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「寿命」の研究 それは初めから決まっているんです ——自分は何歳まで生きるのだろうか、という不安にこたえる
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/42157
2015年02月18日(水) 週刊現代 :現代ビジネス
長生きしようとどんなに努力しても、叶わない人もいる。もうダメだと思っても、奇跡的に一命を取り留める人もいる。医者にも説明できないことを、どう受け止めればいいのか。
■命は人の手では延ばせない
人間の寿命というのは、医学の発展に伴い、適切な検診や治療を受ければ延ばせるはずだ。いや、そうではない、それぞれの人間の寿命は運命で定められているものだ—「寿命」についてさまざまな説が唱えられているが、確実なものは存在しない。
東洋哲学でも、「運命は生まれながらに定まっている」と主張する道家と、「努力によって人の運命は改善される」とする儒家の二大派閥が対立。2000年以上にわたって延々と論争が繰り広げられているが、いまだに結論が出ていない。
「寿命」とは、いったい何なのか。どうやって決まるものなのかを、改めて考えてみた。
どんな腕のある医師でも、「なぜこの人は助かったのか」と首をかしげることがある。「運命」と言わざるを得ないケースだ。長尾クリニック(兵庫県尼崎市)院長の長尾和宏医師は、あるときこんな経験をした。
「地元の医師会が運営する休日夜間診療所に、たまたま私が当番で詰めていた夜のことです。一人の男性がフラフラしながら訪ねてきた。彼が入ってきたとき、腰を抜かしそうになりました。私と顔がそっくりだったんです。背格好も一緒、年齢も当時45歳だった私と同じくらいで、まるで自分の生き写しに出会ったかのようでした」
その男性は、椅子に座るなりバタリと倒れ、そのまま心肺停止となった。心筋梗塞から致死性不整脈を起こしていたのだ。救急医療に長く携わっていた長尾医師は、直ちに蘇生措置を施し、大学病院へ連絡した。
「一緒に救急車に乗り込んで心肺蘇生を続けましたが、まるで自分に救命措置をしているような不思議な感覚でした。でも、男性はなかなか息を吹き返さない。30分経っても、容態は変わりませんでした」
心肺が停止してから1分経過するごとに、救命率は約10%ずつ低下していく。極めて厳しい状態だった。たとえ蘇生したとしても、重い後遺症が残るのは避けられない。呼吸も心臓も止まったまま、刻一刻と時間だけが過ぎていった。
そして、90分が経過。スタッフ全員が諦めかけたそのとき—。
「なんと、彼の心臓が再び動き始めたのです。しかも、どこにも後遺症がなく、2週間後には社会復帰されました。医学の常識では絶対に考えられない生還です。90分も心肺が停止して、後遺症もなく無事に蘇生した例としては『日本記録』だと聞いています。
たまたま救急医療に精通していた私がその日の担当で、なぜか私にそっくりな患者さんが現れた。ある意味、奇妙で奇跡的な巡り合わせでした」(長尾医師)
寿命は、医学の力以外に「本人の運命」が関わっているのではないか—2000人以上の死に立ち会ってきた長尾医師は、こうした経験を通じてその思いを強くしたという。
医師にも理解できないような奇跡が現実に起こっている。科学が進歩しても、どうにも説明のしようがない生死の場面に出くわすのは、人には生まれ持った「寿命」があるからと考えると説明がつく。その意味で、この男性は助かるべくして助かったのかもしれない。
医師で作家の久坂部羊氏は、患者の命と向き合う中で「医療で寿命を延ばせるとは思わない」という結論に至ったと話す。
「医者になった当初は、できるだけ患者さんの命を延ばすことを目的として治療をしていました。治る病気はそれでいいですが、治らない病気を無理に治そうとすると悲惨な状況になる。そのことを身をもって経験し、だんだんとそう考えるようになってきました。
寿命というものは、そもそも医者にも患者本人にもタッチできないものではないでしょうか。一人ひとりの寿命は、運命的に決まっていて、病気に限らず、事故や災害での突然の死も、本人が生まれ持っているもの。寿命は医療で延ばせるものではなく、『天命』だという気がするんです」
宗教学者の山折哲雄氏(83歳)も、同様の考えをしているという。
「人間の『寿命』とは、自分の力で獲得するものではありません。目に見えないもので、神や天などから賜ったものなのです」
たしかに命の長さが天から与えられた「運命」であるならば、冒頭のように奇跡的な生還を果たすこともあるだろう。逆に、生まれ持った寿命によって、思いがけず人生を終えることもある。
元東京都監察医務院長の上野正彦氏(86歳)の妻がそのケースだった。これまで2万人以上の遺体を検視してきた上野氏が「寿命」というものを意識したのは、自身の妻(享年72)を亡くしたときだったという。今から9年前のことだ。
「家内は、亡くなる半年前までいたって元気でした。少し前に受けた健康診断でも異状はなかった。ですが、あるとき『階段を上るのがつらい』と言い出して、大きな病院へ行ったんです。すると、検査の結果、胃がんの末期だと診断されました。もう治療のしようがない、と。私も医者ですが、家内がそんな状態だとは信じられなかった。『ヤブ医者にかかってしまったのだろうか』と思ったほどでした。
余命は、あと半年ということでした。そんな急な宣告を受けたにもかかわらず、家内は涙を見せたり、取り乱したりすることは一度もありませんでした。私のほうが動揺し、現実を受け入れることができなかった」
元区議会議員だった彼女は、入院中も精力的に仕事をこなしていたという。上野氏はその姿を見ながら、妻の死を想像することができなかった。
だがそのとき彼女は、すでに「寿命」を悟っていたのかもしれない。余命宣告から1ヵ月が過ぎた頃、上野氏は妻からこう言葉をかけられた。
「『あなたのお世話を最後までできなくて申し訳なかった』と言われたんです。年上の私のほうが早く死ぬものと、お互い思っていましたから。その翌日くらいから、彼女は眠ったまま目を覚まさなくなった。そして、入院から40日目に息を引き取りました」
余命半年という宣告に遠く届かない、あまりにも短い闘病生活だった。これも、彼女の「寿命」だったのだろう。上野氏は、今では妻の死をこう考えるようにしているという。
「肉体は滅びても、死んでいないという感覚で生活しています。今日だって、お線香をあげながら『午後に週刊現代の取材を受けるよ』なんて声をかけている。私の中では、家内は生きているんです。二人で生きてきた楽しい想い出がありますから、今は一人で生活するのがちょっと不便だなと思うくらいですね。精神的なつながりは、寿命が尽きても続いていると思っています」
寿命というのは肉体が「この世」に存在する時間。寿命を超えると、肉体は亡くなるが「あの世」で生きている—上野氏のように考えれば、大切な人が死を遂げたとしても、気持ちが楽になるのではないだろうか。
■健診の帰りに死ぬこともある
たとえ短い寿命だったからといって、それを「悲運だった」と嘆くことはない。
「若い方の死はつらいことですが、本人は自分の人生にすごく満足していることもある。短命だったからといって不幸せだったとは言えないと思うのです」
『死ぬまでに決断しておきたいこと20』などの著書がある東邦大学医療センター大森病院(東京都大田区)の緩和ケアセンター長・大津秀一医師は言う。これまで看取ってきた1000人を超える患者の中には、若くして死を遂げた人も数多くいた。その中で、忘れられない男性がいるという。
「腎臓がんの末期で、ホスピスに来られた方でした。当時まだ40歳を過ぎたばかり。両肺にもがんが無数に転移していて、私は彼の余命は2~3ヵ月以内だと直感しました。本人もそのことは分かっていたのですが、入院の間、本当に活き活きと生活されていました。
とにかく人を喜ばせることが好きな楽しい人でした。病棟で週1回行われる音楽会には、ナース姿やアフロヘアなど仮装をして登場し、みんなを笑わせていました。そして笑った人の顔をカメラで撮影して、部屋に貼るんです。あっという間に彼の部屋は笑顔でいっぱいになりました」
余命と思われた3ヵ月が過ぎても、彼は生命力に満ち溢れていた。治療は何もしていなかったが、がんは大きくなっていなかったという。そうして1年以上を生き、母親に見守られながら静かに息を引き取った。大津医師が続ける。
「四十数年という人生は確かに短かったかもしれません。ですが、彼はその倍を生きたくらい、濃い人生を送っていたと思うのです。
彼は人を喜ばせることを生きる糧にし、皆の笑顔に彼自身がまた勇気づけられた。それが、推測された余命を超えて彼を生かし続けたのではないか、そう感じました」
医学的にみた余命は、彼が本来持っている寿命ではなかった。たとえ病気になったとしても、その人の持っている「寿命」、つまり、生きる力があれば医学の常識を超えて命が延びることだってあるのだ。
「自分は何歳まで生きられるのか」と不安に駆られることもあるだろう。寿命を延ばすために、健康診断を欠かさず受け、食事を節制したり、さまざまな健康法を試す人も多い。それは意味があることなのか。前出の上野氏は、こんな話をする。
「非常に健康に気を使う60代の男性がいたのですが、健康診断を受けて『異状なし』という結果が出たのを喜んで病院から帰る途中、バタッと突然死してしまった。変死体扱いになったので、解剖すると心筋梗塞だったのです。健康診断では健康そのものという結果だったのに、いったいどういうことかと驚きました」
自身の妻の死や、こうした突然死の事例を見てから、上野氏は自分の健康に頓着しなくなった。
「よく、80歳過ぎても顔がつやつやでお元気でいる秘訣は?と訊かれるのですが、何もしてないんですよ。いろいろな健康法があるけど、好きなことをしてストレスがないように生活するのがいいのじゃないかな。生きることに執着しすぎると苦しくなる。執着がなくなれば、楽になるんです」
男女ともに平均寿命が80歳を超えたいま、「せめて平均寿命までは生きたい」と思う人も多いだろうが、数字に縛られた生き方は、自分を苦しめるだけなのかもしれない。
■死は理不尽にやってくる
70歳を迎えた昨年、「生前葬コンサート」を行ったシンガーソングライターの小椋佳氏は自身の「死」について次のように語る。
「私は、いつ死んでもいいと思っているんです。死に対する不安はありません。僕よりずっと年上でも元気な高齢者の方もたくさんいますし、年下なのに突然亡くなってしまう人もたくさん見てきました。ですから、死というのは、あるとき理不尽にやってくるものだと覚悟しているんです。
胃がんも経験しましたが、長生きするために何かを節制することもありません。タバコは50年間止められず、毎日40本吸っています。コカ・コーラは、アメリカに留学していた26歳の頃からずっと飲んでいて、2リットルのボトルを3日経たずに飲みきってしまうほどです」
小椋氏は「寿命という概念はよくわからない」と言うが、氏が言う「理不尽にやってくる死」とはつまり、人には努力では変えられない「寿命」がある、ということだろう。小椋氏が続ける。
「青春時代、人生に絶望したときに自殺を考えたことがありました。でも、生き延びた。頭の中では『死のう』と思っていたのに、僕の心臓はちゃんと動いているし呼吸もしていて『生きよう』としているのに気付いたんです。自分の身体の中に、『生きよう』とする命があった。
ですが、70歳を過ぎてからは、命の『生きよう』とするエネルギーが減退してきていると感じています。以前から、『自分は76歳で死ぬと思う』と言っていました。理由はないけれどなんとなくそう思うようになってきたんです」
「生きよう」とするエネルギーが使い果たされるとき—それが「寿命」なのではないか。小椋氏のように、自身の寿命を見定めて、それに抗わずに受け入れる生き方もある。
「長生きしたい」という人間の欲望にこたえるために科学や医学が発展してきたわけだが、前出の山折氏は、そのことが「寿命という伝統的な考え方を揺るがしている」と警告を発する。
「生命科学の進歩は、少数の人間を幸福にするかもしれません。病気が治り、人間の寿命まで人工的に操作できるという段階に達している。ですが、恵まれたおカネのある人だけが享受できる技術です。それは倫理的にはどうなのでしょう。
いま、天から与えられた寿命をそのまま受け入れることができない状況が生まれています。科学の進歩が、かえって高齢者の不安や恐怖感を増幅することにもなるのです」
長生きしたいというのは、誰もが抱く願いかもしれない。だからこそ、病気になれば治療を受けるし、長生きするために健康に気をつけたりする。だが、寿命を人工的に延ばそうとすることでひずみが生じるのもまた事実。そうであるなら、「運命」を受け入れるのも一つの選択肢ではないだろうか。
それは簡単なことではないが、身近な人のつらい死を乗り越えてきた人の経験に、「寿命を受け入れる」ためのヒントがある。
エッセイストで、初代・林家三平師匠の妻の海老名香葉子氏(81歳)は、幼い頃、東京大空襲で両親、兄弟、祖母と家族6人を失った。しばらくは、「あれが寿命だったんだ」と思うなど決してできなかったという。
「病気だったならまだしも、戦争の爆撃に命を奪われたのですから。お父ちゃんもお母ちゃんも、もっと生きられたのになんで死んだのよ、と泣き叫んでいました。家族は戦争のために殺されたんだと思っていました」
その思いが変わったのは今から35年前、47歳のときだった。夫の三平師匠が亡くなった年だ。
「夫は肝臓がんが見つかって検査入院をしたのですが、その途中に容態が急変し、亡くなったんです。がんはかなり進行していましたが、3ヵ月は持つだろうと言われていましたので、本当に突然のことでした。当時、夫はまだ54歳。若すぎる死だとたくさんの方が悼んでくださいましたが、私は、あれは夫の『寿命』だったと思っているんです」
そう思えたのには、理由がある。亡くなる直前、ベッドに横たわりながら三平師匠は海老名氏にこう語りかけたのだ。
「僕は、好きな仕事を精一杯やってこられて、こんな幸せなことはない。僕の人生、幸せだった」
その言葉を聞き、海老名氏は初めて「人間には寿命というものがあるのだ」と悟った。
「自分の人生に満足して死んでいくのですから、それを残念だなんて言いたくないと思ったんです。だから、それはやっぱり寿命ですよ。だって『寿の命』と書くんですもの。そう言ってもらえて、嬉しかったですね。夫のあとをしっかり守っていこう、と決意しました」
家族や友人が早すぎる死を遂げたとき、「あのとき、あれをしてあげていれば」などと過去を悔やむことは多い。でも、それを「これがあの人の寿命だったのだ」と思えれば、前に進むことができるはずだ。
浄土真宗本願寺派如来寺の住職で、相愛大学人文学部教授も務める釈徹宗氏はこう話す。
「生き物の中で、人間だけが『死』という概念を生み出しています。死への苦悩は人間として生まれた限り、避けることはできません。愛する人を亡くしたときに『なぜこの人が死ななくてはいけなかったんだ』と悩んだり、自分の死を恐れるのは、仕方のないことなのです。我々は『なぜかわからない』という不安状態に置かれることで苦しむ。そんな中、『寿命』という考え方は、苦を引き受けるシステムの一つと言えるかもしれません」
■その日まで頑張って生きる
海老名氏は、夫の死を寿命だったと理解したことで苦しみから解放された。そして、「死者のあとを継いで生きる」という決意をしたが、それこそ、「寿命」を受け入れるのに必要なことなのだ。釈氏が続ける。
「息を引き取った瞬間に、その人のすべてが終わるとは思えません。想いや願いというのは、その人が関わった人たちの中で生きていくものでしょう。『こんなふうに生きてほしい』『こんな社会になってほしい』など、亡くなった方の遺志は、死を越えても続く『物語』なのです。その物語に耳を傾けてみればいいのです」
「夫のあとをしっかり守っていこう」という言葉どおり、海老名氏は林家一門の中心となって支えている。三平師匠の死後、自身も乳がんなどの大病を経験したが、一命を取り留めた。
「まだ寿命ではないのかもしれません。お父さん(三平師匠)から『来なくていいよ』と言われているみたい。ただ、寿命は長かろうが短かろうが、夫のように最後に『あぁよかったな』と思える生き方をしたい。自分にできるだけのことはやった、と。そのために、まだ頑張りたいと思っています」(海老名氏)
自分の死を恐れるばかりでなく、自分が「死んだあと」に想いを馳せてみてほしい。前出の釈氏が言う。
「16世紀に活躍したドイツの神学者ルターは、こう言いました。『明日世界が終わるとしても、私は今日リンゴの木を植える』と。
たとえ寿命が明日尽きるとしても、次の世代のためにこれをするのだと思えれば、寿命とうまく向き合えるのではないでしょうか。そうすると究極的には、寿命は一つの通過点になる。死ぬことですべてが終わるわけではないのですから」
「死」は恐れるものではない。寿命は生まれながらに決まっているのだ、それは一つの通過点にすぎないのだ、と考えれば、いまを生きる意味が見えてくるのではないだろうか。
「週刊現代」2015年2月21日号より
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