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賃金下落のメカニズム:製造業の縮小が原因
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投稿者 SRI 日時 2013 年 10 月 10 日 15:25:03: rUXLhToetCnYE
 

【第24回】 2013年10月10日 野口悠紀雄 [早稲田大学ファイナンス総合研究所顧問]

賃金下落のメカニズム:製造業の縮小が原因

 安倍晋三総理大臣は、10月1日に、消費税率を2014年4月から8%に引き上げると正式に表明した。それと同時に、「経済政策パッケージ」を閣議決定した。ここでは、5兆円規模の補正予算案を編成することに加え、収益を賃金で従業員に還元する企業に税制で支援する「所得拡大促進税制」を拡充する案を表明した。

賃金が政策課題になった

「経済政策パッケージ」で重要なのは、つぎの2点である。第1は、賃金が重要な問題だと認識されたことだ。

 これまで政府は、物価を上昇させるとしてきた。物価は円安で上昇している。また、消費税が増税されれば、物価はさらに上がる。しかし、それは、実質賃金を減らし、生活を貧しくするだけだ。賃金が上がらなければ、経済政策の目的は達成されたことにならない。この当然のことが、やっと認識されたのだ。

 第2は、金融緩和では賃金上昇を実現できないことが認識されたことだ。このため、法人税減税で賃金を上昇させようとしたり、政府が企業と直接交渉しようとしている。

 こうした政策が打ち出されるのは、つぎのような基本的認識があるからだろう。すなわち、「企業は利益を出しているのだが、それを内部留保という形で貯め込んでしまい、設備投資にも回さないし、賃金にも回さない。利益が設備投資や賃金に回れば、経済の好循環が始まる」というものだ。

 しかし、この認識は誤りだ。こうした認識に基づいて政策を行なっても、効果は期待できない。

賃金は全体で低下しているが、製造業では上昇

 賃金に対して経済的に適切な政策を行なうには、賃金下落のメカニズムを知る必要がある。一般に言われていることの中には誤った認識が多いので、それを正す必要がある。

 そのためには、現実のデータを見ることが不可欠だ。以下では、いくつかの統計からそれを見ることにしよう。

 最初に、「毎月勤労統計調査」の賃金指数のデータを見よう(現金給与総額、事業所規模5人以上、就業形態:一般労働者、2010年平均=100)。

 調査産業計で見ると、図表1に見るように、賃金は1990年代の末がピークであり、それ以降は、大まかな傾向として見れば、最近に至るまで低下を続けている。1997年度の104.4から2012年度の99.9まで、4.3%の下落だ。

 もっとも、2004年から07年頃までは、回復した。しかし、その直後に生じたリーマンショックで急減した。このため、現在のレベルは、今から20年前である1990年代中頃と同程度である。

 ここで重要なのは、賃金動向は、産業によってかなりの違いが見られることだ。

 製造業での賃金の動きは、産業全体のそれとはかなり異なる。すなわち、リーマンショック以前の時点においては上昇していたのである。

 とくに、90年代後半から00年代中頃にかけて、産業計の賃金が下落していたときに、製造業の賃金が上昇していたことに注目すべきだ。97年と07年を比べると、調査産業計では1.8%低下しているが、製造業では3.8%上昇している。

 製造業の賃金指数は、リーマンショックで大きく低下した。しかし、その後回復はしている。その結果、12年度の賃金指数は、リーマン前のピークには及ばないものの、00年代初めよりは高くなっている。

 製造業と対照的なのが、医療・福祉業の賃金動向だ。ここでは、賃金指数は趨勢的に低下している。その結果、最近の賃金水準は、00年代初めに比べて、約12%も低くなっている。

 しかも、後に述べるように、賃金の水準も低い。そして、日本の雇用構造は、製造業が縮小し、その半面で医療福祉部門が拡大する形で変化している。つまり、高賃金部門が縮小して、低賃金部門が拡大している。そのために、全体としての賃金が低下するのである。

 なお、図表には示していないが、金融業・保険業の賃金も低下気味である。とくにリーマン前後の変化が顕著だ。

 卸売業・小売業においては、賃金は低下しているわけではない。最近の賃金指数は、リーマンショック前のピークより高くなっている。

賃金分配率は低下していない

 国民経済計算における雇用者報酬の推移を見ると、図表2に示すとおりである。

 2001年から03年、04年にかけては、かなり顕著に減少した。その後回復したが、01年の水準には及ばない。そして、リーマンで大きく下落した。この結果、11年は01年に比べて、8.7%ほど低い水準だ。

 分配率を、国民所得に対する雇用者報酬の比率で見ると、図表3のとおりだ。

 07年頃の好況期に緩やかに下落したが、リーマンショックで急上昇した。その後は下落気味だ。

 こうなるのは、賃金が比較的固定的で、企業所得が変動するからだ。営業余剰・混合所得の国民可処分所得に対する比率は、図表3に示すとおりだ。

 図に見るように、賃金の比率と企業所得の比率とは、逆相関している。

賃金動向は産業別に大きな差がある

 ところで、毎月勤労統計調査のデータは1人当たりの賃金であり、GDP統計の計数は、雇用者全体のものだ。どちらも重要なデータだが、われわれが主として関心を持つのは、前者のデータである。後者のデータは、雇用者数の変化によって影響を受ける。図表2のデータがあまり大きな変動を示していないのは、そのためである。

 法人企業統計においては、雇用者の数がわかるので、雇用者全体についての計数と雇用者1人当たりの計数を比較することができる。

 図表4は、賃金支払い額の総数に係わるものである(07年度以降は、従業員給与と従業員賞与が別掲されているので、これらを合算したものを「従業員給与」とした)。

 全産業(除く金融保険業)の従業員給与の推移を見ると、90年代の半ばまでは増加した。その後ほぼ一定値だったが、2000年代になってから減少し、03年にボトムになった。その後増加し、06年頃以降はほぼ一定である。リーマンショックによる落ち込みは観測されない。

 売上高に対する比率は、90年代に上昇して90年代の末にピークになった。しかし、その後、07年までは低下を続けた。リーマンショック後は上昇している。

 給与は比較的固定的であり、好況期に利益が増えると比率が低下し、不況期に利益が圧縮されて比率が上昇するのだろう。

 従業員1人当たり給与は、図表5に示すとおりだ。97年に390.9万円という最高値になり、その後は低下している。ただし、05年以降は350万円程度でほぼ一定だ。ここにもリーマンショックの影響は見られない。むしろ、リーマンショック後は、若干増加気味である。

 以上は全産業だが、産業別に見ると、つぎのとおりだ。

 まず製造業の場合、図表5−1に示すように、従業員給与総額は00年頃までほぼ一定だったが、その後減少している。

 ところが、図表5に示す1人当たり従業員給与は、90年代中頃まで上昇し、その後もあまり低下せず一定である。

 図表4−1で従業員給与総額が00年頃までほぼ一定に留まったのは、製造業の従業員数が減少したことを示している。

 売上高に対する比率は、給与総額が減少したことの影響で、低下している。

 非製造業の従業員給与は、図表6−1に示すとおり、緩やかに増加している。売上高に対する比率も穏やかに上昇している。

 ところが、1人当たり給与は、図表6−2に示すように、90年代の中頃から00年代の中頃までかなり顕著に減少しているのである。従業員給与総額が増加しているのは、従業員数が増えているからだ。

 図には示していないが、医療・福祉業の従業員給与は、かなり急激に増えている。これは、従業員数が増えたからだ。

製造業が縮小して非製造業が拡大

 経済全体として見ると、製造業が縮小して非製造業が拡大したのである。この状況は、図表7に示す。

 製造業の従業員数は、1995年度までは1200万人を超えていた。ピークだった91年度には、1300万人近かった、ところが、これをピークとして減少に転じ、11年度には1000万人を割り込んだ。12年度と90年度の差は269万人である。経済が好調だった07年度の間に増えることはなく、またリーマンショックで減少が加速されることもなかった。

 これに対して、非製造業の従業員数は、一貫して増加している。とくに2000年代初めの増加が顕著だ。これは介護保険の導入によって、この部門の従業員が増えたことの影響と考えられる。この結果、非製造業の従業員数は、90年度の2236万人から、12年度の3141万人まで、904万人増えた。

 増加がとくに顕著だったのが、医療・福祉業である。この部門の従業員数のデータは04年度からしかないのだが、04年度の39万人から12年度の86万人へと、約47万人増えている。同期間中の製造業の従業員数の減少約62万人の約4分の3をカバーしていることがわかる。

 ところで、これらの産業間には、大きな賃金格差がある。12年度における従業員1人当たりの給与は、製造業は約440万円だ。ところが、非製造業は約338万円でしかない。これは、製造業の76.7%である。医療・福祉業は約281万円であり、製造業の63.8%でしかない。

 そして、高賃金の製造業が縮小して、低賃金の非製造業が拡大した。このため、経済全体の賃金が低下したのだ。


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〈主な目次〉
第1章 異次元金融緩和で金融市場が混乱
第2章 実体経済は改善しない
第3章 円安下で拡大する貿易赤字
第4章 実態を伴わない企業利益
第5章 国債暴落と金利高騰の危険
第6章 既得権を保護して成長はありえない
第7章 ビジネスモデルの抜本改革が必要
第8章 人材育成が最も重要な成長戦略
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コメント
 
01. 2013年10月10日 15:34:54 : nJF6kGWndY

>高賃金の製造業が縮小して、低賃金の非製造業が拡大した。このため、経済全体の賃金が低下

一言でまとめると、空洞化だ

円高などのマクロ要因と新興国での投資と生産性上昇により日本が得意とする製造業での競争力が急激に低下した

それにリーマンショック後の欧米高付加価値市場の崩壊が追い打ちをかけた

正社員は減らせないので非正規雇用も増えた

高賃金労働需要が減った結果として、こうなったというわけだが

今さらという感じだな


02. 2013年10月10日 21:15:22 : BqXkvXro2o
従業員の母数はどうなってんだ。

03. 2013年10月11日 06:17:01 : niiL5nr8dQ
【第376回】 2013年10月11日 八代尚宏
政府が賃上げを実現できる3つの方法
――国際基督教大学客員教授 八代尚宏
安倍首相は10月1日、消費税率を2014年4月に5%から8%に引き上げると表明した。また増税による景気の腰折れを避けるために、5兆円規模の経済対策も実施するとしている。そのなかで議論を呼んでいるのが、首相が法人税の減税等、企業の負担軽減に対策の比重を置いている点だ。八代尚宏・国際基督教大学客員教授は、賃上げの必要性が唱えられているとはいえ、賃上げと法人税減税を引き換えにするといった手段は、市場経済を尊重することに反し、実際に政府が国民の賃金を増やすためには、国際標準に沿った労働法の改革が効果的だと指摘する。

賃上げは内需拡大の
「手段」か、「結果」か


やしろ・なおひろ
国際基督教大学客員教授・昭和女子大学特命教授。経済企画庁、日本経済研究センター理事長等を経て現職。著書に、『新自由主義の復権』(中公新書)、『規制改革で何が変わるか』(ちくま新書)などがある。
Photo by Toshiaki Usami
 アベノミクスの3本の矢を総動員して経済を活性化させ、雇用と賃金を増やすという本来の成長戦略が、いつのまにか、「賃上げで内需拡大」という、逆の論理に擦り替わっているようだ。これは消費税増税で物価が上昇するなかで、賃上げがなければ生活が苦しくなるという批判に応えるためといわれる。しかし、そうであれば、なおさら小手先の対策ではなく、民間の住宅や設備投資の拡大に結び付くような、大胆な規制改革を促進するべきである。

 たとえばロンドンやパリの様な欧州の大都市と比べて、東京都をはじめとする日本の都市中心部の貴重な空間は、十分に活用されているとはいえない。この主因である容積率等の住宅規制を速やかに改革するという総理のコミットがあれば、財政支援なしでも民間住宅投資は大いに刺激されるであろう。

 賃上げなどで人件費を5%以上増やした企業の法人税を軽減する「所得拡大促進税制」は、労働組合に支持された民主党政権が導入し、2013年度から実施されている。それが自民党政権になっても、人件費を2%以上増やした企業にまで拡大して適用することが経済対策に盛り込まれた。

 成長戦略のカギとなる法人税率の引き下げが、総理の強いリーダーシップで盛り込まれたことは高く評価される。しかし、法人税の減税は、本来、企業の(税引き後の)期待収益率を引き上げ、投資を促進するためのものである。減税分は人件費に回さなければならず、投資に使えば、個別調査で企業名を公表されるのだろうか。こうした個々の企業経営について、政府が介入することは、市場を活用した本来の成長戦略と言えない。仮に、派遣社員を契約社員に変えれば、派遣会社への支払い(物件費)が減り、人件費が増えるが、それで内需が増えるのだろうか。

 賃金が上がる環境をつくるために、経済団体と労働組合に加え、政府も加わって話し合う「政労使会議」も始められた。しかし、このモデルとなったオランダの「ワッセナー合意」は、ワークシェアリングを進めるための労働法改正への政府の強いリーダーシップに労使の協力を求めたものであった。日本の場合に、政府が提示する規制改革の目玉もなしに、単に労使が顔合わせをする場を提供しても、その効果は小さいのではないか。賃上げは、あくまでも国内需要の盛り上がりを背景に、それに対応した人材を確保する企業の必要性が生じて始めて実現するからである。

 それにもかかわらず、現行の労働法を改革することで、確実に賃上げが可能となる道がある。産業競争力会議では「世界でトップレベルの雇用環境の実現」を政策目標に掲げているが、それを実現するために、現行の労働法を改正することは、政府の意思さえあれば確実にできることだ。

現行の25%から50%へ
残業割増率の引き上げ

 まず、残業の賃金割増率を、現行の25%という低い水準から世界標準の50%へ引き上げることである。ほとんどの正社員が慢性的な残業をしている中で、残業手当が倍になれば、家計所得は確実に増える。残業割増率の引き上げは長年の課題であり、2010年度から施行された労働基準法の改正で50%に引き上げられたが、これは月60時間を超える場合にのみ適用され、しかも中小企業には3年間猶予するという、きわめて制限された形でしか実施されていない。これを例外なしに50%に引き上げる必要がある。

 残業することで労働者の賃金が増えれば、労働時間がいっそう長くなり、ワーク・ライフ・バランスに反するという批判もある。しかし、労働者を残業させることによる企業の負担が倍増することになれば、部下のムダな残業を、極力、抑制するよう、仕事の合理化を進めることが管理職の主要な役割となる。

 また、正社員を残業させるよりも、派遣社員の活用や仕事の外注化を進めることがコストの節約になれば、それだけ対事業所サービスの需要喚起も期待できる。これらの全体の労働者にとってのポジティブな効果は、単に個々の企業の人件費を増やすことだけを目的とした企業減税では得られない。

 他方で、サービス残業が増えるだけという批判もあるが、労働者にとって、残業代がもらえないことの損失も倍になることから、それだけ抵抗感も強まる。労働基準監督署も匿名による内部告発を積極的に受け取る体制を整備することで、不満を持つ労働者による基準監督署への通報リスクが高まれば、管理職も安易なサービス残業は命じられなくなる。

有給休暇の買い上げ導入が
企業が休暇を強制するインセンティブに

 次に、多くのサラリーマンが望んでいるにもかかわらず、一向に実現しないのが、有給休暇の未消化分の買い上げである。労働基準法では、法律で定められた有給休暇は、労働者が休養をとり、心身の疲労を回復させることを目的としており、これを企業が買い取ることは制度の趣旨に反するものとして禁止されている。これは刑法のような強行規定のため、仮に労使が合意しても無効となる。

 しかし、現に2011年で、平均的な有給休暇の取得日数は9日間に過ぎず、本来、使う権利のある日数の49%に過ぎない。現に、多くの労働者が、十分に有給休暇が取れていない状況が永続化している以上、セカンドベストの選択肢を容認する必要がある。もっとも、現行法でも、例外的に、退職時の未消化分や2年間の時効で消滅した年休を買い上げることは可能であるが、休暇日数の繰り越し分の制限等もあって、大部分の労働者にとっては活用できない。

 労働者の自発的な選択を前提に、未消化分の有給休暇の一部でも買い取りが容認されれば、事実上の賃上げに等しい効果が生まれる。もっとも、それにともなう賃金コストの増加を防ぎたい企業は、労働者に対して有給休暇の計画的な消化を義務付けることになる可能性もある。そうなれば、ワーク・ライフ・バランスが促進され、休暇日数が増えれば消費需要も刺激されるという副次的な効果も期待できる。

 個人の業務内容が明確な職種別労働市場で、計画的な休暇の予定が立て易い欧米諸国と異なり、企業内の業務は何でもこなすことが期待され、チ−ムで働く日本の職場では、全員が一斉に休む以外には休暇が取り難いというのが現実である。そうであれば、個人ではなく、企業が休暇の取得を強制するというインセンティブに働きかけることが有効といえる。もっとも、中小企業等で、使用者が有給休暇を強制的に買い上げることを懸念するなら、まずはそうした懸念の少ない大企業や、国家戦略特区ではじめる可能性もある。

裁量労働制の拡大で
多様な働き方の実現を

 残業割増率を引き上げるための前回の労働基準法改正が、週60時間以上に限定という中途半端な結果に終わったのは、経営側が同時に求めていた裁量労働制の拡大(いわゆるホワイトカラー・エグゼンプション)が実現しなかったこともある。現行の裁量労働制は、単に1日に8時間働いたと見なすだけのもので、深夜・休日には、割増賃金を受け取らなければならない。平日に休んで休日に働くということが、自由にできない仕組みとなっており、多様な働き方を必要とする現場でのニーズとかい離している。

 他方で、経営側にとっては、労働者の裁量で深夜・休日労働を自由に決められる一部の職種を放置したままで、単に残業割増率を倍にはできない。このため、「部下のいない管理職」のように、実際の労働時間数や働いた曜日にかかわらず、定額の残業手当を受け取る仕組みが考案された。

 もっとも、定額残業代の制度が導入されれば、労働者は際限なく働かさせられ、過労死が増えるという批判があった。それに対して、新しい裁量労働制の対象者については、年間104日(週休2日制に相当)の「強制休暇」を使用者に義務付けという安全弁がセットとなっていたことが、ほとんど知られていない。

 現行法では、労使間の合意に基づく三六協定さえ届け出れば、妊婦等の一部例外を除き、時間外労働の総量を制約する法律はない。いわば所定の割り増し賃金さえ払えば、企業は際限なく労働者を働かせることができる。その意味では、この「残業代ゼロ法案」という誤ったレッテルを張られて幻となった法律案は、一部の労働者に限定したものとは言え、日本に初めて「強制休暇」という概念を労働法に導入した画期的なものであり、いわば「過労死防止法案」といえる。

 これは締め切りのある業務のために徹夜した場合、それが終わってから、すぐ次の仕事を始めるのではなく、その前に必ず一定の休暇を取得させることを義務付ける制度であるからだ。この適用対象となる労働者を、中小企業の経営者に配慮して広げ過ぎたことが批判を受けた主因であり、専門性の高い職種に加えて、例えば年収800万円以上等、厳格に絞り込む必要がある。この強制休暇法案が実現すれば、事実上、労働時間あたりの賃金率が高まり、消費需要も増えるであろう。

ドイツ経済を復活させた
シュレイダー改革に学ぶべき

 労働市場の構造改革といえば、すぐに「アメリカ型の労働市場を目指すもの」という批判を受ける。しかし、日本の労働法制のお手本である欧州でも、着実に改革が進んでいる。その転機となったものは、ドイツの現在のメルケル首相の前任者であったシュレイダー首相が行った労働市場改革であった。これは際限なく受給できた失業給付に就業訓練を義務付けることや、雇用安定機関(日本の公共職業安定所)を民間の人材サービスとの競争に晒す等の改革である。

 また、残業時間を割り増し賃金で受け取るのではなく、貯めておき、有給休暇としてまとめて取得する「労働時間貯蓄口座」を欧州ではじめて導入するなど、画期的な内容となっていた。これは残業が必要な場合に、カネではなく、後の休暇増という労働時間の交換であり、日本と異なり有給休暇が完全消化されているドイツでは、労使双方にとって望ましい面もある。こうした労働市場改革が、その後の欧州経済に占めるドイツ経済の復活のひとつの要因となったことは、安倍総理の経済成長戦略にも大きな意味をもつものといえる。

 労働時間に囚われず働ける一部の労働者を除き、一般労働者には残業割増率の倍増と未消化分の有給休暇の買い上げという形で、実質的な賃上げを実現する。これが諸外国と比べて低いコストで慢性的な長時間労働を強いられている労働者の待遇を改善し、世界標準の働き方に近づける道でもある。この結果、労働者にとっては、実質的な賃上げか、労働時間の削減かのいずれかが実現することになる。政府が賃上げによる内需拡大を本気に考えるのなら、既存の労働市場規制の改革が不可欠といえる。


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