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みのもんたは、なぜこんなに嫌われるのか【第2部】しゃべってるだけなのに「みのはなぜあんなに金持ちなのか」という国民的疑問
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/37386
2013年10月30日(水)週刊現代
■テレビに出れば儲かるのか
「私の倅じゃなかったらそんなに大騒ぎにならなかっただろうなあ。それだけ」
みの氏が雄斗容疑者逮捕の直後に会見を開いたのは、鎌倉市の自宅前だった。不遜な態度の会見が終わると、みの氏はこんな一言を残し、大理石張りの玄関の奥へと消えて行った。
以前からみの氏を知る芸能レポーターは言う。
「この自宅は'10年に新築したもので、総額17億円。一時期は年収11億円といわれたみのさんにとってはそんなに大した額じゃないですけどね。他にも鎌倉駅前のビルやマンションなど、複数の不動産を持っています」
まさに「口ひとつ」で築き上げた豪邸と資産である。'04年、'05年の芸能人長者番付第1位(その後は発表なし)。ここ10年ほどは、みの氏が「日本一金持ちの有名人」であり続けたことは間違いない。
ここで浮かぶのは、「なぜテレビに出てしゃべるだけでそこまで金持ちになれるのか」という当たり前の疑問だ。そこには、みの氏が長年培ってきた、「金主」であるテレビ局との切っても切れない蜜月関係がある。
「若い頃は僕の方が先にテレビに出ていたんですが、みのと一緒に遊びに行ったとき、芸者さんがみのに向かって『付き人ですよね』って言っちゃった。
そしたら、後でみのが机を叩いて悔しがってね。『テっちゃんはテレビに出てるから気づかれたんだ。やっぱテレビに出なくちゃダメだ。俺、絶対テレビに出るよ』と言ったんです」
こう語るのは、文化放送に新卒でみの氏と同期入社した、元アナウンサーの橋本テツヤ氏だ。
ラジオアナウンサーとしてキャリアをスタートしたみの氏は、35歳の頃に通販番組などを制作する企画部へ異動となったのを機に文化放送を退社。家業の水道メーター会社・日国工業(現・ニッコク)で営業をしつつ、テレビ出演を模索し始める。
「フリーになった頃のみのは、テレビ東京の長時間時代劇の『生CM』の読み上げとか、新人のやるようなきつい仕事も喜んで引き受けていました。『何が何でもテレビに出たい』『有名になりたい』という思いが強かった」(橋本氏)
■主婦を「カモ」にする
また、古くからみの氏を知るテレビプロデューサーはこう証言する。
「今ではみのさんはエンターテインメントの人という印象がありますが、いちばん最初はジャーナリストになりたかったんじゃないかな。でも、同い年の久米宏さんがTBSでジャーナリズムの道を歩んだのに対して、みのさんはTBSに落ちましたからね。コンプレックスもあって、独自路線を探した。『珍プレー好プレー』なんかを経てようやく花開いたのが、『おもいッきりテレビ』だったわけです」
ラジオ時代から培った軽妙な語り口は、番組にぴたりとハマった。
「みのは入社当時から、もう独特の話術を持っていましたよ。おばさんに向かって『そこのきれいなお嬢さん』と言うようなことを、20代でモノにしていました」(前出・橋本氏)
まるで実演販売のような軽快さで生活情報を語る。観覧席に座った中高年女性をイジる。スタジオはどっと沸く―あれよあれよという間に「おもいッきりテレビ」は高視聴率番組の仲間入りを果たした。それまで苦戦していたお昼の視聴率をみの氏が押し上げたことで、日テレは'94年~'03年の10年、年間視聴率四冠王を達成。その結果、みの氏は日テレにとって下にも置かない存在となった。
「制作サイドの人間が感じていたのは、みのさんは『客が見えている』ということ。ブラウン管の向こう側をガッチリつかんでいた。『昼過ぎには主婦という鉱脈がある』のに気づかせてくれたのがみのさんだったんです」(前出・テレビプロデューサー)
ギャラは際限なく上がった。50万円が100万円、100万円が200万円になり、最盛期には、みの氏は1本当たり数百万円、年間数億円もの巨額のギャラを手にしたとされる。
みの氏が成功した理由には、話術と同等に巧みな「政治力」があったともいう。
「どれだけ叩かれ、嫌われてもテレビから消えなかったのは、常日頃から接待と気配りを怖いくらいに欠かさなかったから。相手の金玉をガッチリ握る術を心得ています」
と語るのは、ある日テレ幹部局員だ。
「ある番組のプロデューサーが入院したとき、真っ先に花束と見舞金を持って駆け付けたそうです。花とか物を送って済ませるのではなく、自分で行く。これが人たらしの技なんでしょう。まるで田中角栄みたいです」
飲み方も派手だった。
「スタッフを引き連れて、銀座の高級クラブを1軒15分ではしごする。一晩数百万。当然自腹です。しかも、よく死人が出ないなと思うほどヘビーな飲ませ方をする。自分で氷を砕いてクラッシュアイスを作り、バランタインの17年をなみなみと注いで何度も回し飲み。最後はみのさんだけが潰れずに平気でいる」(同前)
だが、酒席で人の悪口を言ったり、トラブルを起こすようなことは決してなかったという。
「そうして、TBSにしろ文化放送にしろ、上層部と太いパイプを維持しているんです。しかもだいたいの幹部より年上ですから、同席した平社員は『みのさんは社長より偉いんだな』という感覚になる」(同前)
慕っている渡哲也と飲むときには、ネクタイを頭に巻いて「兄貴!兄貴!」と持ち上げるようなベタな「ヨイショ」をこなす。若手スタッフにも大御所にも分け隔てなく接するみの氏は、世評とは違い、業界内での評判が極めて高い。
しかし、「おもいッきりテレビ」はあくまでも健康情報番組だった。みの氏が最後の最後まで断てなかったのがジャーナリズムへの未練だ。時折しも、大橋巨泉、久米宏、徳光和夫ら名キャスターが一線を退いた'00年代。満を持してみの氏が挑戦した報道色の強い番組が「朝ズバッ!」だった。
■地道な努力はしない
「これで、久米を超えた」
みの氏にとって、わが世の春ともいうべき時代が巡ってきたのだ。しかし、今振り返れば、これが彼の転落の始まりだった。ちなみに、次男の雄斗容疑者が日テレに入社したのもちょうどこの頃である。
「『朝ズバッ!』には台本なんてありません。みのさんはあのフリップを見て、その場その場でアドリブでしゃべっていく。本当に凄い技術ですよ。VTRを作る費用も節約できますしね。
ただ、みのさんのスタイルは、おばさんをいじるのと同じノリで政治家とか事件の当事者までいじっちゃう。カンペもろくに読まない。ニュースを感覚でぶった切るから、とんちんかんなことを言い出すこともあります。
そのうち、最近は前日の酒が残ったままスタジオに入ったり、飲み過ぎで遅刻ギリギリになって長男(TBSに勤務する御法川隼人氏)が起こしに行ったりするようになってしまって」(「朝ズバッ!」番組関係者)
しゃべりの「瞬発力」では、みの氏に敵う者はいないというのが現場の一致した意見だ。しかし、報道番組をアドリブでこなすのに限界があったことは、「朝ズバッ!」で連発した事実誤認や失言が証明している。
「記憶に新しいところだと、今年8月、日本のロケット『イプシロン』の打ち上げ延期について、『日本は失敗』『ロシアは何回やっても成功している』と事実と異なる発言をしてブーイングをくらった。6年前には、取材VTRをもとに、菓子メーカーの不二家を『廃業すべき』と断言するという事件があり、激しい抗議を受けました」(同前)
下がったとはいえ、収録1本あたりのギャラはまだ破格である。一般の常識はおろか、業界の基準でも考えられない金額だ。
「昔はみのさんも今のように欲ボケじゃなくて、安いギャラで無理も聞いてくれるありがたいタレントだった。まだラジオ上がりのダサいおじさんだった頃です。
テレビというのは虚像を渇望するものです。バブル後の好景気と相まって、みのさんを神輿に乗っけてしまった。石原慎太郎や安倍晋三のような政治家とも昵懇だ、とか担ぎ上げてやりたい放題やらせていたのは、テレビ業界自身でもある。
苦労人時代の謙虚さをすっかり失ってしまったから、居直って大バッシングを受けてしまったんですよ」(大手広告代理店幹部)
みの氏が社長を務めるニッコクの売り上げ約30億円には、みの氏がテレビ出演で稼いだ金も算入されている。
「金持ちとはいえ、145名の従業員を食わせていかなければなりません。もしレギュラー番組がこのままなくなると、会社も立ちゆかなくなるのでは」(前出・芸能レポーター)
あの豪邸を手放す日が来るのだろうか。
「週刊現代」2013年11月2日号より
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