http://www.asyura2.com/13/jisin19/msg/277.html
Tweet |
2005年7月23日の地震では都内の交通がマヒした
【警戒せよ!生死を分ける地震の基礎知識】首都は大混乱!! 「東京地震」の恐怖
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20130913/dms1309130731002-n1.htm
2013.09.13 夕刊フジ
「東京地震」という名前がついた唯一の地震がある。1894(明治27)年に東京直下で起きた地震で、大正関東地震(1923年)以外では近年最大の被害を東京にもたらした直下型地震である。死者数は31人。神田、深川、本所といった下町で被害が多く、なかでもれんが造りの建物と煙突の損壊が目立った。
明治時代の文明開化で西洋風のれんが建築が首都圏で増えてきていた。欧州など地震がない国ではれんが造りとはれんがを単に積んだだけの建築だ。それをそのまま真似た日本の洋風建築がいかに地震に弱いものであるかを露呈した。日本の耐震建築の一里塚になった地震でもあった。
当時東京には地震計が3カ所しかなかったので正確な震源は分かっていない。だが震度の大きかったところから考えると、いまの東京都の東部だったと思われる。
小説家の谷崎潤一郎は東京の下町の自宅で被災した。「幼少時代」に体験を書き残しているが、よほど怖かったのであろう。この地震で谷崎は地震恐怖症になったと告白している。谷崎は後に横浜・山手の自邸を特別強く造ったので、大正関東地震では無事だったが、家は類焼してしまった。そして、地震後に京都へ移住した。
東京地震のマグニチュード(M)は7弱と推定されている。しかし不幸中の幸いで震源が40〜70キロと深く、そのために地震の大きさの割には被害が少なかった。
ところで震源が浅いと余震が多く、震源が深いと余震が少ない。この地震も震度3のものが2回しかなかった。谷崎には幸いだったろう。
首都圏の地下はとても複雑だ。東から潜り込んでいる太平洋プレートと首都圏が載っている北米プレートの間に、さらに3つ目として南からフィリピン海プレートが潜り込んでいる。
この地震はフィリピン海プレート内部で起きたのではないかという学説が強い。太平洋プレートとフィリピン海プレートの境界で起きたという説もある。いずれにせよ、複雑なプレートの動きが起こした、首都圏直下でしか起きない地震だった。
やや深いこの震源も首都圏の地震の巣の1つだ。実は同じ巣の地震が2005年7月に首都圏を襲っている。都内で13年ぶりの震度5になった地震だ。6万4000台ものエレベーターが止まって多くの人が閉じ込められたり、多数の電車が長時間運転が止まったりして、首都圏が大混乱に陥ったのを覚えている人も多いだろう。
この地震の震源は東京湾北部から千葉県側に少し入ったところの地下深くだった。この地震は幸いM5・8と大きくはなく、深さもやはり70キロと深かったから、この程度の「被害」ですんだ。
しかし、この地震の巣でもエネルギーが100倍以上も大きい地震が起きる可能性がある。
明治時代よりも住宅密集地が増え、地震に弱いインフラもまた増えた現在では、次の「東京地震」がもし来れば、はるかに大きな被害を生んでしまうかもしれない。
■島村英紀(しまむら・ひでき) 武蔵野学院大学特任教授。1941年、東京都出身。東大理学部卒、東大大学院修了。理学博士。東大理学部助手を経て、北海道大教授、北大地震火山研究観測センター長、国立極地研究所所長などを歴任。『直下型地震 どう備えるか』(花伝社)など著書多数。
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。