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2013年08月25日 ムーギー・キム :プライベートエクイティ投資家 東洋経済
グローバル化の進展により、国の枠を超えて活躍する「グローバルエリート」が生まれている。しかし、そのリアルな姿はなかなか伝わってこない。グローバルエリートたちは何を考え、何に悩み、どんな日々を送っているのか? 日本生まれの韓国人であり、国際金融マンとして、シンガポール、香港、欧州を舞台に活動する著者が、経済、ビジネス、キャリア、そして、身近な生活ネタを縦横無尽につづる。
「さくら〜ふぶ〜きの〜さらい〜のそらへ〜〜〜」
はぁ〜、またこの季節がやってきよったか・・・。今年も、24時間テレビ「愛は地球を救う」では、タレントが24時間もかけて80キロ以上をだらだら歩き、ちょうど番組終了時に帰ってくるパフォーマンスが繰り広げられる。そしてなにより寒いのが「感動しました」「ありがとうございました、勇気をもらいました!」「私もこれからがんばります!」といったコメントである。
いや、内部の人は一生懸命されているのだろうし、他人を助けようと使命感に燃えて頑張っているテレビ局の方もいらっしゃるのだろう。しかしそれにしても、年に一回だけ“地球を救う”と言って大々的に行うイベントだけに、太ったタレントを走らせる以外にやりようがないのだろうか。
久しぶりの日本滞在の最終日にあたる本日、親愛なる読者の皆様と共に、大島美幸さんがゴールインする前に、日本テレビに対して挙兵させていただきたい。
■愛は地球を救わず、単に芸人を救っているだけ
昔の24時間テレビはアフリカの飢餓や戦争難民などの特集をし、募金が戦地の難民キャンプにも送られるなど、まさしく“愛は地球を救う”という感が少しくらいはあった。しかし私が覚えている限り、ここ数年というか10年、15年は、ひたすら落ち目のタレントが走って、あとはだらだらお笑い芸人がゲームなどで遊んで、最後は“負けないで”と“サライ”を歌って感動と寄付を強要する偽善番組という体をなしている。
誤解のないように言っておくが私は大島さんが好きで好感を抱いている。批判の対象は、愛は地球を救う、と銘打って年に一回行う大イベントの中身がいつまでも貧困なテレビ局に対してだ。
■高額報酬は構わないが、コンテンツのレベルが低い
24時間テレビについては、“愛は地球を救う”というより、“愛は芸人を救う”というのが現実で、メインパーソナリティやチャリティーパーソナリティへの高額報酬が取りざたされてきた。ちなみに彼らが高額の報酬をもらうのは、“偽善商法”と理解している人にとっては当たり前の話で、視聴率を稼ぎスポンサー企業が広告効果を認めているかぎり外部がとやかくいうことではなく、ビジネスとしていい仕事をしてくれればいい。
ただ“チャリティー”という年に一回だけ注目されるコンセプトだけに、社会貢献などのイメージを打ち出したい企業にとってはスポンサーのしがいのある番組であるはずなのだが、ビジネスの観点からもう少しマシな“社会貢献コンテンツ”を創れないのだろうか。
■“愛で地球を救う”ことに関心のない、24時間テレビ
おそらく日本テレビの中にも現在の24時間テレビのコンテンツの貧困さに問題意識を抱いている人はいるのだろう。しかし安易な前例主義となまじっか視聴率がこれでもとれるだけに、ショボイ現状に安住してしまっているようだ。そして“愛で地球を救う”コンセプトを突き詰めたり、もっと日本社会が地球上の様々な問題に対し何ができるのかを考えず、安易な国内志向の偽善コンテンツで視聴率を稼ぐことばかり考えているように見える。
本来ならば、インドやアフリカ内陸部の貧困にサブサハラのHIV、北朝鮮の飢餓や南米の児童労働、日本国内の人身売買など世界の社会問題を幅広く取り上げ、それを支援するNPOを特集し、視聴者の問題意識に応じて世界で助けを必要としている人に手を差し伸べる枠組みを創れるはずだ。
たとえば、世界の社会起業家を支えるアショカ財団の取り組みを紹介したり、世界各地で難民や避難民の支援を行うJENの活動内容を伝えてネットと連動して寄付をつのったり、ソーシャルボンドの英国での取り組みを紹介したり、KIVAが手がけるマイクロファイナンスを特集したり、そこでのインターンや就職の機会を伝えたり、いくらでも“愛で地球を救う”人を増やすためのプログラムが作れるはずだ。
■なぜ寄付文化が日本で根付かないのか
クリスチャンのカルチャーでは、報酬の10%を寄付するのが一般的とされるなど、寄付する文化が根付いているわけだが、日本では年に一回、タレントを24時間歩かせないとなかなか寄付を増やすことができない(そして寄付先は世界の貧困問題や戦争避難民には向かわない)。
思えば、未曽有の震災に見舞われたときも、ペ・ヨンジュン、イ・ビョンホン、チェ・ジウなど韓国タレント(熱心なキリスト教徒が多い)は数千万円に上る寄付をしていたが、日本は超大物タレントでも数百万円というケースが多く、日本国内の著名人が率先して巨額の寄付を表明することはなかった。
24時間テレビの寄付コーナーを見てもわかるように、寄付は10円玉を瓶につめて小銭を渡すというコンセンサスができており、意味ある金額を寄付する人が少ないのはなぜだろうか。
ひとつには、日本は多くの人が無宗教であることも一因だろう。また実際に寄付を受けた団体がその多くを自分たちの給料や運営費用で食い潰してしまい、寄付金の使われ方に対する不信感も強い。さらには地方自治体や赤十字に渡しても、1、2年経ってやっとこさ使い道が決まって被災者に数万円届く(その頃はすでに緊急性のない支援になっている)ので効率性に疑問が残る。
加えて日本は貧富の格差が小さい時代が続き、極貧層があまり存在せず、また分厚い福祉でお上が助けてくれる時代が長続きしたので、民間チャリティーの必要性も大して実感されなかったのだろう。
しかし国内でも貧富の格差が拡大し貧困層が増え、お上頼みだった福祉も減額され民間チャリティーの役割が大きくなる中、効率的に社会問題を解決する能力と実績のある非営利組織や社会企業をサポートするインフラの必要性がこれまでになく高まっている。
そんな“愛で地球を救おう”とする人々と、数百万人、数千万人の視聴者の橋渡しをするために、 24時間テレビが潜在的にできることは多いはずだ。
■日本テレビは反省せよ
率直に言って、日本テレビは“24時間テレビ”から、“愛は地球を救う”という冠を外すべきだ。
今年の番組表を見たところ、間寛平が陸上十種に挑戦したり、小学生が8の字跳びに挑戦したり、絆と称して巨大アートをつくったり、嵐と関ジャニ∞というアイドルグループが“対決”したり、朝まで生しゃべくりと題して“真夏のお騒がせ芸人祭り”をしたり、“ものまね天気予報”をしたり、全国のご当地キャラがリレー対決したり、それに白々しいまでに身体障害者の方と“芸能人の(この番組のためだけの)交流”を描いたり、もうたくさんではないか。
“頑張っている芸能人を紹介する24時間テレビ”というタイトルならまだ許せるが、この番組構成で“愛は地球を救う”と掲げるのは、“愛”に対しても“地球を救おうとしている人々”に対しても、極めて失礼だ。
日本テレビが24時間テレビのコンセプトを深く自省し、恥を知ってタイトルを変えるのか、それとも“愛は地球を救う”というタイトルに沿って地球を救う番組にするのか、私が昔愛した24時間テレビの、今後の一層の努力と発展に期待したい。
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