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野々村議員の釈明会見を動画付きで報じた神戸新聞ウェブ版(神戸新聞NEXTより)
神戸新聞の「号泣県議」スクープと地域報道の役割を黙殺した主要メディア
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/39897
2014年07月18日(金) 牧野 洋の『メディア批評』 現代ビジネス
■地方発の世界的「エンタープライズスクープ」
兵庫県の「号泣県議」が全国的な注目を集めている。政務活動費で不透明な支出を指摘され、記者会見で号泣した野々村竜太郎県議(7月11日付で辞職)のことだ。
そもそも野々村氏の不透明支出問題が明らかになった発端は何だったのか。私は当コラム執筆のために国内紙だけで5紙を購読しているが、どの新聞を読んでも「〜ということが分かった」「〜ということが明らかになった」などとしか書かれておらず、雲をつかむような思いだった。
ネットで調べると神戸新聞のスクープであるらしかった。確かに、他紙が何も報じていないなか同紙は6月30日付の夕刊1面に続いて、7月1日付朝刊の1面でも大々的に報じている。これでも裏づけとしては不十分なので、神戸新聞に直接問い合わせてみたろころ、「当社のスクープであることに間違いありません」という返答を得た。主要メディアは神戸新聞のスクープという事実を黙殺していたのである。
神戸新聞の役割に光が当たらなかったものの、野々村氏の不透明支出問題は国内メディアばかりか海外メディアでも大きく取り上げられた。この点を考えれば、神戸新聞は地方発の世界的スクープを放ったといえよう。
しかも単なるスクープではない。お手本とすべき「エンタープライズスクープ」である。
5月23日公開の当コラムでも書いたように、エンタープライズスクープは調査報道とほぼ同義で、公益に資する報道だ。国民(神戸新聞の場合は主に県民)に知らせる必要があるにもかかわらず、放っておけば決して表に出てこないニュースを掘り起こしているからだ。
実際、野々村氏の不透明支出は神戸新聞の努力がなければ表に出てこなかった可能性がある。県議会の2013年収支報告書で報告されているとはいえ、記者クラブで関連資料が配布されたり、担当者による説明が行われたりするわけではない。つまり、記者クラブで記者が待機しているだけでは何も起きない。
今回は神戸新聞の記者2人(三木良太と岡西篤志の両氏)が問題意識を持って県議会事務局総務課へ出向き、自ら収支報告書を精査したことで初めて不透明支出が明らかになった。同総務課によれば、報告書の内容をコピーするには情報公開請求の手続きが必要になる。
2013年度収支報告書の公開が始まったのは6月30日午前9時半。三木と岡西の両氏は公開直後に同報告書の内容を調べ、同日付夕刊1面で「野々村氏 目的示さず300万」と報じている。限られた時間だったにもかかわらず、中面でも展開。そこには「野々村県議『交通費』突出 領収書の添付ゼロ」と題した解説とともに、識者コメントも載せている。
このスクープは大きな影響を及ぼし、県政を動かしている。県議会は野々村氏に対して辞職勧告するとともに、同氏を虚偽公文書作成などの疑いで刑事告発。再発防止に向けた検討会も設置している。同時に、兵庫県警が捜査に乗り出す一方で、市民団体はほかの県議にも不透明な支出がなかったかどうか調べ始めている。
■ピュリツァー賞を受賞したロサンゼルス・タイムズ
地方紙が放ったエンタープライズスクープ。県政監視という公益機能をメディアが担っていることをアピールする格好の材料なのに、冒頭で述べたように当のメディア業界内で黙殺されている。5月30日公開の当コラムhttp://gendai.ismedia.jp/articles/-/39411でも指摘したように、背景には「ニュースの後追いは恥」という意識がある。
営利企業であれば「ライバルの宣伝はしたくない」という言い訳もあるが、公共放送のNHKにはそんな言い訳は通用しない。にもかかわらず、NHKは7月2日に野々村氏の不透明支出問題を初めて取り上げるなか、「明らかになった」と伝えるだけで神戸新聞のスクープである事実を伏せていた。公益に資する特報を黙殺することにどんな公共性があるのだろうか。
その点でアメリカは恵まれている。兵庫県よりもけた違いに小さな自治体の不正を暴いても黙殺されることはない。そればかりか、ジャーナリズムの世界で最高の栄誉であるピュリツァー賞も受賞できる。
神戸新聞のスクープを目にして、個人的には2011年のピュリツァー賞受賞作を思い出した。当時の愛読紙であったロサンゼルス・タイムズがロサンゼルス近郊のベル市をめぐる不正を暴き、最も権威ある公益部門で同賞を受賞したのだ。
初報は2010年7月15日付の1面記事。そこには「副市長に80万ドル(1ドル=100円換算で8000万円)の年俸を払う価値はあるのか」という大見出しが躍っていた。同紙の記者2人がカリフォルニア州の情報公開制度を利用して関連資料を入手・分析し、市幹部がお手盛りで高額報酬を得ている実態を明らかにした。
ベル市の人口はわずか3万7000人。住民の9割がヒスパニック系で、ロサンゼルス郡内では最も貧しい地域の一つだ。それだけに「副市長に80万ドル」という特報は衝撃的だった。副市長のほか副市長補佐や警察署長も高額報酬(それぞれ年40万ドル前後)を受け取っていたことが判明。大規模な住民抗議も起き、市の幹部8人が逮捕・起訴されることになった。
人口3万7000人と言えば、人口500万人を超える兵庫県の100分の1にも満たないほど小規模だ。東京で言えば瑞穂町とあまり変わらない。一見すると、このように小さな自治体の不正は、ホワイトハウスやペンタゴンなど巨大権力の不正と比べれば取るに足らない事件だ。にもかかわらずピュリツァー賞を受賞したのはなぜなのか。
逆説的だが、全国ニュースではなく地域ニュースだからこそ受賞したともいえる。民主主義の原点が住民による政治参加だとすれば、地域コミュニティーの段階で権力を監視する地域報道(ローカルリポーティング)が決定的に重要だ。これはピュリツァー賞の精神でもある。
事実、ピュリツァー賞公益部門の受賞作を見ると、地域報道が常連になっていることが分かる。同部門受賞作は2012年は「フィラデルフィア市の公立校で起きている校内暴力」であり、2013年は「フロリダ南部で続出する警察官のスピード違反」である。地域報道が公益部門受賞の常連になっているなか、2006年にはピュリツァー賞に新たに地域報道部門が加わっている。
■地域の独自ネタに注力するNPOの報道姿勢
ロサンゼルス・タイムズのピュリツァー賞受賞の背景にはもう一つ注目すべき要素がある。多くのメディアがベル市の不正を取り上げる際、必ずロサンゼルス・タイムズのスクープであるという事実に触れたということだ。他メディアがロサンゼルス・タイムズへ言及するたびにスクープの価値が高まり、最終的には誰もが「ベル市の不正はロサンゼルス・タイムズのスクープで明らかになった」と認識するようになるのである。
地域報道はニュースの宝庫である。多くのメディアが追いかける全国ニュースなど共通ネタが少ない裏返しとして、地元紙が動かなければ決して表に出てこない独自ネタが事実上無限にある。ここにこそ地方紙が全国紙との差別化を図るカギがある。
地方紙の統廃合で地域報道の弱体化が危惧されているアメリカでは、地域報道に特化するNPO(民間非営利団体)も数多く誕生している。南カリフォルニアのサンディエゴ市に拠点を置く「ボイス・オブ・サンディエゴ」もその一つ。同社最高経営責任者(CEO)のスコット・ルイス氏は「大新聞が取り上げるニュースは報道する必要がない。共通ネタを追うのは資源の無駄だ」と明快だ。
では何に力を注ぐのか。地域の独自ネタである。ルイス氏はこう語る。
「他メディアが決して報道しない分野に特化している。地元の生活に重大な影響を及ぼす政治や住宅、教育、環境問題といった分野だ。テーマを絞り込む代わりに、選んだテーマについてはどこよりも深く取材し、どこにも真似されない報道を手掛ける。ジャーナリズムの公益機能を守るのが使命だ」
7月15日付の西日本新聞朝刊
日本では地方紙も含めて新聞は共通ネタに傾斜しがちだ。たとえば7月15日付朝刊1面を見ると、福岡県を中心に九州で発行される西日本新聞はブロック紙という点を割り引かなければならないとはいえ、全国紙の毎日新聞とそっくりである。
それぞれトップ記事は「集団的自衛権の武力行使」であり、次に目立つ記事も「沖縄密約不開示確定」で同じ。大きく使っている写真も「ワールド杯でドイツ優勝」で共通している。
これらのニュースはそろって共通ネタだ。放っておいても誰かが取材し、どこかのメディアが必ず報じてくれるニュースということだ。ストレートニュース(速報ニュース)として扱う限り、違いを出しにくい。言い換えれば、通信社の配信記事を使えば済むわけで、自前の記者を配置する必要性は乏しい。
西日本新聞が地域報道を軽視しているわけではない。むしろ逆で、中面に目を転じれば地域色あふれる紙面を作っている。福岡版には「ふくおか都市圏」面もあるし、九州経済面もある。ここではオリジナルジャーナリズム(独自報道)を軸に紙面が構成されており、西日本新聞が報じなければ決して表に出てこないニュースが盛りだくさんである。
7月15日付の毎日新聞朝刊
神戸新聞のスクープには価値がある
地域報道に最も大きな穴が開いているのは東京である。私は2008年まで文京区に10年近く住み、複数の新聞を購読していたが、区政に衝撃を与えるような調査報道を目にしたことは一度もない。交通費の支出が突出している区議がいるのかどうか、新聞を読んでいるだけでは何も分からなかった。
ということは、「誰も見ていないからやり放題」の区政が文京区でまかり通っていた可能性もある。チェックなき権力は腐敗するのが歴史の常だからである。20万人の人口を考えれば、文京区に特化した地方紙が1紙存在してもいいぐらいだ。
個人的に望むのは、1面で地域報道を全面展開する地方紙の登場だ。西日本新聞であれば、「ふくおか都市圏」面を廃止して同面のニュースを1面に持ってくるわけだ。現在は存在しない全国ニュース面を中面に設け、同面を共同通信の配信記事で埋めればいい。全国ニュースなどの共通ネタで地方紙が独自色を打ち出すのは難しいから、アウトソーシング(外部委託)へ切り替えるというアイデアだ。
その意味で神戸新聞のスクープには価値がある。地域密着型のエンタープライズスクープが地元紙の1面を堂々と飾り、国内外で大きな反響を呼んだのだ。その事実が主要メディアによって黙殺されなければ、地域報道の重要性が改めて認識されたはずなのだが・・・。
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