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テレビ局はネットの普及によって圧倒的優位性を失った事実を受け止めるべき!
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/39508
2014年06月11日(水) 高堀 冬彦 現代ビジネス
2011年に地上波のデジタル化が完了したと思ったら、早くも巷の話題は4Kテレビに移った。4Kテレビは現行のフルハイビジョンより4倍の高解像度を持つ。
それどころか、家電メーカーは、8Kや16Kのテレビの開発を進めている。技術革新はとどまるところを知らない。テレビ局などの既存メディアは後追いするのがやっとだ。
「ニューメデイア時代なんて、本当に来るんでしょうかね」
ある民放のカリスマ経営者が、こう漏らしたのは1990年代半ばだった。放送記者を相手にした月例記者会見でのことだ。このトップは新しいメディアの定着に懐疑的だった。実のところ、その会見場の片隅にいた筆者も同じ考えだった。既存メディア側の人間の多くがそう思っていたはずだ。その読みが大外れしたのは言うまでもない。
■ネット世代には原始時代の光景に映る、かつてのメディアの形
今やネットの世帯普及率は約9割。BS放送の視聴が可能な世帯も約8割に達している。CS放送やケーブルテレビも贅沢品ではない。高校生に限って言えば、スマートフォンの所有率は約8割にもなる。
既存メディア側の旧世代人が読みを大外しした言い訳をさせてもらうと、まず、80年代から90年代にかけ、電話回線を使ったキャプテンシステムが大失敗した。91年に開局したWOWOWも苦戦続きだった。
ネットの未来にも暗雲がたちこめていた。90年代まで、通信コストがべらぼうに高かったためだ。40代以上の人なら記憶にあるだろう。通信速度も絶望的に遅く、一枚の画像を見るだけでも一苦労。携帯電話の加入料も約18万円して、通信料金もやはり高額だったから、モバイル端末で動画を見るなんて、『ドラえもん』の世界に過ぎないと思っていた。
通信機能のあるワープロさえもなかなか普及せず、いま50歳の筆者は30歳を迎えるころまで原稿を手書きでまとめていた。外から勤務先の会社に原稿を送る際は、FAXを探すために駆けずり回った。身近な場所にFAXが見当たらない場合、電話で原稿を読み上げ、社内に居る記者に書き取ってもらっていた。
「主語となる人の名字は山河さんです。『山』はマウンテン、『河』はサンズイのほう」といった具合で、まるで伝言ゲームだ。もしも、若年層が見たら、原始時代の光景に映るだろう。
今では記事の読まれ方も様変わりしたのはご存じの通り。90年代の筆者には電車内で読まれている新聞のシェアを目測する習性があったが、今では電車内で新聞を読んでいる人を見つけることすら難しい。大半の乗客の目はスマホ画面に向いている。
■止まらない視聴率低下となくならないヤラセ番組の要因
テレビの総視聴率も低下するばかりだ。見る側がネットやスマホに時間を費やすようになったのだから、当たり前の現象である。1日に2〜3時間もLINEに興じる中高生も珍しくないという。
テレビ局側はまだ気付いていないフシがあるが、視聴率低下よりも大きな変化がある。テレビ局が視聴者に対して持っていた圧倒的な優位性の消失だ。ひとたび見る側の反発を買いそうな番組を流せば、たちまちネット上で批判され、下手をすると、番組の存続まで危うくなる。そんなとき、テレビ局側は圧倒的優位性を失ったことが分かっていないから、反発したり、うろたえたりする。
番組批判ばかりではない。インモラルな手段での収録が行われれば、それを知った人にネット上でたちまち告発される。もともとテレビ局と視聴者の関係は対等なのだが、視聴者が自分たちの声を発信する術を得たことにより、立場は完全にイーブンとなった。
ヤメ検の敏腕弁護士・落合洋司氏が5月末、ツイッターでTBS『アッコにおまかせ』のスタッフの夜郎自大ぶりを辛辣に批判したが、これもスタッフが自分たちの圧倒的優位性が失われたことに気付いていない表れだろう。
「テレビには皆が協力すべきもの、という、傲慢、独善的な、ねじれた考えが染み付いているのだろう。電話してくる奴も、頭も人間性も、いかにも低レベル。馬鹿丸出し」(落合弁護士の5月31日のツイートより)
ヤラセの問題も同じだ。昨年10月、フジテレビ『ほこ×たて』のラジコン対決でヤラセがあったことが発覚し、番組は終了を余儀なくされたが、これも露見の端緒は対決に参加した人によるネット上での告発。しかし、テレビ局側はまだ自分たちに絶対的優位性があると思い込んでいるから、ヤラセ番組は後を絶たない。
ネット時代以前は、ヤラセは新聞や雑誌が暴くというのが通り相場だった。92年に郵政省(現総務省)が虚偽放送として厳重注意したドキュメンタリー『奥ヒマラヤ禁断の王国・ムスタン』(NHK)のヤラセをスクープしたのも朝日新聞だ。外部の記者が察知し、記事化しなければ、ヤラセは露見しなかった。裏ではヤラセを暴こうとする記者と、隠そうとするテレビ局側の凄絶な攻防戦があった。
ところが、今や誰でも簡単にヤラセを告発できる。瞬く間にバレてしまう。それでもヤラセが一向になくならないのは、テレビ局側が視聴者側をいまだに侮っているからだろう。
■時代の変化と視聴者の利便性を考えるべき
テレビの現状を見つめているはずの民放各社の批評番組さえ、圧倒的優位性を消失に気付いていないようだ。批評番組は自分たちで識者らを招き、主に自社番組を誉めてもらったり、あるいは辛口の言葉を投げ掛けてもらったりしているが、すでにネット上で視聴者側のジャッジは下されているのだから、現行のスタイルはほとんど意味を持たなくなっている。
低視聴率であっても良質の番組はネット上に賛辞の言葉が並び、どうしようもない番組はこき下ろされる。ところが、批評番組ではゲストが番組をボロクソに貶すのを見たことがない。批評番組側が自分たちでゲストを選んでいるのだから無理もないが、これでは予定調和に過ぎず、残念ながらネット時代の視聴者の胸には響かないだろう。
圧倒的優位性の消失をテレビ局側が認めていないから、テレビの最大の弱点である「一方通行性」も解消に至っていない。一方通行性とは、タイムテーブルに従っての番組視聴を義務付けていることだ。YouTubeやニコニコ動画、NTTドコモのdビデオなどと違い、テレビは見逃したらお終いである。
各局とも放送済み番組の動画配信を始めてはいるが、まだ利便性や料金面で難がある。PRも十分とは言えない。ラジオにおける「radiko」のようなネット上の同時配信も地上波にはない。ラジオは聴取率低下もあって、自分たちに優位性がないことを否応なしに気付かされている。だから、テレビの動画配信より簡便なポッドキャストも導入して、リスナーの利便性を追求している。
パナソニックが昨年4月に発売した「スマートビエラ」のCMが、各局から締め出されたのもテレビ局側が自分たちに優位性があると思い込んでいる表れだろう。スマートビエラはスイッチを入れた途端、番組画面とYouTubeなどのネットのコンテンツが並ぶ。これが、テレビ番組とネット情報の混同を招くとして問題視されたのだが、ネット普及率が9割の時代に両者の区別が付かないユーザーなどいないはずだ。
ましてスマートビエラを購入しようするくらいのユーザーが、商品特性が分からないとは思えない。これではテレビ局側が見る側の利便性を軽んじていると受け取られても仕方がないだろう。
ネットをめぐる事件が起こると、報道・情報番組のキャスター、コメンテーターは競ってネットの危険性を訴える。まるでライバル叩きをしているように映ることもある。だが、手紙がコミュニケーション手段だった時代には文通を巡る事件が頻発していたのだ。技術の進化に罪はなく、ネットを責めているだけで事件を防げるはずがない。
テレビ局側が気付いてなかろうが、認めまいが、ネットの出現によってテレビの圧倒的優位性が消失したのは事実だ。時代には抗えない。これからは従来通りに番組の質が問われる一方で、不誠実な番組づくりは許されず、さらに見る側の利便性を優先的に考えることが迫られるだろう。
テレビ局は免許事業である以外、ビールメーカーや自動車メーカーと変わらず、コンテンツ・メーカーに過ぎない。メーカーがユーザー本位で物事を考えず、成功を収められるはずがないのだから。
原始時代は終わっている。
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