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ダイヤモンド・オンライン 2013/11/4 09:40 橘玲
前回、ロンドンの中心部にある金融街シティが中世から続く“自治権”を有し、「国家のなかのもうひとつの国家」になっていることを紹介した。
[参考記事]
●金融立国イギリスの中心地・シティがウォール街に対抗できる理由
同様にヨーロッパには、複雑な歴史的経緯のなかで「主権」や「自治権」という法外な特権を手にした小国や地域がいくつもあり、それらの多くがタックスヘイヴンとなっている。シティと並ぶヨーロッパの代表的な「国内タックスヘイヴン」がバチカンだ。
● バチカンが教皇領を放棄した見返りに得た1000億円
バチカンはサン・ピエトロ大聖堂を中心とするわずか0.44平方キロメートルの敷地に800人ほどの「国民」が暮らす世界最小の主権国家だが、全世界で12億人(世界人口の17.5%)といわれるカトリック信者への絶大な権威を有している。バチカン政府であるローマ教皇庁はカトリックの最高位である枢機卿団によって統治され、その代表がローマ教皇(法王)だ。
バチカンの起源は4世紀にこの地が聖ペテロの墓所とされ、教会が建立されたことだとされている。その後、1626年に現在のサン・ピエトロ大聖堂が完成すると、ローマ教皇の座所としてカトリックの総本山となった。
ローマ教皇は19世紀半ばまでイタリア中部に広大な教皇領を保有していたが、フランス革命とナポレオン戦争に端を発した国民国家の建設運動のなか、1870年にバチカン以外の教皇領がイタリア王国によって接収され、ローマ教皇庁はイタリア政府との関係を断絶した。
この難題を解決したのがファシスト党のムッソリーニで、1929年のラテラノ条約によって、教皇領の権利放棄と引き換えにバチカンの「主権国家」としての地位とイタリアに対する免税特権を保証した。このときムッソリーニは、バチカン市国以外の領地を放棄する代償として7億5000万リラ、現在の時価に換算して約1000億円を支払うことに合意している。この補償金が、その後の“バチカン株式会社”の資本金となった。
当時の教皇ピオ11世は財産管理局を新設し、ベルナルディーノ・ノガーラというユダヤ人にその管理を任せた。ノガーラ家はユダヤ教を捨ててカトリックに改宗しており、兄は神父として教皇に仕えていた。
ノガーラの投資家としての手腕には目を見張るものがあった。大株主となった企業には教皇の親族を経営陣に送り込み、損害を被りそうになるとムッソリーニに高値で買い取らせ、第二次世界大戦でイタリアの敗北を予測するや資産を金塊に替えて巨額の利益を得た。
戦後はロスチャイルド、クレディ・スイス、JPモルガン、チェースマンハッタンなどの金融機関を通じて世界市場に投資し、ゼネラルモーターズ、シェル、ガルフ石油、IBMなどの大株主となった。また不動産投資にも積極的で、シャンゼリゼの1ブロックを所有し、世界一の高さを誇ったモントリオールの証券取引所タワーやワシントンの名門ウォーターゲートホテルを購入した。
1942年、バチカンは宗務委員会を宗教事業協会に改組し、これが後に「バチカン銀行」と呼ばれるようになる。
1958年にノガーラが死んだとき、バチカンは少なく見積もっても10億ドルの資産を保有し、そこから毎年4000万ドルの利益を得ていた。ある枢機卿は、「イエス・キリストの次にカトリック教会に起こった大事件はノガーラを得たことだ」とまで述べた。
● イタリアのマフィアと政治の根深い関係
第2次世界大戦後に共和国として出発したイタリアは、深刻な社会問題と政治的対立を抱えていた。
イタリアの宿痾ともいえる社会問題は富裕な北イタリアと貧しい南イタリアの経済格差と、貧困地域で勢力を伸張させた反社会的集団の存在だ。
ローマ帝国の時代にまで遡るイタリアでは、それぞれの地域が異なる歴史を歩んできた。たとえばシチリアは、古代ギリシア、カルタゴ、古代ローマ、東ローマ帝国、北アフリカのイスラーム国、神聖ローマ帝国、スペイン、オーストリア(ハプスブルク家)などの外国に支配・搾取された苦難の歴史を背負っており、シチリア人は自分たちを“イタリア人”とは考えてこなかった。南イタリアの他の地域も同様で、ひとびとは自警団的な組織をつくって外国の支配者から家族や共同体を守ってきた。これがマフィア(シチリア)、カモッラ(カンパーニャ州)、ンドラゲータ(カラブリア州)、サクラ・コローナ・ウニータ(プーリア州)などと呼ばれる組織の母体になった。
イタリア統一後も彼らは地元の選挙を支配し、息のかかった政治家を中央政界に送り込むことで、公共事業や補助金から巨額の利益を得た。こうしてイタリアの政治は、反社会的集団に深く侵食されることになった。
[参考記事]
●書籍『死都ゴモラ』が明かす、南イタリアの途方もない秘密
イタリアの政治問題とは、敗戦でファシスト政権が倒れたあと、キリスト教民主党と共産党が激しく対立したことだ。
イタリア共産党は戦争中、パルチザンとしてファシスト党とたたかったことで、冷戦下の西側世界では例外的に国民の支持が高かった。また1950年代に構造改革路線を採択してソ連と袂を分かち、70年代にはマルクスレーニン主義やプロレタリア独裁などの綱領を放棄して「ユーロコミュニズム」を唱え勢力を大きく伸張させた。
こうした事態に強い危機感を抱いたのが右派のキリスト教民主党とその背後にいるアメリカで、彼らはマフィアなどの犯罪組織を利用して共産党政権を阻止しようと画策した。
もともと米国は、第二次世界大戦のシチリア上陸にあたって、ニューヨークマフィアの大ボス、ラッキー・ルチアーノを通じてシチリアマフィアの協力を得ている。ムッソリーニがマフィアを弾圧したことから彼らは反ファシズムで、敬虔なカトリック教徒でもあった。こうして、キリスト教民主党とアメリカCIA、コーザ・ノストラと呼ばれる反社会的集団が「右派連合」を形成し、それがカトリックの総本山バチカンとつながる構図ができあがったのだ。
イタリアの政治抗争は1970年代から激化し、左派と右派の急進派によって各地で市民を巻き込んだ爆弾テロ事件が引き起こされた。これらは当時、極左過激派による犯行とされたが、現在ではキリスト教民主党の大物政治家やイタリア軍の情報関係者が関与していたことが明らかになっている。
1978年には、キリスト教民主党の党首アルド・モーロ元首相が極左テロ組織「赤い旅団」に誘拐・殺害されるという事件が起きている。イタリアは当時、「歴史的妥協」によってキリスト教民主党と共産党の大連立が成立しており、モーロはその主導者だったが、彼の死によって連立政権は崩壊した。この事件にもキリスト教民主党の大物政治家ジュリオ・アンドレオッティが関与しており、アンドレオッティとマフィアとの親密な交際は「公然の秘密」だった。
● 秘密組織でつながったひとびと
ポール・マルチンクスは、1922年にシカゴ郊外の町シセロに生まれた。その当時、シセロにはシカゴを追われた“帝王”アル・カポネが本部を構え、人口6万人の小さな町はギャングによって支配されていた。
聖職者の道を選んだマリチンクスは25歳で司祭に任じられ、弱冠30歳でバチカンの枢要なポストを任されるようになる。マルチンクスは反共主義者で知られるニューヨーク大司教を後ろ盾とし、身長186センチの巨漢を活かしてローマ教皇パウロ6世のボディガードを務めたことで出世の階段を駆け上がった。
マルチンクスは1971年、バチカン銀行の総裁を任されることになる。
その当時、バチカン銀行は保有する株式の配当課税で問題を抱えていた。ラテラノ条約によってバチカンへの課税は免除されていたが、イタリア政府はこれを不公平として、最高30%の配当課税を課すと通告してきたからだ。
これをきっかけにバチカンは、イタリアの金融市場から撤退してアメリカなど海外に投資することを計画し、イタリア企業の株式を秘密裏に売却しようとした。バチカンが株を売るという噂が流れただけで株式市場は暴落し、巨額の損失を被るおそれがあるから、これはきわめて困難な取引だった。
マルチンクスはこの仕事を、ミケーレ・シンドーナというシチリア出身の銀行家の協力を得て見事にやり遂げた。シンドーナはスイスやアメリカの銀行を保有する金融事業家で、バチカンの保有株を言い値で引き取ることで司教の信頼を得て、ローマ教皇庁の財務顧問に就任することになる。
しかしシンドーナには、もうひとつの顔があった。シチリア生まれのこの銀行家は、ニューヨークのマフィア、ラッキー・ルチアーノやヴィート・ジェノベーゼのために麻薬資金の洗浄を行なっていたのだ。
シンドーナはマルチンクス司教に、ロベルト・カルヴィという銀行家を紹介している。カルヴィはアンブロジャーノ銀行というカトリックの系金融機関の頭取で、マルチンクスやシンドーナと組んでミラノ証券取引所の相場を操り、投機的な取引で大きな利益を上げた。
マルチンクスはバチカンのためにこうした汚れ仕事を引き受け、私腹を肥やすようなことはしていなかった。
「この世で、カネの心配をせずに生きることなどできない。教会は、アヴェ・マリーアと唱えているだけでは運営できないのだ」
というマルチンクスの言葉はよく知られている。
1974年にイタリアの株式市場が暴落するとシンドーナの金融帝国は崩壊し、イタリアやアメリカで関連金融機関が次々と倒産した。政府や預金者が巨額の損失を被り、横領罪での捜査が始まったことから、シンドーナはスイス経由でアメリカに逃亡してしまう。
シンドーナがいなくなったことで、バチカンとのビジネスはアンブロジャーノ銀行に引き継がれた。頭取のカルヴィは、バチカンの資金を一手に扱うことで「神の銀行家」と呼ばれるようになった。
マルチンクス司教やミケーレ・シンドーナ、ロベルト・カルヴィには共通項があった。彼らはみな「P2」と呼ばれる組織の会員だったのだ。
P2は「プロパガンダ2」の略で、リーチョ・ジェッリという右翼のフィクサーによって創設された。19世紀に存在した「プロパガンダ」という組織の再建を目指したことが、その名の由来だ。プロパガンダは秘密結社フリーメーソンの伝説的な支部だった。
ジェッリは1963年11月にフリーメーソンに入会し、第3位会員として、支部長(グランドマスター)から有力者のサークルをつくるよう命ぜられた。反共主義者のジェッリは、P2に政治家や経済人、マフィアなどを加入させ、それをバチカンにつないで巨大な闇の金融システムをつくりあげていたのだ。
(後編に続く)
参考文献:デイヴィッド・ヤロップ『法王暗殺』(文藝春秋)
ジャンルイージ・ヌッツィ『バチカン株式会社』(柏書房) <執筆・ 橘 玲(たちばな あきら)>
作家。「海外投資を楽しむ会」創設メンバーのひとり。2002年、金融小説『マネーロンダリング』(幻冬舎文庫)でデビュー。「新世紀の資本論」と評された『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』(幻冬舎)が30万部の大ベストセラーに。著書に『黄金の扉を開ける賢者の海外投資術 究極の資産運用編』『黄金の扉を開ける賢者の海外投資術 至高の銀行・証券編』(以上ダイヤモンド社)などがある。ザイ・オンラインとの共同サイト『橘玲の海外投資の歩き方』にて、お金、投資についての考え方を連載中。
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