01. 2013年9月11日 10:14:39
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【第4回】 2013年9月11日 高野秀敏 [株式会社キープレイヤーズ代表取締役] 企業の“見切り発車”海外進出の罠! 日中たらい回し「人間ビリヤード社員」の悲哀 日本の国内市場は少子高齢化などを背景に、中長期的にみて縮小傾向にあります。このような時代背景から、海外進出に力を入れる会社は確実に増えています。それに伴って日本だけではなく、海外で仕事をしてみたいと思うビジネスパーソンの方が以前よりも増えて参りました。 しかしながら、単純に国内市場が縮小しているから海外進出というのは、「隣の芝生が青く見えているだけなのではないか?」ともいえます。なぜなら、海外進出は多くのリスクをはらんでいる上、競争も激しく、「最近、みんなそうしているからうちの会社も…」というような浅い考えではうまくいかない可能性が高いからです。 それでは早速、海外進出を拙速に決めたために、会社も社員も翻弄されることになった実例を見ていきましょう。 盛大な壮行会まで開いてもらったのに 中国行きがまさかの白紙? 今から約5年前の秋、当時32歳だったAさんは、広告代理店に勤務し、国内営業を担当していました。そうしたなか、以前、中国関連の仕事に携わった経験があったため、その成果を買われ、上海にて中国支社立ち上げを行う部署への人事異動とその後の中国支社への出向を打診されました。 これまで海外で働いた経験がなく、中国語もほとんど話すことができなかったAさんですが、悩みながらもその打診を承諾。そして翌年2月に中国支社立ち上げを行う「中国準備室」に異動しました。 自ら立ち上げを行っていかなければならないということで気持ちも入り、さらにこれで一旗あげてやろうと強い意気込みを持ち始めていたAさん。現地に移り住んで立ち上げ準備をする日程が決まり、仲間・同僚から盛大な壮行会も開いてもらいました。 しかし、荷造りも終わり、いざ出発と思ったときでした。なんと、2008年秋に発生したリーマンショックが会社経営にもダメージを与え始めていたため、親会社の経営陣から突然、中国行きにストップがかかったのです。そしてAさんの中国行きは、一旦白紙になり、泣く泣くまとめた荷物を解くことになりました。 中国進出派VS中国撤退派 “イケイケ詐欺”に巻き込まれた!? 中国事業の白紙化によって、国内営業に戻ることになったAさん。しかし、当時の社内の実力者が「中国準備室」を無くすことに大きく反対し、中国準備室に所属し続けることになりました。 その後、やっとのことで中国出張を重ねながら、中国支社立ち上げに向けてAさんは動き続けました。そして、2010年秋にようやく自社と中国企業との合弁会社が立ち上がりました。当初予定していた上海ではなく、北京での立ち上げとなりましたが、このときすでにAさんに中国勤務の話が来てから、2年の月日が流れていました。 こうしてようやく中国での事業が動き始めたなか、2011年3月にAさんに対して本来の目的であった上海に支社を立ち上げるというミッションが下りました。そして、赴任ではありませんが、長期出張のために上海へ引っ越しすることが決まったのです。 今度こそ上海支社を立ち上げるぞ!という気持ちでいっぱい。そして、引っ越しもようやく終わって落ち着いた、そんなときでした。 突然、社長が交代し、新社長が前任の社長のやり方を徹底的に否定しはじめたのです。 「なぜ今、上海に行かなければならないんだ?」「大至急、日本へ戻せ」 Aさんは、再び日本への帰国が決まり、国内営業に戻ることになりました。 こう何度も行ったり、来たりが続くと、「まるで“イケイケ詐欺”ですよね…」とAさんは苦笑いします。 親会社に働きかけて中国行きが決まるも 再び日本に戻る“人間ビリヤード”状態に こうして2011年9月に帰国したAさんでしたが、やはりここまで携わったからには、上海支社立ち上げや中国勤務を諦めきれません。そこで、今度は自分からキャリアをしかけようと、親会社の方に根回しをし、「(中国支社には)日本人がいないと大変だ」と自社の経営陣に働きかけてもらったのです。そうした根回しが功を奏し、2012年7月から再び、上海への長期出張が決まりました。 そうして上海支社での仕事を始めてから約9ヵ月が経ったときでした。2013年4月、中国支社での日本人のコストを削減するために、日本の本社から帰国辞令が出たのです。当時は、リーマンショック以降の景気後退のみならず、中国での反日デモなども発生した影響で、中国におけるクライアント企業からの仕事は激減していました。そうして、再びAさんは国内営業へと戻ることになりました すっかり会社に翻弄されてしまったAさん。日本と中国をたらい回しにされ、まるで“人間ビリヤード”状態になっていました。さらに、Aさんの会社は子会社であったため、なかなか自分の意思だけではどうにもならないという事情も抱えており、グループ会社社員の悲哀がそこにはありました。 俺って中国好きだったのかな…? 本当にやりたいことが見えなくなっていた Aさんはそこで中国国内での転職も考えましたが、そもそも自分は中国で何が何でも仕事をやりたいのか?と自問自答してみました。 「自分は、中国が好きだったんだろうか?」とよくよく考えてみました。また、現地で働くように引き止められたものの、現地採用になれば、給料はかなり下がってしまいます。それでもなお中国に残りたいか、考えてみました。さらには中国で活躍した後に日本に戻ったとしても、ポジションがない可能性もあるとわかりました。その結果、実はそれほど中国で働くことにこだわりがないことに気がつきました。 グローバル化が叫ばれているなか、自分にも声がかかったからついついその気になってしまっていた…それがAさんの本心だったのです。短いながらも中国で働いてみたことで、日本や日本人の良さがあらためて身にしみたようでした。 グローバル時代の今だからこそ 自分の強みを発揮すべき 今の日本において成長著しい業界は、インターネット関連業界ぐらいで、そのほかに大きく成長している産業はほとんどありません。そんななかで日本ではなく、海外へという考えはひとつの側面としては、正しいと思います。しかしながら、海外に出れば、企業も個人もいったい何が強みなのか、何が貢献できるのかをいっそう問われることになります。 なぜなら、海外に出れば、日本にしかないモノやサービスはいったい何なのかを考えなければならないからです。現地には、日本よりもっと安いサービスがあることが少なくありません。品質は日本の方が優れているから問題ない、とおっしゃる方はいるでしょう。しかし、実は必ずしも良いとは言い切れないのです。 グローバル化にいち早く対応したのは、韓国であり、中国です。特に韓国製品は品質も高いといわれており、中国製品はやはり価格が安いのが強みです。日本のモノ、サービスの質やそれに見合った価格が一番とは、とても言い難くなっているといえるでしょう。 また、グローバル化による問題点として、日本よりも安い労働力が簡単に手に入ることが挙げられます。したがって、簡単な業務やシステム開発はアジアにアウトソースしてしまう流れが生まれています。今までは日本人同士で戦って得ていた仕事が、海外の人々とも争って獲得しなければならないものになっているのです。 言語、文化、法律が違うところで、どんな強みが発揮できるのか。海外に出てはじめて気づくこともあるかと思います。ですから、本当の自分の強みは何なのかをグローバル化した今だからこそ大事にし、伸ばしていく必要があるのではないでしょうか。 |