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大卒3割が3年で離職 部下を引き留める“フィードバック” (日刊ゲンダイ) 
http://www.asyura2.com/13/hasan83/msg/725.html
投稿者 赤かぶ 日時 2013 年 11 月 11 日 08:08:00: igsppGRN/E9PQ
 

               安倍首相のフェイスブックから


大卒3割が3年で離職 部下を引き留める“フィードバック”
http://gendai.net/articles/view/life/145806
2013年11月10日 日刊ゲンダイ


 某情報関連会社で課長を務める大江さん(42=仮名)は、昨年の就職面接の試験官となり、こんな体験に遭遇した。

 大江さんが面接の最後で、「最後に、聞いておきたいことはありますか?」と発したところ、思わぬリアクションが返ってきたのだ。
「今日の僕の面接、何点ですか?」

 大江さんは、心の中で「はぁ?」と絶句したという。

 だが、すぐさま隣の面接官が「そうだね。全体的に何点かはすぐに測りかねるけど、君の話のあの部分がよかった。今度は、あの部分を強調すればいいんじゃないかな」と答えた。

 同僚のよどみのない受け答えに、大江さんはさらに驚いた。

「こんなバカ質問するバカ学生を、いちいち相手にするのか?」

 内心こう思い、キョトンとする大江さんに、同僚は後で事もなげにこう言ったという。
「おまえ、今の学生は究極の“フィードバック好き”なんだよ。評価結果をすぐに伝え、課題を示す。ちゃんと相手にしてやらないと、就活サイトに何書き込まれるか分からないぞ」

 某広告代理店はここ数年来、学生をインターンシップ(就業体験)させているが、この2、3年は「結果を順位づけして、きちんと公表せよ」と言ってくる学生が増えたという。

 IT企業の人事担当もこう言って苦笑いする。

「入社後も自分の評価を非常に気にする若手が増えました。〈僕が作った企画書、どうでした?〉ならまだしも、〈さっきの僕の笑顔、変でした?〉とか聞いてきますし、ほとんど病気だなと思います」

 しかし、笑ってばかりもいられない。

 厚労省が発表した就職後3年以内に仕事を辞めた「大卒離職者」の割合は、今年で31%。定着率の悪さは結局、上司である自分の査定に跳ね返ってくる。

 若手社員の離職問題に詳しいジャーナリストの佐藤留美氏はこう分析する。

「今の20代は、こんな昼食を食べた、こんな本を読んだくらいのことも全てフェイスブックなどのSNSで仲間に報告し、〈いいね!〉の承認をもらいます。学校では“個の対応”をされ、その他大勢として扱われることが苦手。そのため、少しでも不安を感じると、他人からの〈いいね!〉というフィードバックを求めるのです」

 だから、正直に本人の能率の低さを指摘すると、ワッと泣き崩れる。ブラック企業と呼ばれるワタミ、王将フード、ユニクロなどの掲示板を読むと、辞めた社員が嫌がらせで社外秘の営業資料などを流出させている。

「何でもかんでも〈いいね!〉を欲しがる。安倍首相と同じ」(佐藤氏)

 面倒くさいが、「いいね!」を適時伝えていれば、3年で辞めない。


 

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コメント
 
01. 2013年11月11日 09:41:37 : e9xeV93vFQ
【第2回】 2013年11月11日 野田 稔 [一般社団法人 社会人材学舎 代表理事]
会社に従順で優秀なのに15年間昇進なし
受け身型社員が迎える「50代の悲しい顛末」
「会社の適材適所」は実現できない?

 組織というものはほとんどピラミッド型なので、上に行けば、どうしても人数よりもポストの方が少なくなるのが道理だ。この状況で雇用保蔵問題を1社で解決しようと思えば、積極的に事業開発をしていくしかない。

 では誰が事業開発をするのか? 現在は、管理能力もあり、発想力もあり、行動力もあって、人望も厚い、そんな人材がポスト長についている。そのポスト長が、ルーチンワークもノンルーチンワークも何でも担わされている。重要な全ての仕事と責任を取ってしまってやりきれず、多重責務者になって仕事が停滞する。そして、その他のサブ的仕事を残りの部下が分け合うのだ。何と非効率なことか。

 こうした状況では、当然、ルーチンワークにノンルーチンワーク、つまりはクリエイティブワークが駆逐されてしまう。業務におけるグレシャムの法則ともいえる現象だ。

 私はミドルマネジメントの分業を提案し続けた。ルーチン担当とクリエイティブ担当を分業する。そして、ポスト長につくような優秀な人材を、むしろクリエイティブ担当のチームリーダーにする。ルーチンワークのポスト長には、逆におとなしめの「普通の人材」を充てる。彼らもルーチンワークならば十二分に優秀だから、それで十分にいい仕事ができるはずだ。それで雇用保蔵人材も減る。

 ところが日本の多くの大企業はこういう大胆な人事を好まない。1社だけ、日本を代表する企業が取り組んでくれた。ポスト長を新規事業のプロジェクトリーダーなどに就け、空いたポスト長に、その下の人材を当てはめた。ある支社で実験を行った上で、非常に成果が出たので、今は全社規模での展開を準備中だ。

 給料に見合う働きをさせられない社員を大量に抱える「雇用保蔵(フリーライダー)問題」は、会社が「適材適所に失敗」しているということを意味する。ジョブアサインメントは個人の現ランクやポストなどではなく、当該職務に見合う能力とマインドセットがあるかどうかで行うべきだ。そうすれば、まだまだ社内でもフリーライダーの数を減らしていけるはずなのだが、そこに思い至る企業が少ないのが残念だ。

 ただ、それだけを行えば、雇用保蔵問題が解決するのかと問われれば、否と答えるしかない。事業の展開方向によって、ある特定の能力が必要なくなるということもあるだろう。半ば刹那的に、人材を峻別するのも会社というものの生き残る術かもしれない。その評価軸が年齢ということには異を唱えたいが、1つの会社が生き残りをかけて人材を峻別し、会社からの退出を促す行為を一方的に責めることはできない。会社も慈善事業を行っているわけではない。一社にすべての人材の終身雇用を保障しろというのは、所詮理想論にすぎない。

 そこで重要になってくる概念が「フレキシキュリティ」だ。

 これは、雇用の保証(セキュリティ)を労働市場の柔軟性(フレキシビリティ)によって達成しようとする考え方で、一社による終身雇用から、社会による終身雇用へと考え方を変えようということだ。この言葉は誤用されることも少なくないが、私の考えるフレキシキュリティとは、自分の意志で、自分を最も生かし切れる場で活躍する。社会が、そうした個々人の意志を尊重できるように、柔軟性とツールを兼ね備えることだ。勇気を持って飛び出せるだけの道具立てや道しるべ、ある程度のセーフティネットなど。そして、飛び出すことを応援する文化が必要だろう。そして、最も重要なのが次の仕事に就くための再教育の場であることは強調したい。

 ある会社で必要なくなった技術やノウハウが、世界中ですでに必要ないものになっているということはあり得ない。どこかで使えるはずであるし、それこそリーダーシップや企画立案力、コミュニケーション能力など、汎用性のあるノウハウも少なくない。再教育で、持てる能力をさらにブラシュアップすることも可能だろう。

 会社の中ではなく社会の中の適材適所を実現する。フレキシキュリティは個人にとっても会社にとっても、社会にとってもプラスになるものでなくてはならない。

会社に対して従順で
チャンスを待っていても報われない

 最も、自分を幸せにするためには、当然、個人としての努力も必要になる。フリーライダーには、たとえもともと優秀であってもそうなる理由があるものなのだ。

 ある人の例を紹介しよう。その人は、人事部のプロとして、極めて優秀な人材だった。1000名を超える社員の全員の顔と名前が一致するだけでなく、誰がどんな能力を持っているかまでわかっていた。そのために皆に会い、取材した。悩みも聞いた。結果、当時の上司にとてもかわいがられたのだが、その上司が人事異動になった。

 代わってやってきた上司とは若干、そりが合わなかった。定かでないが、疎まれたのかもしれない。そこから彼は不遇の人生を歩き始める。俗に言うたらい回しだ。最後は子会社の役員になったが、本社待遇で比べてみると、それは昇進ではなかった。そして、結局のところ15年間、実質、彼の役職は変わらなかった。それでも彼は、行く先々で自分のモチベーションを高く保ち、成果を上げた。しかし、その会社で彼は二度と報われることはなかった。彼の実績や才能は評価されず、社内のパワーバランスに翻弄されたとも言えよう。

 こうした雇用保蔵も、少なくない。欧米であれば、そうした人材は間違いなく早期に会社を辞める。ところが日本の場合は、一般的にブランド企業で給料が高くなればなるほど、人材の外部流通市場が整っていないから、結果としてその企業にしがみつく人が多くなる。こうした状況も、経済成長の阻害要因になっていると私は思う。

 そういう人の典型は、業務処理能力は極めて高いのだが、私なりの言葉で評すれば、プロアクティブネス、主体性と自己信頼に欠ける。前者は、指示待ちである。誰かが「改革しましょう」と提案する。その時に「私がやります」と率先して手を挙げるタイプだ。だからもちろん優秀だ。しかし、自分からは提案しない。ここが問題なのだ。

 その意味では、今の日本のデフォルト値は極めて受け身的だ。それでは世界に勝てるわけもない。

 受け身的とはどういう意味か。それはチャンスが到来するまで待っている姿勢だ。かつてのように社会全体が成長基調にある時はそれでもよかったかもしれない。有り余るほどのチャンスが次々に到来したからだ。しかし、成長の止まった現在、しかも同じようにチャンスを待っている人間が大量にいるとするならば、そのチャンスが、運よく自分にめぐってくる可能性は極めて低い。

 昔、人材が育ったのは、業容をどんどんと拡大していて、チャンスが多すぎて、優秀かどうかを判断する前に、多くの人間を何らかのポストにつけて頑張ってもらうしかなかったからだ。個人からすれば、修羅場体験は勝手にやってきた。そうすると、誰であれ、それなりに育つものだ。

 ところが今は違う。そもそも、人を育てる場が少ない。それでも座してチャンスを待っていたのでは、塩漬けになるのも道理だ。

 だからこそ、会社に対して従順なだけではダメだ。極論を言えば、与えられた仕事はさっさとこなして、残ったパワーで、本来この会社は何をすべきなのかを真剣に考えて、仕込みを始める。そして、提案する。そうしたしたたかさが必要だ。

 なぜそうならないのか。自分の能力に対して自信がないのか、あるいは怠惰なのだ。いずれにしても、必死さが足りない。

「外では通用しない」と思う前に
自分のポータブルスキルを把握しよう

 たとえば「外に放り出されたら食べていけない」「自分の能力など、きっと役に立たない」と多くの優秀な人材が本気で思っている。実際、一度も外に出たことがないから、自分の市場価値がわからない。外部労働市場における自己評価が低い。もっとも、そういう人は、逆に社内における自己評価が高い。だから、どうしても外に出るという圧力が生まれない。

 将来のことを考えたら、少しは自分のことを会社外の人に売り込んでもいいのにと思うが、まずそのようなことは行わない。

 謙遜は止めようと言うのではなく、まずは自分のポータブルスキルをちゃんと自己認識するところから始めてもらいたい。自分の能力を、社会に売れる形で言語化できないということは、もっと根本的な意味で、自分の本当の能力を認知していないということになる。言語化するには抽象化する必要がある。汎用性のある能力として認知する必要がある。この時に大切なのは、誇大に表現しても矮小化してもいけないということだ。

 たとえば、営業とはどのような行為であろうか。私は、営業とは顧客に対してリーダーシップを発揮する行為だと定義している。リーダーシップとは、他人に対して影響力を行使して、望ましい行動を引き起こさせることを言う。だから、優秀な営業パーソンというのはリーダーシップに長けているものなのだ。だとすれば、「自分には人を動かす力がある」ということを切り口にして、自分にはどのような能力が本質的に備わっているのか掘っていくとよい。

 いけない例は、自分の行ってきたことを具体的に描写するのはよいのだが、小さい範囲に自らの能力を限定してしまうことだ。たとえば「私は英会話教材を訪問販売することには長けています」などと言う。訪問販売以外にも、英会話教材以外にも自信がないのだ。それではフィールドを変えることなどはできない。

 こうした例は技術者に多い。これまでにやってきた仕事、今やっている仕事以外の仕事はできないと思っている人が多い。しかも、非常に細かく、なぜ自分はできないのかを技術論で説明してくれさえする。しかし、全く意味がない。

 メイテックという会社をご存じだろうか。この会社の技術者は極めて柔軟性が高い。たとえば昨日まで家電メーカーで洗濯機の躯体設計を行っていた技術者が、今日から自動車メーカーで内装設計を行う、といった具合だ。もちろん、日々勉強かもしれないが、まずはマルチプレイヤーになる、多能工になるという強い意識改革が必要だ。

 もちろん、笑い話になるように「私は課長ができます」といった自己評価はさらにひどい。自分に何ができるのか、何をしてきたのかを描写できない。そういう人は語るべきことをほとんどしてこなかったのかと訝ってしまう。

 読者の皆さんも、一度、ご自身のポータブルスキルについて考えてみてほしい。それを誰かに説明するとして、その人は、あなたの能力を正しく理解することができるだろうか。

 次回はリーダーシップを含め、ビジネスパーソンが本来あるべき姿をより深堀してみよう。

●お知らせ●

筆者である野田稔さんと伊藤真さんが代表理事を務める
人材の再教育を通じて雇用の流動を高め、社会全体での終身雇用を目指す
「社会人学舎」のホームページができました。
http://gakusya.org/

facebookページはこちら↓
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[12削除理由]:無関係な長文多数

02. 2013年11月11日 10:16:49 : e9xeV93vFQ
トップは部下に「会社に行きたい」と思わせれば上出来

ライフネット生命会長 出口治明さん(その3)

2013年11月11日(月)  高島 宏平

(前回から読む)

高島:前回の最後で、私は出口さんに質問しました。社員皆を分け隔てなく扱うと、一方でエースが育ちにくくなってしまうのではないか、と。その質問に対する出口さんの答えは、「会社の成長のため、チームを底上げするか、エースを育てるか」を一般論で語っても意味がない、というものでした。

出口:そうです。

高島:すみません、もう少し具体的に教えてください。


出口 治明(でぐち・はるあき)
ライフネット生命保険会長兼CEO(最高経営責任者)1948年三重県生まれ。京都大学を卒業後、1972年に日本生命保険に入社。企画部や財務企画部にて経営企画を担当。ロンドン現地法人社長、国際業務部長などを経て、同社を退職。2006年にネットライフ企画株式会社設立、代表取締役就任。2008年にライフネット生命保険株式会社に社名を変更、生命保険業免許を取得。2013年6月より現職。著書に『百年たっても後悔しない仕事のやり方』(ダイヤモンド社)、『仕事は"6勝4敗"でいい「最強の会社員」の行動原則50』(朝日新聞出版)など多数。(写真:大槻 純一、以下同)
出口:ライフネット生命保険には、大きく5つのグループがあります。(1)コンタクトセンター、(2)システム部門 (3)コーポレート管理部門、(4)保険の引き受けから支払いの査定までを行う事務管理部門、(5)マーケティング部門です。

 この5つのうち、マーケティングを除く4つの部門の仕事は基本的に地味な内容です。免許事業ですからミスは決して許されません。当たり前の事を当たり前にきちんとやることが、第一に求められる仕事。それをこの4部門が担っています。

 では、どうすればミスの発生を未然に防ぐことができるでしょうか?

高島:どうするんですか?

出口:答えは、それぞれの部門にいるスタッフが、強いチームワークで結ばれていて、気持ちよく働いてくれることにつきるんです。つまりスタッフ全員が、均等に高いモチベーションを持ち、お互いが助け合い、ミスをフォローし合うような体制と風土を築くこと。これが「ミスの許されない職場」では最も重要なんですね。

高島:出口さんにはっきり言われて気づきました。オイシックスでも、品質管理部門や物流業務部門は、ミスをしないでちゃんとやる、ことが最優先されます。でも、残りひとつの仕事、マーケティングは異なるんですね?

出口:ええ。まったく違う仕事です。まず、ミスを恐れていてはダメ。自分たちの会社と商品を積極的に売り込む仕事だから。

高島:じゃあ、どんな能力が求められます?

センスは育てられるとは限らない

出口:……たとえば、センス、ですね。ライフネット生命保険はインターネットで生命保険を販売していますから、ホームページの出来が業績を大きく左右します。そのホームページのデザインはこうした方が絶対にいい、と意見が言えるかどうか。これは、その社員のセンスの問題なんです。


高島 宏平(たかしま・こうへい)
オイシックス社長。神奈川県生まれ、東京大学大学院工学系研究科情報工学専攻修了後、外資系経営コンサルティング会社のマッキンゼー東京支社に入社。2000年5月に退社、2000年6月に「一般のご家庭での豊かな食生活の実現」を目指しオイシックスを設立、代表取締役社長に就任。
高島:となると、マーケティング部門については、やはりそういったセンスが磨かれたエースを育ていかなければ、と?

出口:マーケティング部門に必要なセンスは、育てようと思って育つものとは限りません。だからむしろ常に外への窓を開いておきます。

高島:外への窓?

出口:社内だけに頼らない、ということですね。外部のセンスのある人に話を訊いたり、ときにはリクルートしたり。マーケティングのようなセンスが必要な仕事は、時として新陳代謝をしていかないと、経営の成功に結びつかなくなります。

高島:管理部門やバックヤード部門の仕事と、マーケティングのような仕事では、根本的に求められる資質が異なる……。

出口:ライフネット生命保険のように社員100人程度の小所帯の会社であっても、仕事によってどういう人が必要かはまったく異なる部分があるわけです。

高島:たしかに。

出口:だから、チームワーク重視の人事が大切なのか、エースを見つけ、育てる人事が大切なのか、と問われたら、その答えは、ひとつひとつの仕事の性質によって違う、となるわけです。仕事の性質を考慮しながら、その仕事にふさわしい教育を社員ひとりひとりに施していく。

高島:今の出口さんの仕事の切り分け方は、当社とはかなり異なります。オイシックスの場合は、僕も含め、社員がわりとリスクをとって、工夫をしたがる傾向にあります。要するに、みんなマーケティング的な仕事をやりたがるんです、マーケティング部門じゃない社員も含めて。むしろ基幹部門やバックヤード部門に必要な、地味な仕事をコツコツまじめにやる社員の数が少ないのかもしれない……。

出口:リスクをとろう、という社員が多いというのは、ベンチャー企業なんだから当然ですよ。

高島:では、どうすれば地味な仕事をコツコツやる社員を育てることができるんでしょう? リクルーティングのときの工夫が必要なんでしょうか? 社員の適性を見抜いたり、モチベーションの維持方法を工夫する必要があるんでしょうか?

出口:社会心理学の本を読めば答えが書いてありますよ。僕の知見では、個々人の仕事に対するモチベーションが上がるのには、2つの理由があります。まず1つめは、会社のコアバリューが、自分のコアバリューに近いこと。要するに、会社が考えていることと自分の考えていることが似ていること。そういう会社に勤めている人のモチベーションは概して高い。これは、さまざまな社会心理学の研究結果が示しているそうです。

「欲しい人」を引きつけ、コアバリューを守るには

高島:ライフネット生命保険のコアバリューは、なんでしょうか。

出口:それは、正直に分かりやすく安くて便利にということで公開しているマニフェストに明記してあります(http://www.lifenet-seimei.co.jp/profile/manifesto/)。このマニフェストを読んで、「ああ、ここに書いてあることは共感できるな」と思ってくれる人と仕事をするのが、ライフネット生命保険にとっても、その人にとっても一番いいんです。

 当社のウェブでもどんな人を求めているのか、すべて公開しています。

高島:ライフネット生命保険の社員の方々のブログにも、マニフェストのことは度々出てきますね。

出口:なので、ライフネット生命保険で働こうかなと思っている人は、マニフェストを先ず読むでしょう。共感しない人は、そもそも入社試験を受けないでしょう。

高島:そりゃそうですね。

出口:ライフネット生命保険のように情報公開して、会社が大事にしているバリューをホームページで丸出しにすることは、実は社員募集の際のスクリーニングコストを下げるんです。つまり、会社に合いそうもない人は最初から受けにこない。

高島:さっそく真似したいです。ただ、マニフェストって社員募集のときだけじゃなくて、むしろ日々の業務で社員たちに徹底させてはじめて意味を持たせられるものですよね。どうやって、マニフェストを徹底させているんですか?

出口:何も特別に徹底なんかしてないですよ。 そんな押し付けがましいことをしなくても、最初からみんな徹底できています。

高島:え、なぜ?

出口:だって、採用する前に、当社のマニフェストを勝手に読んで、この会社がいい、と思って受けにきたのがうちの社員ですから。入社以前に「徹底させる」作業は済んでいるわけです。

高島:なるほど、入社前に会社のマニフェストを公開することで、会社のコアバリューと社員のコアバリューを近くすることができるんですね。では、もう1つのモチベーション維持のカギはなんでしょうか?

出口:会社と仕事が楽しいこと。

高島:なるほど、「楽しい」はあらゆるモチベーションの基本ですね。


出口:そうです。会社に来て、いろいろな同僚と話をしたり、仕事をしたりすることが楽しければ、モチベーションは自然と上がります。そうそう、社内のモチベーション向上とたぶん関係がある話ですけれど、ライフネット生命保険では、社内で自主的に運動部がどんどん生まれているんです。

高島:運動部ですか。いくつあるんですか。

出口:13あります。やれと言ったわけでも、補助金を出しているわけでもないのに、社員100人の会社で13の運動部があります。

高島:すごいなあ。

出口:会社の中で運動部が自主的にできるのって、その会社が楽しくなければ、そもそもメンバーが集まりませんよね。文化系サークルだったら、たとえば「トンカツ部」だったらみんなで一緒に食べに行けばいいし、「子育て部」だったらお昼休みに赤ちゃんの服を交換したり、と、たいして時間はかからないけれど、運動部はお金も時間もかかりますからね。トライアスロン部なら、自費でたとえばハワイの大会まで出かけていって、泳いで漕いで走って、それで帰ってくるわけですから。

 けっこう時間も手間もかかる運動部が自主的にどんどん社内で生まれるということは、みんなこの会社が楽しいんだろうな、と思ってしまうわけです。とてもうれしいですね。

勝手に運動部が出来ていく会社

高島:つまり、自分とコアバリューが同じ会社で、楽しく仕事をする。あ、言葉にすると当たり前ですね。モチベーション高くなるに決まっている。

出口:そうですよ。だから、僕は、トップの仕事の9割以上は、社員が朝起きたときに、今日も楽しいから会社へ行こうと思える企業風土を作ることだと思っています。

高島:9割以上! では、トップにとって残り1割弱の仕事とは?

出口:分からないことを決めていくことです。会社にとっての課題に関するメリットとデメリットがあらかじめ整理されていれば、誰でも決められます。ただ、とにかく急いで決めてくれということがあったり、問題点をよく整理できないこともあったりしますから、そんなときにずばっと決断をするのが、トップの仕事です。

高島:私もそこにずっと悩みながら来ています。あの……、私、会社を作って13年になるんですけど。

出口:大先輩ですね。僕は5年だから、3倍近い。

高島:いやいや、とんでもないです。オイシックスにも運動部は勝手にできていますが、楽しい企業風土を作れているかというと、まだまだだなと思います。どっちかと言うと「たのつらい」感じです。

出口:うちもまだまだです。永遠のチャレンジャーですよ。

高島:ただ、オフの部で運動を楽しむのと、オンの仕事が辛いときも歯を食いしばって乗り越える楽しさとは、ちょっと違うのかなとも思っているんです。

出口:そうですね。楽しめる運動部があるということは、社員が仲がいいということですよね。それは、毎朝会社へ行こうという気持ちをつくる、必要条件です。

 でも、仕事が大変なときに乗り越えるには、それだけでなく、十分条件がないと、できないでしょう。その十分条件が、会社と自分のコアバリューが近いこと、ではないでしょうか。


高島:ああ、なるほど。

出口:辛いときやしんどいときは、誰もが逃げ出したくなると思うんですけれど、でもそこで、僕たちがやっていることは世の中のためになっているんだとか、この会社を好きになってくださるお客様がいっぱいいらっしゃるんだと思えばこそ、それが励みになって、なんとかしなきゃいけないと、頑張ることができる――。

 それから、インターネットでビジネスをしている僕たちは、普段お客様と直に接する機会がありません。そこで、ライフネット生命保険では、3カ月に1回くらい、お客様との集いを行っているんですよ。

高島:お客様をどこかへお招きするんですか。

出口:いえ、このライフネットのオフィスにお越しいただく。交通費も何も出していません。それでも、大阪や遠くから来てくださるお客さまがいらっしゃいます。ありがたいことです。

高島:その集いでは、どんなことをするんですか?

出口:僕が会社の現状をお話しして、お客様からはご意見をいただいて、それから会社の中を案内します。それだけです。

ネットに欠けるリアルを補う

高島:それだけ?

出口:それだけ。お土産も何もなし。これは株主総会の時ですが、遠くから行ったのに水の一杯も出なかったと言われてしまったことがあります(笑)。ただ、インターネットでビジネスをしているとお客様も社員もリアリティを持ちにくい部分があります。

 でも、たとえば遠くから来られたお客さまの話を聞いていると、それだけでそこに同席している社員のモチベーションは上がりますよ。

高島:ああ、それは、そうでしょうね。

出口:応援してくださるお客様がいることを、実感できますからね。そうやって、自分たちのコアバリューが、リアルにお客様に支持されている、と肌身で知る機会があると、それがまた頑張る力になるんじゃないですか。

 高島さんのところでも、似たようなことがあるでしょう。

高島:はい、うちでも2カ月に1回くらい、本社にお客さまをお呼びして、パネルディスカッション形式で、主にクレームを言っていただくんです。それこそホームページの使いづらいところはないか、だとか、商品に対するご不満だとか。「ここの部分、オイシックスさんはいったいどう考えているんですか」とか。すると、私がいくら言っても直らなかったシステムが、一瞬にして直ることがあります。

出口:そうですか。

高島:それから、農家さんもうちにとっては大事なお客様なので、社員が班ごとに、半年に1回お邪魔して、契約農家さんのハウスの周りの雑草を抜くとか、そういうお手伝いをしています。

出口:高島さんの仕事のうらやましいところは、コアバリューを実感しやすいところですね。おいしい野菜が目の前にあって、それをかじれば、社員もお客さんも野菜の「バリュー」を実感できるのですから。

高島:ええ、そこは食べ物なので、「喰えばわかる」リアリティがあります(笑)。だから、言い訳もきかないんですが。

出口:実際に手に取って評価できる「もの」があるって、ちょっとうらやましいですね。すごく皮肉な話ですけれど、保険という商品が役に立つのは、お客様が病気になったときや亡くなったときでしょう。つまり本来、「あってはいけない」ときなんです。

高島:そうですね。

食事の話はどこに行った?

出口:こういう形のないものを、しかも、ある意味ではもっとも寿命の長い商品を、しかもその商品が使われないことがお客様にとってハッピーである、という商品を売るのは、ネットではすごく難しいんですよ。だから、未だに世界中にネット証券はあるけれど、ネット生保はないんです。

高島:形がない、目に見えない、実際に使われるのは遠い先になる商品。しかも使われるシチュエーションがネガティブなときという商品。だからこそ、多くの生命保険会社は、多くの営業職員を投入して、営業をしてきたのかも知れませんね。

出口:そうです。保険商品以前に、一所懸命営業に来てくれる「その人」を買っていただいていたんですね。

高島:なるほどなあ。……あ、一度も食事の話をお訊きしてなかった(汗)

出口:大丈夫?

高島:うーん、いいです(笑)。

(次回に続きます)

このコラムについて
賢者の食卓

「落ち込んだ時、何を食べていますか」「つらかった時、誰と食事を食べましたか」――。ビジネスリーダーやスポーツ選手、そのほかの著名人は何を食べてきたのか。どこで誰と食べてきたのか。食事を通じてその人の人生を描き出すコラム。聞き手は、食品・食材などのインターネット通販会社「オイシックス」社長の高島宏平氏が務める。

[12削除理由]:無関係な長文多数

03. 2013年11月11日 17:01:28 : Un6heX4IUI

結論

人事部や採用担当の責任

これマジ♪


04. 2013年11月12日 02:20:55 : niiL5nr8dQ
「部下のためは、もうウンザリ!」 40代を襲う現場回帰

思い通りにならない状況に、気持ちが萎えていませんか?

2013年11月12日(火)  河合 薫

 今回は、「40代の壁」について考えてみようと思う。

 「なんで、こんなに大変な思いをしてまでやらなくちゃ、いけないんだって、思うときがある。『もういいよ、やめちゃおうぜ』って。でも、その一方で、『これって逃げてるだけだろ?』って、たしなめるもう1人の自分もいるんだよね」。

 先日、久しぶりに会った学生時代の男性の友人はこう漏らした。

 彼は某新聞社に勤め、いくつかの賞をとるなど活躍してきた記者である。その彼が部長になったのは、今から3年前のこと。その彼が現在ぶつかっている“壁”が、同い年の私にとって、実に考えさせられるものだったのである。

 まずは、「やめちゃおっかなぁ〜」っと、本音をポロリとこぼしてしまった、悩める47歳とのやりとりから、ご覧ください。

「ホントに、これでいいのか?」と自問自答する47歳

 「もともと記者になりたくて、この会社に入ったので、管理職になることに興味はなかった。でも、30代後半で組合をやって、考え方が少し変わったんだ。現場がもっと働きやすく、やりがいをもって仕事ができるようにしたいって。そのためにがんばってる先輩たちを見て、もし、自分にそういった権限がもてるチャンスが与えられたら、受けようと思うようになった」

 「だから部長に昇進したとき、うれしいとは思わなかったけどミッションをすごく感じた。うちの会社では課長は、現場のリーダーみたいなもの。でも、部長になれば社内のいろんな権力へアクセスできる。ただね〜、実際に部長になってみると想像以上に大変で、現状を打破したいという気持ちとは裏腹に、現状打破することの難しさも痛感した」

 「それでもとにかく必死に、この3年間やってきた。ところが先日、上司に呼ばれて、異動の可能性を示唆されちゃってさ。なんかふと我に返ってしまったんだよなぁ〜」

 「え? 異動って、左遷? 降格? 一生懸命やってきたことが、評価されなかったの?」

 「その逆だよ。役職は同じ部長だけど、ね」

 「だったら、よかったじゃん。何が不満なの?」

 「ホントに、これでいいのかって。同じ部長でも、今まではどちらかといえば現場に近い部長だったけど、今度は完全に経営サイド。今の部署では、記事をチェックすることもあるし、休んだ部下の代わりに仕事をすることもある。でも、打診された異動先は人事部。完全に現場を離れて、経営側に参画することになる。それでいいのかって」

 「でも、部長になったとき、『俺は役員までなって、会社を変えてやる!』って、ミッションを感じたんでしょ? そのレールに乗れたのに、何に戸惑っているの?」

 「うん、確かにそうなんだけどね。『もう、いいんじゃね?』って気持ちになっている自分がいる。俺は記者になりたくてこの会社に入ったんじゃないのかって。ふと我に返っちゃったんだよなぁ〜。部下のためにいろいろとやっても、部下は勝手なことばかり言うし、部下のために上と闘っても報われないことの方が多い。『俺、なんのためにやってるんだろ?』って。あ〜、これってただの愚痴だね」

 「ただね、今の自分は逃げてるだけなんじゃないかって思いもある。それにいつまでも現場に関わるのは後輩のためにもよくないって、たしなめる自分もいる。これって、1つの組織で長年やってきたサラリーマンならではのしがらみなのかな? 今まで、自分のキャリアで迷うことなんてなかったのに、俺どうしちゃったんだろう。上司と面談してから、ものすっごいブルーなんだよなぁ」

 以上が、彼とのやりとりである。

「誰かのために」動いても、思い通りにならない

 おそらく彼の話を聞いて、「なんて贅沢なこといってるんだ!」と怒りを覚えた人もいるに違いない。40代後半といえば、追い出し部屋に送られないか、リストラされないかと、戦々恐々の日々に苦悩する人の多い世代だ。

 確かに彼の葛藤は、「いったい何を悩んでいらっしゃるのか?」と、突っ込みたくなるほど贅沢極まりないシチュエーションだ。

 ただ、私は彼の話を聞いていて、まるで自分の心の中を突かれたような気分になった。その、なんというか、『もう、いいんじゃね?』って気持ちが、痛いほどわかってしまったのだ。私は組織の人間でもなければ、出世とも関係ない働き方をしているにも関わらず、だ。

 彼は、「長年やってきたサラリーマンならではの、しがらみなのかもしれない」と言っていたけれども、何らかの“ミッション”を感じ動いてはみたものの、気持ちが萎えそうになることは、誰にでもあるのではないだろうか。

 つまり、これって40代という、いわば人生の折り返し地点で誰もが遭遇する“壁”なんじゃないかと。部下のため、子どもため、地域の人のため。シチュエーションは違えど、役職とか、職業とか関係なく、40代後半の人であれば、似たような葛藤を抱いているのではあるまいか。

 私自身、40歳を過ぎたあたりから、どういうわけか「人の役に立ちたい」と思うようになった。これといったきっかけがあったわけでもない。ただ、損得勘定なしに、自分の培ってきたスキルを、自分のやってきたことを、少しでも他者の役に立てたいと思うようになった。

 自分のことだけを考え、勝手に生きてきたのに……。「私、どうしちゃったんだろう?」と、自分でも説明のつかない不思議な感覚だった。

 で、社会貢献と呼べるほどのかっこいいものではないのだけれど、たまたまご縁があって「人の役に立つならば」と、昨年あるプロジェクトを立ち上げ動き出した。

『もう、いいんじゃね?』と思うときありますよね?

 しかしながら、人の役に立つことほど難しいことはないわけで。熱い思いとは裏腹に、上手く回らないことの方が実際には多い。想定外の壁にぶつかり、思い描く理想と厳しい現実の狭間で、てんてこ舞いになる。それが結構しんどい。うん、しんどい。「もう、いいんじゃね?」と、萎えそうになる瞬間がある。

 やっていることの中心に「自分」があるときには、たとえ「もう、いいんじゃね?」的感覚に陥ったとしても、溜まったストレスが発散されてしまえば、再び「がんばろう!」と思える。

 ところが、そこに“自分のため”という明確な影がみえないと、「辞めちゃおうかなぁ〜」などと、逃げ出したくなる。

 「こんなに大変な思いして、やる意味があるのだろうか?」という気持ちがよぎり、ストレスの雨の中をどうにかして歩いて行こう!という、モチベーションが遠のいていきそうになるのだ。

 「ジェネラティビティー(generativity)」――。

 日本語では、「生殖性」と訳されるこの言葉は、米国の心理学者、エリク・H・エリクソンの造語で、「次世代の価値を生み出す行為に積極的にかかわっていくこと」と定義されている。

 エリクソンは、「幼児期と社会」という著書の中で人生を8段階に分け、それぞれの時期になすべき課題(発達課題)を示したが、40代は人生の7段階目の成人期にあたり、その発達課題に、「生殖性」を挙げた。

 ジェネラティビティーの語源は、生殖とか産み出すことを意味する生命科学の分野にある。そして次世代の価値とは、次の世代へ連なって産み出される新しい価値のすべてを指し、子供だけでなく、社会的な業績や知的、芸術的な創造も含まれる。

「自分が自分が」ではなく「次世代」のことを考える

 後輩のため、部下のため、子どものため、他者のため、地域のため──。対象がいかなる関係性のものであれ、次の世代をより良いものにすべく、自分を超えた価値とかかわることがエリクソンの唱えるジェネラティビティーとなる。

 エリクソンの理論では、発達課題の成功や失敗は次の段階の達成に大きく影響を与え、発達課題を克服できれば、人間的に成長し、社会における自己の存在と居場所を獲得できるとしている。

 40代で「自己中心的な発想を超えて、自分の子供や次の世代のために積極的に役立とうとする自我の飛躍」である“ジェネラティビティー”に成功すれば、次の世代を育むことに喜び=美徳を見いだすことができ、人生満足度も高まり、スムーズに人生の最終段階である成熟期を迎えることが可能になる。

 一方、ジェネラティビティーを克服できないと、自己領域を超えられず、“人格の停滞”に陥る。

 人格の停滞とは、いわば若い時の過去の勲章に囚われる生き方。前述の知人の言葉を借りれば、「後輩育成の妨げになる」働き方で、それは不完全な状態だとエリクソンは考えたのである。

 私はこれまで、

これ以上の出世は望めないだろう
これ以上、自分の能力を伸ばすことはできないだろう
これ以上、新しい仕事に取り組むことはできないだろう
 といった、いわば自分への諦めの感覚に陥り、進むべき方向を見失っている40代の方に、「後輩たちと一緒にいい仕事をしようとか、後輩がいい仕事ができるようにしようと、働き方を変えてみてはどうですか?」などとアドバイスしてきた。

 自己に向いているベクトルを、外に向けてみるといい――。何の疑いもなく、そう考えていたのだ。

河合もものすごく揺らいでいます

 でも、今。外にベクトルを向けることの難しさを、痛感している。

 なんて勝手なんだろう。ホント、申し訳ない。でも、だからこそ、「課題」なんだと、思ったりもする。

 つまり、「40代の壁」とは、まさしくジェネラティビティーの課題を、克服できるかどうか。組織のヒエラルキーの山を登ろうと、その山を下りようと関係ない。どんな山を登ろうにも、「壁」が存在するのだ。

 だって、「一記者にもどりたい」という気持ちを抑えて、人事部長になることを選択しても、「自分の子供や次の世代のために積極的に役立とうとする」気持ちを忘れてしまえば、ただの権力に溺れた人間になってしまうに違いない。

 一方、一記者に戻ったとしても、「自分が自分が」という意識を捨てることができなければ、ただの会社のお荷物となり、「無駄な人」と評される。「あの人、たいしたこともやっていないのに、高い給料だけもらっている」などと揶揄されるかもしれないし、上から、「アイツは管理職になれなかったダメな人」と思われ、追い出し部屋においこまれ、猛烈な肩たたきにあう可能性だってある。

 大切なのは、「困ったときには、○○さんのところに行こう」と若手社員が慕うような、清濁併せ呑む技量を持った人間を目指すこと。「自分のことだけ」を考え、過去の勲章にしがみつくような人にはなりたくなければ、そうするしか道はない。

 どんな役職に就こうと、どんな仕事をしようとも、関係ない。自己中心主義から脱し、他者に役立つ気持ちなくして、どうあがいたところで壁は越えられないのだ。

自分と“つじつま”を合わせることが大切

 そこで重要となるのが、人生のつじつまを合わせ、だ。これは、このコラムで何回も取り上げている、「首尾一貫感覚(sense of coherence)」でもある。

 
 生きていれば、自分の思い通りにならないこともあるし、考えてもいなかったような困難に遭遇することだってある。そんなとき、遭遇した困難を、「人生の一コマ」としてありのままを受け入れ、人生のつじつまを合わせることができれば、困難を『自分に対する挑戦だ』と捉え、「どうにかして対峙してやる」と踏ん張ることができる。

 だが、「なんで、こんな目にあわなきゃいけないんだ?」と、つじつま合わせに失敗すると、それを乗り越えようなんて気持ちには到底なれない。

 自分が遭遇した出来事にあらがうのではなく、ありのままを受け入れる。いいとか悪いとかなんだとかじゃなく、「それはそれ」として受け入れる。その上で、「この出来事は自分にとって、どんな意味があるのか?」をとことん考えるしかない。

 それは、「自分の正義は何か?」を改めて考える作業でもある。その作業を怠ったときが「逃げ」なんだと思う。

 極論をいってしまえば、部長になろうと、一記者になろうとどっちでもいいのだ。どう決断しようとも、自分と向き合うという、人間にとって最も苦手な作業を行うことでしか、壁は越えられないのである。

 ついつい厳しい状況におかれると、「昔はよかった」と過去を顧りみたり、隣の畑が良く見えてしまうものだが、どんな道にでも石ころはころがっているし、どこにいっても雨は降る。

 そう、絶対晴れ!なんて、ことは絶対にない。はい、そうですね。私自身、今一度、自分に「意味」を問いかけ、ちょっとだけ踏ん張ってみようと思います。

このコラムについて
河合薫の新・リーダー術 上司と部下の力学

上司と部下が、職場でいい人間関係を築けるかどうか。それは、日常のコミュニケーションにかかっている。このコラムでは、上司の立場、部下の立場をふまえて、真のリーダーとは何かについて考えてみたい。

[12削除理由]:無関係な長文多数

05. 2013年11月12日 08:55:09 : qIkgwxIu9Y
「なぜ若者は3年で辞めるのか」を説いた本は数多いですが、その中でよく指摘され
いる事実があります。

高度成長期も石油危機後の低成長期も、中卒・高卒の労働者は新卒で就職して
2〜5年くらいの間に1〜2回転職し、その後は定着して定年まで勤め上げるという
パターンが一般的だったという事です。

私は仕事上でいろんな年齢・職業の方の生活歴をお聞きすることが多く、実感と
一致しています。

今の30年前、今の50歳が20歳だった頃、大学進学率は2割程度でした。
現在は5割程度です。単純に考えても今の大卒者の半分以上は、かつての高卒者と
同じような就職をしていると予想されます。3年で3割というのはむしろ少ない位
だと思います。


06. 2013年11月21日 13:01:48 : cKftockbJN
3年か。 昔も今も変わっていないよ。

石の上にも3年。 3年たったらいい会社かどうかとか、自分の進路の判断とか
にはいい時期。

僕の覚えでは3年くらいでとびきり優秀なものがやめていった。
とびきりダメなものは3日3月でやめていく。



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