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今から40年ほど前、「連合赤軍事件」というのがあった。「連合赤軍」というグループを作った若者が、毛沢東思想に基づき赤軍を形成し、革命を起こそうという活動で、活動自体は多くの政治活動の一つだった。
ところが、彼らは「総括」と言う名前の「リンチ」を始めた。最初はメンバーが政治的な反省をする場だったが、次第にエスカレート、一人の人間に仲間が暴力を用いて反省を促すようになり、リンチと粛清が始まった。
リンチされる方も政治的なことでもあり、抵抗しなかった。内臓破裂、凍死などがあり、それは思想的な「敗北死」とされた。
でも法律に基づかない「リンチ」はそれ自体が犯罪なので、後に赤軍の若者は指名手配を受け、法の下に裁かれた。
近代国家では法体系が整備され、法律をその国民が合意して約束し、法律に違反しなければ誰も不利を受けず、もし違反しても裁判所の判決によってのみ不利を受けるということが確定した。つまり、その社会の常識などに反していても、その本人を罰するには、「法律に違反したこと」、「被害者がいること(被害者がいなければ通常はあまり罰せられない)」、「裁判で有罪が確定すること」が必要である。
これに反して連合赤軍のように「私的なリンチ」を行った場合、「リンチで不利を受けた人」が罰せられるのではなく、「非合法なリンチをした方」が罰せられる。私が戦後に行われた「東京裁判」を「東京リンチ事件」と呼び、東京裁判を開いたほうが悪人だと言っているのは、まさに「法治主義」によるものだ。
今回のSTPA細胞事件で、一個人を言論(マスコミ)やネット(ブロガー)を通じて「リンチ」した人は、法治国家ではリンチしたほうが重罪だから、この際、自首していただきたい。
この事件ではまだ「法律違反」、「被害者」、「裁判所の判決」は共にない。それをなぜ、これまで激しく非難し、一個人が仕事もできず、精神的に不安定になるまで追いつめて、これが「正義のいきわたった日本」と言うことができるだろうか?
一個人を批判している人は「かつて自分が賞賛しすぎたので、自分の体裁を整えるために一個人を激しく批判して、気分を収める」ことが目的ではないか? もともとは、毎日、何千とでる論文の一つに過ぎないのだから。
ところで「言論における批判」にも道徳や倫理がある。それは、当然ではあるが、
1)必要最低限のことも調べないで、一個人をバッシングしてはいけない、
2)相手が法律を守っているのに、「法律を守るとは何事か」と言った種類のバッシングはいけない、
3)肌の色、性別、出身など本人の言動が原因していない、回復せざることを批判してはいけない、
4)批判するときには本人にも対等の反論の機会があること、
である。何事にもルールを守らなければならず、自分がルールを守れないのに他人にルールを守れと激しくバッシングするのはみっともない。
たとえば、博士論文の第一章にコピペがあることについて、
あ)理系の論文の第一章にコピペがあってはいけないとはされていない、
い)コピペは主査の教授が指導した可能性が高い、
う)教育中の作品の所有権は基本的には学生や生徒にはない、
などを考えると、バッシングしているマスコミやブロガー、それにネットに参加している人たちこそが「リンチをする人」になっているのではないか。
(ユーチューブで「小保方 武田」で検索すると出てくる映像のうち,2/2を参照のこと)
自由な批判は大切だが、やはり、「自分の名前をはっきり出して」、「紳士的に」
「根拠を示し」、「相手を尊重する」という批判の基本姿勢を取り戻さなければならない。匿名の批判も許されるが、その時には、相手が反論できないので、人格攻撃や激しいバッシングはルール違反になる。「匿名」ということでもともと有利なポジションを自分でとっているのだから、「私は考えが違う」程度にとどめなければならない。
その第一歩として、今回、一個人をうっかり激しく批判したマスコミやブロガーの人(社会のオピニオンリーダー)は日本の文化を守るために、まずは自分を捨てて自首してもらいたい。「リンチは犯罪である」ことを身をもって示してほしいと思います。
(平成26年3月22日)
武田邦彦
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