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正反対の経済理論が受賞、ノーベル賞とは何か 権威ある賞が作り出した「経済学は科学」という幻想  東洋経済
http://www.asyura2.com/13/hasan83/msg/618.html
投稿者 ダイナモ 日時 2013 年 11 月 04 日 18:59:19: mY9T/8MdR98ug
 

ノーベル経済学賞が、またもや物議を醸している。

10月14日に2013年の受賞者が決まり、資産価格の実証分析をたたえ、3人の学者が共同受賞した。そのうちの一人、シカゴ大学のユージン・ファーマ教授は「効率的市場仮説」の提唱者。「証券市場は、将来の出来事を予測し、それを完全に反映した価格形成を行う」というもの。この説では、大きなバブルの発生や崩壊は存在しないことになる。

一方、イェール大学のロバート・シラー教授の研究内容はこれと正反対のものだ。過去の株価と配当の長期的な関係を調べると、株価の変動性があまりに高いため、効率的市場仮説は妥当ではないと指摘した。また、人間の情熱や恐怖が市場に蔓延すれば、合理的に収益率を予想した投資モデルは、簡単に吹き飛ぶとも主張する。さらにもう一人の受賞者、シカゴ大学のラース・ハンセン教授も、さまざまな市場で効率的市場仮説が成立しないことを統計的手法により示した。

あべこべの理論がノーベル経済学賞を受賞することは珍しくない。

古くは1974年のフリードリッヒ・ハイエクとグンナー・ミュルダールの受賞がある。自由市場の熱烈な信仰者であるハイエクと政府主導の福祉国家論を展開したミュルダールは、いわば水と油だ。また、02年に受賞したダニエル・カーネマンの行動経済学は、人間の選好は不合理で、選好の合理性を基礎とする需給の均衡理論(主流派経済学の中核)が成立しないことを示唆した。

前提条件で理論は変わる

しかし、こうしたチグハグが許されてしまうのが経済学なのだ。経済学が対象とする現実社会はあまりに複雑だ。そのため、個々の理論は多くの極端な前提条件を置いて、現実を単純化している。あくまで経済学とは、現実経済に対する一次的な接近でしかない。同じ山の頂上を目指すうえで、さまざまなルートがあるように、異なる前提の置き方で分析すれば、それぞれの経済理論が示す内容も違ったものになりうる。

経済学とはそういうものだから、ノーベル経済学賞に何も罪がないかといえば、答えは否だ。問題なのは、経済学が強い普遍性を持つ物理学などの自然科学と同じ「科学」であるとの印象を世界に与えたことだ。

ノーベル経済学賞の創設は、物理学賞や化学賞など本家のノーベル賞(1901年開始)から68年後。正式名はノーベル記念経済学スウェーデン国立銀行賞で、毎年の賞金はノーベル財団でなくスウェーデン国立銀行が拠出している。

出自の違いを補おうとしたのか、スウェーデン王立科学アカデミーは、自然科学と同等の地位に高めるべく、経済学でも理論を高度な数学モデルで表現することを重視した。現在の経済学は精緻な応用数学の世界であり、人々はノーベル経済学賞をほかのノーベル賞と同格の権威として受け入れるようになった。

経済学が自然科学と同等に扱われると何がよくないのか。

それは、“科学である”経済学が「この政策が社会に最も望ましい経済的な成果をもたらす」と説けば、それが正しい政策だと、多くの人に分別なく受け入れられるようになることだ。

先述したように、ある政策の根拠となっている経済理論も、前提の置き方が違えば、別のことがいえる。だが、世間の人々は難しい理論を深く理解するのでなく、経済学の名声などを当てにしている。その結果、経済理論が「つねに正しい」と、思い込む人たちが生まれてしまう。

表のように70年代以降、自由市場を信奉するシカゴ学派関連の経済理論がノーベル経済学賞を席巻した。こうした理論は、世界的な規制緩和や金融市場の自由化、公的部門の縮小の潮流を牽引する原動力となった。だが、リーマンショックを契機に「行き過ぎではなかったか」と見直しの機運も高まっている。


価値観中立を装う経済学

経済学が自然科学と同等に扱われることによって、さらに根の深い問題も生まれている。それは、経済学があたかも政治的な価値判断から「中立」であるかのように認識されるようになったことだ。

70年代当時、欧米では福祉国家のような社会民主主義的な価値観が強かった。一方で、慢性的なインフレと高失業率に苦しめられていた。そのとき、さっそうと表舞台に登場したのが、ノーベル経済学賞を受賞したミルトン・フリードマンに代表されるシカゴ学派だった。

彼らは、社会保障制度など公的部門や規制、官僚の非効率性を“科学的”な事実発見を基に説き、社会民主主義的な政策は経済法則を無視していると反対した。当時の人々には、客観的な科学による新しい処方箋が登場したと映ったに違いない。

だが、経済理論が政治的な価値判断から中立であるというのは幻想だ。先述のミュルダールは『経済学説と政治的要素』において「問いはいやしくもわれわれの関心の表現であり、それらは根底において価値判断である。価値判断は当然、事実を観察し理論的分析を行う段階ですでに含まれている」と指摘している。

シカゴ学派の理論には、「自由市場は社会の利害を自動的に調和させる」という市場万能の価値判断が含まれている。それは政府の縮小、税や社会保障負担の縮小という形で、経済界や富裕層の政治的利益に直結する。今や、「自分はノンポリだ」と考える人々の思考回路にも、何かしら自由市場の価値感が入り込んでいるはず。ノーベル経済学賞の影響は計り知れない。=一部敬称略=

(週刊東洋経済2013年11月2日特大号)


http://toyokeizai.net/articles/-/22930  

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コメント
 
01. 2013年11月04日 19:17:41 : nJF6kGWndY

別に、正反対というわけではない

市場というのは、通常は、情報が完全に織り込まれ効率的に見える状況が続くが、
明らかに非合理的に高い(安い)価格がつくバブル(恐慌)状況も生じるということだ


>価値観中立を装う経済学

経済学を、福利厚生の増大という価値の達成に使おうとすれば、当然、価値観中立にはならなくなるだけで、別に、経済学自体は、そうした価値とは無関係

そういう意味では、工学や医学と同じ

どちらも福利厚生の増大に役立つが、状況によっては、破壊的な兵器開発などによって大量殺戮にも使える


02. 2013年11月04日 19:32:02 : nJF6kGWndY

>シカゴ学派の理論には、「自由市場は社会の利害を自動的に調和させる」という市場万能の価値判断が含まれている
>政府の縮小、税や社会保障負担の縮小という形で、経済界や富裕層の政治的利益に直結

これも間違い

正確には、

市場が効率的に機能するならば、市場参加者の効用が最大化できると主張しているだけ

だから

市場が効率的に寡占や独占されたり、情報の非対称性が生じないような規制が必要だし
恐慌やバブルが生じないような規制や、信用供与も必要になる


また、市場参加者全体の効用が最大化したからと言って、生産性が限りなく0の人々(重度の身体・知的障碍者、孤独老人、孤児・・)が必要な資源を確保できるわけではないから

福祉国家における再分配の機能を否定しているわけでもない

ただし、シカゴ学派の中にも、いろいろな価値観を持つ人もいるだろうから、それは経済理論とは、全く別な話


03. 2013年11月04日 20:15:20 : yy7D5jhcis
これだけ貧富の差が拡大し、資本の偏在化が進むと数百兆の金を動かせる(所有していなくても影響を及ぼせる)有力者は、中央銀行・メディア・政治家も総動員して金融市場を変動させる事象をことごとく演出することができる。金融市場の操作が公然と行われていることはもう横町のドラ猫でも知っていることだ。インサイダー以外は間違いなく9割以上の確率で損することが明白なのに、たまに当たった個人投機家の話を針小棒大に取り上げて喧伝し無知な庶民をだます仕組みだ。それを隠蔽するためにくだらない学説をでっちあげて「経済学」をあたかも自然現象を取り扱う科学であるかのように演出するためにノーベル経済学賞が作られたつうことだろね。比較的真相を突いているのはマルクス経済学だけだろう。

04. 2013年11月04日 21:08:58 : nJF6kGWndY

>>03

市場は、そんなに単純ではない

http://www.bloomberg.co.jp/news/123-MGPWZB6JIJW501.html
JPモルガン:ダイモンCEOの報酬半減−「鯨」損失で引責


05. 2013年11月04日 21:23:38 : 2HfXnWopUA
経済学者の数だけ理論があるのが「経済学」

06. 2013年11月05日 05:44:39 : e9xeV93vFQ
予測の予測の予測の予測・・・・は予測できるのか?

株価を予想するのは、美人投票よりはるかに難しい

2013年11月5日(火)  工藤 教孝

 市場経済において、価格は極めて重要な役割を果たしている。もしもマグロの値段がいつもより高ければ、それは、人々がマグロをいつもより欲している状態(需要の増加)か、またはマグロの水揚げがいつもより減少している状態(供給の減少)であることが分かる。価格が需給の状態を素早く集約して私たちに知らせてくれることで、私たちは適切な選択を行うことができる。また、「安いならマグロを食べてもいいかな」という人たちよりも「高値でもいいから是非今日はマグロを食べたい」という人たちへ優先的にマグロ資源を配分することを通じて、経済全体の資源配分をより良いものにしてくれるのである。これが価格メカニズムである。

 もしも価格メカニズムが機能しなければ、マグロはたちどころに枯渇してしまうし、それを回避するために政府が私達のマグロ消費許容量をいちいち法律で決めて監視しなければならなくなるだろう。価格メカニズムが機能しているおかげで、マグロ資源の減少は直ちに価格上昇につながり、より値段の安い食品の消費が促されてマグロの消費が控えられるだけでなく、マグロを増やす努力(例えば養殖技術の開発など)が促され、マグロの枯渇を回避しながらも長くマグロの消費を楽しみ続けることが可能になるのだ。

 このように、価格が需給の状態を素早く集約して私たちに知らせてくれることを、経済学では「価格の情報伝達機能」と呼んでいる。

 この基本原理を株式市場に応用して得られる結論の1つが、2013年のノーベル経済学賞を受賞した1人、ユージン・ファーマ米シカゴ大学教授が概念を整理した「効率的市場仮説」である。これは要するに、株価には私達が持つありとあらゆる情報が瞬時に反映されており、その意味で株価は常に「正しい」という主張である。株価は企業業績の展望を正確に反映したものになっており、株価の変動は業績見通しが変動したに過ぎず、そこにバブルの入る余地はない、ということも同時に意味するのだ。

脳天気すぎる「効率的市場仮説」

 ここまでお読みになった読者もお気づきのように、効率的市場仮説は一見とてつもなく脳天気な主張であるため、この仮説の重要性を理解するのは簡単なことではない。だが、研究者達は「現実はこんなに上手い具合にいくはずがない」などと言ってこの仮説を簡単に一蹴するのではなく、仮説が実際のデータで成立しているかどうかを多方面から検証し、もし成立しないならばその具体的なメカニズムについて明らかにしようとする努力を長年積み重ねてきた。

 バブルが存在するかどうかなど、金融市場に関する問いかけの多くは「効率的市場仮説は成立するのか」という問いかけに帰着できる。そのため、効率的市場仮説は膨大な実証研究の呼び水になっただけでなく、高度な理論分析の出発地点を与えることにもなり、資産価格研究の礎とも言える存在である。ノーベル経済学賞の受賞対象は「資産価格の実証研究」であったが、一言で言えば、効率的市場仮説の検証を行った研究者たちに与えられたということになる。

 さて、そもそも株価が変動するには、投資家に情報が伝わる必要がある。以下では、サンフォード・グロスマン教授らによって開発された数学モデルの分析を基に、情報がどのようにして株価に反映されるのか見ていくことにする。

 例えば、あなたがある企業の先行きに関する情報を入手し、「企業の実力と比べて現在の株価は安すぎる、お買い得だ」と判断したとしよう。この情報に基づいてあなたが株を購入しようとすると、それが株の需要を増やすので株価上昇につながるのだ。あなたの情報がかなり確かなものであると信じているならば、情報に自信がない場合よりも多くの買い注文を出すはずなので、株価上昇圧力もより大きくなるはずだ。こうしてあなたの情報は株価の動きに対してその向きと力の大きさを与えることになる。

 もちろん、巨大な株式市場の規模と比べてあなたの存在はあまりにも小さいので、あなた1人の行動だけで市場が大きく変動することはない。また、あなたとは逆に先行きに悲観的な情報を入手して株を売ろうとしている人たちもいるはずだ。

理論的にも、企業の情報は株価に織り込まれる

 市場全体では、非常に多くの市場参加者の情報や判断が、売り注文や買い注文という形で市場価格を形成してゆくので、株価はその時点におけるすべての市場参加者の情報を集計したものになっているはずだ。経済ニュースでもしばしば「その情報はすでに株価に織り込まれた」等の表現を見聞きするが、この表現は実は、理論モデルと整合的なのである。

 グロスマン教授と(2001年にノーベル賞を受賞した)ジョセフ・スティグリッツ教授は、同じモデルを使って、株式市場における情報収集のインセンティブについて興味深い分析を行った。

 もしも市場が全ての情報を瞬時に完璧に価格に織り込んでくれるならば、私たちはわざわざ企業や日本経済の先行きについて真剣に情報収集をしたり考えたりする必要はなく、単に市場価格だけ見て行動をとればよいことになる。実際、株価の動きだけを見て売買をする「チャート主義」の人々も多く存在する。しかしながら、その結果、誰1人として時間や費用をかけて情報収集をするインセンティブのある人がいなくなり、結果、価格には何の情報も反映されなくなる、というのである。

 「グロスマンとスティグリッツのパラドックス」として知られるこの結果は、皮肉にも市場の情報伝達能力が完璧であるがゆえに、全員が他者の情報収集活動に「ただ乗り」しようとして、かえって市場から情報が失われる、という点が非常に興味深い。この結果と理論モデルの枠組みは、ファイナンス理論の金字塔のひとつである。

 他者の情報へのただ乗り以外にも、価格の情報伝達能力を引き下げる要因が見つかっている。仮にあなたが「日本経済の実力と比べて現在の株価は安すぎる、お買い得だ」と判断したとしても、自分の判断材料は自分しか見ていない。その一方で、株価はほかのすべての人々が見ている。その結果、あなたは自分の判断よりも株価から得られる情報を重視してしまうかもしれない。つまり、仮にあらかじめ情報を持っていたとしても、その情報を軽視してしまう結果、その情報が株価に十分に反映されない可能性があるのだ。このような性質を「公開情報への過剰な依存」と呼ぶ。

自分の情報や判断を軽視してしまう理由

 こうした時に自分が保有する情報や判断を軽視してしまうのはなぜだろうか。もしも私達が株を購入するときに「永久に転売しない」のであれば、株保有の利益のすべては配当収入によってのみ得られることになるので、私達は企業業績だけ予測すればよく(もちろんそれだけでもかなり難度が高いが)、他人の予測に振り回される必要はない。

 しかしながら、実際には株の購入者はいずれ市場を通じて他者にその株を売却してしまう。そしてその事実が株式市場の性質を大きく変えてしまうことになる。購入する株をいずれ転売するので、売却時点における株価が気になってしまうのだ。そしてその株価は売却時点で決まるので、「売却時に他の市場参加者達がどう株価を評価しているのか」について気にしなければならないのである、しかも自分が株を購入する時点に、である。

 さらにはその「他者」もさらにその後転売するので、彼らもさらなる将来の他者の評価を気にしているはずで、その事実をあなたも気にしなければならない。したがって、あなたが株購入時に予測しなければならないのは「株価に関する人々の予測」に関する予測、いや、「株価に関する人々の予測に関する人々の予測に関する人々の予測・・・に関する人々の予測」を予測しようとしていることになる。株式市場に関するこのような洞察を最初に行ったのは、かの有名なケインズである(「ケインズの美人投票」として知られている)が、数学モデルを通じて厳密にそのメカニズムが明らかにされたのは、実は近年になってからのことである。

 人々が互いに将来の株価の予測を予測しようとし合っているとき、最も役に立つのは株価のような「誰もが見ている情報」である。人々は個々の情報や判断よりも、目の前の株価から得られる情報を優先して行動をとってしまい、その結果、株価に反映される情報が減ってしまうことで、株価が適正値(=全ての情報が反映された株価)から乖離してしまうことになる。この乖離こそバブルである。つまり、転売による短期利益追求型の投資家が市場に増えていくことは、金融市場の情報伝達機能を引き下げ、ひいては資産価格バブルの原因にもなるのである。

 最近の研究で解明されたもうひとつの重要な結論は、人々が予測を予測し合っているような状況では、人々の予測が「粘着性」を持つということである。言い換えると、人々の予測はそう簡単には変動しないのだ。なぜなら、自分の情報のみに基づいて予測を変えると損をしてしまうかもしれないと考えるからである。

 例えば、「明日からエスカレーターでは左右二列に皆が並ぶ」という情報を得たとしよう。その情報を基に、人々の並び方についての予測を私達がただちに変えるかどうか考えてみよう。もしも目の前でほかの人達が左右二列に並ぶ様子を見た後ならば、私達は安心して自分も二列になれる。しかし、自分がエスカレーターの先頭になってしまう場合、他人からのひんしゅくを恐れずに二列になれるだろうか。逆に言えば、私達が躊躇してしまう理由は何だろうか。

 「皆が二列に並ぶ」という新しい情報をあなたが信じるためには、あなたは「他の人達も、皆が二列に並ぶと信じている」と信じる必要がある。なぜなら、あなたも他の皆も立場が同じなので、彼らが行動を変更するためには、彼らも「他の人達が二列に並ぶ」と信じる必要があるからだ。

 ということは、あなたは、あなた自身が「皆が二列に並ぶと信じている」という事実を他の皆に信じてもらう必要がある。この論理はさらに続き、あなたは「【“『明日から二列』という情報を私が知っている”という情報を皆が知っている】という情報を私が知っている」・・・と、どこまでも気にしなければならない。これを経済学では高次の予測(Higher Order Expectations)と呼ぶ。先に登場したケインズの美人投票の現代版である。

 予測の粘着性は、資産バブルが徐々に大きくなって行く際になかなか崩壊しない状況の説明には有力な仮説となるが、他方で、2013年のノーベル賞を受賞したロバート・シラー教授が発見した「株価の変動は配当の変動よりも大きい」という事実とは整合的ではなく、高次の予測と株価の関係については現在も研究が続いている。

このコラムについて
「気鋭の論点」

経済学の最新知識を分かりやすく解説するコラムです。執筆者は、研究の一線で活躍する気鋭の若手経済学者たち。それぞれのテーマの中には一見難しい理論に見えるものもありますが、私たちの仕事や暮らしを考える上で役立つ身近なテーマもたくさんあります。意外なところに経済学が生かされていることも分かるはずです。

[12削除理由]:無関係な長文多数

07. 2013年11月05日 07:29:51 : nJF6kGWndY

大衆が愚かなのは仕方がないが、一番大きな誤解は

経済学も含め、科学者の主張が、科学そのものと混同されることだ

彼らが社会に向かって語る場合、その内容は、何等かの価値観(大衆の生活向上、国家機能強化、自由の実現・・・)に基づき、(彼らの科学的な知識を使った)政策(アクション)を語っているに過ぎず
それ自体を科学だと考えるのは間違いだということだ


その好例が、脳科学者の茂木がTVで東大生に語っていた東大批判などだ


08. 2013年11月05日 10:06:43 : AVoYERExno
新しく設けられたノーベル賞は地に落ちた。

平和賞なんて、一体何だ?
経済学賞も、詐欺手法の宣伝。

笑わせる。

ノーベル賞も、原点に戻る事と、思う。


09. 2013年11月05日 19:17:29 : e0k3K1A4qI

 経済学なんぞやるだけムダ、学者の言うとおりに経済が動いたためしが無い。

 あの特はああだった、この時はこうだった…全て後追いで言っているだけだ。

 投資で大儲けした経済学者がいないことが、その事実を証明している。


10. 2013年11月06日 17:49:36 : hViZKmZ9hk

経済学と相場は別物である。
相場は経済指標ではない。

経済学だけで相場の価格を予想するという方法論が間違っているということ。
相場予想をするツールの一部と考えるべきである。

逆に相場が経済に与える影響が大きい場合もある。
相互作用があるように感じる。
 



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