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世の中おかしな事だらけ 三橋貴明の『マスコミに騙されるな!』 第53回 蘇る構造改革
http://wjn.jp/article/detail/9887499/
週刊実話 2013年12月5日 特大号
最近、まるで小泉政権期のように「構造改革」に関連した報道が増えてきている。
2013年11月9日、大阪市が100%出資する新会社に、30年間分の水道サービスの運営権を売却して民営化する方針を固めたとの報道が流れた。浄水場などの資産は大阪市が保有したままで、かつ水道料金にも上限を設ける、いわゆるコンセッション方式による民営化。既存の水道職員(約1600人)は大半が新会社に転籍となり、将来的には1000人まで削減するとのことである。大阪市が本当に水道事業を民営化した場合、全国の自治体では初となる。
水道の民営化が実施された場合、大阪市の行政コストは下がる(そもそも、それが目的だ)。とはいえ、別に水道の運営権を購入した「水道株式会社」は、新たな付加価値を創出するわけではない。水は単なる水であり、しかも現状の大阪市の水道サービスは「品質が悪い」「水が供給されない」等の問題を抱えているわけではないのだ。
例えば、現状の大阪市の水道サービスが、水質が悪い、あるいは「必要な家庭・企業に水が供給されない」などの問題を抱えていた場合は、水道の民営化は正当化される。水道事業を民営化することで、
「大阪市民に供給される水の品質が向上する」
「これまで水道サービスを提供されていなかった家庭・企業に、水が供給される」
などの「新たな付加価値」が創出される。新たな付加価値創出があって初めて、水道民営化は「正しい解決策」になり得るのだ。
とはいえ、現実は異なるため、大阪市が水道を民営化したところで、サービス享受者である大阪市民に対する付加価値が高まるわけではない。
付加価値を創出しないとは、「所得(=付加価値)のパイが一定」という話である。水道が民営化されたからと言って、
「それでは、水道サービスを使おう」
などと言う人は、一人もいないだろう。すでに、全ての大阪市民は、既存水道サービスのユーザーなのだ。所得のパイが増えない状況で、水道株式会社が「新規参入」し、事業を請け負う。そのために、法律を変更する。果たして、何が目的なのか。
さらに、11月12日には、経済産業省が家庭向け都市ガス事業者の利用者が「自由に」購入先を選べるようにする制度改革を実現するため、有識者会合を開いたことが報道された。事業者間の「競争」を促し、料金値下げやサービス向上につなげたいとのことである。
電力自由化や水道民営化も同じだが、ライフラインの公共サービスの「民営化」や「自由化」が正当化されるのは、
「ライフラインを提供する公共企業が、競争原理が働かないため、不安定で品質が悪いサービスを提供し、消費者の需要が満たされていないにもかかわらず、過剰利益を得ている」
ケースのみである。現状の日本のガスサービスは、上記の状況なのだろうか。
水道民営化のケース同様に、ガスの自由化を実現したからといって、
「ガスが自由化された。ならば、ガスを使おう」
などと判断する都市ガスのユーザーは一人も、繰り返すが「一人も」いないだろう。ガスのユーザーは、現時点でユーザーであり、自由化したからといって「ガスサービスの需要」「ガスサービスの付加価値」「ガスサービスの所得」が増えるわけではない。
GDP三面等価の原則により、付加価値(生産面GDP)と需要(支出面GDP)、そして所得(分配面GDP)は必ずイコールになる。
新たに付加価値が生まれるわけではないにもかかわらず、民営化、自由化路線を突き進み、新規参入企業に「レント(超過利潤)」を獲得する機会を与える。安倍政権は、レント・シーキング内閣と化すのだろうか。
さらに、翌13日には、政府が2014年度に地方自治体に配る地方交付税の算定基準について、「産業振興の成果を上げた地方自治体」に交付税を加算する制度を復活させると報じられた。本制度は5年前に廃止されたのだが、またもや「地方自治体に競争を強いる制度」が復活することになるかもしれない。
そもそも、地方税収で賄いきれない地方行政の経費を中央政府が補うものが「地方交付税」である。政府は、
「'14年度は企業業績の回復で、地方税収の増加が見込まれる」
としており(消費税増税の影響は考えられているのか)、交付税の給付について「産業振興の度合い」で差をつけようとしているわけである。
企業の誘致や産業振興に熱心な自治体には多くの地方交付税を普及し、そうでないならば交付を減らすという話なのである。
より具体的には、製造業の出荷や農業産出額などについて、過去の推移と比べて大きく伸びた自治体に交付税を加算する案が検討されているようだ。すなわち、
「地方自治体は互いに競争せよ。競争に勝ったところには、より多くの地方交付税を加算する」
という制度になる(戻る)わけだ。
現実には、現在のデフレ期に「産業振興」に努力していない地方自治体など、ほとんど存在しないだろう。努力を重ねてもなかなか所得を増やせないのが、デフレの残酷な一面。それにもかかわらず、結果で差をつける、ということだ。
インフレ期はともかく、デフレ期に企業誘致に成功する自治体はそれほどない。さらに、製品や農産物の出荷額が伸びる、伸びないは、自治体が当初から備えている環境条件(地理的条件など)に大きく左右されることになる。
各自治体の環境、パラメーターが異なるにもかかわらず、「同じルール」で競争せよ。勝った自治体には、交付税を多く出す。負けた自治体は、交付税が少なくなる…。
負け組になりたくなければ、自治体同士で互いに競争せよ、という話なのだろうか。まるで「ユーロ」である。ヘビー級ボクサーと、ストロー級ボクサーが、同じリングで戦うことを、制度的に強要するわけだ。
「競争」に負けた自治体は、十分な地方交付税を給付されず、公共サービスが劣化して行き、「さらなる負け組」への道を辿ることになる。
もちろん、健全なインフレ下で、経済成長率が高い時期であれば、それなりに正当化されるのかも知れない。だが、デフレで「所得全体のパイ」が縮小している時期に、自治体同士を競争させれば、所得のパイが増えていない以上、「勝ち組の自治体」が所得を増やしたとき、必ず反対側で「負け組の自治体」の所得が減ることになる。
この種の「路線」を突き進むと、最終的にどうなるか。実は、筆者は1年前の時点で、我が国で新古典派経済学に基づく「構造改革路線」を究極まで推進すると、社会がいかに変貌を遂げるのかシミュレートした小説『顔のない独裁者(さかき漣:著、PHP研究所)』を企画した。
本書は、まさに上記の記事が流された11月13日に発売となった。宣伝になってしまい恐縮だが、構造改革が行き着くところまで行き着いた世界を疑似体験したい読者は、ぜひとも一読してみて欲しい。
三橋貴明(経済評論家・作家)
1969年、熊本県生まれ。外資系企業を経て、中小企業診断士として独立。現在、気鋭の経済評論家として、わかりやすい経済評論が人気を集めている。
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