http://www.asyura2.com/13/hihyo14/msg/552.html
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軍国主義に突き進む安倍晋三の野望は、大日本帝国を復活させて海外侵略のために、自衛隊が海外で活動しやすい体制を整え、憲法をそれがやりやすいように改め、ベルサイユ体制下でヒトラーがやった手口を真似て、日本にナチス型の軍事国家を作り上げることだ。その一環として自衛隊の海外活動を支援するのに、米国が軍隊の民営化を実行するのを手本にして、日本にブラックウォーター的な私営軍隊を作り、海外事業の中にそれを組み込む形で海外に送り出し、日本帝国の海外事業の警備ということで、全面的な戦時体制を築き上げ用途した。その話に飛びついたのが軍事オタクの湯川であり、肉体的に異常なコンプレックスで三島や慎太郎の仲間の手引きにより、安倍晋三などの期待を背景にして、湯川は中東にマーケッティンクに出かけて人質になったのだった。
https://www.facebook.com/video.php?v=267679746756545&set=vb.100005435643985&type=2&theater
自衛隊を守る形で日本の民間の傭兵会社を作ることに、隊員の卑劣な洗脳工作で自衛隊を辞めさせられた田母神と結び、湯川が中東に出かけた事の背景は、彼自身が商売の宣伝に使いまくっていたので、ある意味で公知の事実であった。
http://image.search.yahoo.co.jp/search?p=%E6%B9%AF%E5%B7%9D%E9%81%A5%E8%8F%9C+%E7%94%B0%E6%AF%8D%E4%B8%8A&aq=-1&oq=&ei=UTF-8
この一連の動きは安倍晋三の外交と政治的に密着していて、それを相手に見抜かれていたのに、知能指数が45の安倍には理解できなかったのだ。それにしても幹部が連日のように安倍の接待で会食していたのだから、そんな話は報道できないのは当然だった。
http://news.livedoor.com/article/detail/9611401/
この手口は安倍の得意技であり、日本の大手マスコミは完全に手懐けられており、古い記録は整理されているからわかりやすいがこんな程度ではない。
https://twitter.com/akahata_PR/status/323010372560879618/photo/1
だから安倍外遊の記事とその狙いについて、日本のマスコミは書こうとしないが、それを外国のメデアは嗅ぎつけて記事にしており、知らぬは日本人ばかりという状態が続く。
<貼り付け>
* * * * *
イスラム国に殺害されたと見られる湯川遥菜氏は、民間の軍事会社を設立。その営業活動のために、シリアを訪問したと言われているのであるが。同氏が民間の軍事会社を設立するに至った経緯について、かつて、このような記事が出ていた。
『シリア拘束の湯川遥菜氏 事業失敗、妻の死、自殺未遂…渡航の背景を父が激白
シリア北部アレッポで、イスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」に拘束されたとみられる湯川遥菜(はるな)さん(42)の消息がいまだ不明のままとなっている。そんななか、千葉県内に住む父親の正一さん(74)が夕刊フジの取材に応じ、揺れる胸中を激白した。事業の失敗に妻の死、自殺未遂。シリア行きは、多くの挫折を経験した湯川さんにとって再起を賭けた「人生のラストチャンス」だったという。
「6日に電話で話したときには『お盆明けには帰る』と言っていたのに…。今はただ1日も早く元気な姿で帰ってくることを願っています」
千葉市花見川区の自宅で取材に応じた正一さんは、苦渋の表情を浮かべて言葉を絞り出した。
外務省からの連絡を受けたのは17日。
次男の湯川さんが渡航先のシリアで武装勢力に身柄を拘束された疑いがあることを告げられた。
現地から伝わる情報はごくわずか。時間がたつごとに焦りだけが募っていく。生死さえ判然としないわが子の安否を気遣いながら、「息子がこれほど世間を騒がせるようなことをして本当に申し訳ありません。親として、教育の部分で足りない部分があったのか、と反省しています」と複雑な心情を吐露した。
今年1月、東京都江東区で「国際民間軍事業」「国外警護」などを主事業とする「民間軍事会社」を立ち上げた湯川さん。活動実績はほとんどなかったが、日本でのその肩書が今回の災難を招いた可能性もある。経験不足も指摘されていたが、なぜ無謀な挑戦に及んだのか。
「出発前、彼は『これが人生のラストチャンスだ』と言っていました。もともと、国際問題に関心がある様子もなかった。向こうで、事業の展望を開こうと思っていたのではないでしょうか」
正一さんによると、湯川さんは、千葉県内の高校を卒業後、20歳過ぎで習志野市内にミリタリーショップを開業した。
2000年に常連客だった女性と結婚。千葉市内に2号店をオープンさせるなど事業は順調だったが、05年に暗転する。
「店が潰れて莫大な借財ができた。借金は、私が方々かけずり回って返済しましたが、彼は夜逃げ同然に姿を消してそれからすっかり疎遠になってしまいました」
10年、湯川さんの妻が肺がんにかかったことを知った正一さんは、入院先の病院を訪ねたが、そこでもわが子と顔を合わせることはなかった。
(下につづく)
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
その後、湯川さんの妻が亡くなり関係は断絶。親子の縁が戻ったのは、昨年12月のことだった。
「突然、実家にやってきたんです。そこで名前を『正行』から『遥菜』に改名したことを聞かされた。『知り合いに短命な字画だと聞いたから』と言っていました。自殺を図って局部を切り取ったことも知りました。生活の部分で、限界を感じていたのでしょう。親としてそのまま放っておくことはできなかった」
正一さんは、今年1月、実家近くのアパートで独り暮らしを始めた湯川さんから新事業についてのプランも聞かされていた。
「海賊からタンカーを護衛したり、海外法人のサポートをする仕事だと言っていました」
会社の実績作りのために「シリア行き」を計画していることも明かしていた湯川さん。4月に最初の渡航を果たし、今回が2度目だった。
正一さんは、「最初の渡航時には成田空港までタクシーで送って『腹をくくって行け』と言って送り出しました。帰ってきたときには、『現地の人と親しくなった。歌も一緒に歌った』と目を輝かせていた。友人が少ない子でしたが、あちらでは必要とされているという実感を持てたのでしょう」と振り返った。
人生の再出発を賭けて赴いた紛争地。そこで出会った人との縁が、湯川さんを危険な最前線へといざなったのか。』
* * * * *
またNYの新聞は、湯川氏について、このように報じていたという。
『ニューヨーク・デイリー・ニューズは21日、イスラム国に拘束されている湯川遥菜さんについて、これまでに拘束された人物の中で最も変わった経歴の持ち主だろうと報じた。記事によると、東京郊外の出身である湯川氏は、この10年ほどは苦難の日々を送っていた。自身が経営していたミリタリーショップは倒産し、住む家がなくなって公園で寝泊まりしたこともあるという。自身の局部を切り落として自らを命を絶とうとしたこともあるという。湯川氏は妻に助けられて一命を取り留めたが、「もし失敗したら女性として生きようと思っていて、あとは運命に任せようと思っていた」と、ロイター通信に語ったことも伝えている。
妻を肺がんで失った後、湯川氏は名前を男性の名前の「正行」から女性の名前の「遥菜」に変えて、第二次世界大戦で男装の麗人のスパイとして名を馳せた川島芳子の生まれ変わりを自称していたという。その後、湯川氏は突然、極端に男性らしい行動に走り、日本の右翼思想に傾倒したと伝えている。それまで武器を扱った経験がないにも関わらず、戦士を自称し、民間軍事会社を設立したという。
湯川氏とともにイスラム国に拘束されているフリージャーナリストの後藤さんについては、湯川氏を探すためにシリアに入国したと伝えており、シリア入りする前に撮影したビデオ映像では「とても危険な地域なので何が起こってもシリアの人々を恨まない」と語っており、「必ず生きて戻る」とのメッセージを残しているという。レコードチャイナ 2015年1月23日』
* * * * *
まだ湯川氏の生死について正式に確認されたわけではないので、湯川氏が生存していることを祈りたい。
また何とか後藤氏が救出されるように、日本政府は本当の意味で、最善を尽くして欲しいと願うばかりのmewである。(@@)
p.s. 日本政府が人質事件が起きてすぐにヨルダンに対策本部を設置したことと、今回、イスラム国がヨルダンに収監中の死刑囚との釈放を要求していることと、何か関連はあるのかな?(イスラム国は、以前or当初から、日本人と死刑囚の交換を水面下で要求していたとか。)
THANKS
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