http://www.asyura2.com/13/hihyo14/msg/480.html
Tweet |
鈴木涼美31歳(笑)。
本名はどうなのかしらないが、鈴木涼美が今から記すこの女の昼の顔であり、この名前で日経新聞の記者を近日まで6年以上勤め、この名前で社会学者としての著書を昨年発表しているのである。
鈴木涼美31歳。哲学者の娘。慶応大学卒業。「土人など併合してしまえ」などというイナセなネトウヨ発言で有名であった万札男、福沢諭吉の孫弟子である。私は私学教育というのがあまりもてはやされない地域の出身なので私大というとあまりいいイメージがないのだが(石原裕次郎の自伝にも「兄貴は秀才で一橋、オレはおちこぼれの慶応」と書かれている)マスコミにおける評価はおそらく東京大学と双璧であろう。(TVタックルで学歴をテーマにした回でも「東大、早慶の三校と”それ以外”の大学」などというレッテルつけをしていたものである。)
その慶応大学を出た鈴木涼美は、それでもまだ教育がつけたりないとばかり強欲を迸らせ、東京大学大学院を修了しているのだ。なんなんだ。フリマで学歴屋でも開くつもりか。桑田真澄の先輩じゃないか。(余談:関西芸人の山田雅人が麻原尊師以来の東大マルチプル年数C判定浪人に取り組んでいるというが、ここは速やかに東京外国語大学にターゲットをかえ、いつかそれが東京大学外国語学部に変わるのを待つのが得策だと思われる)
鈴木には、もう一つの通名がある。それが、20代前半の学生時代にアダルトビデオに出演していた時の芸名で、佐藤るり。経済紙記者兼社会学者の別の顔がAV嬢。週刊誌にすっぱぬかれた鈴木はそれを全面的に認めたのだった。ゴム無しでしかも顔をさらす分、風俗嬢より底辺かもしれないポルノの役者だったことを。
どうしてばれなかったんだろう?成人ビデオをミリオン業界にした立役者、ポルノのご意見番村西とおるは、「有名大学の現役学生でAVを志望してくるものはいくらでもいた。しかし慶応と京大だけはやっとのことで前例ができたが希少であり、東大はいまだ噂の領域を出るものはない」と言っていたはずなのだ。裏表の事情をしりつくす村西でさえ東大に通う売れ線AV女優が活躍していたことは知らなかった。こんなこともあるのだな。
鈴木の存在に、私はほぼ自動的に東電OL殺人事件を思い出してしまった。慶応卒の東電役員が娼婦としての夜の顔を持っていたことがスキャンダルを巻き起こした例の未解決事件である。高学歴の女がするはずのないことをするはずのないスタイルで慢性的に行ってしかも最後はポアされてしまったことは天地異変の衝撃だった。後に映画化した園子温は、被害者を東大の人文系学者という設定に変えており、「インテリだからゆえに思想的な試みとしてたどりついた風俗業だった」というような描き方をしている。今敏『パプリカ』にも似たようなインテリ女の夜の顔をめぐる描写があった。そして男性の持つ幻想に自分からホウキにまたがり登場したのが鈴木涼美31歳といったところか。その経験も本当に社会学者としてのワークにつなげるのだからニャゴヤの園子温も驚きであろう。
私は大手経済紙の女記者さんがAV女優をやってた、まあそんなこともある時代だ、などということでしめくくるつもりはない。
社会学者(≒雑文書き)などという肩書きで第二の人生を歩みだした鈴木涼美(笑)の前途を私は占ってみようと思う。
実はインテリ女がポルノに出て発言権を得、一世風靡することがかつてあった。そう、私にとっても最初の有名AV女優であった黒木香氏だ。師とあおぐ村西とおると共演したビデオ作品で国立一期校に通う現役のアート学生がAVデビューしたというのはたいそうな話題になったものである。
80年代後半、丁度ロマンポルノといれかわるように日の目を見だしたアダルトビデオは、裏稼業であることを我々に忘れさせるくらいのメジャーな伸びを見せた。特に黒木などはこのままカルチャー系タレントとして根付くのではないかと思わせるに十分な活躍でありタレントのお株を奪う話術には大橋巨泉、ビートたけしなどの大物までが舌を巻いた。
しかし、村西を中心とした性の梁山泊も、それから時をまたずに衰退。バブルは弾け千万のギャラが飛び交うセレブな業界は、風俗の一分野として酷使労働の現場と早変わりした。AVで世に出たキレものの黒木がピンタレントとして活躍の場をバラエティーに広げていく可能性はあったはずなのだが、そう簡単にいくほどポルノの地位が向上することは実になかったのである。
30手前にした黒木の自殺未遂のニュースがかけめぐったとき、私は「ポルノはポルノだな」と喪失感をおぼえたものである。他はどうであれ、黒木は既成の価値観から飛び出して新しい文化アイコンたる日本人像をになっていけるのではないかと期待していたからである。
鈴木涼美は黒木となにが違うのか?九州の旧家出身の黒木が常に都会の同年代層とのギャップに苦しみ黒い羊にかわっていったのに対し、鈴木は都会っ子であり、アダルトビデオも一時期のバイト経験としてこなしており一線をこえてしまった者の悲壮さはない。
時代はどうだ。まだフリーターやベンチャーという言葉さえ定着していなかった黒木の時代は永久職を得るか否かで国民が二つに振り分けられる宿命を背負っていた。ポルノに身を置くことで失うステータスの絶対値が違いすぎるのだ。
また、メディアでの露出度はどうだ。TVが有名人を作り出す唯一最大の媒体だった頃に全国区のTV番組で広くとりあげられた黒木はどこにいってもTV人格を引きずり自由を失っていた。同時期にやはりインテリながらヘビメタル歌手という異色さで名を売っていたデーモン小暮が私生活と人格を分けていたことに反し、黒木はどこへいってもポルノ女優であり、顔がわれているから郷里の鹿児島に戻ることも許されていなかった。鈴木はポルノの時代は完全に星野スミレを通しており、メディア上には白紙の状態からジャーナリスト/批評家としての履歴を構築した。インテリの卵が堕落してポルノ女優になったのではなく、インテリが汚い仕事も学業と並行してこなし、経験を頭脳職に昇華させた、というのではあまりに違う。AV女優というレッテルはプロフィールの文脈の中にはられたわけで等身大の現実像にくくりつけて出回っているわけではない。
鈴木が過去の暴露に潰されてしまうような展開はみえてこないようであるが、それでは鈴木が表の顔を維持し、文化人としてはばたいていくのかといえば、それはありえないことである。
今年、来年、再来年あたりまでは、「あの鈴木涼美」ということで執筆の依頼もテレ朝出演の依頼も、くるかもしれない。しかし、そうやってメディアへの露出が拡大するにつけ必ず、過去の風俗業が足を洗ったつけを取りにやってくるだろう。今回の文春の暴露記事はその序章にすぎない。
アメリカでは州知事に当選したシュワルツネッガーが若い時分にした裸の仕事を公開される事件が起き、それに続いてセレブタレントの情事ビデオなどがでてきた。そういう時代だから、鈴木の過去もOKになるかというとそこには激しい断絶が横たわっている。金を貰って性交することは、60年代以降のタイムライン上でもやはり過去の時代と同罪なのである。鈴木は売春について免罪を主張する知恵もなければ、背徳の刺繍を武器にする主体性も持っていない。そこがかけていると、いくら高学歴だろうが、有名になろうが、必ず足元をすくわれて有形無形の断罪をうけるままになるだろう。
▲上へ ★阿修羅♪ > マスコミ・電通批評14掲示板 次へ 前へ
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。