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太陽に元気なし…寒冷化予兆 11年周期の磁場転換起きず、黒点も最少(SankeiBiz)
http://www.asyura2.com/13/jisin19/msg/402.html
投稿者 スカイキャット 日時 2013 年 11 月 18 日 14:33:49: 3nXimNhwS3/Ls
 


太陽に元気なし…寒冷化予兆 11年周期の磁場転換起きず、黒点も最少

SankeiBiz 11月18日(月)10時58分配信

 太陽に異変が起きている。今年は太陽の活動が強くなったり弱くなったりする11年周期の中で、活動がピークになる年(極大期)に当たり、通常なら、太陽の北極と南極の磁場が入れ替わる「極域磁場転換」が起きるはずなのだが、いまだに起きていない。さらに、活動ピーク年には増えるはずの“太陽の元気のバロメーター”とされる「黒点」も今年は異常に少ない。今後、太陽は活動の低調期に入り、併せて地球も寒冷化すると指摘する専門家もいる。「全く元気がなくパッとしない。明らかに異変が起きている」。米航空宇宙局(NASA)の研究者、ジョナサン・サーテイン氏は先週、今年の太陽の活動を評して米メディアにこう語った。

[巨大フレア] NASAの太陽観測衛星が撮影した太陽の表面の様子は…

 観測史上、太陽は11年ごとに北極と南極の磁場が入れ替わることが分かっている。その詳しいメカニズムは不明だが、当該年は太陽の活動が最も活発になる年で、主に高緯度地帯に多数の黒点ができる。黒点は磁石のように強い磁場が起きている場所で、磁力によって太陽内部の熱が表面から放出されるのが抑えられているため、周囲より低温で黒く見える。黒点の地点は低温でも、その総面積は太陽のほんのごく一部であり、黒点が多発する時期は太陽全体のエネルギー放出量は増大する。

 太陽の活動ピーク年には、常時150〜200の黒点が観測されるのが普通で、大量の電磁波や粒子が放出され、こうした太陽嵐によって地球上の電信施設が損傷を受けることがしばしば起きてきた。しかし、今年はこれまで、観測される黒点は概ね50〜100ぐらいにとどまっており、ここ200年で最も少ないと言われている。

 また、NASAは今年8月5日、「黒点は少ないが、3〜4カ月以内に極域磁場転換が起きるだろう」と予測したが、3カ月半が過ぎた今でも、明瞭な兆しは現れていない。2006年9月に打ち上げられた日本の太陽観測衛星「ひので」が集めたデータによると、太陽の北極はすでに昨年から磁場がS極(マイナス磁場)からN極(プラス磁場)に替わっているが、南極は依然としてN極のままの状態が続いている。その一方で低緯度地帯(赤道近辺)にS極が現れ、観測史上例がない「太陽の磁極の4極化」という異常現象さえ起きている。

 米紙ウォールストリート・ジャーナルによると、ハーバード・スミソニアン天体物理学センターで太陽磁場周期について研究するアンドレス・ハラミージョ氏は「生存している科学者で、これほど弱い太陽周期(活動)を目にしたことがある人はいない」と指摘する。

 かつて、今年と似た現象は17世紀にも起きている。その時は約70年間にわたって黒点がほとんど出現せず、地球は寒冷化した。記録によれば、当時、ロンドンのテムズ川では冬にスケートが楽しめたといい、日本でも京都のサクラの開花が極端に遅れていたことが文献によって分かっている。

 では、今後、地球は寒冷化に向かうのだろうか。太陽活動の低調化による波及効果は温室効果ガス排出量増加による温暖化現象を打ち消すには至らないとう見方がある一方で、「地球は間違いなく寒冷化に転じる」(大気海洋地球物理学者の中村元隆氏)と断言する専門家も決して少なくない。(SANKEI EXPRESS)
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最終更新:11月18日(月)13時15分


 

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コメント
 
01. taked4700 2013年11月19日 17:04:43 : 9XFNe/BiX575U : vd1kdmPqXw
ウィキの「小氷期」より部分引用します。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%B0%B7%E6%9C%9F

この厳冬の到来は、大なり小なり人々の生活に影響を与えている。飢饉が頻繁に発生するようになり(1315年には150万人もの餓死者を記録)、疾病による死者も増加した。アイスランドの人口は半分に減少し、グリーンランドのバイキング植民地は全滅の憂き目を見た。小氷期の影響は、この時代の芸術にも見ることができる。例えば、フランドルの画家ピーター・ブリューゲルは往時の村落を多岐に描いているがその多くは雪に覆われた風景を呈している。
日本においても東日本を中心にたびたび飢饉が発生し、これを原因とする農村での一揆の頻発は幕藩体制の崩壊の一因となった。

原因[編集]

科学者は、海洋/大気/陸地システムの研究を通して小氷期の原因を2つ同定している。それは太陽活動の衰弱と火山活動の活発化である。研究は気候システムの内部不安定性や人類の活動による影響など比較的不確定性の高い作用を基に進められており、黒死病が蔓延した時期におけるヨーロッパの人口減少とその結果生じた農業生産の低下は小氷期を長引かせたと推測する向きもある。

太陽活動[編集]
小氷期の中頃の1645年から1715年にかけては太陽黒点が示す太陽活動は極端に低下し、太陽黒点が全く観察されない年も複数年あった。太陽黒点活動が低下したこの期間は、マウンダー極小期として知られている。太陽黒点活動の低下と気温の寒冷化を結びつける明確な証拠は提示されていないが、小氷期の中でも最も寒さの厳しかった時期とマウンダー極小期が一致する事実は因果関係の存在を暗示している。この期間における太陽活動の低下を示す他の指標としては、炭素14(14C)とベリリウム10(10Be)の存在比が挙げられる。

火山活動[編集]
小氷期の全体にわたって、世界各地で広範な火山活動が記録されている。火山が噴火した時にその火山灰が大気上層に達し、地球全体を覆うように広がることがある。この灰のベールが日射をある程度遮り、噴火後2年にわたって全世界の気温を引き下げる。さらに火山ガスの成分であるSO2が噴火の際に大量に放出されるとこのガスが成層圏に達したときに硫酸の粒子に変化し、太陽光線を反射して地表に届く日射量をさらに縮小させる。1815年に起きたインドネシアのタンボラ火山の噴火は大気中に大量の火山灰をばら撒き、翌年の1816年は「夏のない年」として記録されている。このときニューイングランドと北ヨーロッパでは、6月と7月に降霜と降雪が報告されている。

小氷期の終わり[編集]

1850年代が始まると世界の気候は温暖化に転じており、小氷期はこの時点で終了したと述べることができるだろう。何人かの科学者は地球の気候は未だ小氷期からの回復の途上であり、この状況が人間のもたらした気候変動に関連する諸問題に寄与していると考えている。

****************************

上の記事で火山噴火があり得るということがとても示唆的です。

>小氷期の中頃の1645年から1715年にかけては太陽黒点が示す太陽活動は極端に低下し、太陽黒点が全く観察されない年も複数年あった。

ということから、この期間の日本での地震を抜き出すと次のようになります。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E9%9C%87%E3%81%AE%E5%B9%B4%E8%A1%A8_(%E6%97%A5%E6%9C%AC)#17.E4.B8.96.E7.B4.80 より部分引用:

1647年6月16日(正保4年5月14日) 武蔵・相模で地震 - M 6.5±1/4、江戸城の石垣や大名屋敷など破損。小田原城に大きな被害。
1648年6月13日(慶安元年4月22日)相模・江戸で地震 - M 7.0程度。小田原城破損、箱根で落石、死者1名。但し、江戸での被害疑問とする見解もある[60]。
1649年
3月17日(慶安2年2月5日) 安芸・伊予で地震 - M 7.0±1/4。松山城、宇和島城の石垣や塀が崩れる。
7月30日(慶安2年6月21日) 慶安武蔵地震 - M 7.1或いはM7.0±1/4、武蔵・下野で地震。死者多数。
1655年5月2日(明暦2年4月8日) 房総沖地震 - 千葉県で津波の記録あり。
1659年4月21日(万治2年2月30日) 会津で地震 - M 6 3/4〜7.0、死者多数。
1662年
6月16日(寛文2年5月1日) 寛文近江・若狭地震(寛文地震)(畿内・丹後・東海西部地震、寛文の琵琶湖西岸地震、近江・山城地震) - M 7 1/4〜7.6、死者数千人。京都の大仏殿小破。小浜で城の櫓・多門・石垣・蔵の破壊。
10月31日(寛文2年9月20日) 外所地震(日向・大隅地震) - M 7 1/2〜7 3/4、死者多数。
1664年(尚質王17年) 琉球鳥島で地震、死者があり、海底火山の噴火、津波があった。
1666年2月1日(寛文5年12月27日) 越後高田地震 - M 6 3/4前後、死者1,400〜1,500人。
1670年6月22日(寛文10年5月5日) 越後村上地震 - M 6 3/4前後、死者13人、江戸でも有感。
1671年2月27日(寛文11年1月18日) 紀伊水道沖で地震 - M 7.3、畿内、山陽道、南海道で強震、南海道に小津波[61]。
1676年7月12日(延宝4年6月2日) 津和野地震 - M 6.5前後、津和野城の石垣が崩れ、領内で潰家133、死者7人。
1677年
4月13日(延宝5年3月12日) 延宝八戸沖地震 - 陸奥、陸中、八戸沖(青森県東方沖)で地震 - M 7 1/4〜8.0、津波あり、三陸沖北部の固有地震[62]。
11月4日(延宝5年10月9日) 延宝房総沖地震(延宝地震) - M 8.0前後(Mw 8.5)、死者500〜600人。福島県〜千葉県に津波(茨城県地方史上最大の津波被害[63])。
1678年10月2日(延宝6年8月17日) 宮城県北部沖で地震 - M 7.5前後、死者1人、東北地方の広範囲で被害。
1683年6月17日 - 10月20日(天和3年5月23日 - 9月1日) 日光地震 - 栃木県北部、日光付近で群発地震。規模の大きなものは、6月17日にM 6.0〜6.5、6月18日にM 6.5〜7.0、10月20日にM 7.0±1/4の地震が発生。10月20日の地震では、五十里村で生じた山崩れが川を塞いだために湖が生じた。関谷断層で発生した可能性が指摘されている[64]。
1686年
1月4日(貞享2年12月10日) 安芸・伊予で地震 - M 7.0〜7.4、広島県中西部を中心に被害、死者有り。
10月3日(貞享3年8月16日) 遠江・三河地震 - M 6.5〜7、死者多数。
1694年6月19日(元禄7年5月27日) 能代地震 - M 7.0、陸奥で山崩れなど。死者394人。
1696年11月25日(元禄9年11月1日) - M 6.5程度。石巻河口に津波、300隻をさらい、溺死者多数[65]。地震記事は未確認[53]。
1700年4月15日(元禄13年2月26日) 壱岐・対馬地震 - M 7.3、石垣・家屋倒壊。福岡・佐賀・長崎でも被害[66]。
18世紀[編集]

1703年
12月31日(元禄16年11月23日) 元禄地震(元禄関東地震) - M 8.1〜8.2(Mw 8.1〜8.4)、関東南部に津波。死者6,700人、潰家、流家約28000軒(『楽只堂年録』)(死者20万人とも『鸚鵡籠中記』)。
同日、豊後で地震 - M 6.5±1/4、元禄地震とほぼ同刻に発生。府内領で潰家273軒、死者1人、由布院でも潰家。
1704年5月27日(宝永元年4月24日) 羽後・陸奥で地震 - M 7.0±1/4、能代の被害大。死者58人。十二湖を生じた。
1705年5月24日(宝永2年閏4月2日) 阿蘇山付近で地震 - 阿蘇坊で破損多く、死者があった。岡城の石垣が破損。
1706年(宝永3年) 宮古島で地震。死者あり(『沖縄誌』)。
1707年
10月28日(宝永4年10月4日) 宝永地震(南海トラフの連動型地震) - M 8.4〜8.6(Mw 8.7[67]〜9.3[68][69])、死者4,900〜2万人以上、倒潰・流出家屋6万〜8万軒。関東から九州までの太平洋岸に津波、東海道宿場町・伊豆・伊勢・紀伊・阿波・土佐などで大きな被害(『楽只堂年録』)。地震から49日後に富士山の宝永大噴火。道後温泉の湧出が数ヶ月間止まる。
10月29日(宝永4年10月5日) 富士宮で地震 - M 7.0、宝永地震の16時間後、明朝に発生、東海道宿場町で家屋倒壊など被害。村山浅間神社および社領の家が残らず潰れ、村山で死者4人(『楽只堂年録』)。宝永地震の最大余震[70]。
11月21日(宝永4年10月28日) 周防・長門で地震 - M 5.5、上徳地村で潰家289、死者3人(『毛利十一代史』)。
1708年2月13日(宝永5年1月22日) 紀伊半島沖で地震 - M 7クラス[71]、紀伊、伊勢で津波。山田吹上町、一本木に及び、宮川堤防が破れた。宝永地震の余震と推定される。
1710年10月3日(宝永7年閏8月11日) 因伯美地震 - M 6.6、山崩れなど。死者多数。
1711年3月19日(宝永8年2月1日) 伯耆・美作で地震 - M 6 1/4、大山で山崩れ、伯耆・美作で潰家、死者4人。鳥取地震の起り方に似る[13]。
1714年4月28日(正徳4年3月15日) 信濃北西部で地震 - M 6 1/4、山崩れなど。死者56人。
1715年2月2日(正徳4年12月28日) 大垣・名古屋・福井で地震 - M 6.5〜7.0。

******************
ウィキの火山噴火のページから日本の噴火について部分引用します。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%99%B4%E7%81%AB
1640年 北海道駒ヶ岳 北海道駒ヶ岳 2.9 山体崩壊に伴う岩屑雪崩が内浦湾に流入し、大津波が発生。死者700余名。
1663年 有珠山 有珠山 2.78 噴煙柱が津軽藩領内からも観察され、爆発に伴う空振が庄内平野でも感じられる。死者5名。
1667年 樽前山 支笏カルデラ 4.0 火山灰が現在の苫小牧市で1〜2m、十勝地方で数cm降り積もる。
1684年 - 1690年 三原山 伊豆大島 0.18 貞享大噴火。多量の溶岩流出。
1707年 富士山 富士山 0.7 宝永大噴火。宝永地震の49日後に噴火、宝永山を形成。江戸にも数cmの降灰。
1716年 新燃岳 霧島山 0.18 民家、山林、耕地に大被害。死者5名。
1739年 樽前山 支笏カルデラ 1.0 爆発に伴う空振が津軽地方でも感じられる。火山灰が現在の新千歳空港付近で1m、大雪山付近で数cm降り積もる。
1739年 御岳 桜島 2.1 安永大噴火。多量の溶岩を流出し、翌年には海底噴火も発生。長崎や江戸でも降灰があり、死者153名。

同じく世界の噴火を見るとだいたい次のような状況でした。

1600年 - ペルーのワイナプチナ。噴出量30km3、世界中で気温が低下し、飢饉が発生した。
1631年 - イタリアのヴェスヴィオ。噴出量1.1km3、死者3000人(6000人?)。
1638年 - インドネシア・ジャワ島のラウン(英語版)。噴出量0.05〜1.05km3、死者1000人。
1660±20年 - パプアニューギニアのロング島(英語版)。噴出量30km3。
1669年 - イタリアのエトナ。噴出量0.25km3、死者10000人。
1672年 - インドネシアのムラピ。噴出量不明、火砕流などで死者3000人。
1711年 - インドネシア・サンギヘ島のアウ(英語版)。噴出量不明(火山爆発指数3)、火砕流により死者3000人。
1721年 - アイスランドのカトラ。噴出量1.2km3。
1755年 - アイスランドのカトラ。噴出量1.5km3。
1760年 - インドネシア・モルッカ諸島のマキヤン(英語版)。噴出量0.05〜1.05km3、泥流により死者2000人。
1772年 - インドネシア・ジャワ島のパパンダヤン(英語版)。噴出量不明、死者3000人。
1783年 - アイスランドのラキ。噴出量14〜16km3、大量の溶岩と火山ガスの噴出により、欧州を中心とした世界各地で異常気象と飢饉が発生。


02. 2013年11月20日 22:58:01 : ag9tNNw0lg
二酸化炭素による温暖化なるものが全くない時代でも
地球の温度はしょっちゅう変動している。証拠は山のようにある。

もちろん、直近の氷河期が終わったあとの現在の間氷期の間でもかなり地球の気温は変化している。ある意味当たり前のこと。

たった1度の温度変化で何億年もこの地球に生きてきたサンゴが死滅するなどの意見はどこから出てくるのだろうか。頭はついているのだろうか。

地球に優しいというえらそうなフレーズ。どこまで人間は傲慢なのだろうか。
そうか、ごく一部の人の宣伝フレーズだったか。


03. 2013年11月27日 20:10:13 : 7wJCqOq2nZ
CO2温暖化扇動は原子力利権のためであってウソだったというわけですね。

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