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末期がん闘病22才女性「99%、80才まで生き続けると信じる」
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150202-00000012-pseven-life
女性セブン2015年2月12日号
19才という若さで余命半年と宣告され、闘病記『雨上がりに咲く向日葵のように』(宝島社刊)を出版した山下弘子さん(22才)。ベリーショートがよく似合い、明るく快活に話す弘子さんは一見どこにでもいそうな今どきの22才の女性。だが、弘子さんは2年半前の2012年秋、19才の時に肝臓がんが見つかった。
手術は成功し抗がん剤治療がスタートしたが、芳しい結果は出ず肝臓がんは再々発。治療と再発を繰り返す日々が続いた。弘子さんの転機は、高校時代の恩師からの「講演をしないか?」という誘いだった。
「先生は私にある乳がん患者のかたが書いた闘病記を渡してくれました。『いつか私も闘病記書いてみようかな〜』と軽い気持ちで言ったら、『じゃあ、まずはうちの高校で講演してみたら?』と。“がんの経験を社会のために生かすいいチャンスかもしれない”と思って引き受けることにしたのです」(弘子さん・以下「」内同)
講演を始めるのと時同じくして、弘子さんはフェイスブックやブログでがん治療や講演、日々の生活について情報発信を開始した。そうした活動が話題になり、講演の他にテレビ番組からインタビュー取材を受けるようになる。ところが、「社会のために自分の経験を伝えたい」という思いで活動を続ける弘子さんを次なる試練が襲った。それはネット社会からの誹謗中傷だった。
「私のブログを見て『生きる勇気が湧いた』といった感想をくれるかたがいて、“私のがんにも意味があった”“誰かの役に立てる”そう思っていたのですが、ネットの掲示板やブログのコメントに『余命宣告ビジネス』、『死ぬ死ぬ詐欺』などと書かれるようになりました。
私は、がんの再発が見つかってから『いつ死ぬかわからないから自分のやりたいことをやろう!』と決めて海外旅行に行くこともあったのですが、『病人ならおとなしく治療に専念すれば?』なんて言われることもありました。そんなことが多くなって、“こんな社会のために頑張る必要があるのか”とイヤになり、この時にアプローチがあった取材依頼はすべてお断りしていたんです」
落ち込む弘子さんに浮かんだのは聖書にある「自分を愛するように、隣人を愛せよ」という言葉だった。
「この言葉には“隣人を愛する前にまず自分を愛しなさい”という意味が込められています。私は今まで、“やってあげているのに”という見返りを求める気持ちがあったんです。でも、そうじゃない。誰かのためではなく自分のために伝え続けていこうと思ったんです」
そうして現在もがん治療を続けながら講演、仕事を精力的にこなす。昨年末にはがんが発覚して以降、これまでの生活を記した著書『雨上がりに咲く向日葵のように』を出版した。
昨年、弘子さんは休学していた大学に退学届を出した。現在は母親の会社で経理として働きながら、株の運用を開始。「自立できるくらいの収入を得られるようになってきた」という。
「私の体にはまだいくつものがんがあり、治療では強い副作用が出てしまうこともあります。去年の春は、抗がん剤の副作用で全身が真っ赤に腫れ上がり発疹が出ました。痒くて痒くてたまらなく、全身が焼けるように熱い。それで氷枕や氷を入れた袋を体中に貼りつけるのですが、今度は体温が下がりすぎて震えてしまう。眠ることもできず地獄のようなつらさでした。でも、そうしたリスクがあっても治療に挑み続けるのは、がんと“共生”していくためです。
余命半年といわれながら、私は今こうして元気に暮らしています。手術を重ねるたび“目の前の壁を越えれば奇跡がある”と強く思い込みます。私はただがんを持っているというだけ。友人と恋バナもするし、仕事の悩みも相談し合う。私が生きているだけで、家族は涙が出るほど喜んでくれます。私が元気で笑っていることが最大の親孝行なのです。私は99%、80才まで生き続けると信じています」
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