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7月29日、麻生太郎副総理兼財務相は、都内の講演で憲法改正について、「騒々しい中で決めてほしくない。落ち着いて、われわれを取り巻く環境は何なのか、状況をよく見た世論の上に憲法改正は成し遂げられるべきだ。そうしないと間違ったものになりかねない」と語った。また、「護憲と叫んで平和がくると思ったら大間違いだ。改憲の目的は国家の安定と安寧。改憲は単なる手段だ」とも主張した。
麻生氏はこの一連の発言のなかで、憲法改正をめぐり、最も民主的と言われたワイマール憲法の下で、ヒトラー政権が誕生したことを挙げ、「ワイマール憲法もいつの間にかナチス憲法に変わっていた。あの手口を学んだらどうか。(国民が)騒がないで、納得して変わっている」(読売新聞)と、戦前ドイツのナチス政権時代に言及したという。
(JCJふらっしゅ「Y記者のニュースの検証」=小鷲順造)
この重大な問題発言について、スポニチが同日深夜に「麻生副総理 改憲でナチス引き合い、都内の講演で語る」の記事、読売新聞が翌30日早朝に「ナチスの手口学んだら…憲法改正で麻生氏講演」の記事、続いて共同通信が30日夕方、<韓国、麻生副総理の発言を批判 「多くの人を傷つける>の記事を出した。
共同通信の記事は、韓国外務省の趙泰永報道官が30日の定例記者会見で、麻生氏が「ドイツのワイマール憲法はいつの間にか変わっていた。あの手口を学んだらどうか」と述べたことについて、「こうした発言が多くの人を傷つけることは明白だ」と批判したことを伝えた。
時事通信も31日昼、<「ナチスの手口に学べば」=麻生氏、改憲めぐり発言>の記事を出して、――麻生太郎副総理兼財務相が29日、東京都内のホテルで講演した際、憲法改正に関し「いつの間にか騒がれるようになった。マスコミが騒いで、中国も韓国も。ドイツのワイマール憲法もいつの間にかナチス憲法に変わっていた。誰も気が付かなかった。あの手口に学んだらどうかね」と述べていたことが31日、分かった――と伝えた。
東京新聞も31日の朝刊で、「改憲でナチス引き合い 麻生副総理、都内講演で」の記事を出し(スポニチの記事とほぼ同一)、あわせて<あの手口を学んだらどうか 麻生氏の発言要旨>を掲載した。
朝日新聞は29日の夜に、<「護憲と叫べば平和が来るなんて大間違い」麻生副総理>の記事を出した。だが、「ナチスの手口に学べば」の発言にはまったく触れていない。
麻生氏の発言を、1)日本の置かれている国際情勢は(現行憲法ができたころと)まったく違う、2)護憲、護憲と叫んでいれば平和がくると思うのは大間違いだし、仮に改憲できたとしても、それで世の中すべて円満になるというのも全然違う、3)改憲の目的は国家の安全や国家の安寧。改憲は単なる手段なのです。狂騒・狂乱の騒々しい中で決めてほしくない、4)落ち着いて、我々を取り巻く環境は何なのか、状況をよく見た世論の上に憲法改正は成し遂げるべきなんです。そうしないと間違ったものになりかねない、と整理している。
麻生氏のいわんとすることを、新聞社のほうで忖度して、「正確を期す」ためにとして、「ナチスの手口に学べば」の発言を省いてしまったのだろうか。記者の段階ですでに省かれていたのか、それとも次の段階か、あるいはそれよりも上か。気になるところである。
朝日新聞が独自の判断で、麻生氏の発言をやんわりと丸めて、「護憲、護憲と叫んでいれば平和がくると思うのは大間違い」の点と、「改憲は単なる手段なのです。狂騒・狂乱の騒々しい中で決めてほしくない」の点に着目し強調するのは、ある意味、自由であるし、それはそれで「判断」でもあろう。しかしながら、その指摘のあとに、「ナチスの手口に学べば」の発言を付け加えることはできただろうし、それは必要なことではなかっただろうか。欠かすべきではなかったのではないだろうか。
たとえば麻生氏の発言が<「ワイマール憲法もいつの間にかナチス憲法に変わっていた」>だけで終わっていたとすれば、どうだったか。これなら、麻生氏は、改憲を進める立場であっても、<改憲の目的は国家の安全や国家の安寧。改憲は単なる手段なのです。狂騒・狂乱の騒々しい中で決めてほしくない><落ち着いて、我々を取り巻く環境は何なのか、状況をよく見た世論の上に憲法改正は成し遂げるべき>との立場にあって、拙速な「改憲」推進で足をとられるような政治家ではないと、暗に描き出すこともできたかもしれない。
朝日新聞は、それならば、麻生氏が日本の改憲問題についてナチスを例に挙げて話したことを報じただろうか、ということも考えたくなる。しかしながら麻生氏は同日、靖国神社参拝について「静かにお参りすればいい。何も戦争に負けた日だけ行くことはない」(産経新聞)とも述べている。憲法改正については、「やれる情勢はできつつあるが、冷静に取り組むべきだ」とし、「(安全を近隣諸国に委ねる書きぶりの)前文を読んだだけで、『危ない』と思うのが常識だ」(同)とも指摘し、防衛費について「減らし続ければ日本は自国を『守る気がない』と思われる」(同)として増額の必要性を訴えている。
まして麻生氏は実際には、<「ワイマール憲法もいつの間にかナチス憲法に変わっていた」のあとに、「誰も気が付かなかった。あの手口に学んだらどうかね」と、はっきりと話しているのであるとすれば、記事にするにあたり「真意を確かめる必要がある」との判断がどこかからあがる可能性はあっても、麻生氏の「ナチスの手口に学べば」の発言は改憲問題単独でなされたものではなく、「失言」の類として軽視したり、記事からその発言を削除できるような内容とは到底思えないのである。
3・11以降、マスメディアの停滞を感じてきた者の一人として、最近ようやく同紙のがんばりを感じる記事と出会うことが多くなり、期待を膨らませていただけに、ジャーナリズム学者の新井直之氏の<報道について判定するとき、「どのように報道されたか」という基準よりも、「なにが報道されていないか」という基準のほうがはるかに大事である>(『ジャーナリズム』(東洋経済新報社、1979年、p184)との指摘を思い出さずにはいられない、この件の同紙の扱いは残念至極である。<朝日新聞はなぜ、それを伝えなかったのか>、同紙の判断とプロセスを詳しく知りたいところである。
副総理兼財務相の麻生氏のこの発言は、事実ならば重大である。日本の民主主義、平和主義、人権尊重社会を軽視し、それを主軸とする日本国憲法そのものをふみつけにして、日本国憲法そのものの「有名無実化」をはかろうする姿勢を、露骨に顕した発言といえる。
長く政権を握ってきた自民党は、2009年に政権から引き摺り下ろされ、12年末、かろうじて政権に復帰した。そして、13年夏の参院選で大勝した。安倍氏や麻生氏は、昨年末の総選挙時にも、また先日の参院選でも、投票日を前に日章旗や日の丸の手旗を手にした集団を集めて、気勢をあげ、陣営を引き締めたりしている。彼らの「改憲」策動は、崩壊し続けてきた自民党の基盤を、最後のところで食い止めるための水際作戦とみることができるだろう。
それは、日本社会の民主主義、平和主義、人権尊重社会の構築を不断に求めてやむことのない日本社会のありようを、彼らの「日本支配」のために後ろ向きに変えようとしている点で、日本社会そのものを亡国へと追い込む道を指し示している。その意味では、まさしく重大な国内問題であるが、麻生氏が「改憲」への道筋について今回示した「ワイマール憲法もいつの間にかナチス憲法に変わっていた」「あの手口に学んだらどうかね」と発言したことは、参院選で大勝し「衆参のねじれ」を解消してもなお、自民党の「改憲」路線には幾重にも歯止めがかかっている状況に対する「いらだち」を示しているともいえるのではないだろうか。
しかしながら、麻生氏が持ち出した「ナチスの手口」は、すでに彼らの「改憲」志向と右翼カルト的言動が、すでに国内問題ばかりでなく、国際的な問題として認識されつつあることを感じさせる。彼らを政権へと復帰させ、ねじれも解消させる原動力となったと彼らが思い込み、頼みとし(かつ利用してやまない)ている日章旗や旭日旗、日の丸の手旗の集団、足場としてのそれと、その路線に対する米国はじめ中国、韓国などの「ガイアツ」。彼らは、参院選で圧勝したことで「国内はなんとかなる」と踏み、すでに見下しているのかもしれない。だが、国際的には、自民党流の平和主義、民主主義、人権尊重を覆そうとする「改憲」の動きは、大問題である。
30日に、韓国外務省の趙泰永報道官が「こうした発言が多くの人を傷つけることは明白だ」と批判したこと、それを共同通信がすばやく伝えたことは前にふれたが、まず韓国各紙が、この件がなぜ国際的な問題なのかも含めて取り上げている。
朝鮮日報(日本版)は31日の社説「ナチス式の憲法改正に言及した日本の極右政治家」で、<第2次世界大戦終戦後、世界各国はヒトラーとナチスを肯定的に捉える言葉や行動をタブーとしてきた>ことを、あらためて指摘し、<自民党が改憲に向けて動き出すとしても、日本国内は決してこれを後押しするような状況ではない>として、1)自民党と連立政権を組む公明党が憲法改正に反対している。毎日新聞が先日行った世論調査によると、日本国民の51%が憲法改正に否定的な考えを持っていることも分かっている、2)韓国や中国などアジア諸国も、日本が平和憲法を改正して再武装することに反対している>と書いている。
そのうえで、このような状況の中、<麻生氏が「ナチス方式の改憲」について言及した。麻生氏の発想は、平和憲法を見直すためにはヒトラーが使った超法規的な方法も辞さないというものだ><日本は第2次大戦でヒトラーのドイツと手を組み、ドイツがユダヤ人や欧州諸国に対して行った以上の虐殺や蛮行を、韓国や中国をはじめとするアジア各国に対して行った。このような国が本当に歴史を振り返ることができれば、いかなる場合でも「ナチスの手口を参考に」などと語るべきでないことくらい分かるはずだ>と言及している。
中央日報(日本版)も31日の社説<「ナチスのように改憲」主張した麻生副総理、失言か信念か(1)>で、<ワイマール憲法は現代的憲法の最初で、「最も理想的だった憲法」と呼ばれる。ナチスの首魁アドルフ・ヒトラーは1933年に首相になった後、これを無力化した。立法権など議会の固有権限を抹殺し、自身が率いる政府がすべての権限を行使できるようにしたのだ>と前置きして、<麻生副総理の発言は、改憲の議論は喧騒の中でするのではなく、落ち着いた雰囲気の中で行われるべきだという主張とも受け止められる。しかしナチスを引用しながら日本の改憲問題を取り上げたのは、その策略が結局、ヒトラー式の専制主義と軍国主義を内心指向しているのではという疑惑を招くのに十分だ。共同通信もこの日、「ナチス政権を取り上げた部分は論争の余地がある」と指摘した>と書いている。
東亜日報も31日付の<麻生副首相「ナチスのように誰も気がつかない間に改憲を」>の国際記事で、以下のようにこの件を解説している。
1)日本の麻生太郎副首相が29日、ドイツのナチス政権の憲法無力化の手口を学ぶべきだという趣旨の発言をし、波紋を呼んでいる。
2)日本経済新聞などによると、麻生副首相は同日、民間シンクタンク「国家基本問題研究所」の主催で東京で開かれた月例研究会の講演で、憲法改正と関連して、「ドイツのワイマール憲法はいつの間にか変わっていた。誰も気がつかない間に変わった。あの手口を学んだらどうか」と述べた。同研究所の理事長は、代表的な保守女性論客の桜井よしこ氏だ。
3)1919年に制定されたドイツのワイマール憲法は、国民主権と民主主義の原理を掲げるなど現代憲法に大きな影響を与えた。しかし、1933年に首相になったヒットラーが授権法を制定し、議会と別に政府が立法権を行使できるようにした。その後、ナチスの独裁とユダヤ人虐殺が行なわれた。
4)このような発言は、日本でも大きな話題になりそうだが、多くの日本メディアは麻生副首相の発言を報道しなかったり、短く扱った。突発的な発言と考えているようだ。
さて、どうなのだろうか。多くの日本メディアは、「麻生副首相の発言を突発的な発言」と考えているのだろうか。それともいま、各社、それぞれ、動き出しているのだろうか。上記で紹介したように、中央日報(日本版)31日付社説は、<ナチスを引用しながら日本の改憲問題を取り上げたのは、その策略が結局、ヒトラー式の専制主義と軍国主義を内心指向しているのではという疑惑を招くのに十分だ>としている。
朝鮮日報は、<日本は第2次大戦でヒトラーのドイツと手を組み、ドイツがユダヤ人や欧州諸国に対して行った以上の虐殺や蛮行を、韓国や中国をはじめとするアジア各国に対して行った。このような国が本当に歴史を振り返ることができれば、いかなる場合でも「ナチスの手口を参考に」などと語るべきでないことくらいは分かるはずだ。それが政治指導者に求められる最低限の常識であり教養だ>と指摘している。
麻生氏の「ワイマール憲法もいつの間にかナチス憲法に変わっていた」「あの手口に学んだらどうかね」の発言は、第2次大戦で日本がヒトラーのドイツと手を組んだこととどう関係しているのか。麻生氏のなかで、第2次大戦当時のヒトラーのドイツは、どのような存在なのか。発言は、東亜日報が見出しにつけたように、「ナチスのように誰も気がつかない間に改憲を」という意味だったのか。麻生氏の発言について、踏み込んで取り上げ始めた韓国各紙の「疑念」に、麻生氏はどう答えるのか。日本のメディアは、この問題から何を引き出し、何を国内外に伝えるのか。
日本の市民は、事実を知る権利がある。日本の市民だけではない、麻生氏の発言の真意は、世界の関心事であり、知る権利がある。日本のメディアは、その責任を果たす役割を忘れたり、ネグレクトするわけにはいかない。
私たちは、非常に重要な局面にいることを広く共有し、事実関係の掘り下げとその共有と、自民大勝による「衆参のねじれ解消」のいまについての認識を深めねばならないときを迎えているように思えてならない。
(こわし・じゅんぞう/日本ジャーナリスト会議会員)
http://jcj-daily.seesaa.net/article/370777991.html
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