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グーグルの自動運転カー。2012年8月時点で12台が合計30万マイル(約48万km)を無事故で走行したと発表している。
「無人運転」実用化で世界はどう変わるか グーグルの狙いは?
http://www.sankeibiz.jp/business/news/131222/bsa1312220806001-n1.htm
2013.12.22
「自家用車」が消え「交通サプライ」へ
自動運転は、昔から交通工学の夢ではあった。昔から各種のSF映画を見ても、自動運転の車が行き交うのは未来都市のイメージの1つの典型となっている。そして、それを正当化する理由もたくさんある。
人間のミスが引き起こすトラブル−−ほとんどの事故や渋滞−−はなくなるはずだ。渋滞を引き起こす無意識の速度低下もなくなる。車に伴う大きな問題である駐車は、運転手がいなければ車が動けないために発生するものだ。でも車が勝手に動けるなら、運転手が仕事でも買い物でもしている間、車は自分で遠い駐車場に勝手に移動して、呼び次第戻ってくるようにできる。
駐車問題も大幅に緩和されるだろう。そして人々は、運転という気疲れする作業から解放されて移動時間を有効に使えるようになる。これが全面的に導入されれば、GDPの1〜2%くらいはメリットがあるはずだ。
だから何度もそれを実現しようという試みは世界中で行われてきた……のだが、実験段階や実証実験レベルを超えてそれが導入されたことはない。世紀の変わり目前後にはアメリカはすでにこの技術に見切りをつけたという話も耳にした。また第二東名に自動運転レーンを導入するという噂も流れていたが、最近はそうした話もきかなくなっていた。
だがそこへグーグルが自動運転の話を蒸し返し、自動運転が突然息をふきかえしたのには驚いた。というのも、自動運転が実用化にまで到っていない大きな理由は、必ずしも技術的な問題だけではなかったはずだからだ。
当時、大きな問題点として言われていたのは、まず責任問題。万が一事故が起きたとき、それはだれの責任になるのか??自動運転を管理していた人なのか、その車の持ち主なのか? 自動運転もいろいろ流派がある。グーグルが最近やっているものは、車が単独で知恵を持つものだ。
その場合、何かあったら責任はすべて自動車メーカー(またはソフトメーカー)が負うのか? あるいは道路が車に指示を出すやり方もある。この場合、運転ミスによる事故はないかもしれない。だが自動運転の車が故障したら? 整備不良があったら? 整備不良が悪いのか、そんな車を自動運転の車両群に受け入れた交通管理者が悪いのか?
また、今の車は基本的には、運転手に何かあれば(アクセルから足を離せば)停まる。何かあった場合のフェイルセーフがあるわけだ。が、札幌から福岡まで自動運転の車の中で運転手が倒れたら、ヘタをすると福岡に着くまで何もわからない。これはいろいろ悪用できそうだ。
とはいえこうした問題は試行錯誤の中で、なんとなく落としどころができてくるだろう。だがもっと感情的な反応としては、そんなことをしたら車の楽しみがなくなる、というものがある(※1)。自分で自由に、速度も経路も選べるのが自家用車の楽しみだ。もちろん理屈の上では自動運転を切ることもできるだろう。が、自動運転で整然と走っている車の中に身勝手な手動運転の車がうろちょろされては迷惑だから、いずれ自動運転が道徳的、法律的に義務づけられるようになる。
そうなったら……それはもはや自家用車ではない。公共交通の一種だ。ならばそれは公共が整備するべきではないのか?
ある意味で、これはよい部分もある。公共交通整備という問題は、実質的になくなる。人々はもはや自分では車を買わず、公共がみんなのために一定数の車両を供給するほうが合理的ということになりそうだ。
そしてそうなると、いま経済的にも産業的にも大きな役割を占めている自家用車というものは、もはや存在しなくなるかもしれない。20世紀のT型フォードとともに、世界の産業、経済、都市、物流、その他あらゆるものを変えてきた自家用車というカテゴリーが、ついに消え去るかもしれないのだ。
グーグルの関心は「移動データ」にある
これは非常におもしろい可能性にもつながる。
交通輸送は経済の血管ともいうべき存在だ。その多寡が経済の動きをある程度左右する。そしてもし公共が今後、無人運転車両も含めた交通輸送サービス供給の中心的な存在となれば、それは交通にとどまらない経済コントロールのツールとなる。
つまり中央銀行がマネーサプライを(ある程度)左右するように、公共は交通サプライ−−つまり提供する車両数−−を通じた経済コントロールをするわけだ。最近経済が過熱していると思ったら、公共は提供する車両数を減らせばいい。
またこれで市街地開発もコントロールできるかもしれない。混雑した部分への交通を減らすような交通サプライをプログラムし、それを長期にやれば新開発地に交通を誘導できる。公共が交通サービス提供をするとなれば、いまのピークロードプライシング(混雑度課金)のみならず物理的に車両をコントロールできるのだ。
実は、温暖化問題を口実にした二酸化炭素排出の規制もこれと似た構図を持っている。二酸化炭素排出量の規制で経済活動を統制できる。今世紀末あたり、マネーサプライと二酸化炭素排出と交通供給という3つの経済活動の血液を通じた新しい管理統制経済があり得ると思うのだが……。
が、これは話があまりに先走りすぎた。たぶんぼくの存命中にこれが実現することはないだろう。おそらく、自動運転や無人運転がそこまで全面的に導入されるのは当分先だ。それまでは、おそらく自由の象徴としての自家用車とは無縁の、安全と低コストを重視する商用車、貨物車などが自動運転の主役となりそうだ。
それもあらゆる道路ではなく、限られたいくつかの拠点を結ぶ、限られたルート上だけで実施というのがありそうだ。いまのトラックや、続いて路線バスなどは、途中の高速道路や主要ルート上はすべて無人運転にして、最初と最後の部分だけ運転手が乗り込んで運転といったやり方もできそうだ。
そして自家用車は、それに便乗したクルーズコントロールの豪華版のような形で少しずつ自動無人運転対応が出てくるが、それが本格的に受け入れられるかは、値段の問題もあってまだまだわからない。たぶん自動運転/無人運転にもいろいろモードを切り替えられるはずだ。
速度優先かコスト優先か快適性優先か−−そのモードと課金(道路の利用課金は必ず今後出てくる)の組み合わせで様々なコントロールが生じる。これがおそらく今世紀後半に大きく進展するのではないか(※2)。
さて最後に蛇足を1つ。
グーグルはなぜ無人運転などに関心を持つんだろうか? 多くの人は意外に感じたはずだ。
グーグルの発想は、実はかなり一貫している。グーグルは常に、利便性と引き替えに、人々にプライバシーを無償で提供させ、それを転売することで収益を上げてきた。検索では、人々の検索=関心を精度の高い検索結果と引き替えに提供させた。
グーグルメールでは、メールを通じた交流やその内容を、きわめて利便性の高いウェブメールと引き替えに提供させた。携帯電話への進出はそのさらなる発展形だ。グーグルマップは、人の地理的な関心や移動についてのデータを提供させるサービスとなっている。
そして自動運転/無人運転も同じだ。人がいつ、どこへ移動するかというデータと引き替えに、利便性の高い交通輸送サービスを提供しようとしている。無人運転は、人が運転しなくていい、という話だけではない。
それを代行するソフト=ネットの世界が、人々の行動に関するデータをさらに持つようになるということでもある。それはリアル世界とネットの情報世界との融合という、単なる交通利便性をはるかにこえた、大きな動きの一環でもある。
社会にとっては、おそらくこちらのほうが重要であり影響も大きいはずだが、グーグルが−−そして自動運転を推進したがる多くの関係者が−−それをどこまで考えているのかは、見当もつかないところだ。
※1:国土交通省の「オートパイロットシステムに関する検討会」は、今年10月の中間まとめで、2020年代初頭頃までに「高速道路本線上(混雑時の最適走行を除く)における高度な運転支援システムによる連続走行」が「達成目標」としている。
※2:米国電気電子学会は昨年9月、2040年までに一般道を走行する自動車の75%が自動運転車になるとの予想を発表した。また21世紀半ばには自動運転車が標準的になることで、道路標識や信号、運転免許などがなくなる可能性があるとしている。(答える人=山形浩生(評論家、翻訳家))(PRESIDENT Online)
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