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http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20130906-00000007-sasahi-life
AERA 2013年9月9日号
都心から電車で約1時間半の東京都あきる野市に、アズマ家はある。カナコさん(33)と、サラリーマンの夫(38)、長女(6)、長男(3)。
東京電力に払う電気代は、10アンペアの基本料金273円に、最低料金の224円45銭(使用電力8キロワット時まで)と、わずかな追加料金を合わせて500円超。猛暑日続きの8月も、536円だった。
太陽光発電などほかの電力を使ってはいない。家庭内にある電化製品の使い方をまんべんなく見直し、昔ながらの知恵や工夫を実践しているのだ。
ただ、どこの家庭にもある洗濯機、掃除機、冷蔵庫、エアコン、電子レンジがない。「大変でしょう」「無理しているのでは」と言われることも多いという。でもポリシーは明快。
「洗濯機がなくても、たらいがあればいい。掃除機がなくても、ほうきがあればいい。冷蔵庫がなくても、保存食があればいい。決して無理をしているわけではなく、自分はこのほうが好きなだけ。お金をかけずに手間をかける。こうした生活こそが自分にとって最高に贅沢」と話す。
電化製品を全否定しているわけではない。必要に応じてミキサーや、精米機、パソコンも使う。プロパンガスや水道の使用量も少なく、水道光熱費は合わせても月5千円以内だ。
家電に頼らない生活。カナコさんがそれを実践しようと考えたきっかけは、社会人1年目にさかのぼる。
子供の頃、外で遊んでいると「光化学スモッグ警報」が出たという都内の工場地帯・大田区出身。実家のすぐそばに住む大正生まれの祖母は「もったいない」が口癖で、辺りが暗くなっても「まだ明るい」と電気をつけない人だった。
当時は「変だな」と思っていたが、大学で山岳部に所属し、1週間、電気や水のない暮らしを山で仲間と送るうち、かつて祖母が実践していた暮らしを試したい思いが募った。就職後、一人暮らしを始めたのを機に電気を10アンペア契約にし、テレビ、エアコン、電子レンジ、掃除機のない生活を始めた。
それでも、このころの電気代は、6月は879円、冬場の2月には1700円と今よりずっと高かった。職場結婚した夫との生活が始まると、夫が持参したテレビや掃除機を使うようになった。電力契約も20アンペアに上げたため、一番多い月で電気代は月3千円ほど払っていた。
2008年、昔ながらの日本家屋の生活に憧れていたカナコさんが夫に相談し、通勤圏内のあきる野市に移住。半年ほど後に、中古の一軒家を見つけ、今の暮らしが始まった。
電気代を大きく減らしたのは11年。長男の布おむつが外れたことから、2月にまず洗濯機をリサイクルショップに。東日本大震災後、新聞の掲示板で冷蔵庫を求める被災者の投書を読み、思い切って冷蔵庫を被災地に送った。非常時にはつながらないと実感した携帯電話も解約した。
そうするうち徐々に「これは必要だろうか」と当たり前のように使っていた電化製品を一つ一つ見直していった。「本当に用事がある人はメールも含めていずれ連絡はつくから」と、固定電話のコンセントは午前9時〜午後9時以外は抜くように。6〜8畳の和室3部屋、トイレ、洗面所の電球はすべて外し、3.11後の計画停電時に購入した太陽光充電式ランタン2個を使う。職場で緊急を要する業務を担当していない夫も、帰宅後は携帯の電源を切る。
今では、電灯をつけるのは、夏場は夫が帰ってから寝るまでの数時間。11年は多い時(7月)に2千円を超えていた電気料金が、12年には年間を通して一番多い月(1月)でジャスト600円と、平均500円台を保つ。
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