02. 2013年10月04日 11:34:39
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【政策ウォッチ編・第42回】 2013年10月4日 みわよしこ [フリーランス・ライター] 賛否両論を呼んだあの条例はもう忘れられた? 「生活保護費でギャンブル禁止条例」のその後(上) 2013年3月、兵庫県小野市で成立した「小野市福祉給付適正化条例」には、近隣住民の目によって「生活保護費でパチンコ」といった問題を解決し、同時に、生活保護の申請に至らずにいる生活困窮者を支援するという内容が含まれていた。条例を提案・賛成する立場からは期待が高く、同時に「相互監視の制度化か」といった批判も大きかった。同条例は4月1日に施行されている。半年後の現在、同条例はどのように運用され、どのような効果を挙げているであろうか? 今回と次回は、小野市に生まれ育ち現在も在住している1人の男性の肉声とともに、小野市と同条例のその後を紹介する。 “そんな条例、あったっけ?”状態の 「小野市福祉給付等適正化条例」 2013年3月27日、兵庫県・小野市議会で、過去に類例のなかった条例が成立した。名称を「小野市福祉給付等適正化条例(以下、「適正化条例」)」という。 内容は、第一条「目的」を見れば明白だ。 この条例は、生活保護法第6条第4項に規定する金銭給付、児童扶養手当法第5条に規定する手当額その他福祉制度に基づく公的な金銭給付について、偽りその他不正な手段による給付を未然に防止するとともに、これらの福祉制度に基づき給付された金銭の受給者が、これらの金銭を、遊戯、遊興、賭博等に費消してしまい、生活の維持、安定向上に務める義務に違反する行為を防止することにより、福祉制度の適正な運用とこれらの金銭の受給者の自立した生活支援に資することを目的とする。 さらに、市民および地域社会の構成員に対して、 「要保護者を発見した場合は市又は民生委員にその情報を提供するものとする」 「偽りその他不正な手段による疑い又は給付された金銭をパチンコ、競輪、競馬その他の遊技、遊興、賭博等に費消してしまい、その後の生活の維持、安定向上を図ることに支障が生じる状況を常習的に引き起こしていると認めるときは、速やかに市にその情報を提供するものとする」 という責務が規定されている。 本連載では過去2回にわたり、この小野市・適正化条例について問題点をレポートした(政策ウォッチ編・第18回 、政策ウォッチ編・第19回)。賛成・反対とも大きな反響を引き起こした適正化条例は、その後、小野市の地域住民から、どのように受け止められているのだろうか? 小野市在住の田中勝尚さん(仮名)。小野には喫茶店のような場はないという話だったので、その日、筆者が滞在していた京都で会った Photo by Yoshiko Miwa 「もう、ほとんど忘れられてますよ。『ああ、そんな条例、あったっけ?』という感じです。みんな、そんな見張って通報するほどヒマじゃないですから」
そう語るのは、小野市で生まれ育ち、現在も小野市に在住している田中勝尚さん(仮名・40歳)だ。では、すぐに忘れられてしまうような条例が、なぜ成立してしまったのだろう? 「市長の売名行為です。他に何もありません」(田中さん) まずは、田中さんの話を通して、小野市がどのような場所であるのか想像してみよう。 美しい田園地帯 しかし何もなく不便な小野市 筆者は、田中さんの目の前に、市販されている小野市の地図を広げた。筆者には全く土地勘がないからだ。その地図を指差しながら、田中さんは小野市について語りはじめた。 「小野市っていうのは、中心部、駅の周辺以外は何もないところです。ただ、畑と田んぼと林。それから、市街地のはずれに、工業団地がぽつんぽつんとあるだけです」(田中さん) 「小野市統計表」によると、面積で小野市の43.0%が農地、27.7%が林野である。住宅地17.4%と、「その他」11.7%のどちらかに、工業団地が含まれているのであろう。 公共交通手段を用いて小野市へアクセスするには、神戸電鉄粟生線またはJR加古川線を利用する必要がある。神戸電鉄粟生線で神戸から1時間ほど北上し、小野駅で下車すると、その周辺に小さな商店街・市役所・図書館・ショッピングセンターなどがある。しかし、それ以外の場所には何もないそうだ。ちなみに、小野駅は昼間は無人駅だ。 「あの条例案で問題になったパチンコも、そもそもパチンコ屋が、そんなにたくさんあるわけではないんです。中心街から少し外れた国道沿いに、2軒3軒ある程度。その近くに、マイナーなレンタルビデオチェーンの店舗とカラオケ屋が1軒ずつ。小野市で『遊ぶところ』といったら、これで全部です」(田中さん) 想像しただけで、なんとも息の詰まりそうな世界だ。それでも筆者だったら、図書館が充実していれば、なんとか息抜きや気分転換や知的刺激の手段を確保できるかもしれない。 小野市立図書館(小野市王子町)は、小野市唯一の図書館。蔵書数は約20万冊 Photo by Y.M「図書館……大きな図書館があるんですけど、若い人は行かないですよ。年寄りばっかりです。あとは子どもとか、子どもを連れてくる親が少しはいる感じですかね。図書館もそうなんですけど、小野市はハコものが好きなんです。お金はあります。でも、肝心なところはケチります」(田中さん)
どのような「ハコもの」だろうか? 「図書館、それから大きなコミュニティセンター、スポーツセンターですね。全部赤字です。ただ、『白雲谷温泉 ゆぴか』という温泉入浴施設があって、市の外郭団体が直接経営しています。そこだけはトントンだという話です」(田中さん) 小野市の地図を指しながら、地域の事情を説明する田中さん Photo by Y.M 若年層が就労して生計を立てる場所は、小野市のどこにあるのだろうか? 近くの大都市まで通勤するのだろうか?
「神戸に通勤する人たちのベッドタウンにはなっています。でも、神戸周辺が精一杯ですね。大阪までの通勤は、正直、しんどいと思います。片道2時間以上かかりますから」(田中さん) 小野市の約70%を占める農地・林野が、若年層に職業機会を充分に提供しているとは考えにくい。地図には、山間部に「松籟きのこ生産組合」という表示があるけれども? 「ありますね。主にエリンギの栽培をしています。他に『ライスセンター』というのもあります。でも、あまり就職先とは考えられていません。若い人の就労は、工業団地での派遣が多いです」(田中さん) 地図では、いくつものゴルフ場の存在も目立っている。 「地元の就職先という感じではないですね。寮があって外国人も多いという話ですが、あまり詳しくは知りません」(田中さん) そう話す田中さん自身は、どのような経歴をたどってきたのだろうか? バイト・派遣を転々、そして自営 「僕は、運のいい方」 今年40歳になる田中さんは、小野市内の小規模企業に勤務する父・専業主婦の母の間に生まれ、ほとんどずっと小野市に在住している。 田中さんは高校を卒業した後、小野市近郊に事業所を設置している大手企業に就職したが、過労で心身の調子を崩し、1年で退職した。その後は、さまざまな業種のアルバイト・派遣での就労を繰り返した。もちろん田中さんは、正社員になりたいと望んだ。望みが実現し、正社員としての就労に成功したこともあった。しかし、短期間で解雇されたり、パワハラ等で再度心身の調子を崩して退職に追い込まれたりであった。 田中さんの派遣時代の同僚には、給料を前借りしてパチンコに行く人々もいた。しかし田中さんは、時には「過労死寸前」というほどの長時間労働をこなしながら、片道10km近くもの山道を自転車通勤するなどして節約に励み、給料をなるべく貯金していた。派遣などの不安定就労の場合、1つの仕事を離職してから、次の仕事に就いて収入を得るまでに3ヵ月〜6ヵ月の空白期間ができてしまうことも珍しくない。だから、田中さんは貯金した。 そのような日々を過ごす一方で、 「このまま派遣を続けていけるわけはない」 という自覚もあった。田中さんは、生産性を高め、派遣での個人どうしの競争・人材派遣会社どうしの競争に勝てる人材で居続ける努力を続けてはいたが、それでも「35歳」という年齢の壁は近づいてくる。年齢が高くても、生産性が高ければ派遣労働を続けられるであろうとは考えていたけれども、中高年になっても、老齢になっても続けていけるわけはない。現在も同居している父親は、老齢基礎年金を受給しつつ、不足分を最低賃金での就労で補っている。 田中さんは、派遣労働のかたわらで、副業として自営業を開始した。田中さんが35歳のとき、リーマンショックが日本を襲った。派遣で働き続けることは、一気に困難になった。とはいえ、正社員として就職することは絶望的だろう。そこで田中さんは、副業を本業にすることにした。 「僕は、運のいい方だと思います。貯金できたのだって、自営を始められたのだって、親の家にいたからです。派遣の時給は、僕が派遣で働き始めたころには、昼勤で1200円くらいでした。でも今は、小野市あたりでは850円くらいです。兵庫県の今年の最低賃金は761円ですから、最低賃金より少しだけ良い程度です」(田中さん) 条例への反対署名は 小野市から「たった23筆」 田中さんと筆者が出会ったきっかけは、本連載だ。本連載で小野市の「適正化条例」をレポートした直後、田中さんが筆者に連絡を取ってくれたのだった。紆余曲折の末、互いにスケジュールを調整し、やっと9月に会う機会を作ることができた。 雨宮処凛(あまみや・かりん)著『生きさせろ!』は、2007年3月、太田出版より刊行された。生きづらさを感じている若年層を中心に、大きな反響を呼んだ。現在は文庫化されている 「今回の『適正化条例』の前から、もともと貧困問題に関心があったんです。雨宮処凛さんの本は、よく読んでました。『生きさせろ!』とか」(田中さん)
イラクや北朝鮮を訪ね、「悪の枢軸」とされている国々の実情を我が目で確かめてみる雨宮処凛氏の行動力に、筆者はかねがね、敬意を抱いていた。「生きさせろ!」も出版されて間もない時期に読み、絶叫するような力強い主張の数々に大きな衝撃を受けた。田中さんはどう感じていたのだろうか? 「自分が苦しいのは、自分が悪いからではないのだと分かりました。これからは『生きさせろ!』と堂々と言っていいんだ、と思いました」(田中さん) 「適正化条例」について、何か反対運動はしたのだろうか? 「条例への反対署名はしました。全国で多数の反対署名が集まりましたが、小野市からは、たった23筆でした」(田中さん) その、「市民からの賛成多数」を背景に成立したという「適正化条例」は、田中さんによれば、早くも忘れられつつある。 「いろんな問題を感じます。僕は特に団体に所属したりしていないんですけど、日本では、1人で行動すると弱いんですよね。労働問題もそうですが」(田中さん) 1人でも入れる独立系労組が、現在は数多く存在するけれども? 「独立系労組というものがあるということに、気づかない人が多いです。入るにもお金が必要で、その決して多額ではないお金を出せない人も多いですし」(田中さん) 知らなければ、知る機会がなければ、どうしようもないことが数多く存在する。 「そもそも、学校で労働教育をしていませんから。大学でも労働教育はないって言うじゃないですか?」(田中さん) 筆者自身、労働法について学校で教育された最後は、高校3年の「政治・経済(当時)」の授業だ。 「アベノミクス? 関係ないよ」 出たくてもお金がなくて出られない故郷 小野駅近くには、「昭和」を感じさせる飲食街が残っている Photo by Y.M 田中さんは、
「正直、小野市を出たいです。不便だし、今、親との関係は険悪だし。土地柄は保守的だし」 と言う。なぜ、出られないのだろうか? 「景気が悪いんです。今、自営の仕事の収入は、一番良かった時の3分の1くらいしかありません。生活保護水準くらいの生活をしています。『アベノミクス? 関係ないよ』という感じです」(田中さん) 確かに、その生活水準であれば、一人暮らしを開始するのは困難かもしれない。せめて、風呂なしアパートや銭湯が探せばまだ見つかる大都市圏でなければ無理だろう。 「そもそも若い人が一人暮らしをする場所が、小野市にはないんです。ふつうのワンルームマンションが、ほとんどありません。あるのは、割高な『ゼロゼロ物件』ばかり」(田中さん) 同じ悩みを抱えている若い人は、少なくなさそうだ。 「小野では、実家住まいの若い人、多いですよ。地元企業に就職したとしても、給料が安いし、一人暮らし向けのアパートがあまりないし、あっても工業団地近辺のゼロゼロ物件ばかりだったりしますから、出られないんです。とにかく、若い人には暮らしにくい町です。だから、出ていける人は、みんな出ていきます。高校を出て就職する時とか。あるいは、大学進学で大阪や東京に行って、そのまま小野には帰ってこなかったりとか。小野に残っている若い人は、出られなかった人たちです」(田中さん) その人々は、おそらく、望んで親の家にいるわけではない。しかし、一人暮らしを始めるには、資金が必要だ。 「派遣の給料が極限まで下がってて、お金が貯められないんです。車がないと生活できない地域だから、車の費用もかかる。それで『ゼロゼロ物件』しかないとなれば、親と住むしかない。だから若い人が、家から出られないんです。だったら正社員になれるかというと、それは現実的に無理だし」(田中さん) 小野市中心部から少し離れると、秋晴れの空の下、美しい田園風景が広がっていた Photo by Y.M 田中さん自身、今後が不安でないわけではない。
「親が死んだ後、どうしようかと思います。何か地縁とか、強いつながりが地元にあるわけではないし。生活保護は、考えていませんけれども。といいますか、自営を続けるために必要な物資や資金まで手放さないと受けられないので、無理だと思っていますけど」(田中さん) 小野市長・蓬莱務氏は、「適正化条例」の成立にあたり、 「一部の反対意見の中には、条例に規定している市民に通報を求める点に関して、『監視社会や偏見を助長する懸念がある』という声もありますが、小野市のような規模の町では当てはまらない議論です。市内各地に昔からの小さなコミュニティが残っており、「監視」ではなく、地域の絆を深める「見守り」社会を目指しているのです」 と述べている(参照:小野市行政サイト)。しかし、筆者の目の前にいたのは、小野市で生まれて育ったにもかかわらず、市内各地にあるという「昔ながらの小さなコミュニティ」から弾き出されており、「地域の絆」がある町から出て行きたくてたまらない小野市住民であった。 次回は、筆者の小野市探訪記録とともに、「適正化条例」のその後を紹介する。「適正化条例」は、どのような土地柄を背景に成立し、その後、どのように運用されているのであろうか? <お知らせ> 本連載に大幅な加筆を加えて再編集した書籍『生活保護リアル』(日本評論社)が、7月5日より、全国の書店で好評発売中です。
本田由紀氏推薦文 「この本が差し出す様々な『リアル』は、生活保護への憎悪という濃霧を吹き払う一陣の風となるだろう」 |