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バチカン市国「神の資金」を扱う闇の男たち -前編-[橘玲の世界投資見聞録](ダイヤモンド・オンライン) 
http://www.asyura2.com/13/hasan83/msg/611.html
投稿者 かさっこ地蔵 日時 2013 年 11 月 04 日 13:31:48: AtMSjtXKW4rJY
 

http://newsbiz.yahoo.co.jp/detail?a=20131104-00043894-diamond-nb
ダイヤモンド・オンライン 2013/11/4 09:40 橘玲


 前回、ロンドンの中心部にある金融街シティが中世から続く“自治権”を有し、「国家のなかのもうひとつの国家」になっていることを紹介した。

[参考記事]
●金融立国イギリスの中心地・シティがウォール街に対抗できる理由

 同様にヨーロッパには、複雑な歴史的経緯のなかで「主権」や「自治権」という法外な特権を手にした小国や地域がいくつもあり、それらの多くがタックスヘイヴンとなっている。シティと並ぶヨーロッパの代表的な「国内タックスヘイヴン」がバチカンだ。

● バチカンが教皇領を放棄した見返りに得た1000億円

 バチカンはサン・ピエトロ大聖堂を中心とするわずか0.44平方キロメートルの敷地に800人ほどの「国民」が暮らす世界最小の主権国家だが、全世界で12億人(世界人口の17.5%)といわれるカトリック信者への絶大な権威を有している。バチカン政府であるローマ教皇庁はカトリックの最高位である枢機卿団によって統治され、その代表がローマ教皇(法王)だ。

 バチカンの起源は4世紀にこの地が聖ペテロの墓所とされ、教会が建立されたことだとされている。その後、1626年に現在のサン・ピエトロ大聖堂が完成すると、ローマ教皇の座所としてカトリックの総本山となった。

 ローマ教皇は19世紀半ばまでイタリア中部に広大な教皇領を保有していたが、フランス革命とナポレオン戦争に端を発した国民国家の建設運動のなか、1870年にバチカン以外の教皇領がイタリア王国によって接収され、ローマ教皇庁はイタリア政府との関係を断絶した。

 この難題を解決したのがファシスト党のムッソリーニで、1929年のラテラノ条約によって、教皇領の権利放棄と引き換えにバチカンの「主権国家」としての地位とイタリアに対する免税特権を保証した。このときムッソリーニは、バチカン市国以外の領地を放棄する代償として7億5000万リラ、現在の時価に換算して約1000億円を支払うことに合意している。この補償金が、その後の“バチカン株式会社”の資本金となった。

 当時の教皇ピオ11世は財産管理局を新設し、ベルナルディーノ・ノガーラというユダヤ人にその管理を任せた。ノガーラ家はユダヤ教を捨ててカトリックに改宗しており、兄は神父として教皇に仕えていた。

 ノガーラの投資家としての手腕には目を見張るものがあった。大株主となった企業には教皇の親族を経営陣に送り込み、損害を被りそうになるとムッソリーニに高値で買い取らせ、第二次世界大戦でイタリアの敗北を予測するや資産を金塊に替えて巨額の利益を得た。

 戦後はロスチャイルド、クレディ・スイス、JPモルガン、チェースマンハッタンなどの金融機関を通じて世界市場に投資し、ゼネラルモーターズ、シェル、ガルフ石油、IBMなどの大株主となった。また不動産投資にも積極的で、シャンゼリゼの1ブロックを所有し、世界一の高さを誇ったモントリオールの証券取引所タワーやワシントンの名門ウォーターゲートホテルを購入した。

 1942年、バチカンは宗務委員会を宗教事業協会に改組し、これが後に「バチカン銀行」と呼ばれるようになる。

 1958年にノガーラが死んだとき、バチカンは少なく見積もっても10億ドルの資産を保有し、そこから毎年4000万ドルの利益を得ていた。ある枢機卿は、「イエス・キリストの次にカトリック教会に起こった大事件はノガーラを得たことだ」とまで述べた。

● イタリアのマフィアと政治の根深い関係

 第2次世界大戦後に共和国として出発したイタリアは、深刻な社会問題と政治的対立を抱えていた。

 イタリアの宿痾ともいえる社会問題は富裕な北イタリアと貧しい南イタリアの経済格差と、貧困地域で勢力を伸張させた反社会的集団の存在だ。

 ローマ帝国の時代にまで遡るイタリアでは、それぞれの地域が異なる歴史を歩んできた。たとえばシチリアは、古代ギリシア、カルタゴ、古代ローマ、東ローマ帝国、北アフリカのイスラーム国、神聖ローマ帝国、スペイン、オーストリア(ハプスブルク家)などの外国に支配・搾取された苦難の歴史を背負っており、シチリア人は自分たちを“イタリア人”とは考えてこなかった。南イタリアの他の地域も同様で、ひとびとは自警団的な組織をつくって外国の支配者から家族や共同体を守ってきた。これがマフィア(シチリア)、カモッラ(カンパーニャ州)、ンドラゲータ(カラブリア州)、サクラ・コローナ・ウニータ(プーリア州)などと呼ばれる組織の母体になった。

 イタリア統一後も彼らは地元の選挙を支配し、息のかかった政治家を中央政界に送り込むことで、公共事業や補助金から巨額の利益を得た。こうしてイタリアの政治は、反社会的集団に深く侵食されることになった。

[参考記事]
●書籍『死都ゴモラ』が明かす、南イタリアの途方もない秘密

 イタリアの政治問題とは、敗戦でファシスト政権が倒れたあと、キリスト教民主党と共産党が激しく対立したことだ。

 イタリア共産党は戦争中、パルチザンとしてファシスト党とたたかったことで、冷戦下の西側世界では例外的に国民の支持が高かった。また1950年代に構造改革路線を採択してソ連と袂を分かち、70年代にはマルクスレーニン主義やプロレタリア独裁などの綱領を放棄して「ユーロコミュニズム」を唱え勢力を大きく伸張させた。

 こうした事態に強い危機感を抱いたのが右派のキリスト教民主党とその背後にいるアメリカで、彼らはマフィアなどの犯罪組織を利用して共産党政権を阻止しようと画策した。

 もともと米国は、第二次世界大戦のシチリア上陸にあたって、ニューヨークマフィアの大ボス、ラッキー・ルチアーノを通じてシチリアマフィアの協力を得ている。ムッソリーニがマフィアを弾圧したことから彼らは反ファシズムで、敬虔なカトリック教徒でもあった。こうして、キリスト教民主党とアメリカCIA、コーザ・ノストラと呼ばれる反社会的集団が「右派連合」を形成し、それがカトリックの総本山バチカンとつながる構図ができあがったのだ。

 イタリアの政治抗争は1970年代から激化し、左派と右派の急進派によって各地で市民を巻き込んだ爆弾テロ事件が引き起こされた。これらは当時、極左過激派による犯行とされたが、現在ではキリスト教民主党の大物政治家やイタリア軍の情報関係者が関与していたことが明らかになっている。

 1978年には、キリスト教民主党の党首アルド・モーロ元首相が極左テロ組織「赤い旅団」に誘拐・殺害されるという事件が起きている。イタリアは当時、「歴史的妥協」によってキリスト教民主党と共産党の大連立が成立しており、モーロはその主導者だったが、彼の死によって連立政権は崩壊した。この事件にもキリスト教民主党の大物政治家ジュリオ・アンドレオッティが関与しており、アンドレオッティとマフィアとの親密な交際は「公然の秘密」だった。

● 秘密組織でつながったひとびと

 ポール・マルチンクスは、1922年にシカゴ郊外の町シセロに生まれた。その当時、シセロにはシカゴを追われた“帝王”アル・カポネが本部を構え、人口6万人の小さな町はギャングによって支配されていた。

 聖職者の道を選んだマリチンクスは25歳で司祭に任じられ、弱冠30歳でバチカンの枢要なポストを任されるようになる。マルチンクスは反共主義者で知られるニューヨーク大司教を後ろ盾とし、身長186センチの巨漢を活かしてローマ教皇パウロ6世のボディガードを務めたことで出世の階段を駆け上がった。

 マルチンクスは1971年、バチカン銀行の総裁を任されることになる。

 その当時、バチカン銀行は保有する株式の配当課税で問題を抱えていた。ラテラノ条約によってバチカンへの課税は免除されていたが、イタリア政府はこれを不公平として、最高30%の配当課税を課すと通告してきたからだ。

 これをきっかけにバチカンは、イタリアの金融市場から撤退してアメリカなど海外に投資することを計画し、イタリア企業の株式を秘密裏に売却しようとした。バチカンが株を売るという噂が流れただけで株式市場は暴落し、巨額の損失を被るおそれがあるから、これはきわめて困難な取引だった。

 マルチンクスはこの仕事を、ミケーレ・シンドーナというシチリア出身の銀行家の協力を得て見事にやり遂げた。シンドーナはスイスやアメリカの銀行を保有する金融事業家で、バチカンの保有株を言い値で引き取ることで司教の信頼を得て、ローマ教皇庁の財務顧問に就任することになる。

 しかしシンドーナには、もうひとつの顔があった。シチリア生まれのこの銀行家は、ニューヨークのマフィア、ラッキー・ルチアーノやヴィート・ジェノベーゼのために麻薬資金の洗浄を行なっていたのだ。

 シンドーナはマルチンクス司教に、ロベルト・カルヴィという銀行家を紹介している。カルヴィはアンブロジャーノ銀行というカトリックの系金融機関の頭取で、マルチンクスやシンドーナと組んでミラノ証券取引所の相場を操り、投機的な取引で大きな利益を上げた。

 マルチンクスはバチカンのためにこうした汚れ仕事を引き受け、私腹を肥やすようなことはしていなかった。

 「この世で、カネの心配をせずに生きることなどできない。教会は、アヴェ・マリーアと唱えているだけでは運営できないのだ」

 というマルチンクスの言葉はよく知られている。

 1974年にイタリアの株式市場が暴落するとシンドーナの金融帝国は崩壊し、イタリアやアメリカで関連金融機関が次々と倒産した。政府や預金者が巨額の損失を被り、横領罪での捜査が始まったことから、シンドーナはスイス経由でアメリカに逃亡してしまう。

 シンドーナがいなくなったことで、バチカンとのビジネスはアンブロジャーノ銀行に引き継がれた。頭取のカルヴィは、バチカンの資金を一手に扱うことで「神の銀行家」と呼ばれるようになった。

 マルチンクス司教やミケーレ・シンドーナ、ロベルト・カルヴィには共通項があった。彼らはみな「P2」と呼ばれる組織の会員だったのだ。

 P2は「プロパガンダ2」の略で、リーチョ・ジェッリという右翼のフィクサーによって創設された。19世紀に存在した「プロパガンダ」という組織の再建を目指したことが、その名の由来だ。プロパガンダは秘密結社フリーメーソンの伝説的な支部だった。

 ジェッリは1963年11月にフリーメーソンに入会し、第3位会員として、支部長(グランドマスター)から有力者のサークルをつくるよう命ぜられた。反共主義者のジェッリは、P2に政治家や経済人、マフィアなどを加入させ、それをバチカンにつないで巨大な闇の金融システムをつくりあげていたのだ。

 (後編に続く)

参考文献:デイヴィッド・ヤロップ『法王暗殺』(文藝春秋)
 ジャンルイージ・ヌッツィ『バチカン株式会社』(柏書房)  <執筆・ 橘 玲(たちばな あきら)>

  作家。「海外投資を楽しむ会」創設メンバーのひとり。2002年、金融小説『マネーロンダリング』(幻冬舎文庫)でデビュー。「新世紀の資本論」と評された『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』(幻冬舎)が30万部の大ベストセラーに。著書に『黄金の扉を開ける賢者の海外投資術 究極の資産運用編』『黄金の扉を開ける賢者の海外投資術 至高の銀行・証券編』(以上ダイヤモンド社)などがある。ザイ・オンラインとの共同サイト『橘玲の海外投資の歩き方』にて、お金、投資についての考え方を連載中。

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コメント
 
01. 2013年11月05日 00:46:18 : yMQEIHxEhk
「1929年から第二次世界大戦勃発の時まで、[ベルナディノ]ノガーラ[バチカンの財政管理者]はイタリアの経済の様々な分野、特に電力、電話通信、信用取り引きや銀行業、小規模な鉄道、農機具・セメント・織物の製造などの分野に、バチカンの資本とバチカンの代理者たちを投入して働かせた。それら投機的な事業の多くは功を奏した。
 「ノガーラは、ソキエタ・イタリアナ・デラ・ビスコサ、スペルテシレ、ソキエタ・メリディオナレ・インダストリエ・テシリ、およびキサライオンを含め、幾つかの会社を掌握した。それらを合併して一つの会社とし、キサ(CISA)‐ビスコサと命名し、バチカンの極めて信任の厚い信徒の一人であるフランケスコ・マリア・オダッソ男爵の指揮下に置いたノガーラは、次いでその新会社をイタリア最大の織物製造会社であるシニア(SNIA)‐ビスコサに併合させるよう物事を巧みに操った。結局、バチカンの所有するシニア‐ビスコサ社の株はますます増大し、やがてバチカンは同社を支配した。その証拠として、オダッソ男爵が後に副会長になったという事実がある。
 「こうして、ノガーラはまさしく繊維業界に影響力を浸透させた。彼はほかの方法で他の業界にも影響力を浸透させた。というのは、ノガーラは多くの策略をひそかに用意していたからである。この無私の人物は……イタリア経済に命を吹き込むため、恐らくイタリア史上ほかのどんな実業家よりも多くの事を行なったであろう。……ベニト・ムッソリーニは自分の夢見た帝国の建設を成し遂げることは決してできなかったが、バチカンとベルナディノ・ノガーラに別の種類の支配力を作り出させることができた」―「バチカン帝国」、ニノ・ロ・ベロ著、71‐73ページ

 大いなるバビロンが「地の商人たち」と密接な協力関係にあることを示す実例だ。

(ピ)


02. 2013年11月11日 09:57:38 : e9xeV93vFQ
2013年11月6日 橘玲
バチカン市国「神の資金」を扱う闇の男たち −後編-
[橘玲の世界投資見聞録]

 1979年3月20日、政治情報誌を発刊する弁護士兼ジャーナリストのミーノ・ペコレッリが自宅前の駐車場の車の中で死んでいるのが発見された。口の中に拳銃が突っ込まれ、2発撃たれていた。「オルメタ(沈黙)の掟」を破った者に対するコーザ・ノストラの死の制裁だった。

 “処刑”されたペコレッ リは、リーチョ・ジェッリという右翼のフィクサーから情報提供を受け、政財界の裏情報を記事にして小金を稼いでいたが、1978年5月に起きたアルド・ モーロ元首相の誘拐・暗殺事件に同じキリスト教民主党の大物政治家ジュリオ・アンドレオッティ元首相が関与しているとの暴露記事を発表してイタリア社会を激震させた。

 ジェッリはその当時、「P2」という秘密組織を運営していた。ペコレッリがこの“スクープ”を手に入れたのは彼自身もP2のメンバーで、アンドレオッティがP2会員であることを知っていたからだ。

 ペコレッリは同じ時期にもうひとつ、超弩級のスクープ記事を書いている。彼がジェッリを裏切ったのは口止め料を強請るためだといわれているが、この記事がイタリア現代史を大きく動かすことになる。

 ペコレッリは、独自に調べたバチカン内のP2会員100人の名簿を雑誌に掲載したのだ。

前回の記事はこちら

●バチカン市国「神の資金」を扱う闇の男たち -前編-

ジェッリが築いたP2という秘密組織

  リーチョ・ジェッリはイタリアの右翼活動家で、ムッソリーニ率いるファシスト党の民兵組織・黒シャツ隊としてスペインのフランコ政権を支援し、第二次世界大戦後はネオファシストと呼ばれたイタリア社会運動党の創設に参加し、幹部として活動した。反共主義者としてジェッリは、アメリカやイギリスの情報部に協力して共産党への謀略を仕掛けると同時に、ナチスドイツ戦犯の南米への逃亡を支援している。

 ジェッリは1963年、フリーメンソンのグランドロッジ「イタリア大東社」に入会すると、かつての有力支部「プロパガンダ」の再建を目指して「プロパガンダ2」略称「P2」を結成した。

当時のイタリアは左翼政党が勢力を伸ばし、共産主義政権誕生の“危機”に晒されていた。ジェッリは退役した高級将校を通じて軍の上層部に食い込み、「極右 勢力の大同団結」を旗印に組織を拡大した。これには、NATOの一員であるイタリアの共産化に備え軍部によるクーデターを準備していたCIAからの積極的な支援があったとされる。

 ジェッリはP2入会にあたって、忠誠の証として他の有力者の秘密を明かすよう求めた。それは有力者を脅し、会員に誘い込むための魔法の鍵だった。P2の会員は2000名といわれ、陸軍司令官、秘密警察首脳、国税局長、閣僚、共産党をのぞく各政党の有力者、将軍・提督、新 聞社・テレビ局の首脳、実業界・金融界トップなど、イタリアの有力者のほとんどが名を連ねていたが、その全貌を把握しているのはジェッリ一人だった(後に イタリア首相となるメディア王シルヴィオ・ベルルスコーニもP2会員だった)。


P2会員だった元イタリア首相・ベルルスコーニ氏 写真:ロイター/アフロ
「人身掌握術の天才」といわれたジェッリは10年あまりでP2の ネットワークを世界に拡大させ、アルゼンチン、ブラジル、パラグアイ、ボリビア、コロンビア、ベネズエラ、ニカラグアなど中南米諸国の軍事独裁政権と手を結んだ。ジェッリと南米の独裁者たちをつないだのは、戦犯訴追を逃れて南米に渡りアルゼンチン軍やボリビア政府などの軍事顧問になっていた旧ナチスドイツ の幹部たちだった。

 P2会員には、ニューヨークマフィアのボス、ラッキー・ルチアーノらと通じるシチリアの銀行家ミケーレ・シンドーナなどもい た。ジェッリは彼らと組んで南米の麻薬をアメリカに持ち込むと同時に、“死の商人”として軍事政権や反共組織のために武器調達を請け負った。シンドーナは 「バチカン銀行」総裁ポール・マルチンクス司教の信頼を得て、ローマ教皇庁の財務顧問に就任していた。

 シンドーナの金融帝国が破綻したあと、この利権はカトリック系アンブロジャーノ銀行の頭取ロベルト・カルビヴィに引き継がれた。カルヴィももちろんP2会員で、カリブ海のタックスヘイヴン、ナッソーにアンブロジャーノ・オーバーシーズ社を設立し、その経営陣にマルチンクス司教を迎えてバチカンとの関係を一体化させていった。

 バチカン銀行は、ジェッリ、シンドーナ、カルヴィらP2のネットワークに深く侵食されていた。

フリーメーソンを排除する試み

  キリスト教民主党党首のアルド・モーロが殺害された3カ月後の1978年8月、北イタリアの山間の貧しい村で生まれたアルビーノ・ルチアーノが教皇ヨハネ・パウロ1世に選出された。清貧を旨としバチカン銀行の金融ビジネスを快く思っていなかった新教皇は、就任直後にP2の会員名簿を暴露したミーノ・ペコレッリのスクープ記事を目にすることになる。

 カトリックの総本山であるバチカンに100名ものP2会員がいるというのは、パウロ1世にとって衝撃的な事実だった。

 フリーメーソンは理神論と啓蒙主義を奉ずる団体で、カトリック教会ではその教義は異端とされ「悪魔の子」と呼ばれてきた。教皇クレメンス12世はフリーメーソンを破門に処し、ベネディクト14世は「教会法」のなかにフリーメーソンを禁止する条項を書き加えている。それにもかかわらずペコレッリの名簿には、枢機卿や司教など高位聖職者の名前が並んでいた。

次のページ>> 世界を震撼された「P2」事件

 たとえば教皇に次ぐ実力者であるバチカン市国の国務長官は、メーソン名「ジャンニ」、登録番号「041/3」と記されていた。バチカン銀行総裁のマルチンクス司教も、取引相手であるシンドーナやカルヴィらとともにP2会員だとされていた。

 新教皇はバチカンからフリーメーソンを一掃しようと決意し、国務長官とバチカン銀行総裁の解任を決めた。だがパウロ1世の改革は実を結ぶことはなかった。

 教皇就任から33日後の9月29日早朝、パウロ1世はバチカン宮殿の一室で、ベッドの上に座り、手に書類を持ったまま息絶えていた。遺体はなぜか解剖も行なわれぬままあわただしく埋葬された。

 その後、イタリアはテロの恐怖に震えることになる。

 教皇ヨハネ・パウロ1世の不可解な死から4ヶ月後の79年1月21日、バチカンが関与する不正な金融取引を調査していたイタリア検察庁のアレッサンドリーニ検事は、車で子どもを学校に送ったあと、信号待ちをしているときに、近づいた5人の男に銃を乱射されて死亡した。「プリマ・リネア」と名乗る極左組織が 犯行声明を出したが、テロの理由は判然としなかった。

 同年7月11日、ミラノの弁護士ジョルジョ・アンブロゾーニが自宅の玄関で、至近距離から 胸に4発の銃弾を浴びで死亡した。アンブロゾーニはシンドーナの銀行の清算人に指名され、乱脈経営や不正経理の内情を裁判で証言したばかりだった。アンブロゾーニを殺したのはアメリカからやって来た殺し屋で、ジュネーブのクレディ・スイスの口座にはシンドーナから10万ドルが振り込まれていた。

 その2日後の13日、ローマ治安警察のアントニオ・バリスク中佐が、車を運転中、白のフィアットからショットガンを撃ち込まれて即死した。こちらは極左組織「赤い旅団」が犯行声明を出した。バリスク中佐は独自に捜査中の事件のことで、7月9日に弁護士のアンブロゾーニを訪ねていた。

 8日後の21 日、シチリア島パレルモで警察次長ボリス・ジュリアーノが銃撃を受け死亡した。コーヒー店で朝食を済ませ、レジの前に立っていたジュリアーノは、近づいてきた男に拳銃6発を撃ち込まれたのだ。ジュリアーニもまた、7月9日にアンブロゾーニとミラノで会っていた。

 一連の事件の意味は、関係者であれば誰でも知っていた。バチカンとP2の闇を暴こうとする者は、片っ端から殺されていくのだ。

次のページ>> タイリアを襲ったテロの脅威

バチカンがマネーロンダリングに利用された理由

 教皇の不可解な死の直後から、欧米の多くのメディアがバチカン銀行とP2の関係に焦点を当てた。その闇は深いが、ジェッリ、シンドーナ、カルビなどがバチカンを舞台に行なっていたのは、おおよそ次のようなことだとされている。

 P2のネットワークを通じて中南米の軍事政権に強固な人脈を築いたジェッリは、麻薬資金を洗浄するための大規模なマネーロンダリング装置を必要としていた。それにもっとも好都合なのが、“主権国家”バチカンだった。

 ローマの中心部からバチカンに行くにはテヴェレ川を越えるだけで、検問も出入国手続きもなく、犯罪で手に入れた資金をスーツケースに詰めて「バチカン銀行」の貸金庫に預けてしまえばそれだけでイタリアの捜査当局は手を出せなくなる。こうした犯罪収益はバチカン銀行の運用資金といっしょにスイスなどのタックスヘイヴンに送金され、マネーロンダリングされた。シンドーナとカルヴィは、この資金洗浄装置を動かすためにバチカンに送り込まれたのだ。

 ではなぜバチカンは、このような犯罪行為に手を貸すことになったのだろう。

 その背景には、冷戦時代の世界情勢がある。当時、カトリック教会の最大の敵はマルクスレーニン主義であり、バチカンのお膝元であるイタリアですら共産化の脅威に晒されていた。そのためバチカンは、マネーロンダリングから10〜15%の手数料を徴収し、その収益を全世界のカトリック教会に分配すると同時に、 反共組織や右翼団体を秘密裏に支援していた――こうした取引はアメリカの暗黙の了解のもとに行なわれていた。

 その当時、軍事政権による人権抑圧に苦しむ中南米を中心に、先進的なカトリック神父が「解放の神学」を唱え反政府運動を展開した。だがバチカンはこうした運動をレーニン的革命主義として否定するばかりか、軍事政権に武器の購入資金を与えていた。バチカンはCIAやマフィアと「反共」の理念で完全に一致していたのだ。

 不審死を遂げたヨハネ・ハウロ1世の跡を継いだのはカロル・ポイティワで、ヨハネ・パウロ2世を襲名した。だがポーランド出身のこの教皇は、バチカン銀行の不正をただすことなく、すべてを知るマルチンクス司教を司直の手から守った。バチカンの名が傷つくのを恐れたと同時に、マネーロンダリングの利益からポーランドの民主化運動「連帯」に1億ドルを超える援助が行なわれていることを知ったからだとされる。

次のページ>> 2013年も続く闇社会との関係

バチカン銀行の闇は払拭されたのか?

 1982年6月、ロンドンのテムズ川にかかるブラックフライヤーズ橋で奇妙な首吊り死体が発見された。橋から突き出した鉄パイプにロープがくくりつけられ、背広のポケットには、米ドルやスイスフランなど多額の現金と偽造パスポートのほかに、大きな煉瓦片が押し込まれていた。死体は口ひげを落とし、両足はテムズの川面に届いていた。ロ ンドン警察は死亡したのがアンブロジャーノ銀行頭取のロベルト・カルヴィだと発表し、事件は自殺として処理された。カルヴィは当時、パスポートを没収されてイタリアから出国することができなかったはずだが、そのことは問題とされなかった。

 1986年3月、イタリア、ヴォゲーラの重屏禁刑務所でミケーレ・シンドーナが死亡した。シンドーナは女囚刑務所の特別独房に収用され、窓には防弾ガラスが嵌め込まれ、国防省から派遣された特殊護衛官と監視用カ メラに守られていた。シンドーナが死の直前に飲んだコーヒーからは致死量の青酸カリが検出されたが、事件はやはり自殺として処理された。

 世界を震撼させたP2事件のあと、バチカン銀行の闇は払拭されたのだろうか。

 2009年にイタリア金融当局は大手銀行ウニクレディトを利用して1億8000万ユーロをマネーロンダリングした疑いでバチカン銀行を調査した。銀行には、カトリックの慈善団体などの名義で複数のオフショア口座が開設されていた。

 2010年9月、イタリア警察は2300万ユーロを差し押さえるとともに、バチカン銀行の責任者であるエットレ・ゴッティ・テデスキがマネーロンダリング の調査対象になっていることを発表した。それに続いてイタリア中央銀行もバチカン銀行の疑わしい取引を指摘したが、バチカン側は資金の源泉を公開しなかった。

 2012年5月、大手銀行JPモルガン・チェースはマネーロンダリングの疑いで同行にあるバチカン銀行の口座を閉鎖した。それと前後してバチカン銀行トップのゴッティ・テデスキが解任されている。

 さらに2013年6月には、スイスからイタリアに4000万ユーロを無申告で運び込もうとした司祭がイタリア捜査当局に逮捕された。この司祭がバチカン銀 行幹部と頻繁に連絡をとりあっていたことが盗聴で判明したことから、ローマ教皇庁はバチカン銀行の幹部2人を更迭した。

 イタリアの裏社会とバチカンとの関係はいまもなお続いているのだ。


ローマ法王は2013年6月、バチカン銀行の活動を調査する特別委員会を設立し、バチカン市国の刑法を大幅に改正した    写真:アフロ
参考文献:デイヴィッド・ヤロップ『法王暗殺』(文藝春秋)
     ジャンルイージ・ヌッツィ『バチカン株式会社』(柏書房)

作家。「海外投資を楽しむ会」創設メンバーのひとり。2002年、金融小説『マネーロンダリング』(幻冬舎文庫)でデビュー。「新世紀の資本論」と評された『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』(幻冬舎)が30万部の大ベストセラーに。著書に『黄金の扉を開ける賢者の海外投資術 究極の資産運用編』『黄金の扉を開ける賢者の海外投資術 至高の銀行・証券編』(以上ダイヤモンド社)などがある。ザイ・オンラインとの共同サイト『橘玲の海外投資の歩き方』にて、お金、投資についての考え方を連載中。

『日本の国家破産に備える資産防衛マニュアル 』
http://diamond.jp/articles/-/44124?page=5

[12削除理由]:無関係な長文多数


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