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http://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20130918/frn1309180903000-n1.htm
2013.09.18
2008年9月13日、午前10時過ぎ。ニューヨーク市内のホテルに滞在していた米大手銀バンク・オブ・アメリカのブライアン・モニハン法人・投資銀行部門社長(当時)の携帯電話が鳴った。
「買収を目指して、(米大手投資銀行)メリルリンチの資産査定を今すぐ開始してほしい」。電話口の向こうには、上司のケン・ルイス最高経営責任者(CEO=当時)がいた。
モニハン氏は一瞬とまどった。経営危機に陥った米大手投資銀リーマン・ブラザーズ買収を検討すべく、弁護士などからなる買収チームと朝夕なく働いていたのだが、前日に「買収取りやめ」が決まり、帰宅の準備をしていたところだったからだ。
ルイス氏に緊急連絡を促したのは、ニューヨークからのある電話だった。メリルのCEOだったジョン・セイン氏が救済買収を求めたのである。
現在、米金融大手CITグループのCEOを務めるセイン氏は、同13日早朝から米財務省や米連邦準備制度理事会(FRB)の幹部らとニューヨーク連銀内で、リーマン救済を目指す会合を開いていた。だが、リーマンの買い手が見つからない可能性が高まり、主題はリーマンの“再建”から“解体の円滑化”に移った。
「次は自分の番だ」。ニューヨーク連銀内でセイン氏は恐怖に震えた。「リーマンの次はメリル」というのが当時の市場の見立てで、リーマンと並行してメリルは株価が急落し、資金繰りが苦しくなっていた。
そこで、セイン氏は連銀会合の合間を縫って、ルイス氏に「SOS」を発した。その36時間後、リーマンが破綻申請する前日の9月14日に、メリルは連鎖倒産を防ぐ、危機一髪となる身売りを決めた。
08年9月に世界経済を震わせた「リーマン・ショック」の本質は、「バンク・ラン」と呼ばれる金融機関への取り付け騒ぎである。取引先が担保回収に走ることでマネーの流れが止まり、手元流動性が少ないリーマンなど投資銀行から順に倒れていった。
リーマンが破綻申請した、ちょうど5年後の今年9月15日。オバマ米大統領は「ローレンス・サマーズ氏が次期FRB議長候補を辞退した」と発表した。“辞退した”というが、「金融システムのリスクを監視するFRBトップとしてふさわしくない」という声が身内の民主党内からも強まっており、米議会対策としてオバマ大統領が“辞退させた”のだろう。
クリントン政権時代に米財務長官だったサマーズ氏は、同政権で先に米財務長官を務めた、ロバート・ルービン氏の一派に属する。
ウォール街出身のルービン氏とサマーズ氏は、金融危機の遠因になったとされる、銀行と証券業務の業際撤廃や、デリバティブ(金融派生商品)の規制緩和を進めた。リーマンが破綻したのも、不動産を担保にした証券やデリバティブに傾注したからで、ルービン一派は金融危機の戦犯とされている。
なのに、ルービン氏は業際撤廃で生まれた米大手銀シティグループに天下り、サマーズ氏もシティや投資会社からの顧問料をちゃっかりと稼ぎ、富を蓄えた。
給料と自社株で積み立てていた年金を失ったリーマンの元社員と話すと、「なぜ当社だけが公的資金を受けずに破綻し、為政者は責任を取らないのか」と今でも怨嗟(えんさ)の声が返ってくる。
危機の土壌を放置したルービン一派の筆頭格であるサマーズ氏がくしくも5周年記念日に恥をかかされたのは、「リーマンの呪い」なのかもしれない。
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