57年のアンドレアノフ地震(M9.1)、60年のチリ地震(M9.5)、64年のアラスカ地震(M9.2)、2004年のスマトラ島沖地震(M9.0)では、いずれも近くの複数の火山が翌日から数年以内に噴火した。
地震が火山の噴火を誘発するメカニズムのうち最も有力なのは、地震によって岩盤内の応力が変化し、火山の地下にある“マグマだまり”の圧力が減少する。するとマグマの二酸化炭素などの揮発性成分が発泡して軽くなり、上昇を始める。いったん上昇しだすと、さらにマグマの圧力が下がるので、どんどん発泡が促進され、さらにマグマが深くから供給されてくる、という仕組みだ。
東日本大震災での地震も、M9.0という巨大地震(東北地方太平洋沖地震)だった。この巨大地震の発生直後、北海道から九州に至る20の火山の直下で一時、地震活動が活発化した。多くは1〜2日で収まったが、箱根山(神奈川・静岡県)や焼岳(長野・岐阜県)では人に感じる有感地震もあった。また、震災4日後の3月15日夜には富士山の直下約15キロを震源とするM6.4の地震が発生し、静岡県富士宮市で震度6強が観測された。「このまま富士山噴火につながるのでは…」と、多くの火山学者らに一時緊張が走った。
■一転して“山腹割れ目噴火”に
2000年秋の低周波地震の急増をきっかけとする集中観測、その後の大学や研究機関の各種調査・研究によって、富士山の構造や噴火の歴史について次のようなことが分かってきた。
富士山は10万年前まで噴火活動していた「小御岳(こみたけ)」の上に「古富士火山」が重なり、さらに1万年前からの活動でできた「新富士火山」が重なって現在の姿となった3層構造だと考えられていたが、小御岳の下にさらに20万年前まで活動していた「先小御岳」が存在する4層構造の成層火山であること
新富士火山では初〜中期には山頂や山腹から噴火していたが、2200年前の山頂噴火を最後に、その後は山腹の全方位に新しい割れ目火口を作って噴火する“山腹割れ目噴火”を40回以上繰り返していること
特に西暦1000年ごろ(平安時代)には山腹割れ目噴火が集中し、北山頂と南山腹の両側での南北同時噴火が起きていたこと
富士山のような粘り気の少ない玄武岩質溶岩では起きないとされる「火砕流」が、山頂西側の斜面で発生していたこと。この付近斜面の傾斜角度は34度以上あり、斜面で安定を保つ最大角度32〜33度よりも急斜面であることがその理由として考えられる
最後の噴火は「宝永大噴火」
古文書などが残る歴史時代の富士山(新富士火山)の噴火は、確実なものでも10回記録されている。中でも最大のものは平安時代の864年(貞観〈じょうがん〉6年)6月(太陽暦表記、以下同)に起きた「貞観噴火」だ。これは山頂の北西山麓にできた割れ目火口列からマグマが噴出して流れ、一部は当時「せの海」と呼ばれていた大きな湖を分断して「精進湖」と「西湖」を作った。噴火活動は866年初頭まで続き、広大な溶岩流の上に現在広がるのが「青木が原の樹海」だ。
もう1つの巨大噴火が1707年(宝永4年)12月16日に南東斜面で発生した「宝永噴火」だ。これは溶岩流出が主だった「貞観噴火」とは異なり、溶岩流出のない爆発的な噴火で、大量の軽石やスコリア(岩さい)、火山灰などを噴出した。これらは偏西風に乗って南関東一円に降り積もり、江戸の市中には火山灰が厚さ2〜4センチほど積もった。茨城県・霞ケ浦の湖底や、さらに遠方の鹿島灘の沖合の海底からも当時の噴出物が見つかっているという。宝永噴火は消長を繰り返しながら16日間続いた。富士山の噴火はこれを最後に起きていない。
■大地震との関連性は?
実はこの「宝永噴火」の49日前、10月28日に南海トラフで大地震(宝永地震、M8.6)が起き、関東から九州までの太平洋岸に津波が襲った。死者数は4900〜2万人以上ともみられる。また翌29日には富士宮でM 7.0クラスの最大余震も起きたとされる。なお、東日本震災と同様な規模の地震・大津波をもたらした「貞観地震」の発生は869年(貞観11年)7月9日なので、富士山の「貞観噴火」の5年後だ。
宝永地震と宝永噴火の例だけで、大地震と富士山の噴火の連動は確実なものなのか。同じ南海トラフを震源とする地震(東海地震、東南海地震、南海地震)は、宝永噴火以降も1854年12月の「安政東海地震・安政南海地震」、1944年12月の「昭和東南海地震」、46年12月の「昭和南海地震」が起きているが、富士山の噴火と結びついてはいない。
それでもなお、火山学者らが富士山噴火に注意するのは、富士山のもつ特殊性だ。
■特別な存在の富士山
富士山は元々が南のフィリピン海プレート(岩板)の海底火山だった。そのフィリピン海プレートが100万年前に本州に衝突するとともに丹沢山地や赤石山地を盛り上がらせ、さらに富士山自ら火山活動を活発させて、今の箱根山や伊豆半島などとともに地上にせり上がってきたものだ。
本州の他の火山が粘り気のある安山岩質溶岩であるのに対して、富士山の溶岩が、例えばハワイ諸島の火山と同様に、粘性の小さな玄武岩質であることも海洋性の火山であることを裏付ける。さらに、富士山北側の山梨県河口湖町からは海の化石も産出しているのだ。
フィリピン海プレートは年間約4.2〜4.9センチの速度で北西方向に進み、伊豆半島西側の駿河湾から連なる南海トラフで、本州のあるユーラシアプレートの下に沈み込んでいる。伊豆半島の東側では、神奈川県沖から千葉県南沖にのびる「相模トラフ」が本州東側の北米プレートへの沈み込み場所だ。その相模トラフを震源域に1923年(大正12年)9月1日、「大正関東地震」(関東大震災、M7.9)が発生した。
■富士山の下にマグマが…
このことは、本来がスムーズに本州の下に沈み込むはずのフィリピン海プレートが、富士山や箱根山、伊豆半島で本州に引っかかっていることを示す。ところがフィリピン海プレートは、それにも拘わらずグイグイ押してくるので、伊豆半島や伊豆半島近海では群発地震がしばしば起きている。さらに南に連なる伊豆大島や三宅島、八丈島などでも時々火山活動が活発化し、昨年11月からは西之島の“新島”も海底火山の噴火で形成されつつある。フィリピン海プレートの沈み込み場所が2つに分かれることで、伊豆半島から富士山にかけての裂け目ではプレート深部のマントルで発生したマグマが上昇しやすく、富士山の地下深くにどんどん溜まっているとの見方もあるようだ。
これまで富士山の噴火に関しては、「20××年○月に大噴火!」などといった“占い”や“予言書”なるものがたびたび出版され、ことごとくデマだったことが証明されてきた。これからは歴史や東日本大震災の体験を教訓に、「では、どうするか?」といった、しっかりした防災面からの論議、早急な対策が求められている。
(文責/企画NONO)(動画制作:TOMOニュース)
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