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エンブレム騒動を嗤えない 新聞の世界でも、こんなにパクリが横行している!あの経済学者も頭を痛めた大手紙の「ヒドい引用」
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/45059
2015年09月04日(金) 長谷川 幸洋「ニュースの深層」 現代ビジネス
■業界の人なら誰でも気づいている
東京五輪のエンブレム問題が大炎上した。盗用は今回のエンブレムに限った話だろうか。実は新聞記事や社説の世界でも似たような模倣、盗用、盗作、アイデアのパクリがしょっちゅう起きている。コピペ文化の一掃は、まずマスコミから始めなければならない。
まずエンブレム問題について。大会組織委員会は佐野研二郎氏のデザインを取り下げ、再公募を行う。ところが、問題の核心であるエンブレム盗用を認めたのかといえば、組織委も佐野氏本人も認めていない。
それでも取り下げざるをえなかったたのは、佐野氏の過去の作品やエンブレム活用の展開例にした羽田空港の画像が盗作、あるいはコピペに基づいていたからだ。五輪エンブレムの原案自体も他作品との類似が指摘されている。
佐野氏は自分の事務所のホームページで「模倣や盗作は断じてしていない」と強調する一方で「エンブレムのデザイン以外の私の仕事において不手際があった」と認めている。
だが、羽田空港の画像はとても「不手際」などというレベルではないだろう。完全なコピペによるアレンジだ。元の作品には著作権が明示してあったのに、わざわざコピーライトの文字を消しているのだから、確信犯といってもいい。
サントリーのトートバッグはスタッフの仕事と説明していたが、これも言い訳にはならない。私はサントリーの件が報じられた直後、テレビ番組で「佐野氏は自ら取り下げるべきだ」と発言した。
組織委に言われる前に、創作に関わるアーティストのプライドにかけて、自ら決断すべきと思ったからだ。その時点で取り下げていれば、コピーライトの消去という「自殺行為」も発覚しなかったかもしれない。いまとなっては手遅れである。
組織委もお粗末だった。記者会見で原案と資料を発表して「これでオリジナルと証明できる」と胸を張ってみせたが、会見自体が墓穴を掘ってしまった。こうなると組織委の運営能力にも疑問符がつく。
再公募するなら、少なくとも審査委員を全員入れ替えて、選考過程も完全に透明にすべきだ。デザイン業界の人間を集めてきて「専門家が選び直した」などと言っても、そんな内輪の専門家自体の能力と公平性、中立性が疑われているのだから、話にならない。
さて、そこで本題の新聞コピペ問題だ。記者たちは自ら「コピペがある」などと口が裂けても言わないが、業界の人間ならだれでも気付いている。
■コメントを「パクられた」あの識者
おおっぴらになった珍しいケースでは、2012年に時事通信ワシントン支局の記者が共同通信の記事をコピペして加盟社に配信してしまい、当時の時事通信社長が辞任する事件があった。元記事をコピーして少し手直しして送稿したが、冒頭の「ワシントン共同」という部分をうっかり残してしまったために発覚した。
共同や時事の原稿をコピペするのは、発覚しなくても、起こりやすい。新聞社の記者なら自分が記事を書く前に、手元のコンピュータで通信社が配信した記事を読むことができるからだ。
役所の記者会見を聞いて「さて、この話をどう書こうか」と迷う。そこで社内回線で共同配信記事を集めたファイルにアクセスすれば、「共同は一足先にどう書いたか」をチェックできるのだ。コピペではなくても、いったん読んでしまうと、書きぶりが頭に残る。結果として似たような記事になることはよくある。
ひんぱんに起きているのは、識者コメントのパクリだ。経済記事でもっともらしい識者コメントが載っているだろう。あれをコメントとして報じずに、自分の記事中で勝手に書き込んでしまうのだ。
コメントが引用される常連の識者やエコノミストたちは「〇〇新聞はほんとにひどい。私のコメントをそのまま自分の記事に使っている」などと内輪で文句を言っている。それでも表立って抗議しないのは、ときどき新聞にコメントを出すことが会社の宣伝になるためだ。つまり自分の給料のうちなので、記者とけんかして付き合ってくれなくなったら、元も子もないからだ。
短いコメントではなく、アイデアや考え方のパクリもある。最近、人気のエコノミストといえば、水野和夫氏だろう。水野氏はかねて「ゼロ金利が資本主義の限界を示している」という主張を唱えて、何冊もぶ厚い本を書いている。中でも集英社新書から出した『資本主義の終焉と歴史の危機』はベストセラーになった。
温厚な人柄で、議論すると私と意見が違って面白いから、よくご一緒した。そんな水野氏が売れているのはご同慶の至だが、問題は水野氏の主張が新聞にパクられているのではないか、と思える点だ。
■「参考」を超えるレベル
先週のコラム(http://gendai.ismedia.jp/articles/premium01/44962)で、私は朝日新聞や毎日新聞が「さっさと金融緩和を止めろ」と主張しているのを批判した。その後、東京新聞もまったく同じように8月31日付で「世界同時株安の行方 緩和の『宴』は終わりに」と題した社説を掲載した。左派マスコミそろい踏みである。
3紙が唱える「もはや金融緩和は無効」という議論は水野氏が著書で何度も指摘している。コラムで書いたように、緩和を止めれば景気が悪くなって、論理的にはゼロ成長につながるが、水野氏はまさしく「脱成長という成長を考えよ」というゼロ成長論者でもある。
朝日、毎日、東京が水野氏の話をコピペしているとまでは言わないが、その主張をおおいに参考にしているのではないか。
たとえば、東京新聞の社説には「歴史的な転換点」とか「資本主義経済の『終わりの始まり』」といった言葉が出てくる。水野氏は『資本主義の終焉〜』の前文で「資本主義の終わりの始まり。この『歴史の危機』から目をそらし、対症療法にすぎない政策(ゼロ金利政策を指す?)を打ち続ける国は、この先、大きな痛手を負うはずです」と書いている。
水野氏は私に「自分のコメントがそのまま引用なしに記事に使われている」と訴えた1人である。東京の社説を目にしたら、水野氏は「おいおい、オレの名前も出してくれよ」と思うのではないか(笑)。
新聞にコピペやその疑いがなくならないのは、若い記者時代に「盗作、盗用は絶対ダメだ」と徹底して教育していないのが1つの原因だ。初めて支局に配属され警察担当になって「さあ、事件や事故の記事を書け」と言われると、記者はどうするか。
私の例で言えば、私はまず他社の事件事故記事をたくさんスクラップした。スタイルを真似するためだ。それで手本を作って、いざ本番では事実関係を手本の形にあてはめて記事らしいものを書いた。事実関係が違うから、コピペではない。
■新聞社説はじっくり読むな
だが同じ事件や事故を取材していて事実関係が同じなら、コピペ寸前になる。私は幸い、そういうケースに陥らなかったが「これは他社の記事の丸写しじゃないの」と思われる解説記事に出会ったことはある。
自分が意図していなくても、一歩間違えるとコピペという可能性もある。前に読んだ記事がどうしても頭に残ってしまうケースだ。だから論説委員になったとき、私が心がけたのは「他社の社説を読まない」ことだった。
しっかり読まなければ頭に残らない。読んでも、ざっと斜め読みにする。私は自分を防御するためにこそ、社説はしっかり読まなかった。いまもそうだ。それで困ることはない。どうせ、たいしたオリジナルの話は出ていないのである。エンブレム問題から新聞コピペ問題を展開した社説などお目にかかったことはないだろう(笑)。
コラム読者にもぜひ、新聞社説は読んでも斜め読みをオススメする。
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