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教育の荒廃も、国民の「経済格差」から生まれて来るものだ
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2013年10月22日 Darkness - ダークネス
格差は国民を追い詰めるが、子供たちもまたその影響から逃れることができない。格差が広がると、教育もまた崩壊していく。最初にそれが指摘されたのはアメリカだった。
アメリカではレーガン大統領時代に入ってからレーガノミクスという今で言うところの「新自由主義」「市場原理主義」を取り入れた。
その結果、国民の間で格差が急激に広がり、金持ちの子供は私立に、貧困層の子供は公立に通うという分離が出来上がり、貧困層が集まる公立校が急激に荒んでいった。
暴力が蔓延し、学級崩壊し、いじめも急激に増加した。
それを嫌って、金持ち層がますます公立校を避けて私立に向かうようになり、教師も逃げ出したので、さらに公立校が荒廃していった。そして生まれたのが「暴力教室」の出現である。
学校内で、麻薬、レイプ、銃撃戦が行われるようになり、授業は成立しなくなった。しかし、そうだと分かっていても、貧困層は公立の学校に子供を入れるしかないのである。
教育が所得で分離し、教育の荒廃がアメリカに大きな影を落とすようになった。国民の「経済格差」という、あまり教育とは関係のなさそうなところから問題が始まっていた。
■公立校が暴力教室へと変貌していく
国の衰退と教育の劣化は、比例して起きる現象だ。教育費がかかる国であればあるほどそうなる。国の衰退によって国民の教育も衰退するのだ。
そして、教育の衰退によって、必然的に秩序が乱れ、学校内が学びの場でなくなっていく。特に、誰でも受け入れなければならない公立校で事態は深刻化する。
日本も公立校は、やがて暴力にまみれていくはずだ。
日本はゆとり教育を行ったために、塾へ通うことが当たり前の時代となった。その「塾通い」は、すなわち教育費の増大へとつながっていった。
また、体罰も禁止された。体罰については賛否両論も強いが、それが厳格に禁止されると、秩序を乱す生徒がいても教師は最後の手段が取れない。
口で言っても言うことを聞かない子供は、どこにでも一定数はいる。そういった暴力傾向の強い子供たちを放置するのは学校を無法地帯にするのと同様だ。
だから、生徒を退学させることのできない公立校が暴力教室へと変貌していく。
そういった環境での教育は質の低下が著しいので、最終的に教育は破綻する。
教育を満足に受けさせるためには私立校の進学が必須になるが、私立校こそが教育費の増大に拍車をかけるものだ。
賃金低下が顕著になると、私立校通いが負担になる家庭が続出する。その結果、中流以下の家庭は荒廃した公立校に向かい、質の悪い教育しか受けられなくなる。
それは「人間の質の低下」につながるから、ますます国は衰退していくという悪循環にはまっていく。
■爆発的な暴力や短絡的な事件も増えていく
日本はすでにその悪循環にはまっている。教育を再度立て直さなければならないだけでなく、経済的にも再度浮上しなければならない。
それができないのであれば、教育の現場も良くなることはない。貧困層が増えて、教育が荒廃していくのは確実だ。
そして、質の悪い教育しか受けられず、教育を受けているのに、教養のない人たちが増えていくことになる。
しっかりとした教育が受けられなかった人ができるのは、その多くが単純労働だけである。思考能力が劣るので、流行や雰囲気に流されやすい人間になる。
文字通り「思慮が足りない」人間が増えるので、爆発的な暴力や短絡的な事件も加速度的に増えていく。下層社会に、暴力が渦巻くようになるのは、どこの国でも同じだ。
今、日本人は焦燥感を持って将来を見つめているが、貧困社会の次は暴力社会がやってくることをよく認識すべきだ。
教育がなければ成り上がることもできない。単純労働ではその日暮らしが精一杯だ。必死で働いたところで、教育がない以上、もはや手遅れであることだけは分かっている。
そんな環境に置かれたとき、人間がどのように退廃していくかを今から研究しておくべきだろう。
これは、誰にとっても他人事ではない。
教育と常識を学ぶことができず、短絡的な思考しかできなくなった人間がまわりに溢れるからである。日本の社会がそういう子供たちを大量に生み出すことになる。
■ロスの真夜中で何が起きているのか見れば分かる
将来に希望が持てない人間は、鬱々とした不安や、絶え間ない失意や挫折感でいっぱいになる。
そして、毎日毎日そのような挫折感と折り合って生活しなければならない。そこに芽生えてくるのが自暴自棄な感情と、反社会的な破壊欲求だ。
未来がないのだから、必死に働く感情すら出てこない。
無駄だ、という気持ちが心の中に占めているし、実際どんなにあがいても無駄なことが多いのでその分析は間違っていない。
社会の底辺に鬱屈するだけで逃れたくても逃れられない。自暴自棄になった男は酒と麻薬に溺れていくし、女は身を持ち崩して水商売や売春へと向かっていく。
そして、努力するよりも、「手っ取り早く金を儲けたい、それしかない」という気持ちになっていくと、投機や、詐欺や、強盗が頭によぎることになる。
貧困層の中では、麻薬が蔓延し、強盗・詐欺が横行し、貧困地帯の一角は必ず売春する女性が巣食うような場所ができる。
それは先進国でも後進国でも同じだ。
アメリカのロサンゼルスは世界に誇る大都市のはずなのに、テナントが寄りつかずに荒廃したビルがある。ポルノ映画を上映するビルの周辺には黒人の売春女性がたむろしている。
ただ、そこに突っ立っているだけで、次から次へと女性がやってきて声をかけてくる。売春はビルとビルの隙間で行われることもある。その現場に立ち合うと、ここは本当に先進国なのかと愕然とするほどだ。
そして、なるほどこれが経済格差のなれの果てなのかと考えると、日本もいずれそのような社会になるのだということが実感できるようになる。
日本の将来がどうなるのか知りたい人は、ロスの真夜中で何が起きているのか見てくればいい。教育の退廃がそのような社会を産む。やがて日本もそうなっていく。
■教育の崩壊とは、鉄を腐食させる錆(さび)と同じ
日本がいつまでも豊かな先進国のつもりでいても、ニート、引きこもり、生活保護受給者がどんどん増えていることを見ても分かる通り、今後は日本の底辺層では想像以上の貧困に追いやられていく。
今までの日本は会社至上主義で、経済成長によって賃金も不動産も右肩上がりだった。しかし、もはや1990年代でそのような時代は終わったのだ。
もはや日本が再度の景気回復や経済成長が起きるなどと、甘い夢を見ていてはいけない。それよりも、衰退と貧困と暴力社会がやってくると予測しなければならない。
鉄がどんなに頑丈であっても、錆びて腐食すればやがて倒れていく。錆(さび)とは経済の不調であり、教育の荒廃のことである。
最初はうっすらと表面を取り巻いているだけの錆は、実はそれ自体が癌のようになって重要な部分を腐食していく。
腐食した部分を取り除いても、その部分は大きな穴や欠落となって、やはり弱い部分として残って折れていく。穴や欠落は人口減(高齢化と少子化)だと思えばいい。
補強できない(人口増加ができない)のであれば、腐食を取り除いても穴しか残らないのだから、日本の支柱は折れて瓦解する。
教育の崩壊とは、鉄を腐食させる錆(さび)と同じだ。いずれそれは鉄を腐食して倒壊させる原因となる。
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