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賃金は上がるか[日経新聞連載]
(1)動き始めた企業 デフレ脱却の鍵に
春季労使交渉を前に、賃金を巡る議論が活発だ。「アベノミクス」の成果を「賃上げ」という形で実らせたい安倍晋三首相は、企業への圧力を強め、企業側も反応している。経済学の視点から賃上げの可能性を探る。
なぜ今、賃金が問題なのか。日本では、1990年代の末期から名目賃金の下落傾向が続き、デフレの大きな要因とみられるからだ。米国やユーロ圏では、この間に名目賃金が上昇している。吉川洋・東大教授は「諸外国では賃上げがデフレの歯止めになった。賃上げがデフレ脱却の鍵を握っているとの認識は、企業の間でもかなり広がってきた」とみる。
バブル崩壊後、雇用、債務、設備の3つの過剰を抱える日本企業にとって、賃金カットは「経済合理性」に基づく行動であった。経済学者の間では、「政治」が企業に賃上げを求めるのは「民間への不当な介入だ」(小峰隆夫・法政大教授)との批判も根強いが、賃金が上がれば日本経済は活気づくとの見方に異論は少ない。
吉川教授は、企業が相次ぎ賃金カットに走ってきた姿は、サッカーの試合を観客全員が立って観戦する状況に近いと説明する。一人が立ち上がるとその後ろに座る客も立たざるを得なくなり、最後には全員が立つ。
これはケインズ経済学が想定する「協調の失敗」のモデルケースで、観客を座らせるには外部からの働きかけが必要と訴える。賃金カットが相次げば経済全体が縮み、結局は自社に跳ね返る。首相の働きかけの効果もあり、悪循環から脱出する機運は高まっている。
(編集委員 前田裕之)
[日経新聞1月6日朝刊P.27]
(2)積み上がる内部留保 経済停滞の一因に
安倍晋三内閣の発足後に加速した円安・株高を受け、業績が回復する企業が増えている。賃上げの原資は十分だろうか。
日本企業は1990年代の金融危機をきっかけに2000年代以降、内部留保(利益剰余金)を蓄積してきた。債務を圧縮する一方で資本を厚くし、財務体質を強化する狙いだ。企業の内部留保は12年度末で300兆円超。過去10年間で100兆円以上、膨らんだ。
企業が貯蓄を殖やし続けると、マクロ経済に様々な弊害をもたらす。経済学では、資金が余っている「黒字主体」から調達した資金を、資金が足りない「赤字主体」に融通する行為が「金融」であり、経済全体に資金が円滑に流れると説明する。福田慎一・東大教授は「かつて赤字主体は企業、黒字主体は家計を指していた。今は企業も黒字主体となり、資金が循環せずに経済が滞る原因」と指摘する。
ただ、企業が賃金、設備投資、株主配当にいかに資金を配分するかは経営判断の問題。内部留保は経済の先行きが不透明な中で不測の事態に備える資金でもあり、有効なデフレ対策を打てなかった政府にも責任がある。
内部留保の適正水準を論じる経済理論はない。内部留保を賃金に回せという声もあるが、「全額は手元にはなく、会計のルール上も無理な要求」(福田教授)との批判は多い。
日本リサーチ総合研究所の藤原裕之主任研究員は「賃上げの議論は、円安効果などで業績が回復した企業が対象であり、そうでない企業は対象外であると再確認する必要がある」と主張する。
(編集委員 前田裕之)
[日経新聞1月7日朝刊P.31]
(3)膠着続く所定内給与 労働生産性が左右
賃金は所定内給与、残業代とボーナスからなる。春季労使交渉を前に、ボーナス増額には前向きな企業が増えているが、所定内給与の引き上げには慎重な企業も目立つ。
賃金は下がりにくい半面、上がりにくい――。経済学では、賃金のこうした性格を「不可逆性」と呼ぶ。賃金の水準がいったん決まると、経営者が賃金を下げたいと考えても労働組合の抵抗などで簡単には下げられない。そこで経営者は賃上げに慎重になるとの仮説で、日本企業にもかつては当てはまった。
ところが1990年代の末期から賃金は下がり始めた。大きく下がったのはボーナスで、所定内給与はそれほど下がっていない。山本勲・慶大准教授は「ボーナスは下がりやすくなった分、上がりやすくもなったが、所定内給与は依然下がりにくく上がりにくい」と解説する。この見方に従えば今年もベースアップに踏み切る企業は限られる。
賃上げに焦点が当たる中で見落としがちになるのが賃金と雇用の関係だ。日本と米国を対象にした実証研究によると、従業員1人あたりの付加価値額(利益と人件費などの合計額)を示す労働生産性が上昇すると賃金も上昇する傾向がある。
企業が従業員を減らせば、労働生産性は上昇し、残る従業員の賃金を上げやすい。それよりも総需要が拡大する中で労働生産性が上昇し、雇用も賃金も増える経済を目指す方が、多くの人が果実を手にしやすい。山本准教授は「賃上げと雇用の維持・拡大を同時に実現できなければ経済は活性化しない」と警戒する。
(編集委員 前田裕之)
[日経新聞1月8日朝刊P.27]
(4)消費への波及どこまで 識者、見方分かれる
賃金が上がると日本経済はどんな道筋をたどり、逆に賃金が上がらなければどうなるのか。
賃金が上がれば消費が増え、経済に好循環が生まれる――。経済学者の共通認識だが、賃上げ効果の大きさを巡っては諸説がある。
脇田成・首都大学東京教授は「雇用が総じて安定している日本では、消費は現在の所得水準に比例して決まると主張する『ケインズ型消費関数』仮説が成り立つことが実証されている。賃金が上がればかなりの部分が消費に回る」と予測する。脇田教授によると、配当や利子による収入は貯蓄に回りやすく、企業が配当を増やしても効果は小さいという。
一方、ケインズを批判した米国の経済学者、フリードマンは賃金を、所定内給与に相当する「恒常所得」と「一時所得」に分類。一時所得が増えても貯蓄に回りやすいとする「恒常所得仮説」を提唱した。この仮説に従えば、所定内給与が増えないと消費は伸びない。
「現在の消費のけん引役は引退したシニア層。今年賃金が上がっても将来に備えて貯蓄に回す人は多い。賃上げが2〜3年続かないとそれほど消費は増えない」というのは宮川努・学習院大教授。4月の消費増税によるマイナス効果も予想され、消費の先行きは不透明とみる。
物価変動の影響も見逃せない。乾友彦・日本大教授は「物価上昇を上回る賃上げが実現しないと物価変動の影響を加味した『実質賃金』が下がり、逆に消費が減りかねない」と懸念する。賃上げ後の道筋はなお定まっていない。
(編集委員 前田裕之)
[日経新聞1月9日朝刊P.29]
(5)制度・慣行の見直し急務 雇用形態 多様化を
賃上げムードが高まる中で、雇用や賃金に影響を及ぼしている制度上の問題点も浮き彫りになってきた。
経済学では、市場の外部で決まる制度や慣行などを「外生変数」と呼び、外生変数は一定との前提で議論を進める場合が多い。しかし、賃金を持続的に引き上げるには、賃上げを阻む制度や慣行にメスを入れるべきだとの声が、経済学者らの間で高まっている。
その一つが正規雇用と非正規雇用の賃金や処遇格差の問題だ。減価償却費を含む付加価値額に占める人件費の割合を示す労働分配率はこの2〜3年、65%前後。正社員にに比べて賃金が低い非正規社員の割合が高まり、賃金総額の上昇を抑える要因になっている。
正社員と非正規社員に二極化した雇用を多様な形態に改め、労働者の移動を促す。企業は成長分野に人材を投入しやすくなり、結果として賃金総額が上昇する――。日本総合研究所の山田久調査部長はこんなシナリオを描く。企業の「雇用保障」は弱まるが、企業が従業員のキャリア育成に責任を持つ「キャリア保障」が普及すれば労働移動が活発になり、賃金総額は増えると期待する。
八代尚宏・国際基督教大客員教授が求めるのは医療・介護分野の規制改革。「医療・介護はサービス単価が公定価格によって決まる『官製市場』。民間の創意工夫を生かせる市場に改めれば、賃金上昇につながる」と提案する。
今年こそ中長期をにらんだ制度改革に踏み込めるのか。安倍晋三内閣の姿勢が問われている。
(編集委員 前田裕之)
[日経新聞1月10日朝刊P.29]
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