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桜で有名な六義園。元禄関東地震の津波はここまで押し寄せた=東京都文京区
次の「関東大震災」は意外と近い? 3・11が周期をリセットした疑いあり
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20130823/dms1308230730002-n1.htm
2013.08.23 警戒せよ!生死を分ける地震の基礎知識 夕刊フジ
東京に住む人たちは、ごく沿岸部は除いて、津波とは無縁だと思っていないだろうか。しかし、津波が隅田川をさかのぼって、山手線で一番北の方にある駒込駅近くの六義園(りくぎえん)にも届いたことがある。園内のほとんどの松が塩害で枯れてしまった。
六義園は徳川五代将軍綱吉の庭園で、7年の歳月をかけて完成したばかりだった。また、この津波で両国では隅田川の渡船が転覆して多くの死者を生んだ。
その地震は元禄関東地震(1703年)。前回に書いた90年前の大正関東地震(1923年)の「先代」の海溝型地震である。
海溝型地震は繰り返す。だが、まったく同じものが繰り返すわけではない。元禄関東地震はマグニチュード(M)8・1〜8・2とされていて、大正関東地震(M7・9)よりも地震のエネルギーが倍以上も大きかった。
津波も大正関東地震よりずっと大きかった。津波による死者は房総半島から伊豆半島まで数千人。なかでも小田原の被害は壊滅的で、地震と火災で小田原だけで死者は2000人を超えた。熱海でも7メートルの津波が襲い、残った家はわずか10戸だった。大正関東地震のときとは違って、鎌倉では鶴岡八幡宮も二の鳥居まで津波に襲われた。そこは海から2キロは優に離れている。
つまり震源の広がりも、地震の規模も、元禄関東地震の方が大きかったのだ。関東地震の震源は相模湾から神奈川県のほぼ全域、そして千葉県の房総半島にかけての地下に広がっていた。一方、元禄関東地震の震源はもう少し南と東、相模トラフや日本海溝近くまで伸びていたからである。
首都圏を襲うこれらの地震のシリーズは海溝型地震ゆえ、また将来起きることは確かなことだ。だが、いつ起きるかが、東日本大震災以降、地震学者の間でも議論が分かれるようになってしまった。
それまでは「次の関東地震」までは、少なくとも100年近くはあろうと思われていた。これは元禄関東地震と大正関東地震との時間間隔からの類推である。
しかし、東日本大震災を起こした東北地方太平洋沖地震はM9という途方もない大きさだった。これが日本の、少なくとも東半分の地下をリセットしてしまった疑いが強い。まだまだ、と思われていた将来の地震が意外に近いかもしれない、という考えが出てきているのである。
もし起きて「先代」並みの大きさならば、震害だけではなくて、相模湾や房総の沿岸には大津波が押し寄せるかもしれない。
それだけではない。別の「事件」を誘発する可能性も否定できないのである。元禄関東地震の4年後に、いま恐れられている南海トラフ地震の、これも先代である宝永地震(M8・4〜8・6)が起きたのだ。同年に富士山も噴火した。学問的な関連は分かっていないとはいえ、気味が悪い連鎖である。
■島村英紀(しまむら・ひでき) 武蔵野学院大学特任教授。1941年、東京都出身。東大理学部卒、東大大学院修了。理学博士。東大理学部助手を経て、北海道大教授、北大地震火山研究観測センター長、国立極地研究所所長などを歴任。『直下型地震 どう備えるか』(花伝社)など著書多数。
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