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小田原地震の周期性について
http://www.asyura2.com/13/jisin19/msg/327.html
投稿者 taked4700 日時 2013 年 10 月 10 日 20:44:03: 9XFNe/BiX575U
 

小田原地震の周期性について

 この記事は「大地動乱の時代」石橋克彦著 岩波新書の134ページからの「伊豆半島の衝突と小田原地震」の記述の要約です。

1.神奈川県西部の小田原は江戸時代以降の約400年間に五回の大震災に襲われている。それ以前は記録が残っていない為判断ができない。

2.五回の小田原震災とは、1633年3月の寛永小田原地震、1703年12月の元禄関東大地震、1782年8月の天明小田原地震、1853年3月の嘉永小田原地震、1923年9月の大正関東大震災。

3.この五回の地震の間隔は、70年、79年、71年、70年で非常に一定している。

4.この五回の地震には、M8クラスのプレート境界地震とM7クラスの(直下型)地震が混じり合っているため、単に「どこだかわからないが一回ごとに違う場所でおこった地震が、地盤の悪い小田原に偶然周期的な震災をもたらした」と考えることもできる。

5.しかし、この周期性の原因として、「伊東の沖合以北の相模湾西部から、小田原北方の箱根・足柄山地の東麓にかけて、地下にフィリピン海プレート自身の裂け目が南北に延びていて、それが繰り返し大地震を起こす」と考えることもできる。この断裂を「西相模湾断裂」と呼ぶことにする。

 以下、西相模湾断裂を想定すると合理的だと言う理由が述べられていますがそれは省略します。重要な点は、いろいろな方が方々で指摘されているように、1923年の大正関東大震災から既に90年が経過していることです。

 なお、伊豆半島東方沖を震源域とする地震の2008年夏以来のリストを次のURLで見ることができます。
http://bousai.tenki.jp/bousai/earthquake/entries_by_earthquake_center?earthquake_center_code=481


 これを見ると、2008年夏以来85回の震度を観測する地震が起こっていたことが分かります。ただし、2009年12月17日 18時45分頃に起こったM2.4から2010年1月1日 20時12分頃のM2.2までは群発地震でこの半月の間に63回も起こっています。これ以前は2008年10月と2009年4月の2回だけです。 この群発地震にはかなり大きな地震も起こっています。2009年12月17日から18日にかけてのM5以上の地震は次の4つにもなります。伊豆半島東方沖を震源とする地震はどちらも「ごく浅い」ものであることも特徴です。更に、この群発地震のデータをhttp://www.hinet.bosai.go.jp/AQUA/aqua_catalogue.php?y=2009&m=12&LANG=ja で震源球を見ると、2009年12月に伊豆半島周辺で起こった地震の多くが横ずれ断層型であったことが分かります。

発生時刻2009年12月17日 23時45分頃
震源地伊豆半島東方沖
最大震度震度5弱
位置緯度北緯 35.0度
経度東経 139.1度
震源マグニチュードM5.3
深さごく浅い

発生時刻2009年12月18日 5時41分頃
震源地栃木県南部
最大震度震度4
位置緯度北緯 36.4度
経度東経 139.7度
震源マグニチュードM5.1
深さ約80km

発生時刻2009年12月18日 8時45分頃
震源地伊豆半島東方沖
最大震度震度5弱
位置緯度北緯 35.0度
経度東経 139.1度
震源マグニチュードM5.3
深さごく浅い

発生時刻2009年12月18日 20時48分頃
震源地八丈島東方沖
最大震度震度2
位置緯度北緯 33.7度
経度東経 141.3度
震源マグニチュードM5.3
深さ約50km

 自分としては、2009年12月の群発地震と311の大地震がこの西相模湾断裂に大きな影響を与えていて、ひょっとしたらゆっくり滑りなどが起こり、地殻の歪みが解消されている可能性を期待したいのですが、それはまったく何の根拠もない素人の期待でしかありません。
 

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コメント
 
01. 2013年10月10日 21:44:32 : nJF6kGWndY

確かに、小田原地震は非常に周期が安定して見えるから面白いが

>五回の地震には、M8クラスのプレート境界地震とM7クラスの(直下型)地震が混じり合っているため、単に「どこだかわからないが一回ごとに違う場所でおこった地震が、地盤の悪い小田原に偶然周期的な震災をもたらした」

これが一番納得できる


02. 2013年10月11日 00:05:14 : cKftockbJN
70年から80年で5回おきていたのならば今度は6回目だが当然その間隔が予想されるが90年ならもうおきてもいい頃だ。向こう数年内に関東地方の大地震というのはここからきているんでしょうね。もっとテレビで放送すればいいのにね。東南海地震とか近畿大地震とかのほうがクローズアップされすぎのように思う?

そんな関東の話は知らなかった。


03. 2013年10月11日 13:46:06 : CtxDbcaGzk
関東大震災まで小田原の周期に含めるなら
記録が残っている確立が高い
鎌倉の地震の歴史調べりゃ本当に単純70年前後周期か簡単にわかるだろうに。

この手のアジテーターは都合の悪いデータを無視して恥じないんだよなぁ。


04. taked4700 2013年10月12日 01:28:19 : 9XFNe/BiX575U : pK8HhaKrZc
>>03

>関東大震災まで小田原の周期に含めるなら
>記録が残っている確立が高い
>鎌倉の地震の歴史調べりゃ本当に単純70年前後周期か簡単にわかるだろうに。

自分も以前は関東大震災の震源は東京かまたは横浜の方かと思っていたのですが、実際は小田原付近が震源地であるということなのです。

ただ、確かに、鎌倉の歴史を調べるともっと正確な統計が出そうですね。

鎌倉幕府の成立が1192年。そして、鎌倉でも影響が出るような海溝型の地震、つまり、1703年12月の元禄関東大地震と1923年9月の大正関東大震災は200年程度は間隔がありますから、1703年の200年前は1500年ぐらいで鎌倉幕府成立の300年ほど後です。

「大地動乱の時代」石橋克彦著に鎌倉での歴史地震を調べたという記載は多分ないのすが、なるべく僕自身が鎌倉での地震について調べてみたいと思います。


>この手のアジテーターは都合の悪いデータを無視して恥じないんだよなぁ。

「大地動乱の時代」の著者の石橋克彦氏はアジテーターではないと思います。多分、非常に優れた地震学者です。また、僕は、「大地動乱の時代」石橋克彦著の記事の内容を紹介しているだけです。まあ、確かに多少付け加えデータがありますが。


05. taked4700 2013年10月12日 12:37:44 : 9XFNe/BiX575U : LhwrDCpVzQ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8E%8C%E5%80%89%E5%A4%A7%E5%9C%B0%E9%9C%87
正応6年4月12日(1293年5月19日)、関東地方で地震が発生。建長寺を代表として多数の神社仏閣が倒壊し、多数の死者が発生した。鎌倉大日記では、翌日にも余震と思われる地震の記述が残されており、建造物の倒壊のほか多数の土砂災害などが発生、23,024人もの死者が発生したとされている。また、この震災による混乱を利用し、鎌倉幕府執権・北条貞時は、当時幕府内で専横を振るっていた平頼綱(杲円)邸への襲撃を命令し、頼綱父子の討伐に成功した(平禅門の乱)。朝廷では、地震の発生や、この後発生した干魃等を重視し、同年8月5日(9月6日)に永仁への改元を行っている。
******************
まだこれでは間が開きすぎですね。

1293年5月の鎌倉大地震

1633年3月の寛永小田原地震、
1703年12月の元禄関東大地震、
1782年8月の天明小田原地震、
1853年3月の嘉永小田原地震、
1923年9月の大正関東大震災。


06. taked4700 2013年10月12日 13:04:38 : 9XFNe/BiX575U : LhwrDCpVzQ
「地震の日本史」寒川旭著中公新書に鎌倉時代の地震が載っていました。

60ページからです。
1241年5月:由比ヶ浜大鳥居内の拝殿が津波に流された
1257年10月:鎌倉周辺で激しい地震。神社仏閣・民家が倒壊。山が崩れ液状化現象で地面が引き裂かれ、地下水が流出し、地割れから青白い炎が出た。
1293年5月:鎌倉周辺で激しい地震。建長寺が倒壊して炎上。由比ヶ浜に140名もの死体。これが上のコメントの「鎌倉大地震」の様子です。プレート境界型の巨大地震の可能性があるということです。

鎌倉時代の地震として載っているのはこれだけです。

あとは戦国時代の地震として、

1498年9月明応東海地震

が載っています。

結局

1241年5月の由比ヶ浜での地震
1257年10月の鎌倉周辺の地震
1293年5月の鎌倉大地震
1498年9月の明応東海地震
1633年3月の寛永小田原地震
1703年12月の元禄関東大地震
1782年8月の天明小田原地震
1853年3月の嘉永小田原地震
1923年9月の大正関東大震災

ということでこれだけを見ると最大130年ほどの間隔があることになります。


07. 2013年10月12日 13:58:01 : CtxDbcaGzk
言葉足らずだったな。
3で言ってるアジテーターってのは
taked4700のことだ。

4〜6の投稿かいてなお周期性があるという戯言を撤回しないあたり
やはり恥じるという概念を知らないと言える。


08. taked4700 2013年10月15日 22:46:44 : 9XFNe/BiX575U : pWxvqlRsDs
新しい地震年表が見つかりました。そこから神奈川県・静岡県関係の地震を抜き出しました。
http://pub.maruzen.co.jp/index/kokai/rikanenpyo/chi142.pdf

1213 618(建保 1 521)
鎌倉:山崩れ,地裂け,舎屋が破潰した.

1227 4 1(安貞 1 3 7)
鎌倉:地裂け,所々の門扉・築垣が転倒した.

1230 315(寛喜 2� 122)
鎌倉:大慈寺の後山が頽れた.

1240 324(仁治 1 222)
鎌倉:鶴岡神宮寺風なくして倒れ,北山が崩れた.

1241 522(仁治 2 4 3) M≒7.0
鎌倉:津波を伴い,由比ヶ浜大鳥居内拝殿流失,岸にあった船 10艘が破損し
た.[1]

125710 9(正嘉 1 823) 35.2°N 139.5°E M 7.0〜7.5
関東南部:鎌倉の社寺完きものなく,山崩れ,家屋転倒し,築地ことごとく
破損.地割れを生じ,水が湧きでた.余震多数.同日三陸沿岸に津波が来襲し
たというが,疑わしい.

1293 527(永仁 1 413) M≒7.0
鎌倉:鎌倉強震,建長寺ほとんど炎上のほか,諸寺に被害.死数千あるいは
2万 3千余.余震が多かった.この日,越後魚沼郡で山崩れあり死多数というも,
この地震との関係不明.

143311 7(永享 5 916) 34.9°N 139.5°E M≧7.0
相模:相模大山仁王の首落ちる.鎌倉で社寺・築地の被害が多かった.当時
東京湾に注いでいた利根川の水が逆流,津波か?余震が多かった.[1]

1498 920(明応 7 825) 34.0°N 138.0°E M 8.2〜8.4
東海道全般:紀伊から房総にかけての海岸と甲斐で振動が大きかったが,震
害はそれほどでもない.津波が紀伊から房総の海岸を襲い,伊勢大湊で家屋流
失 1千戸,溺死 5千,伊勢・志摩で溺死 1万,静岡県志太郡で流死 2万 6千な
ど.南海トラフ沿いの巨大地震とみられる.[3]

1525 920(大永 5 823)
鎌倉:由比ヶ浜の川・入江・沼が埋まって平地となった.27日まで昼夜地震
があった.


1633 3 1(寛永 10 121) 35.2°N 139.2°E M 7.0
相模・駿河・伊豆:小田原城の矢倉・門塀・石壁ことごとく破壊.小田原で
民家の倒潰多く,死 150.箱根で山崩れ.熱海に津波が襲来した.[1]

1647 616(正保 4 514) M 6.5
武蔵・相模:江戸城や大名屋敷で被害。小田原でも城の石垣
が崩れるなどの被害.余震が多かった.

1648 613(慶安 1 422) 35.2°N 139.2°E M≒7.0
相模・江戸:小田原城破損,領内で潰家が多かった.箱根で落石,死 1.江戸
で舟のごとく揺れ,瓦落ち,土蔵や練塀の半数が崩れ倒れた.小田原や江戸の
大きな被害は疑問とする説がある.

16971125(元禄 101012) 35.4°N 139.6°E M≒6.5
相模・武蔵:鎌倉で鶴岡八幡宮の鳥居倒れ,潰家があった.江戸城の石垣崩
れる.日光で有感.

17031231(元禄 161123) 34.7°N 139.8°E M 7.9〜8.2
江戸・関東諸国:『元禄地震』:相模・武蔵・上総・安房で震度大.特に小田
原で被害大きく,城下は全滅,12ヶ所から出火,壊家 8千以上,死 2300以上.
東海道は川崎から小田原までほとんど全滅し,江戸・鎌倉などでも被害が大き
かった.津波が犬吠崎から下田の沿岸を襲い,死数千.1923年関東地震に似た
相模トラフ沿いの巨大地震と思われるが,地殻変動はより大きかった.[3]

1782 823(天明 2 715) 35.4°N 139.1°E M≒7.0
相模・武蔵・甲斐:月はじめより前震があり,15日に 2度大震.小田原城破
損,人家約 800破損.箱根・大山・富士山で山崩れ.江戸でも潰家や死者があっ
た.熱海で津波があったらしい.[1]

181212 7(文化 911 4) 35.45°N 139.65°E M 6¼
武蔵・相模:江戸で小被害があった.最戸村(現横浜市港南区)で潰家 22.
その他神奈川・川崎・保土ヶ谷などに潰家や死者があった.

1853 311(嘉永 6 2 2) 35.3°N 139.15°E M 6.7
小田原付近:小田原で被害が大きく,城内で潰れや大破があった.小田原領
で潰家1千余,死 24.山崩れが多かった.

1857 714(安政 4� 523) 34.8°N 138.2°E M 6¼
駿河:田中城内で被害.藤枝・静岡で強くゆれ,相良で人家が倒れたという.

1870 512(明治 3 412) 35.25°N 139.1°E M 6.0〜6.5
小田原:小田原城内の所々で壁などが破損した.町田・江戸・塩山・馬籠・
分水町で有感.

1894 620(明治 27) 35.7°N 139.8°E M 7.0 ⃞4
東京都東部:『東京地震』:青森から中国・四国地方まで地震を感じた.東京・
横浜の被害が大きかった.神田・本所・深川で全半壊多く,東京で死 24.川崎・
横浜で死 7.鎌倉・浦和方面にも被害があった.

1917 518(大正 6) 35.0°N 138.1°E M 6.3 ⃞3
静岡県中部:死 2. 瓦塀・ 瓦煙突の被害が多かった.志田順による発震機
構の先駆的な研究で知られる地震

1923 9 1(大正 12) 35.3°N 139.1°E M 7.9 ⃞7
神奈川県西部:『関東地震』:『関東大震災』:東京で観測した最大振幅14〜20cm.地震後火災が発生し被害を大きくした.全体で死・不明 10万 5千余,住家
全潰 10万 9千余,半潰 10万 2千余,焼失 21万 2千余(全半潰後の焼失を含む).
山崩れ・崖崩れが多い.房総方面・神奈川南部は隆起し,東京付近以西・神奈
川北方は沈下した.相模湾の海底は小田原−布良線以北は隆起,南は沈下した.
関東沿岸に津波が襲来し,波高は熱海で 12m,相浜で 9.3mなど.[2]

1924 115(大正 13) 35.3°N 139.1°E M 7.3 ⃞4
神奈川県西部:『丹沢地震』:東京・神奈川・山梨・静岡各県に被害があり,
死 19,家屋全潰 1200余.特に神奈川県中南部に被害が著しかった.

19301126(昭和 5) 35.0°N 139.0°E M 7.3 ⃞5
静岡県伊豆地方:『北伊豆地震』:2〜5月に伊東群発地震.この月 11日より
前震があり,余震も多かった.死 272,家屋全潰 2165.山崩れ・崖崩れが多く,
丹那断層(長さ 35km,横ずれ最大 2〜3m)とそれに直交する姫之湯断層など
を生じた.

1935 711(昭和 10) 35.0°N 138.4°E M 6.4 ⃞3
静岡県中部:『静岡地震』:静岡・清水に被害が多く,死 9,住家全潰 363,
非住家全潰 451.清水港で岸壁・倉庫が大破,道路・鉄道に被害があった.

1965 420(昭和 40) 34.9°N 138.3°E M 6.1 ⃞3
静岡県中部:『1965年静岡地震』:死 2,傷 4,住家一部破損 9.清水平野北
部で被害が大きかった

1980 629(昭和 55) 34.9°N 139.2°E M 6.7 Mw6.4 ⃞2
伊豆半島東方沖:群発地震の最中の最大地震.伊豆半島で家屋全壊 1,一部破
損 17,傷 7などの被害.神奈川でも傷 1などの被害があった.

1983 8 8(昭和 58) 35.5°N 139.0°E M 6.0 Mw5.6 ⃞2
山梨県東部:丹沢山地で落石があり,死 1,傷 8.山梨・神奈川・東京・静岡
の各県で傷合計 33,家屋全半壊 2

2009 811(平成 21) 34.8°N 138.5°E M 6.5 Mw6.2 ⃞2
駿河湾:想定東海地震の震源域東端下で起った横ずれ成分を含む逆断層型ス
ラブ内地震(深さ 23km).初めて東海地震観測情報が出されたが,東海地震に
は結びつかないと判定された.死 1,傷 319,住家半壊 6(2010年 3月 12日現
在).最大震度 6弱(静岡県 4市)だが,住家全壊はなく家具などによる負傷が
多かった.静岡県太平洋岸で最大 0.4m(御前崎)の津波.[−1]



09. 2013年10月18日 07:26:19 : znukunwQ06
結局70年周期は出鱈目だったっことだな。
あんまりデマばかり流すなよ。

10. taked4700 2015年8月28日 23:55:20 : 9XFNe/BiX575U : VMvo8qlXbA
>>09

>結局70年周期は出鱈目だったっことだな。

いいえ、違います。仮に小田原が震源地域ではなくとも、近隣地域でほぼ70年周期で大きな地震が起こって来ていたのは事実なのです。

つまり、小田原が震源地であったかどうかは別にして、小田原という地域のの揺れの強さだけに注目すると、過去の揺れはほぼ70年周期で大きなものが来ていたということです。

ですから、単に震度だけを考えれば、近い将来、小田原付近でかなり大きな揺れが起こることはかなり確実であるように思います。

不確定要素があるとすれば、それは311の大地震です。なぜなら、

>五回の小田原震災とは、1633年3月の寛永小田原地震、1703年12月の元禄関東大地震、1782年8月の天明小田原地震、1853年3月の嘉永小田原地震、1923年9月の大正関東大震災。

であり、どれも311の前回版である貞観地震の発生した約1000年前よりもずっと現在に近い期間での地震であるからです。311の地震で、太平洋プレートの西へ進む圧力が減少したはずですから、小田原地震の発生が遅れる可能性があると考えることはできると思います。

ただ、自分は、フィリピン海プレートの東進の速度が上がっていると考えているため、富士山噴火などと同様そんなに遠くない将来小田原付近で大きな地震が起こる可能性が高いと考えています。

つまり、小田原地震が起こっていないのは、311の大地震を起こした大きな留め金があったため、太平洋プレートの西進圧力が2011年までせき止められていたからだと思います。そして、311後は陸のプレートが東側に向かってたわんだことが小田原地震を遅らせてきているのでしょう。これらのたわみが解消されたときが発生時期だということになります。


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