01. 2014年10月14日 06:38:49
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依存症ビジネス――「廃人」製造社会の真実 【第2回】 2014年10月14日 デイミアン・トンプソン,中里京子 iPhone依存/フェイスブック依存 ――「ゲーム化」するテクノロジーが僕らをハメる 意識していなくても、つい触ってしまうiPhone。気がつけば、新着情報や「友達」の投稿が気になって立ち上げてしまうツイッターやフェイスブック。なぜ、私たちはただのガジェット、そしてコミュニケーションツールに、こんなにも簡単に「病みつき」になっているのか? 約15年間、自らもアルコール依存に陥っていた記者が、綿密な取材と実体験をもとに著した『依存症ビジネス』は、テクノロジーとビジネスの共犯関係、さらに社会が依存症を生み出すカラクリを暴いた。こうした現象は、「危険ドラッグ」にまつわるニュースが日常に溢れるようになった日本人にとっても、決して無関係ではない。第2回となる今回は、我々の身近にも存在し、時間を浪費させ、人間関係を「モノ化」するiPhoneとSNSが、いかに病みつきにさせるデザインとなっているのか、その実態に迫る。iPhone依存症 ――アップルが実現した「病みつき」デザイン iPhone。この光沢を放つガジェットに対する私たちの恋愛感情を「依存症」と呼ぶのは、ちょっと言いすぎではなかろうか? だがスタンフォード大学の研究者たちによると、そうとも言いきれないようだ。というのは、2010年に200人の学生について調査を行ったところ、回答者の44パーセントまでもが、非常に、あるいは完璧に、スマートフォン中毒に陥っていると答えたからだ。回答者の9パーセントは、子どもやペットをあやすように、愛情を込めてiPhoneをそっと叩くことがあると言い、また自分のiPodがPhoneに「嫉妬している」と感じたことがある、と答えた学生も8パーセントに上った。アメリカのトップ大学の学生が自分のiPhoneについて語る言葉にしては、冗談にしても、いささか奇妙だ。 この調査はまた、学生たちのアイデンティティーや社会的なつながりの一部に、iPhoneが完全に組み込まれている実態も明らかにすることになった。iPhoneはもはや、大勢の人と瞬時につながることを可能にするだけのツールではない。独自のアイデンティティーまで手にしている――iPhoneは、愛情を込めて触れられ、保護され、慈しまれる対象なのだ。 こうした状況が生じる理由は、もしかしたら、デバイスの設計理念にあるのかもしれない。スマートフォンを使う際には、ほとんど強迫性障害かと思えるような反復的儀式を強いられる。iPhoneの初期設定から、毎週の同期と夜ごとの充電……。あなたがこの電話機と築く関係は、すでにお膳立てされているのだ。そしてiPhoneのバッテリーは1日たっぷりもつようにはできていないため――とりわけ、何時間もいじりつづけたり、ゲームをしたりしているときには――“ピットストップ”での充電が日課になる。喫茶店で電源を探すiPhoneユーザーの姿は、もはやおなじみの光景だろう。カフェインというフィックスを手にすると同時に、電話機にも燃料を補給しようというわけである。 前述したスタンフォード大学の調査で、回答者の4分の1までが、iPhoneは「危険なほど魅力的だ」と答えた事実は注目に値する。なぜなら、最初から、そう感じるように仕組まれているからだ。こういったデバイスのデザインは、すみずみまで計算しつくされている。アップルのユーザーに、自分のガジェットを擬人化してしまうというきまり悪い傾向が見られるとすれば、それは、アップルが人間の心と体における可能性を他のどの企業よりも徹底的に探っているからにほかならない。 たとえば、アップルのMacBookシリーズの魅力的な特徴の1つに、状態表示ランプがある。パソコンがスリープ状態になると、このランプが穏やかに点滅するのだ。初期のレビュアーは、このランプが持つ癒しの効果を褒めそやしたが、それを眺めることが、なぜそれほど癒しの感覚をもたらしてくれるのかについては突きとめられなかった。が、そののちアップルが「呼吸のリズムを模した」スリープ・モード表示ランプの特許を申請し、「心理的に魅力のある」ランプは、あらかじめ意図されたものであったことが判明した。 「友達申請」と「ブロック」でモノ化する人間関係 ソーシャルネットワーキングサイト(SNS)は、他人とつながり、自分に注目を惹きつけたいという、私たち人間の進化したニーズを満たす。何千年ものあいだ社会をつなぎとめてきた友情という伝統的な絆が、フェイスブックなどを可能にしているテクノロジーそのものによって弱められてきているために、他者とつながりたいというニーズはいよいよ高まっている。 伝統的な絆に比べると、SNSの絆は脆い。だがSNSには、それを埋めあわせるものがある。ドーパミンの生成を促すスリリングな新しい友情、そしてドキドキ感が薄れたら簡単に捨てられるような友情といった、フィックスを瞬時に手にするルートを提供してくれるのだ。ソーシャルネットワークの「友達削除」や「ブロック」といった機能は、どろどろした感情のしがらみなど伴わずに、即時に人間関係を解消できる便利なツールである。 テクノロジーと依存症は、複雑に絡みあいながら共生している。そして単純だが、それでも強調する価値のある事実がある。テクノロジーは、努力と報酬との比率において、報酬――それも通常は短期的報酬――の率を高めるという事実だ。 ひと言で言うと、努力と報酬の比率において報酬の率が高くなることは、個人には害になっても、社会には恩恵となる。とはいえ、恩恵がどこで終わり、害がどこから始まるのかを知るのは、いつも簡単であるとは限らない。いずれにせよ、製造業者や小売業者には、報酬の率を押しあげつづける経済的な動機がある。何と言っても、「経済的(エコノミー)」というのは、少ない努力で多くの報酬を得ることを指すのだから。 「ゲーム化」するテクノロジーが僕らをハメる 私たちは、子ども時代のおもちゃをどんどん大人の世界に持ち込むようになってきている。ソーシャルテクノロジーも“仕事”と“遊び”の境目で私たちをたぶらかす。本質的には1990年代のMSNメッセンジャーと変わらないチャットアプリケーションのツイッターも、以前なら、単なるソーシャル系のおもちゃとみなされただろうが、今では、プロが使う強力な伝達ツールになっている――職場における第一の通信手段として、電子メールをツイッターに置きかえているところさえあるほどだ。 しかし、ツイッターは電子メールとは重要な点で異なっている。2000年代の他の“Web2.0”製品と同様に、ツイッターではいよいよ“ゲーム化”が進んでいるのだ。企業は、ゲームからヒントを得て、顧客を病みつきにさせようとしている。あなたが使っていた電子メールソフトは、時間がある限りそれを使っていたい気持ちにさせるようにはデザインされていなかったろう。だが、ツイッターでは、はじめからそれが意図されている。 それに、「フォースクエア」を考えてみるといい。これは、リアル世界の場所に“チェックイン”することにより、自分がどこにいるかを、いつなんどきでも友人に知らせることができるSNSだ(不思議なことにユーザーは、しゃれたレストランで食事をしているときや、エキゾチックな外国の都市に到着したときに、チェックインする必要を強く感じるらしい)。フォースクエアでは、さまざまな達成度――“アチーブメント”と呼ばれる――に応じて、“バッジ”を提供し、ユーザーをねぎらう。使われる言葉やユーザーインターフェースの要素は、ビデオゲームで使われていたものをそのまま流用したものだ。 興味深いのは、そもそも、そんな行為が“ねぎらわれる”ことだ。強迫性障害を持つ人の障害がねぎらいの対象になることはほぼないが、(ゲームの)ファームビルでは、無意味で反復的な強迫性障害タイプの行為が、眉をひそめられるどころか激励される。こういったソフトウェアが、社会的な励ましと自尊心をくすぐるメッセージというちょっとしたフィックス(すぐに気分をよくしてくれるモノ、経験)をユーザーに浴びせかけるのも偶然ではない。 (続く) ※本連載は、『依存症ビジネス』の一部を抜粋し、編集して構成しています。 http://diamond.jp/articles/print/60195
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