07. 2014年9月16日 00:58:11
: du9TvXLDmg
こっちに納得。誰も通らない裏道 2012/06/13 『プロメテウスの罠』の罠 http://fusenmei.cocolog-nifty.com/top/2012/06/post-3622.html <ブログ主さんの意見転載> >ありていに言えば、この「はじめに」を読んだ時点で、私は「こりゃダメだ」と思った。
なぜなら、この記者がア・プリオリに信じていた前提にこそ、日本の原子力産業の 本質的な問題が潜んでいるからだ。 『言い古された言葉を使えば「安全神話が崩壊した」のです。』だって? そもそもそんなものは存在しなかったんだよ。 それは推進派を含めた原子力に関わるすべての人が知っていた。 だからこそ原子力ムラの連中は莫大なカネをかけて「安全神話」をでっち上げたのである。 そしてメディアはこの工作に深く関与していた。 にもかかわらずこの記者は、「安全だと思っていたらこんなことになってビックリ仰天した」 という立場に立っている。 これは、戦争中にさんざん大本営発表を垂れ流していたメディアが、敗戦を迎えて 「日本は勝つと信じていたのに、まさかこんなことになるとは思わなかった」と 言っているようなものではないか。 ただ、ここで思うのは、この記者が本当に単純に「安全神話」を信じていのかもしれないということ。
だとすると、つまり朝日新聞社という会社は、原発の安全神話を疑うようなタイプ の人間は採用していないのかもしれない。 そう考えると、記者クラブに所属して発表情報を何の疑念もなく垂れ流し続けるこの会社の体質 (検察にしても原発にしてもみんなそうだ)も理解できる。 要は、朝日新聞記者たる者、本当の権力に対しては疑問なんて持ってはいけないということなのだろう。 そして、この記者は「右往左往する政府や東電関係者を尻目に、」と書く。
確かに東電の現場は右往左往していただろう。 しかし、では経営トップはどうだったのか。彼らはどのように動いていたのか。 これを検証することこそ、福島第一原発の破局事故でもっとも重要な点であると私は思う。 なぜなら東京電力は史上稀に見る犯罪企業なのだから。 おそらく── 東京電力で経営責任を負う人々は、自分たちに火の粉が降りかからぬよう全力で情報を操作し、 危ない証拠を隠滅し、あらゆる方面に圧力をかけただろう。 東電の経営トップが事故後、どのように動いていたのか? そこに斬り込まなくて、何がジャーナリズムなのか。 「だが事故は防げず対応はもたつき、原発は人と社会に刃を向けました。」
たとえば、もしジャーナリズムが本来持っていると想定される使命をきちんと行使して、
原子力産業を取材し、批判していれば、これほどまでの破局事故は起こらなかったと私は思う。 ところが、実際には多くのメディアが、それも大きいメディアほどが、原子力産業と がっちりスクラムを組んで、「安全神話」の構築にせっせと汗を流してきた。 そのジャーナリズムの責任を丸ごと抜け落とした上で、「原発は人と社会に刃を 向けました」などと書くのは噴飯ものである。 「原発は、戦後の日本が国策として決断し衆知を集めて作り上げ、万全の危機対策 も誇ったはずの造営物です。 電力は社会の近代化や成長の源であり、原発はまさに人々の生活を豊かにするために作られたはずです。」 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ こういう文章を書く人間に、私はジャーナリストとしての資質があるとは到底思えない。
なにしろ、私のような素人でさえ、ちょっと調べれば原発の危機対策などほとんど なかったことなど知っている。 この国では原子力災害は起きないことになっていたから、その対策など必要ない というのが基本スタンスだった。 そして、コストアップの要因になる安全対策をどんどん切り捨て、そのかわりに 「原子力は安全だ」という宣伝に莫大な予算を投入したのだ。 「科学技術への姿勢、政策決定の仕組み、政治や世論のあり方など戦後の日本社会 の体質にも切り込まねばならないだろうという予感に満ちて、取材は始まりました。」 それほどの「予感に満ちて」いるのなら、まず自社の広告局へ行ってグループ全体 で電力会社や電事連といった原子力関係のクライアントから過去から現在にいたるまで、 どれだけの広告予算をもらっていたかを調べて発表するべきだろう。 原子力産業を語る上で必要不可欠なのは、メディアとのつながりであり、それこそ が「戦後の日本社会の体質」なのだから。 「本書を通じて私たちの思いが伝わり、読者の皆さんがまだまだ続く朝日新聞紙上 での連載にも熱いご声援を送ってくださることを願ってやみません。」 繰り返して書くが、自分たちの責任をまったく棚上げどころか「ないもの」として、 「熱いご声援を送ってくださることを願ってや」まないというこの認識は、見当違いもはなはだしい。 そして私は思うのである。 この「プロメテウスの罠」という連載は、そもそも朝日新聞が自らの責任から目を そらすための「罠」なのではないか、と。 もっともこれは今に始まったことではなく、それが日本のマスメディアの体質であることは、 最初に引用した丸山邦男氏の文章が、今読んでもまったく古びていないことが証明している。
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