05. 2013年9月30日 09:13:27
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【第372回】 2013年9月30日 小林美希 [労働経済ジャーナリスト] 流産が“人並み”となった医療・介護の異常な激務 非情のマタハラ職場で未来を奪われる女性たち(下) 今や日本の職場において、セクハラ、パワハラと並ぶ3大ハラスメントとされているマタハラ(マタニティ・ハラスメント)。その被害に遭っているのは、一般企業の女性社員ばかりではない。医療・介護・保育などの世界で専門職として働く女性の多くは、妊産婦の母性保護への対策がまるで講じられない過酷な職場で、流産と隣り合わせの生活を送っている。前回の「一般企業編」に続き、専門職の職場で横行する「マタハラ」の実態をお伝えしよう。他人の命を守ろうと日夜奮闘する女性たちが、そのために自らが宿した貴い命を失ってしまう――。そんな理不尽な状況を野放しにしている限り、少子高齢化が進む日本の社会に未来はない。(取材・文/ジャーナリスト・小林美希)「2人目だから流産してもいいじゃない」 マタハラが常態化する専門職の異常な世界 医療・介護をはじめ女性が専門職として働く職場では、激務が常態化している。母性保護への意識が十分浸透していない現場も少なくないという。(Photo:アフロ) マタニティ・ハラスメント(マタハラ)は、一般企業だけの話ではない。むしろ、1980年代に「総合職第一号」が誕生した一般企業よりも、ずっと以前から女性が活躍してきた看護師や介護職といった医療・福祉の専門分野では、人手不足からマタハラは起こっていた。そして、安定した職業の代名詞でもある公務員の世界にも、マタハラが起こりつつある。
たとえば、女性比率の高い介護職。介護職は日本全体で約133万人の就労人口があり、その7〜8割が女性となる。寝たきりの高齢者を抱えたりする仕事は体への負担が重く、切迫流産が4人に1人という状況だ(日本医療労働組合の調査より)。当然、ここにもマタハラ被害が数多く存在する。 「2人目の妊娠だからいいじゃない。皆、流産してきたんだよ」 介護職の加藤理恵さん(仮名・30歳)にとって、この言葉は一生忘れられない辛い思い出となっている。流産したのは、もう6年前になる。第1子を出産後、待望の第2子を宿したが、夜勤が彼女の新しい命を奪ったのも同然だった。 北関東の老人保健施設で働く理恵さん。寝たきりの高齢者を介護するのは重労働だ。流産しないか心配した理恵さんは、第1子の妊娠中も、上司から「正職員なのだから、妊娠したからといって夜勤ができないなんて言えない。みんな夜勤をしているのだから、大丈夫」と言われ、夜勤が免除されることはなかった。 結局、産前休業に入る直前まで夜勤に組み込まれ、切迫流産や切迫早産の兆候があったものの、第1子は無事に出産することができた。 その1年後、次の妊娠がわかったが、相変わらず夜勤は免除されない。人手不足から、遅番や夜勤が月に10回以上も課せられた。上司から、「夜勤が嫌なら辞めるかパートになるしかない」とまで言われた。 介護職の理恵さんと看護師の夫の年収を合わせて、世帯収入は年間で500万円。家のローン、通勤や生活に欠かせない車の維持費、上の子の保育料を考えると、理恵さんが辞めることはできなかった。 見る見るうちに出血が始まり、 血の塊とともに胎児が…… 妊娠9週目、夜勤明けの腹痛に嫌な予感がした。見る見るうちに子宮からの出血が始まり、胎児が血の塊とともに押し出された。それが流産だという直観があっても信じたくない。 産婦人科に駆け込むと、流産したことを告げられた。職場に流産の報告をすると「2人目なんだからいいじゃない。この仕事で流産は当たり前」と言い放たれた。 「夜勤が子どもの命を奪った。その命の重みに1人目も2人目もない」と、理恵さんは今でも思って止まない。 それから2年後、3度目の妊娠がわかった。職場の状況は変わらず、正職員である以上夜勤は免除されない。今度も流産の危険があり、強い意思を持って上司に夜勤免除を申し出ると、「夜勤ができないなんて、特別扱いはできない。お互い嫌な思いをするよりは……」と、休職を余儀なくされた。 夜勤を免除さえしてもらうことができれば、仕事は続けられた。切迫流産の診断書が出ている間は傷病手当をもらうことができたが、安静にして症状が治まると理恵さんの収入はなくなり、社会保険料の自己負担分が毎月マイナスになっていく。夫の収入だけでは家計が維持できず、ついに第1子の保育料を滞納する極限状態に陥った。 産後、育児休業を1年取得して職場復帰する予定だったが、家計の状況から半年で職場に戻ることとなった。上司からも再三にわたって「人が足りない。早く戻れないか」と電話がくる。 理恵さんは生後6ヵ月の乳児を抱え、再び夜勤人員に組み込まれた。「妊婦を守らないマタハラ職場では、産後の子育て中も酷い仕打ちが待っている」と痛感している。10年以上働いても、夜勤をこなしてやっと月給が20万円に届くかどうか。仕事を辞めたいと思っても、生活のために辞められない。 「管理職や制度をつくる役人、政治家は、一度でも福祉や医療の現場に来て夜勤の辛さ、日勤の過密労働を体験してほしい。国が制度をきちんと改善しない限り、人手不足は続き、マタハラなんてなくならない。そして、現場から人はいなくなる」と、理恵さんは切実に訴える。 2025年には団塊世代が一斉に後期高齢者となり、超高齢化社会を迎えるが、現時点でも介護職はもちろん、看護職など福祉や医療を支える専門職は人手不足の状況だ。妊娠や出産、子育て期に労働市場から脱落するケースは、決して少なくない。 超過勤務や夜勤負担で大量離職 子どもが産めない看護の職場 働く女性の20人に1人が看護職(保健師、助産師、看護師、准看護師)。看護職として働く人は現在合計で約145万人おり、その約94%が女性となる。専門職としても女性の職業としても代表的なボリュームとなるが、やはり離職の理由のトップは「妊娠・出産」(30%)となっている。 そして、勤務時間の長さ、超過勤務の多さ、夜勤負担の重さが挙げられている(日本看護協会の調査より)。その背後には、マタハラの被害が見え隠れする。 日本医療労働組合連合会の『看護職員の労働実態調査』によれば、看護職の切迫流産は2009年で34.3%となっており、1988年の24.3%から10ポイントも増加している。厚生労働省の『看護職員就業状況等実態調査』(2010年度)では、「第1子の妊娠・出産・育児の際に受けたかったが受けられなかった支援・制度等」を尋ねており、上位には「夜勤の免除または夜勤回数の軽減」「時間外労働の免除」が挙げられている。 同調査によれば、看護職の免許を持っていても看護職として働いていない人の通算就業年数は「5〜10年未満」(19.3%)が最も多く、次いで「5年未満」(18.1%)となり、経験年数10年未満が6割を占める。 このことからも、高齢化や医療技術の進歩に伴い激務が避けられない医療や福祉の現場では、妊娠期のマタハラが起こりやすく、離職を促す原因となっていることがうかがえる。 夜勤が免除されてもロング日勤に 「このままでは流産してしまう」 「つわりがひどくても、ロング日勤をやめさせてもらえなかった」 都内の民間病院で働く看護師の田中千香子さん(仮名・28歳)は、「もし何かあったら訴えようとさえ思った」と振り返る。 千香子さんの務める病院では、妊娠中でなくても普段から看護師が過酷な労働を強いられている。配属された病棟では、新生児から寝たきり高齢患者の看取り、救急搬送された緊急入院まで、どんな患者でも受け入れている。 通常であれば、病棟はある程度疾患別に区分けされるが、病院経営にとってはベッド稼働率が収入の要。現場の体制など無視して、ベッドに空きがあれば次々と患者が入院させられる。 24時間365日治療を維持しなければならない病院。夜勤は1日を3つに分ける3交代制か、2つに分ける2交代制が主流となる。千香子さんの病棟では、変則2交代制度が敷かれ、夜勤はもちろん日勤も長時間労働となる。日勤(8時30分〜17時30分)と夜勤(16時30分〜翌9時30分)に加えて、「ロング日勤」と呼ばれる8時30分から21時30分までの勤務がシフトに組み込まれる。 夜勤は看護師2人体制で、日勤が帰ってしまうと患者の夕食や検温、急変時の対応などに人手が足りなくなる。そのため「ロング日勤」という、いわばみなし残業がセットになったような形のシフトで、忙しい時間帯をカバーする目的がある。 普通の日勤は原則8時間だが、ロング日勤は13時間の日勤となり、日勤プラス5時間であっても残業代が出るわけではない。勤務中は処置や入退院、検温などに追われて、看護記録を書く時間がなく、ロング日勤終了後にやっとパソコンに向かって記録し、終わるのは23時過ぎ。そこはサービス残業だ。 本来妊産婦は、労働基準法や男女雇用機会均等法などで守られており、職場に夜勤免除や業務負担の軽減を申請できる権利がある。しかし、こうした状況下、妊婦だからといって権利が守られるわけではなく、マタハラが横行する。 千香子さんは、つわりがひどいときだけ夜勤が免除されたが、それは「医療安全が守られない」という理由でしかなかった。2人体制の夜勤で千香子さんが動けなくなると、ペアになった看護師がたった1人で40人以上の患者を看なければならないからだ。その分の穴埋めをさせるように、日勤帯での長時間労働が強いられた。 つわりがひどく、「なんとかロング日勤をやめさせてもらえないか」と看護師長(病棟の責任者)に申し出ても、「他の看護師が家庭の事情でできないから」と、シフトに組み込まれたまま。つわりがおさまると夜勤も強制され、月4回の夜勤にロング日勤が5〜6回という状況だった。長時間過密労働で、常にお腹が張ってカチカチの状態だった。 1日中お腹が張って痛みを感じ、産婦人科を受診すると、医師から「早産する可能性が高い。なるべく歩かないで休むように」と忠告された。そう言われても、病棟スタッフに余裕がない。医師からはお腹が張ったら休憩するよう指導されたが、勤務中に横になることなど不可能だ。 そのまま3日ほどすると、いよいよ激しい腹痛に見舞われた。そこでやっと師長に「切迫早産の危険がある」と言っても、「もう1回受診してみたら」と冷たく言い放たれた。産婦人科で診断書をもらってやっと休暇をとり、予定より早く産前休業に入ったが、千香子さんは「あのまま働いていたら、早産して大変なことになったに違いない」と、震える思いがしている。 人が人を相手にする職業では、低賃金・長時間労働が恒常化していることから、人員が不足しがちだ。それは、主な人件費の原資となる介護報酬や診療報酬という国の制度の整備が未熟だからだ。そうした人手不足の状況が妊産婦をマタハラに追い込みやすくしている。これは介護や看護に限らず、待機児童が深刻化する保育の世界でも同様だ。 人手不足の薄給でも頑張ったのに…… 妊娠したら退職を促される保育所の現実 「保育士なのに、自分の子どもを産み育てながら働けない」 都内の民間保育園で働く鹿島純子さん(仮名・26歳)は、こんな矛盾に悩んでいる。22歳で保育士として働き始め、3年目にはクラスの責任者になった。それとほぼ同時に、学生時代から交際していた恋人と結婚。子どもが好きでこの業界に入った純子さんは、「早く自分の子どもも育ててみたい」という期待が膨らんでいた。 しかし、職場を見渡せば子育て中の保育士はいない。民間の保育園では人件費を削って利益を出そうとする傾向が強く、人件費のかさむ中堅やベテランは正職員として雇われないことが多い。 純子さんの職場で最年長は、29歳の男性保育士。純子さんの職場に限らず、待機児童解消のために民間保育園が次々と開設されるが、保育士の供給が追い付かず、スタッフのほとんどが新卒や経験の浅い若手ばかり。月給は手取り16〜18万円と薄給だ。 1歳児クラスを受け持つ純子さん。子どもたちは、よく動き回るがまだ意思疎通を図ることができるほど話はできない。危険なことの分別もつかない年齢で、何にでも興味を示すため目が離せない。自我が芽生えてくるため、他の園児をひっかいたり、噛みついたりもする。まだまだ甘えたい年齢で、保育士が1〜2人の子どもを抱っこしてあやすこともある。いわば体力勝負の仕事でもある。 ここでも人員には余裕がない。保育には児童福祉法による人員配置基準があり、多くの保育園がその最低基準ぎりぎりでの運営となっている。0歳児3人につき保育士1人、1〜2歳児6人につき同1人、3歳児20人につき同1人など。 純子さんのクラスでは、1歳児から2歳の誕生日を迎える子ども13人を3人の保育士が担当。保育園は朝7時30分から夜8時30分まで開園しているため、その3人で早番、遅番もこなすことから、保育士2人で13人をみる時間帯もある。土曜の出勤があっても、代休はもらえない状況だ。 そうしたなかで純子さんの妊娠がわかると、園長は「子どもを抱っこしたり追いかけたり。リズム体操だってあるのに、やっていける?」と純子さんに退職を促した。 「すみません、迷惑はかけません」 妊産婦が遠慮して仕事を休めない現実 クラスの責任者に抜擢され、産後も働きたいと思っていた純子さんは、「すみません。迷惑をかけないよう頑張ります」と謝り、妊娠前と変わらないよう働き続けたが、子どもたちと飛んだり跳ねたりすることや、日々夜の10〜11時まで続く残業で、その疲労は妊娠中の身には辛かった。 また、同僚は未婚のため、純子さんの妊娠に現実味がない。つわりがひどくて休憩をとっていると「1人じゃみ切れない! さぼってないで早く来て!」と叫ぶ。保育士のイライラが子どもに伝わり、子どもたちが泣き始めると、スタッフ同士の雰囲気が悪化。 そのうち純子さんの体調に異変が起こり、お腹が張ったり出血が始まるようになったが、同僚は気遣う様子もなく「責任者なのに1人前に仕事できない」と陰口をたたかれるようになった。園長からも「周りの先生が大変になるから、出産と子育てに向けて専念したほうが良いのでは? 無理をして流産したら後悔する」と言われ、退職に追い込まれた。 安定の代名詞だった公務員の世界に異変 非常勤職員の増加で「妊娠解雇」が増加 マタハラ被害は、社会から必要とされる分野でも横行するが、安定の代名詞とも言われてきた公務員の世界でも異変が起こっている。非常勤職員が増えたことで、「妊娠・出産イコール雇い止め」という図式ができてしまうからだ。 都内の自治体で働く宮田弘子さん(仮名・32歳)は、大学院を出た後、非常勤の公務員として採用された。1年ごとの契約更新で、最高で5年が上限の雇用。その4年目に妊娠がわかったが、職場で出産を経験した非常勤職員がいなかった。 つわりで遅刻や欠勤が増えると、上司からは「勤務態度の評価に響く」と言われた。そのうち「うちで非常勤が出産した例はない。働きたいなら休むな」と、風当りが強くなっていった。 弘子さんは「できれば育児休業をとって働き続けたい」と考えていたが、弘子さんの次年度の契約は更新されず、雇い止めに遭った。表向きの理由は「次年度の事業予算がつかない」ということだったが、非常勤の同僚の多くが5年間は勤め上げていたため、事実上の「妊娠解雇」だということは明白だった。 今、多くの自治体では非正規雇用が増えている。自治労の『地方自治体職員の勤務実態調査』(08年9月発表)によれば、自治体の職員の27.6%が非正規雇用で、4人に1人の割合に上る。特に市町村では増加率が高く、3割を超えるという。2012年の調査では、非常勤は3人に1人とさらに増えている。 育児介護休業法では、非正社員にも育児休業を取得する権利が盛り込まれているが、「@同一の事業主に引き続き雇用された期間が1年以上であること」「A子が1歳に達する日(誕生日の前日)を超えて引き続き雇用されることが見込まれること(子が1歳に達する日から1年を経過する日までに労働契約期間が満了し、更新されないことが明らかである者を除く)」という条件になっており、ハードルが高い。 特に、妊娠を望む時期に非正社員であると、就業継続はより困難になる。第1子妊娠前に非正社員(パート・派遣社員)だった場合に、育児休業を利用して就業継続した割合は、結婚や出生の年が2005〜09年のケースでたった4%にすぎない(国立社会保障・人口問題研究所の『第14回出生動向基本調査(2010年)』による)。これはもはや、一般企業だけの話ではなくなった。 妊娠は本来「おめでたい」ことで、子どもは周囲から「おめでとう」と言ってもらって生まれてくるもの。しかし現実として、働く女性が妊娠すると「すみません」と謝らなければならず、法が定める母性保護規定は無視され、マタハラの最悪のケースともいえる流産と隣り合わせの状況で勤務しているのが現状だ。 当然、無事な出産を望めば、「トラブルやストレスを抱えるよりは」と退職して泣き寝入りするケースが増える。これが公的な専門職にも激増しているということは、介護、看護、保育を必要とする家族を持つ一般企業の人々を支える人材を失うことにつながり、社会保障の機能を低下させかねない。 このような事態が進めば、家族をみるために離職を余儀なくされる会社員が増え、企業からの税収が落ち込むなど、国家レベルでも深刻な問題を抱えることになる。自ら免許をとって働くほど労働意識が高い専門職員のマタハラ離職は、一般企業社員のマタハラ離職とはまた違った意味を持つ。 子どもの価値を認めない社会は 人間自体に価値を認めない社会と同じ 未来ある人材を生み出すスタート地点である妊娠。職場の管理者にとっても、いつ終わるかわからない介護、いつ治るかわからない疾患などと比べ、働く女性の妊娠期や子育て期は見通しがつきやすく、採用計画やワークシェアリングの方法を模索しやすいはずだ。 マタハラについての知識が周知され、法が遵守されるだけで状況は一変するだろう。ただ、労働集約的な職業ほど、働き方と国の制度が直結しており、個々の職場での努力にも限界がある。 妊産婦を大切にできず、マタハラが横行する職場が多いという日本の社会は、子どもの価値を認めていないのと同じではないか。それは、「人間そのものに価値を置かない社会」とも言い換えられるだろう。 今ここでマタハラを放置し、容認するようなことがあっては、国の基盤そのものが揺らぐということを忘れてはならない。 ◆「非情のマタハラ職場で未来を奪われる女性たち(上)」も併せてお読みください。 |