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日本で起こる最大級の地震である南海トラフ地震の予知が困難だという話しが出されている。
マグニチュード8を超える最大級の地震の予知が困難だから、マグニチュード6程度の内陸での直下型地震については予知は困難だと多くの方は考えてしまうだろう。確かに、いつどこでどの程度の地震が起こるかは予知できない。
しかし、実質的に地震に関して予測できることがある。それは、まず海溝型の超巨大地震は歴史的にかなり規則的に起こっていて、30年程度の発生確率ならばかなり正確に予測ができることだ。
次に、海溝型の超大型地震が起こる前30年とか40年の期間で、海溝型の超大型地震の震源域を空白域にして、その周辺地域でマグ井チュード6から7程度の地震が頻発することだ。これも歴史的に実証されていて、数年に1回程度の頻度でマグニチュード6以上の地震が起こる。より詳しく言うと、プレート境界型の巨大地震が起こる30年とか40年前からとプレート境界型地震が起こった後の10年程度が、この内陸型のマグニチュード6から7の地震が頻発する期間だ。
日本の場合、海溝型の超巨大地震が起こる震源域に原発があるのは静岡県の浜岡原発だけだ。次の東海地震が起これば、ほぼ間違いなく浜岡原発はかなりの事故に至ると考えているが、まあ、ここではそのことについては述べない。
問題は、日本海側などにある原発だ。南海地震が今後30年で60%とか80%という確率で起こるとされることは、南海地震の震源域を空白域にして、その周辺で起こるマグニチュード6から7の地震が原発を直撃する可能性があることだ。
実際に、
1946年(昭和21年)12月21日 南海地震の直後の10年間を見ると、
1948年(昭和23年)
4月18日 和歌山県南方沖で地震 - Mj 7.0。
6月15日 紀伊水道で地震 - Mj 6.7、死者2人。
6月28日 福井地震 - Mj 7.1(Mw 7.0)、死者・行方不明者3,769人。※この地震を機に気象庁が震度7を制定。
1949年(昭和24年)
7月12日 安芸灘で地震 - Mj 6.2、死者2人。
12月26日 今市地震 - Mj 6.4、死者・行方不明者10人。
1950年代
1950年(昭和25年)2月28日 宗谷東方沖で地震 - Mj 7.5。
1951年(昭和26年)7月12日 小笠原諸島西方沖で地震 - Mj 7.2。
1952年(昭和27年)
3月4日 十勝沖地震 - Mj 8.2(Mw 8.2)、死者・行方不明者33人。北海道から東北に津波。
3月7日 大聖寺沖地震 - Mj 6.5、死者7人。
7月18日 吉野地震 - Mj 6.7(旧Mj 6.8)、死者9人。
1953年(昭和28年)11月26日 房総沖地震 - Mj 7.4。
1955年(昭和30年)
5月30日 硫黄島近海で地震 Mj 7.1(21時31分、深さ488km)、Mj 7.5(21時33分、600km)の地震が相次いで発生。
7月27日 徳島県南部で地震 - Mj 6.4、死者1人。
1956年(昭和31年)9月30日 白石地震 - Mj 6.0、福島市で震度4、死者1名、蔵王山噴火のデマにより混乱。
となっていて、陸域を震源とするマグニチュード6以上の地震は
福井地震 - Mj 7.1
今市地震 - Mj 6.4
吉野地震 - Mj 6.7
徳島県南部で地震 - Mj 6.4
白石地震 - Mj 6.0
と5回も起こっている。
更に、実質的に内陸部と同じ影響を与えている地震として瀬戸内海で起こったものがあり、
紀伊水道で地震 - Mj 6.7
安芸灘で地震 - Mj 6.2
の二つがある。
つまり、南海地震の後の10年間で7回も実質的に陸域でのマグニチュード6以上の地震が起こっているのだ。
更に、南海地震から15年後だが
1961年(昭和36年)北美濃地震(M7)
という地震も起こっている。
そして、この北美濃地震を最後に、日本の陸域ではマグニチュード7を超す地震はほとんど起こらなくなり、マグニチュード6をやっと超えるぐらいの地震が続くのだ。
1962年(昭和37年) 宮城県北部地震 - Mj 6.5
1964年(昭和39年)6月16日 新潟地震 - Mj 7.5
1965年(昭和40年)4月20日 静岡県で地震 - Mj 6.1
1968年(昭和43年)2月21日 えびの地震 - Mj 6.1
1969年(昭和44年)9月9日 岐阜県中部地震 - Mj 6.6
1980年(昭和55年)9月25日 千葉県北西部で地震 - Mj 6.0
1983年(昭和58年)8月8日 山梨県東部で地震 - Mj 6.0
1984年(昭和59年)9月14日 長野県西部地震 - Mj 6.8
1995年(平成7年)1月17日 兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災、阪神大震災) - Mj 7.3
特に1984年の長野県西部地震から1995年の阪神大震災までの10年間は陸域では全く大きな地震が起こらなかった平和な期間だった。
総じて、1964年の新潟地震(M7.5)以降は、M7を超える地震が1995年の阪神大震災まで発生していず、30年間もの長い間の平和な時代だった。多分、今の30代以上の方たちの大部分はこのころの記憶が染みついていて、内陸での大地震は起きないと信じ込んでしまっているのだと思う。
ところが、1995年の阪神大震災以降は様変わりする。
1997年(平成9年)5月13日 鹿児島県北西部地震 - Mj 6.4
1998年(平成10年)9月3日 岩手県内陸北部地震 - Mj 6.2
2000年(平成12年)10月6日 鳥取県西部地震 - Mj 7.3(Mw 6.8)
2001年(平成13年)3月24日 芸予地震 - Mj 6.7
2003年(平成15年)5月26日 三陸南地震(宮城県北部沖地震、東北地震) - Mj 7.1(Mw 7.0)
7月26日 宮城県北部地震 - Mj 6.4(Mw 6.1)
2004年(平成16年)10月23日 新潟県中越地震(新潟県中越大震災) - Mj 6.8 (Mw 6.7)
2008年(平成20年)6月14日 岩手・宮城内陸地震 - Mj 7.2(Mw 7.0)
7月24日 岩手県沿岸北部で地震 - Mj 6.8(Mw 6.8)
2011年(平成23年)3月12日3時59分頃 長野県北部で地震 - Mj 6.7
3月15日 静岡県東部で地震 - Mj 6.4
4月11日 福島県浜通りで地震 - Mj 7.0
4月12日 福島県中通りで地震 - Mj 6.4
つまり、2000年の鳥取県西部地震(M7.3)、2003年の三陸南地震(Mj 7.1)、2008年の岩手・宮城内陸地震(Mj 7.2)とこの10年で3回もマグニチュード7越えの地震が内陸部で起こっているのだ。2003年の三陸南地震(Mj 7.1)、2008年の岩手・宮城内陸地震(Mj 7.2)は明確に2011年の超大型地震、東北地方太平洋沖地震の前震であった。ただ、東北地方太平洋沖地震は震源域が陸域から100キロ以上離れていた。それだけ、前震の大部分が海域で起こっていたわけで、震源域が圧倒的に陸域に近い南海地震や実質的に陸域に接している東南海地震、そして、震源域がほとんど陸域にかかっている東海地震の場合は、その前震の多くが、陸域、それも南海地震や東南海地震の震源域の周辺域となる若狭湾周辺で起こる可能性が高いのだ。島根原発がある島根県も同様に直下型のマグニチュード6以上の地震が起こる可能性が高い。
このことは鹿児島県の川内原発にも、佐賀県の玄海原発にも言えて、南海地震の震源域を空白域としてその周辺でのマグニチュード6から7の地震が川内原発、玄海原発の直下で起こる可能性は結構あると言える。
ちなみに、2007年の中越沖地震はマグニチュード6.8で、柏崎刈羽原発は、震央距離が16q、震源距離が23qとかなり近いところで起こった。
つまり、原発直下でマグニチュード6から7の地震が起こる時期に少なくとも西日本はなっているのだ。「南海地震の予知は困難」だが、少なくとも原発直下で地震が起こりやすくなっていて、それは1995年の阪神大震災前の平和な時代とは明確に異なるのだということをもっと報道するべきだ。
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