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コマツ社長 大橋徹二氏
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20131109-00010941-president-bus_all
プレジデント 11月9日(土)16時15分配信
最高益更新、構造改革の真っただ中、イノベーションの途上……。それぞれの局面で求められているのはどのようなリーダーなのか。
無人ダンプトラック運行システムやICTブルドーザーなど、先駆的な製品やサービスで知られるコマツ。この4月に就任した大橋徹二氏は米国子会社社長を務めるなど、豊富な海外経験の持ち主である。
――これまでに困難を極め、乗り越えた仕事には何があるか。
【大橋】赤字だった海外子会社の鉱山機械事業の立て直しだろう。2004年、私は鉱山用ダンプトラックの開発と生産、販売を行っているコマツアメリカの社長に就任した。当時は鉱山不況で大赤字のうえ、製品の耐久性に問題があり厳しい局面にあった。坂根社長(当時)からは「ラストチャンスだ。これでうまくいかなかったら、うちの鉱山機械事業は厳しい」と送り出された。
そのとき私の頭にあったのは、かつてコマツが社運をかけて取り組んだ一大プロジェクト「マルA対策」だった。1960年代、資本自由化によって最大のライバル、キャタピラー社の日本上陸が決まったが、当時のコマツ製品は同社と比べ品質に大きな差があった。コマツはグローバル競争に耐えうる水準まで品質を改良するため、組織の質や信頼性まで含めたTQC(総合品質管理)活動を導入。短期間で品質の信頼性・耐久性を向上させ、生き残った。
アメリカでもマルA対策と同様の取り組みが必要と考え、Mining(鉱業)のMを取って「プロジェクトM」と名づけ、製品の設計から製造、販売、アフターサービスのすべてにわたる品質改善に取り組んだ。
オフィスと工場は150マイルほど離れていたが、1カ月に3回の頻度で工場に足を運んだ。1回につき3日間くらい時間をかけて設計からアフターフォローの仕方までしつこく改善していった。
何度も足を運ぶうちに、「社長は3回現場に来て終わりだろう」と思っていた現場にも本気度が伝わったようだ。品質が徐々に改善。同時に鉱山機械市場が回復し、売り上げが伸びていった。事業の立て直しは時間をかけすぎると現場が疲弊してしまう。集中して取り組み、2年くらいで黒字化できたことで、従業員たちは「自分たちが頑張った成果だ」と思ってくれるようになった。
いま、当社が利益を上げているのは鉱山機械事業のおかげ。その半分以上がコマツアメリカによるものである。このときの経験から、本音で話し合える胆力、気力、時間が大事だと思うようになった。
――今後のコマツの課題は何か。
【大橋】13年度からの中期経営計画では3つの柱を打ち出した。イノベーションによる成長戦略と既存事業の成長戦略、土台強化のための構造改革である。2番目と3番目は、既定路線でやり方もやる内容も明快だ。しかしイノベーションは決して簡単にはいかない分野であろう。
コマツでは新しい価値の創出をイノベーションと定義している。それはお客様のビジネスを大きく変え、われわれも変化していくようなソリューションである。
いま、オーストラリアの鉱山で当社の無人ダンプ運行システムが稼働している。ここは街から遠く離れ、気温が50度にもなる。そんな場所に運転手を住まわせるには家や食堂、診療所等インフラが必要になるが、無人ダンプを導入すればそうした問題を解決できる。単に無人ダンプをつくるだけでは、お客様のビジネスを変えることまではできない。われわれはお客様の現場をお客様以上に理解し、新しい価値をつくり出す「イノベーション」を提供できる存在にならなければならない。
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コマツ社長 大橋徹二
1954年、東京都生まれ。77年東京大学工学部卒業、コマツ入社。82年スタンフォード大学大学院留学。2001年真岡工場長、04年コマツアメリカ社長、07年執行役員、09年取締役。13年4月より代表取締役社長兼CEO。
[出身高校]私立麻布高校[長く在籍した部門]生産管理部門[趣味]塩野七生『ローマ人の物語』
[座右の書]熟慮断行[座右の銘]ゴルフ、スキー、観劇
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宮内 健=構成 尾関裕士=撮影
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