http://www.asyura2.com/13/hasan82/msg/824.html
Tweet |
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/38812
2013.10.04 姫田 小夏
上海の裏道でよく「尋ね人」の張り紙を見るようになった。行方不明になっているのは、いずれも70代前後の高齢者だ。独居老人も多い。家族にいじめられて家を飛び出した老人もいる。
ここ最近、中国でも「高齢者」問題が浮上し、様々な政策が展開されつつある。
2013年9月、国務院は高齢者サービスを加速させるための土地政策や投融資政策、免税政策などを発表した。土地政策では、新規に住宅開発する際は高齢者施設を用意すること、免税政策では、非営利の高齢者サービス機関が行う不動産や土地取得にかかわる税金あるいは企業所得税を免除すること、また投融資政策では、多くの民間企業の参入を促すために財政支援を行うことなどが盛り込まれた。
民間企業も動き出した。中国の大手不動産デベロッパーは高齢者施設の開発に意欲を見せている。また、今後は外資企業の介護サービス参入も期待される。高齢者向けサービスで世界に先駆ける日本企業にとっても、大きな市場が広がっていると言えよう。
だが、こうした動きが中国人の老後を安泰なものにするとは思えない。民間企業の参入は、あくまで富裕な高齢者がターゲットだ。公共住宅が普及する前に不動産バブルが到来してしまったように、中国では高齢者サービスもやはり「富裕な高齢者向けサービス」が優先され、庶民の手の届かないものになってしまうことは容易に想像がつく。
■年金だけでは養老院に入れない
9月のある日、筆者は楊浦区に住む老夫妻の陳家を訪問した。6階建てのアパートは南向きの1LDK。ベッドを置いたらもうソファは置けないような狭さだ。筆者はパイプ椅子に座りながら缶コーラのもてなしを受けた。上海人は富裕とのイメージが強いが、まだまだつましく質素な生活を送る世帯は多い。
この老夫婦は四方山話の間にもパソコン画面に現れる緑や赤の数字に一喜一憂する。株式投資は年金生活者にとって唯一の小遣い稼ぎの手段である。
「ずいぶんご熱心ですね」と言うと、初老の旦那さんはこう返答した。
「この先は養老院暮らしだ。年金は毎月2000元しかもらえないが、養老院は月額3000元もかかる。どうしたって足りない。養老院に入るためには、この差を埋めなきゃならないんだ」
高齢者介護施設の良し悪しは料金に比例するが、最低でも月額3000元程度の施設を選ばないと、まともな老後は送れないという。それ以下のところでは、「虐待や盗難があってオチオチ寝てもいられない」(陳さん)というのだ。介護をするのは外省出身者、いわゆる民工である。巷では、彼らは高齢者の金品目当てに就労するとも言われている。
■高額所得者は「日本で老後を送りたい」
一方で、中国の高額所得者はどんな老後をイメージしているのか。広い敷地に緑の芝生という豪華別荘さながらの中国の高齢者施設は、富裕層にとって理想的な老後の居場所なのだろうか。
筆者は上海で何人かにこの話題を振り向けたのだが、意外な答えに驚かされた。
ある中国人医師はこう語った。
「私は日本で老後を迎えたい。もう家も買ってありますから」
ある中国人弁護士もこう言う。
「中国で老後を迎えるつもりなんてない。これから関西にマンションを買う予定です。一稼ぎして日本で暮らそうと思っています」
ある中国人経営者もこんな見方だ。
「中国で余生を過ごしたい人はいないでしょうね。日本は国土が狭いが、山があって川があって風光明媚だし、生活スタイルも中国人と似ているから、住むには不便はないと思う」
「老後は日本」――。そんな回答がこのところ非常に目立つのだ。
いくら中国の民間企業や外資系企業が参入し、老後のパラダイスを中国に築こうとも、高額所得者の関心は薄い。むしろ「国を出たい」という願望を強めていることが垣間見える。
中国の医療・介護サービスは「無愛想で気が利かない上、金銭で釣らなければ動かない」のが現状だ。食品の安全は、もはや求める方がナンセンスと言ってもよい。老人になるほど「何を食べさせられるか分からない」という不信感はつのる。それがイヤならこの国を出るしか方法はない。
そこで目を向けるのが日本だ。彼らは「日本は長寿大国で健康大国」だと認識している。空気もよければ水もいい、食べ物も美味しく、介護士も優しい。世界有数の手厚い高齢者サービスが発展し、高齢者たちが生き生きと老後を過ごしている・・・、そんなイメージを抱く中国人は少なくない。日本の先進的な高齢者サービスを享受したいというのは、中国高額所得者の偽らざる心情である。
■「健康」のためならどこへでも
彼らは祖国すら簡単に捨てられるほど、自分たちの健康には恐ろしく敏感である。健康のためならば「いくらお金をかけてもいくら遠くても構わない」というわけだ。
それを象徴するこんなエピソードがある。
中国広西省に「巴馬(バーマー)」と呼ばれるヤオ族の自治県がある。100歳以上の高齢者が多く住むところとして知られ、またマイナスイオンの含有量も豊富だとされる。ここ最近、この地に健康を求めてやまない中国の富裕層が大挙して押し寄せているという。「今年の上半期だけでも、現地を訪れた旅行客は前年比32%増の132万人、観光収入は10億元(約160億円)を超えた」と報じられた。
しかし、巴馬にとって良いことばかりではない。報道によれば「インフラの未整備から、生活排水が川にそのまま放出され、結果として環境汚染が進行する事態が生じた」という。
このニュースを教えてくれたのは、知人の上海人主婦である。彼女は「中国人って恐ろしい。大挙して繰り出すと(その土地が)メチャクチャになる」と呆気にとられていた。
この巴馬の事例を、私たち日本人はどう捉えたらいいのか。中国人の健康志向がもたらす経済効果を積極的に取り込むのか、あるいは環境破壊のような悪影響を懸念して安易に飛びつかないようにするのか、という選択である。
日本の経済再興を考えれば、これを傍観する手はない、ということになる。なにしろ、中国人の健康志向は江西省の自治県にさえ10億元の観光収入をもたらすのだ。
最近、日本では「国家戦略特区」というキーワードに注目が集まっている。安倍政権の成長戦略であり、特定地域を限定して行う規制緩和や優遇税制を行う枠組みのことである。2013年6月14日に閣議決定された「日本再興戦略―JAPAN is BACK―」にははっきりと「大胆な規制改革等を実行するための突破口」と記されている。
みずほ総合研究所の「みずほリサーチ」(2013年9月号)によれば、「特区に指定された都市の競争力が向上すれば、国内外のヒト・モノ・カネが集まり、都市が活性化することで日本経済全体の押し上げが見込まれる。特区で規制改革の成功事例が示されれば、その改革を全国に展開する足がかりとなり、わが国全体の経済の活性化が期待される」と論じられている。
国家戦略特区を成功させるためには、海外のニーズにマッチした商品、サービスの提供が必要である。国際的な政策研究機関の研究員は、次のように捉える。「特区制度を利用して、『中国人に高齢者住宅と高齢者サービスを売る』という構想も十分考えられる」
■苦渋を乗り越えて中国人を受け入れる
こうした構想を日本人はどう受け入れるだろうか。筆者の周りの日本人に聞いてみたところ、「中国人が大挙して押し寄せ、土地や建物を乗っ取られかねない」「互恵関係など現実は難しい」などの拒絶反応は少なくない。
ビジネス界においても、いまや対中ビジネスには消極的だ。反日デモから1年経ったが、かつての「中国ビジネスをわが社の成長エンジンに」という意気込みはすっかり語られなくなった。今後は「中国事業を縮小したい」「できれば中国抜きでやりたい」というのが本音だろう。
だが、日本企業はここ10年来、カネもヒトも時間もさんざん中国事業に投資してしまっている。今さら“中国抜き”の事業計画が立てられる企業がどれほど存在するのだろうか。ましてや今の日本経済は、中国の購買力や消費力を無視できるほどの余裕もない。中国市場を切り離すのは現実的にはありえない選択である。
ならば、どう対峙するのがベターなのだろうか。筆者は先日、沖縄帰りの友人(日本人)からこんな土産話を聞いた。
「沖縄は今では中国人旅行者だらけ。青い海を見てボーッとしたくても、耳に飛び込んでくる中国語がけたたましく、沖縄ファンの僕からすれば魅力半減も同然だ。けれども、沖縄は中国人観光客を選んだ。県民を食べさせていくにはこれしかないということだろう。その選択はきっと苦渋に満ちていたと思う」
現在、「中国人は嫌だ」「中国には依存したくない」というのは、多くの日本人の偽らざる心情だろう。しかし、その苦渋を乗り越えてあえて行う“ギアチェンジ”こそが、日本経済を救う第一歩なのかもしれない。
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。