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ソニーを没落させた出井と経営者たちの自己宣伝を煽った日本のメディア
http://www.asyura2.com/13/hihyo14/msg/231.html
投稿者 浦島 日時 2013 年 10 月 21 日 22:09:27: SatUa8esa6POA
 


日本の電子産業の希望の星だったソニーが経営不振で、ビジネスとして没落した原因を作ったのは、売名に明け暮れた出井社長のせいだと言うことが、業界では既に定着した意見になっている。会社の将来よりも自己宣伝のために、経営者としてお粗末なことをやり続けて、技術力や新製品の開発力を失い、有能な人材が見限って辞めてしまったのだ。
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51301445.html
その事実を如実に描き出している証言としては、ドラッカー博士を相手にしたと称した対談記事が、ある種のデッチアゲだったと言う内部告発として、ドラッカー博士の七回忌の追悼記事としての対談に、そのことがはっきりと指摘されている。それだけではなく、日本の財界人の多くがピータードラッカーの威名を使い、まるで対等の発言をしているがごとく作られた記事で、カネを払って対談に仕立てられていたと言うことも分かった。国内ではそんなペテンが罷りと打っていることは、安倍首相の二枚舌発言の放置と同じであり、恥知らずが放置されているとはいえ、日本の外で活躍する人には嘘が丸見えなので、それを明らかにした雑誌記事を参考までに貼り付ける。
<Past>
http://fujiwaraha01.web.fc2.com/fujiwara/article/NewLeader201211.htm
『ニューリーダー』2012年11月号


ドラッカー七回忌・追悼対談(下)
読み込んでほしい理想主義と開拓者魂
安易なビジネスにしてはいけない恩人

斎藤 勝義(元ダイヤモンド社・外国書籍著作権担当責任者)
藤原 肇(慧智研究センター所長[霧島]、フリーランス・ジャーナリスト)

ドラッカーをダシに使った「二匹目の泥鰌」ビジネス
藤原 昔の書店には知的な雰囲気が漲っていて、書棚に並ぶ新刊書や新書のカバーを眺めるだけで、読書することの喜びが湧き上がった。だが、最近の書店はカラフルな雑誌が横積みで、コミック本が大量に並んでいる店が多く、知的な雰囲気より娯楽施設の感じだ。また、書店に行っても読みたい本は少ないし、ほとんどがエンターテーメントの本で、私などのように残り時間が短くなった者が、ぜひ買って読みたい本は余りない。しかも、知的好奇心を閉塞感が上回るようで、書店を訪れる楽しみが乏しくなった感じが、ここにきて強烈になったと意識させられます。斎藤さんは一生を出版界の中で生きて、外国の著者の叡智を日本に紹介してきたが、最近の書店をどう感じていますか。
斎藤 確かに、最近は雑誌やマンガの比率が増えて、知的な雰囲気が乏しくなっている。貧しかったが戦後の復興期の日本人は、知的な刺激を求めて書店を訪れたし、ドラッカーの本がそれに対応したのを知る者として、いささか寂しさを覚えてしまいます。
藤原 そんな中で、ドラッカーの本が再び平積みになり、マネジメント・ブームが復活した感じだが、斎藤さんにその秘密を伺いたい。ダイヤモンド社の編集部にいた時に、ドラッカー先生と家族ぐるみの付き合いをして、彼の本を普及した功労者の貴方から、今日はその辺の裏話を聞かせてほしいのです。
斎藤 裏話というほどのことはないが、先生や奥様のドリスに親しくして頂き、何度もクレアモントの自宅を訪問した。そして、先生の著作を日本に紹介したことで、マネジメントの重要性を理解してもらい、戦後経済の発展の役に立って何よりでした。また、失われた二〇年間の失政のために、ドラッカーの声援にも関わらず、不況と円高に支配された日本の経済は、断末魔に似た悲惨な状態に陥っている。だから、マネジメント関係の本は閉塞感のために、すっかり売り上げが落ち込んで、先生の著作もかつてほど注目されない。だが、ここにきてドラッカー・ブームが再現して、日本人に元気が出たのは興味深いし、これがたとえ一過性のブームにしても、大恩人である先生の追悼になります。
藤原 追悼になるのは結構だと思うが、何か底が浅いという感じがします。
斎藤 その一つの例といっていいのは、『もし高校野球の女子マネジャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』という題の本が、ミリオンセラーを記録したということです。しかも、評論家や作家たちがそれに目をつけ、ブームにあやかりたいと願って、続々とドラッカー本を書きまくっている。
藤原 私も書店でその本の横積みを見たが、女の子のマンガが表紙にあったのを見て、小林よしのりの二番煎じだと思い、何か恥ずかしい気分で中身を見た。そうしたら、マンガではなく活字だったので、『マネジメント』を『バカの壁』のバカの代わりに使い、売るために企画したヤラセ本とわかった。
斎藤 それにしても、企画力としては凄いものがあり、『マネジメント』という言葉を題に挿入しただけで、ミリオンセラーになったのは驚きです。それだけ「マネジメント」という言葉には、人を引き付ける魅力があって、これはドラッカーの絶大なる遺産です。読者として先生を支えた人の心理には、「顧客の創造」とか「時代を拓く」をはじめ、「イノベーション」や「挑戦」の思想があり、理想主義と開拓者魂への共鳴が生きている。だから、未来の展望と現実への洞察に触れて、ドラッカー思想の持つ精神を感じ取り、読者たちは魂を掻き立てられてきました。結局は、大当たりで二〇〇万部以上も売れたから、担当部門は笑いが止まらなくなったそうで、企画した人の印税収入は巨額になり、「二匹目の泥鰭」を狙う後追い企画が続いて、ドラッカー・ブームが生まれたのです。
藤原 政治が末期状態を呈している中で、既得権を守る官僚やマスコミが政治を操っている。そして、日本中に詐欺商法が蔓延して、学生までマンガに熱中する時代の中で、宣伝用のパンフレット的な本でも売れた。
斎藤 中味の薄い本のおかげだとはいえ、『マネジメント』が売れ出したことで、ドラッカー思想が普及して怪我の功名です。ミリオンセラーを作るダシに名前が使われて、人の好い先生はあの世で苦笑しても、賢夫人のドリスがその真相について知ったら、日本人の無礼に憤慨するかもしれません。
藤原 ダイヤモンド社はこの種の商法で、儲けの種にした前科をすでに犯しており、誠実さを誇りにした先生に対し、失礼なことをしていたのです。だが、日本では当たり前ということで、それが失礼だと気づかなかったが、ドリス夫人は憤慨していたのです。
斎藤 先生との交渉の窓口だったので、そんな失礼なことをしたと知ったら、私は放置することはなかったのだろうと思います。
失礼極まりない企画だった「ドラッカーの大予言」
藤原 今から一〇年ほど昔の話になるが、『週刊ダイヤモンド』の二〇〇一年三月三日号で、「ドラッカーの大予言」という特集をやった。その冒頭を飾ってソニーの当時CEOの出井信之会長と、ドラッカーとの対談記事が出ており、「徹底三時間の激論」という触れ込みでした。いかにも熱烈な議論があったように、巧妙な編集作業をやっているけれど、その虚構は見破られていたのです。
斎藤 あの件ですか。確か三〇nほどの大特集を企画して、ドラッカー先生の本の宣伝を試みた時の話のことですね。あれは一種のタイアップ形式の企画であり、営業政策として活用する手法として、某出版社はそんな特集を時たま行うのです。
藤原 先生は地位や報酬で話を提供されても辞退し、自分の価値観と一致するものだけを選んで加わるように、その基準を高い所に置き、信用する人しか自宅には招きません。『週刊ダイヤモンド』の特集記事になった、ソニーの出井会長との対談が自宅ではなく、近所のホテルでやった件に関して、何か聞いていませんか。
斎藤 何かがあったとは聞いていませんが、近所のホテルで対談をしたのであれば、クレアモントのマリオット・ホテルでしょう。ソニーの盛田昭夫会長やNHKの今井義典副会長などは、ドラッカー先生の自宅に招かれたし、信頼されている人ならドリスがホステスとして、自宅で接待するのがドラッカー流です。ドラッカー夫妻はその点で厳格であり、高い基準でけじめをつけています。だから、宣伝に乗せられることを嫌悪し、下心のある提案は断固拒絶しており、それを先生は誇りにしてきました。
藤原 あの対談を四度も五度も読み返したが、二人の話がかみ合わない上に、相手の発言を聞いていない感じがして、これは対話になっていないと思いました。相槌を打つように作ってあるが、出井さんはドラッカーの発言の真意を理解しないで、一方的に見解を並べ立てていた。しかも、起業家精神や改革の重要性というようなドラッカーが強調し続けてきた、大転換期に必要な挑戦への気概や意欲が、対談において感じ取れなかった。
斎藤 私も記事を読んで違和感を覚え、ドラッカーの話術らしくないと感じて、これは奇妙な対談だと思いました。
藤原 記事にはドラッカーの薫りというか、社会や使命についての配慮が抜け落ちていた。また、歴史について該博な知識や洞察が、独特な比喩とアナロジーで表現する風味に欠け、何とも物足りない感じがした。しかも、出井さんはフランスのソニーにいたのに、フランス的なエスプリに欠けており、彼はそんな雰囲気に気がつかないまま、会社の経営の話に終始していたので、実に不自然な対談だと感じたのです。
斎藤 タイアップ広告の記事や政府広報などは、宣伝臭が少ないので読者に好評だから、新聞や雑誌などで良く活用するが、営業効果もいいということを考えて、それを試みたということでしょうね。
藤原 そうですか。記事を読み不自然だと思ったので、ドラッカーに会った時にそれを尋ねたら、「出井さんがしゃべるワイン談義とか、ソニーの経営についての話は聞いたが、内容のある議論をした記憶はない」と言っていた。だから、話の内容が余りに釣り合いが取れず、編集部が対談としてまとめたのなら、違和感を与えたのは当然のことです。
斎藤 ドラッカーらしい理想論がないので、私もそういう感じを受けたのです。彼はGMのアルフレッド・スローン会長をはじめ、雑誌王のヘンリー・ルースと渡り合っている。また、バックミンスター・フラーやマーシャル・マクルーハンに親しく、個性的な人間を知るドラッカーだから、この対談の翻訳を読んでいたら、さぞ不本意に思ったことでしょう。
藤原 人材育成に関して優れた見識を誇り、教育者として豊かな経験を誇るドラッカーは、大学教育に高い評価をしないが、例外は米国のリベラル・アーツのカレッジです。だから、スローン会長が育成したGMテックに関して、その記述を自伝から削除した点に、ドラッカーは敬意を捧げていた。ところが、そうした価値観を持つ人の前で、出井氏はソニ−大学を自慢したから、私ははしたない行為だと見ました。
斎藤 ドラッカーの前で下卑な話をすれば、たちまち敬意を失って相手にされないことは、まともな日本人なら心得ています。だから、経営ではなく創造性や指導性を論じれば、対話で先生の持ち味を引き出せる。しかも、それに似合った見識と品性を示せば、打てば響く形で話題が活況を呈して、いわゆるドラッカー節になって賑わうのです。
藤原 それがドラッカー先生を囲む魅力で、ファンが育ってマネジメント思想が普及し、日本経済の発展に寄与したのです。
斎藤 そうです。観察者として優れた能力を持つ先生は、多くの読者を魅惑するものを秘めているが故に、ドラッカー流のご宣託を敬愛する人が、日本人の間に多く育って活躍したのです。先生の対談を好んで企画する人が、社会における人間の責任や任務に触れず、末梢的な経営の技術論を展開して、それで満足したのでは本末転倒になる。だから、ことによるとこれは対談ではなく、コンサルタントとして相談に乗ったものが、対談形式の記事として編集されたセールス企画だったのかもしれません。
藤原 コンサルタントとしての仕事であれば、ドラッカー財団の運営基金に使われて、晩年になり先生が情熱を注いでいた、非営利のボランチア活動の普及のために、貢献できたと考えたらいいのです。
斎藤 そうでしょう。別のケースでは、ボスを喜ばすためだと思いますが、かつてダイエーが当時の中内功会長とドラッカーとの対談を部下が企画して、それを編集部に持ち込んで来たので、先生に話を繋いだら断られました。当時のダイエーといえば小売業の王者だし、中内さんは経団連の首脳であり、日本の代表的な経営者だった上に、広告費が大きかったこともあります。そこで、ぜひ何とかという形で話を進めたが、先生からは「自分が小売商の成功者を相手に、なぜ対談をする必要があるのか」と言われ、ダイエーからは「話を進めた以上は中断できないし、何でも条件を出してくれ」ということになりました。
藤原 そういう企画を日本人は良くするが、このテーマを何のために討論して、成果を生み出すかという目的なしに、簡単な座談のつもりで対話を試みる。だが、対談は思想を使う真剣勝負だから、相手の考えを徹底的に知った上で、十分な準備をして成果を追求しなければ、相手が費やす時間に対して失礼です。
「対話」が持つ効用 しかしそれには必須条件が
斎藤 それをドラッカーは心得ていて、コンサルタントに時間の対価を支払う形で、相談に乗るスタイルでやると話をつけ、それを往復書簡の形で本として編集したのです。秘書や顧問が質問事項をまとめ、それを対談集の形で出したのですが、編集作業としては大変な苦労をした。ビジネスとして成功したとはいえ、ドリスが知ったら不快感を持たれたはずで、担当陣は冷や汗を流したと聞いています。
藤原 そういう技術だと日本人は天才的で、世界の有名人を相手に良く対談をしており、それを宣伝材料に使った名人が、SGIの会長の池田大作とPHPの松下幸之助です。話の実態は茶飲み話の程度だが、編集部員たちがそれを対談や論文に仕上げ、新聞や雑誌に発表して神話を作る。
斎藤 日本人は寛容だから厳格なことを嫌うし、仏教でも「方便」といって放任するので、でっち上げでも罪の意識はない。ピラミッド型の構造を持つ組織では、名を上げるのはトップの人間だけで、価値体系は金銭だと言われているが、これは巨大組織に共通する病気です。
藤原 対談をまとめる秘訣は削ることにあり、質の良い対話は内容が充実しているが、水準が低いと書き足す過ちを犯し、見栄えが良いようにと工作を施します。『論語』や『聖典』の多くは対話であり、プラトンなどは対話編が主体であるし、古典のほとんどは対話形式です。また、対談を楽しむ読者が日本には少なく、おしゃべりや座談レベルを対談として扱い、それを活字にする風習が根強いのです。ところが、ご意見拝聴を対談と勘違いして、議論が行われたように仕立てられても、それはインタビューの一種に過ぎません。
斎藤 いうならば、Q&Aを対談だと誤解しているわけで、対談では相手なみの知識と教養が必要でして、そう簡単に行うことはできません。ただ、日本では編集者が著作を読んでまとめ、いかにも対談のように仕立てるし、ゴーストライターとして仕事をこなす人に、非常に優れた能力の持ち主がいます。
藤原 内容が充実したインタビューもあり、若い頃のアルピン・トフラーはその達人として知られていて、事前調査と話術の巧みさを生かし、言論人としての基盤を築き上げてから、名著の『第三の波』を書いています。
斎藤 私がこれまで会った人の中には、ドラッカーやダニエル・ベルをはじめとして、対談が上手な人が欧米人に多いが、日本人にはどういうわけか少ない。これは幅広い教養と専門知識に加え、それを大局観と結合させる必要があり、日本人は凡帳面で細かすぎるので、どうしても島国的になってしまうのです。
藤原 対談はしゃべれば良いわけではなくて、正しい意味論をきちんと踏まえた上で、理論的な意見の展開が必要であるが、そこまで鍛えた人が極めて少ない。明治の日本人にはそういう人がいて、日本語の文章が素晴らしかったし、岡倉天心とか新渡戸稲造のように、思想を外国語で国外に発信できた。その後では鈴木大拙が登場して活躍したが、昭和や平成の日本は受信ばかりで、自分で発信する人はほとんど見かけないし、これも男より女の活躍が目立ちます。
斎藤 言語能力は女性の方が優れており、男がダメだというのも奇妙な話だが、実際問題として明治時代に較べても、日本の男は覇気において劣っています。
藤原 一方的に主張するディベートなら、勝負の世界で男が主役になるが、対話や対談は相手とのコミュニケートで、バランス感覚と教養が重要なため、知識に加え知恵と閃きが決め手です。その特性を兼ね備えたドラッカーは、教養人として二〇世紀を生きたが、国際人の彼が日本画を愛したのは幸運でした。
ティーチャーの優しさと マスターの厳しさ
斎藤 米国や世界が舞台のコンサルタントで、日本ではビジネスの教祖的存在になり、平安時代の絵を愛好したドラッカーは、非常にバランス感覚の優れた人です。奥さんのドリスと日本画に出会い、自分にとって思い出の多い町だから、ロンドンは第二の故郷だといって、彼は素晴らしい名言まで残しています。
藤原 彼はバランスの取れたヨーロッパ人です。
斎藤 バランスという言葉で思い出すのは、デボノ博士との対談の企画のことで、彼が『六色ハット』という本を出した時に、翻訳ついでに対談を申し入れたのです。そうしたら「自分は発明家で博士号を持ち、独創的な思考法を考え出しているが、相手はどんな能力と実績の持ち主か」と問い合わせて来た。そこで「日本のジャーナリストで翻訳書も多いし、英語が達者なことで有名な人物だ」と返事した。すると、「翻訳や通訳が出来る程度の者は、自分の対談相手にする暇はない」と言って、対談をするのを断られてしまい、驚くべき反応だと痛感させられましたが、日本の外にはそういう世界がある。
藤原 発明家の仕事は発明できる人しか、その価値を正当に評価できないのは、外国でも日本でも同じです。権威と有名であることの間には、気が遠くなるほど絶大な差があるのに、日本人でそれを分かる人が少ないです。
斎藤 要するに、対等に渡り合える相手でなければ、自分としては時間を提供したくないし、無駄なことに関与できないから、余計なことは言ってくれるなということで、実に厳しい拒絶の表明だったのです。
藤原 それはデボノ博士がマスターとして、準備不足の未熟者は相手にしないという、そんな姿勢を持つ人だからです。平等主義に慣れている日本人は、肩書きや地位が有効だと思い込み、準備不足でも出向いて行くが、そこに似合った準備をして置くことは、ある意味では礼儀になるのです。昔は礼儀をわきまえている国民として、敬意を払われた日本人が多かったが、最近は愚劣な日本人が肩書きで出向くので、ダボス会議をやめようという話もある。
斎藤 アメリカ人は気さくで鷹揚な性格だが、ヨーロッパ人は礼儀に対し厳しいから、しつけができていない人に対して、実に厳格な態度で臨んでくるのです。最近だらしなくなった日本人には、相手をかたくなだと感じてしまうが、崩れた礼儀に馴れ親しんでしまえば、異常に対して不感症になるのです。
藤原 でも、何も知らない者にも教育を施す先生と呼ばれる人が世の中には存在し、我慢強く後進を導いてくれている。幸運なことにドラッカーは先生(ティーチヤー)として、人材の育成をして来た経歴を持つので、日本人はマネジメントや企業家精神を学び、これだけの国に日本を発展させた。だが、最近の日本の政治や経済が露呈している混迷は、本当に情けない限りではあるが、先生の指導力には期待を託す余地がある。だから、こんな恥ずかしい状況から抜け出し、希望のある未来に挑戦して行くなら、それがドラッカー先生の霊前に対して、最善の捧げ物になると思うのです。 


その恥知らずの記事はここに足跡を残している。
http://ci.nii.ac.jp/naid/40004316542
 

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コメント
 
01. 2013年10月22日 10:53:20 : pbGtlhns2o
ソニーの共同創業者と言えば井深大氏と盛田昭夫氏。当方はラジオマニアなので、井深さんに親近感を持っていた。彼は世界の短波ラジオ放送を聴くことが趣味で、この分野で世界一を目指した。これについては今まで何度も書いたので、実際の製品をアメリカの短波ラジオ通販サイト、ユニバーサルラジオから紹介する。

Universal Radio Inchttp://www.universal-radio.com/

Sony TR-724
http://www.universal-radio.com/used/u724lrg.jpg
●ソニーが世界初のトランジスタラジオをつくったのは1955年だが、その5年後の1960年に中波、短波の聴けるトランジスタラジオをつくってアメリカに輸出している。四角い006P電池は、ソニーの初期のトランジスタラジオのために電池メーカーが新規格をつくったそうだ。

Sony TFM-1000W
http://www.universal-radio.com/used/ub43lrg.jpg
●ソニーが1960年代につくっていたFM、中波、短波のラジオ。今では見ることのできない、日本製の製造プレートが誇らしげです。
http://www.universal-radio.com/used/ub43lbl.jpg

Sony TFM-1000WB
http://www.universal-radio.com/used/u209lrg.jpg
●短波の受信できる周波数を広げた後継機種。少しでもゼニス、GEの高性能ラジオに迫ろうとする意欲が感じられます。

Sony CRF-150
http://www.universal-radio.com/used/W674lrg.jpg
●短波は放送や通信など、多くの用途に使われていますが、放送に使われている周波数帯を受信することに特化したラジオ。日本国内ではCRF-200として販売されました。(註 カラーリングが異なる。)取り外し式のカバーがあり、持ち運ぶときは下のようになります。
http://www.universal-radio.com/used/W674cov.jpg

Sony CRF-5100
http://www.universal-radio.com/used/W870lrg.jpg
●日本国内では外観がおなじCRF-5090を「ワールドゾーン9」として販売しましたが、アメリカをはじめとする海外では「アース・オービター」として販売しました。人工衛星みたいな名称ですね。CRF-5090との違いは、警察無線が追加されているところです。ちなみにこのシリーズ、ゼニスのラジオに似ていると以前、書きましたが、参考までに紹介します。
http://www.universal-radio.com/used/sold238.html

Sony CRF-330K
http://www.universal-radio.com/used/u896lrg.jpg
●1975年の西ドイツ・国際見本市で発表されたPLLシンセサイザー方式のダブルスーパーラジオ、CRF-320に録音機部分と長波受信を追加したラジオ。周波数をデジタルで表示できることから、夢のラジオと言われました。デジタル部分をアップします。
http://www.universal-radio.com/used/u896disp.jpg

Sony ICF-5900W
http://www.universal-radio.com/used/W342lrg.jpg
●日本国内で1975年秋に発売され、周波数を10kHz単位で読み取れ、感度の高いダブルスーパー方式とで爆発的にヒットした、歴史に残る名作です。これ、買った人は多い。当方、買ってもらえず悔しい思いをしました。

Sony ICF-6800W
http://www.universal-radio.com/used/ul15lrg.jpg
●簡単に言えばCRF-320を普及価格に引き下げたラジオです。BCLブーム後半にヒットしました。とは言え、CRF-320の32万円よりやすいものの79,800円もしましたから、とても買える値段ではありませんでした。

Sony ICF-2001
http://www.universal-radio.com/used/UT99lrg.jpg
●このラジオ、ダイヤルがありません。電卓のように周波数を数字で打ち込むだけで受信できる、まさに夢のラジオなのです。これを1980年に出したソニーは、まさに別格の音響・映像メーカーでした。

Sony ICF-2010
http://www.universal-radio.com/used/UD13lrg.jpg
●ICF-2001のテンキー入力をICF-6800の高性能受信部と組み合わせたようなラジオ。1980年代のBCLブーム終了後、BCLを続けていた人は全員買ったくらい売れました。(他社が続々と撤退した需要も吸収した。)日本国内ではICF-2002の名称で知られています。当方、外国で暮らす時にも持って行きました。ただ高感度なのはよかつたのですが、雷にやられてしまって修理するにも生産中止で部品がなく、捨てざるを得なかったことはつらいです。

Sony CRF-V21
http://www.universal-radio.com/used/u774lrg.jpg
●ぼやけた写真だが、これがCRF-320の後継機種です。周波数がテンキー入力できる他、気象ファクシミリ画像をプリントアウトできます。(註 インターネットのなかった時代、この機能は重宝した。)使っているところのyoutube動画を見て下さい。
http://www.youtube.com/watch?v=mIAFxhEp7rE

★残念ながら、このCRF-V21の後継機種は現れませんでした。天下のドアホの出井が、利益を出さないことを理由に撤退させたからです。普及価格帯の短波ラジオも次々と生産終了に追い込み、今では2001年以来のICF-SW7600GRを継続して生産しているだけです。

Sony ICF-SW7600GR
http://www.universal-radio.com/used/X131lrg.jpg
●改良も進歩もしない下請けメーカーのつくるICF-SW7600GRに戦いを挑んでいるのが、中国大陸のTecsunやDegenです。彼らはソニー製品より破格の安さで販売するものだから、ソニーは海外市場で完全に押されて市場を失っています。中東では日本製品に対する憧れがあるためか販売していますが、東南アジアやオセアニアでは販売していない店が大半です。安い中国製品に対抗するため、海外では約14,000円くらいで販売しているけど、同格の中国製品は半額です。(註 それでも中国国内価格の2倍です。)

CRF-320クラスの超高性能ラジオですが、イタリア製のペルセウスと言うラジオがあります。これはパソコンにつなぐ小さな箱に過ぎません。アンテナをつなぐ必要がありますが、パソコンのモニターで何でもできます。出井がいなければ、多分ソニーが他社に先んじて発表していたはず。製造元のサイトを紹介します。
http://microtelecom.it/perseus/index.html
http://microtelecom.it/perseus/software.html

先進技術集団ソニーを崩壊させた出井の罪は重い。


02. 2013年10月22日 10:57:41 : pbGtlhns2o
01です。以下の部分に誤りがありましたので、訂正させていただきます。

Sony ICF-2010
http://www.universal-radio.com/used/UD13lrg.jpg
●ICF-2001のテンキー入力をICF-6800の高性能受信部と組み合わせたようなラジオ。1980年代のBCLブーム終了後、BCLを続けていた人は全員買ったくらい売れました。(他社が続々と撤退した需要も吸収した。)日本国内ではICF-2002の名称で知られています。

★日本国内ではICF-2001Dの名称が正しいです。


03. 2013年10月23日 09:42:03 : eA8T1VN4w2
出井の出たがり、目立ちたがりは有名だったな。
中味の無いヤツに限ってこうだ。

04. 2013年10月23日 18:07:50 : eL3nUrcI1g
この世代はIT音痴世代。
ビルゲーツやスティーブジョブズの1955年前後の世代と馬が合わない。
日本のIT世代はリストラの憂き目に遭った。
出井世代とその取り巻きの65歳までの世代で日本をダメにした。

05. 2013年10月24日 16:13:24 : b9lDwKZjP6
ともかくこの人が社長になったころから急に新製品の
話が出なくなったな。

マルエーが最後だった。マルエーとはそのころソニーによるVHS販売が企画され
社内では隠語となったころの話。
(ベータの逆だからエー)

その前は売れても売れなくてもいろいろあったんだ。

D50、フラットテレビ、いろんなウォークマン・・・本当に楽しかった。
この人が社長になってから具体的な新商品なんて出てこないし、社内報を
見たら、今後のビジネスはデジタルとソフトの時代でうんたらこんたらの
概念ばかりで具体的な形のものが全然ない。

第一そんな企画すら設計が募集してない状況に見えた。

ソニーがベータを捨ててVHSを生産してた頃は新たな発想商品は無くても
その商品の作りやすさと材料費を削減していくだけで十分に喰えた。

そして そんな時代がまだ続いているがもう駄目だ。
商品企画力のないソニーなんて もうソニーじゃない。


06. 2013年10月28日 12:39:34 : FJDmWFtvX3
スマホとカメラレンズを組み合わせたレンズカメラ。
だれだ、こんな先の見通せない自爆商品を売り出したのは?
カメラと4K8Kテレビの直接融合を考えるべき。
今更、携帯電話の派生物にしていてはSONYの企画力が疑われる。
SONYがシャープになってどうする。新たな商品ジャンルを開拓するのがSONYだったはず。


07. 2013年10月29日 09:29:46 : GIRqCqEZSz
ソニーは得意だった電化製品を捨て去って、出井の手によって金融や保険事業に軸足を移し、自滅に向かって転げ落ちてしまった。日本がカジノ経済に切り替えたのと同じで、博打路線にのめり込んだのである。数人を相手にするのが賭博行為だが、数万人や数百万人を相手にしてやるのが、ビジネスとしての保険だと云うことに日本人は無知だったのである。

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