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http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20140108/dms1401080727001-n1.htm
2014.01.08 「日本」の解き方
昨年12月の月例経済報告で、「デフレ」の文言が削除されたが、このまま長年続いたデフレから脱却できるのだろうか。
総務省が同月27日に発表した11月の生鮮食品を除く消費者物価指数は前年同月比1・2%上昇した。1%台の上昇を記録したのは2008年11月以来、5年ぶりだ。食料(酒類を除く)およびエネルギーを除く指数をみても、同0・6%と、デフレ脱却の傾向だ。
ただ、デフレ脱却へ進展しながら脱却できなかった06〜07年の例もある。そのときの失敗を繰り返さないためにはどんな手立てが必要なのだろうか。当時、筆者は小泉・安倍政権で経済政策に関わっていた。そこで痛恨であったのは、06年3月の量的緩和の解除だった。その当時の状況を説明しよう。
05年の郵政解散、衆院選で大勝した小泉政権は、10月に内閣改造を行い、郵政民営化の最終仕上げとして竹中平蔵氏を経済財政担当相から総務相に起用した。これに伴い、竹中氏の後任として与謝野馨氏が経済財政担当相に就任した。当時の政治環境としては、郵政選挙の大勝後、小泉氏は任期が残り1年になったこともあり、急速にレームダック化していた。
福井俊彦日銀総裁は、小泉政権で任命されたので、当初は量的緩和など金融緩和政策に熱心であったが、小泉氏のレームダック化とともに、「日銀理論」を信仰する本来の「日銀マン」の様相を見せてきた。
それに呼応したのが与謝野氏だ。「インフレ目標は悪魔的政策」と言い、デフレ指向だった。そして福井・与謝野両氏は、竹中氏らの反対を押し切り、06年3月に量的緩和解除を強行した。
当時、総務相補佐官だった筆者は、「消費者物価の対前年比はプラスになっていたものの統計的なバイアスがあるため実際にはマイナスで、デフレ脱却していない」と主張したが、押し切られた。その後の統計改定で筆者の主張が正しかったことが分かったが、後の祭りだ。さらに、「量的緩和を解除すると半年か1年先に景気後退する」と予想したが、これも残念ながら的中した。
ここから学ぶべき教訓は、急ぎすぎないことと、急に大きな方向転換をやってはいけないということだ。まず、デフレが本当に収束しているのか、各種のデータで見極めなければいけない。次に、政策の方向転換はゆっくり行うことが必要だ。
06年3月の量的緩和解除以降、日銀はマネタリーベース(中央銀行が供給する通貨)をいきなり前年同月比10〜20%も減少させた。これは、ほどよいスピードで前進しているときに、いきなり急ブレーキをかけて、さらにギアをバックに入れて後進するようなものだ。
一方、先日の米FRB(連邦準備制度理事会)の量的緩和縮小(テーパリング)はこれと大違いだ。FRBは、当面量的緩和は継続するが、その緩和の程度を緩めるというものだ。言ってみれば、前進するスピードは弱めるものの、まだブレーキも強く踏まず、まして後進するのは先の先というものだ。日銀は06年の大失敗があるのだから、間違いを繰り返してはいけない。(元内閣参事官・嘉悦大教授、高橋洋一)
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