03. 2013年9月03日 11:15:13
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倉都康行の世界金融時評 金融危機の教訓は生かされたかリーマンショックから5年、「金融のいま」 2013年9月3日(火) 倉都 康行 猛暑はそろそろピークを越えたようだが、国際資本市場は今月の米国FOMCにおける量的緩和縮小の可能性、米連邦準備理事会(FRB)次期議長の指名人事、あるいは新興国の経済失速や通貨下落、そしてシリア情勢など、まだ数多くの不透明な材料に囲まれて、寝苦しい日々が続いている。 特に新興国通貨問題は5月中旬のFRB議長発言から突如として浮上したものであり、消化不良の感は否めない。危機と言うほどの段階ではないにせよ、今後の米国長期金利次第ではかなり厳しい状況に追い込まれる国が出てくる可能性はある。 ただし金融システムという点に関しては、米国をはじめとしてかなり落ち着いてきたように見える。特に大手米銀が発表した直近の決算は好調であり、住宅市況が急回復していることもあって、業績の安定化が期待されている。企業の資金需要は相変わらず低調だが、貸倒引当金の積み立ては一巡し、投資銀行部門の取り引きも徐々にではあるが改善している。 豹変し始めた大手金融の低姿勢 思い起こせば2007年の8月、やや唐突に欧州中銀が大量の資金供給を発表し、サブプライム・ローン問題が急浮上してから1年後の2008年9月にはリーマン・ブラザーズが破綻した。あれから5年が経過、その間に巨額の公的資金に支えられて大手銀行や保険会社、自動車メーカーなどが救済され、大胆な金融緩和のもとで不動産価格や株価は反転し、いまや米国は世界経済の中で最も安定的な成長国として復活を遂げている。 ただし、その景気回復が過去の景気循環における姿とかなり異なっていることは事実だ。特に雇用環境に関しては、失業率の低下ほどには改善していないとの見方が大勢である。長期的失業が解消されない構造は、深刻な社会問題として定着し始めている。そんな中で一部市場でバブルの兆候が見られ始めたことに対し「果たして金融危機の教訓は活かされているのか」いう疑念が生まれてきたのは不思議ではない。 2008年当時は金融規制強化に反対する声はほとんど無く、大手金融の経営者すらその方向性に賛同する殊勝な姿勢を見せていた。だが徐々に経済が回復して自身の利益性が向上するにつれ、その低姿勢が豹変し始めている。 近年、大手銀行の経営者らがドッド・フランク法の制定やボルカー・ルールなど金融規制強化への動きに対して、精力的にロビイングを重ねてブレーキを掛け始めたことは周知の通りだ。今さらながら「政府の支援など必要なかった」と嘯く経営者もいる。 これに呼応するように、保守派の経済学者らも規制強化で金融業が縮小すれば米国の国益を損なうことになる、として銀行経営者に同調する姿勢を強めている。金融政策評価とともに金融規制に関しても、専門家の間では両極端の考え方が存在している。それは、まるで日本の消費税増税を巡る議論と同じく、現代版の宗教戦争のようにも感じられる。 米銀をはじめとする大手金融機関は、リーマン危機以降、自己資本の強化を目指して資本調達を重ねてきた。各銀行は「財務基盤はより健全で安全になった」と口を揃えるが、銀行が公表する自己資本比率は20%近い数字から7%前後の数字まで様々なカテゴリーで示されており、どれが適切なのかは専門家の間ですら統一見解が無い。現在、メディアなどで報道される「金融システムの安定」とは意図的に作られた虚像なのではないか、といった印象すら抱く。 恣意性の強い「リスク・ウエイト」に対する批判 自己資本比率は銀行の安全性尺度として用いられるが、そこに絶対的な基準が無いのは原発リスク判断の基準と似たようなものであろう。従って、システムの安定性維持のためには極めて保守的な尺度が必要になる。それが金融危機の教訓でもある。 だが現行の自己資本比率で健全性を計る方法も、「資産のリスク・ウエイト」という概念を大手銀行の自主性に委ねるという枠組みは変わっておらず、「無責任な再稼働」と言われても仕方ないところがある。 自己資本比率で銀行経営の健全性をチェックする発想は、英国が「ギアリング・レシオ」という定義でチェックを始めた1970年代のものである。それをバーゼル委員会が、「信用リスク・ウエイト」の概念を取り入れた形で80年代後半に日米欧の銀行に共有化させるルールとした。 その後、計算手法は何度も精緻化されてきたが、基本形は変わっていない。そして、パラメータとして最も重要なクレジット・リスクのウエイト付けは、各銀行の作成したモデルによって「自主的」に導出される数字が利用されている。こうした、業界に任せる方法に対する批判は根強い。 英米規制当局の一部からは、業界の恣意性の強い「リスク・ウエイト」ではなく資産の絶対額を用いる「レバレッジ・レシオ」による健全性を求めるべきだ、との意見も出ている。バーゼル委員会では新たな規制として大手銀行に3%以上の「レバレッジ・レシオ」を義務づける案を示しているが、FRBのタルーロ理事や米連邦預金保険公社(FDIC)のホーニグ副会長、また英中銀のハルディーン理事らはこれを「不十分」と批判し続けている。 先般、米金融当局は大手米銀8行に対しレバレッジ・レシオを6%(持ち株会社ベースでは5%)とする案を発表した。FDICは大手8行の必要追加資本は約890億ドル(約9兆円)と試算しているが、その大半はJPモルガンだと見られている。市場にはこうした提案を歓迎するムードもあるが、米銀サイドは既に猛反発する姿勢を見せている。 国際金融システムのわびしい現状 規制当局の提案に、銀行界や一部エコノミストなどが強硬に反対する構図はまだまだ続く。「グローバルな金融システム点検」という観点からすれば、お寒い状況である。加えて、規制強化に関しては日米欧の間でもなかなかコンセンサスに達しない状況も続いている。これが「リーマンショックから5年」の国際金融システムのわびしい現状である。 確かに主要国の銀行収益には安定感が見えてきた。特に大手米銀の決算は好調であり、変動の激しい投資銀行を抱える上位5行の4−6月期利益総計は176億ドルに上り、2007年4−6月期以来の高水準となった。低迷を続けてきたバンカメやモルガンスタンレーの株価も、前年比で約2倍のレベルにまで回復している。それはコスト削減という後ろ向きの利益から収入増という前向きの利益に変わってきたことが背景にある。バランスシートも、より筋肉質になった。 だが、それで金融問題は忘れてよいということにならない。金融システムにはまだ(1)大き過ぎて潰せない問題(Too Big To Fail)が解決されていないこと、(2)危機感の薄れにより一部市場にバブル再燃リスクが観察されること、そして(3)長期金利上昇に対する経営耐久力が十分でないこと、といった課題が残されている。(1)と(2)については既に何度か触れたことがあるので、以下(3)について簡単に整理しておきたい。 前述の通り米銀の経営体力は回復しているが、利ざやや融資量といった面での問題は解消されていない。景気が回復過程にあるのに預貸率は回復せず、70%前後と1984年以来の低水準に落ち込んだままである。そのギャップを埋めるために購入した米国債やMBS(住宅ローン担保証券)などは、金利上昇で大幅な評価損となっている可能性が高い。 好調な決算も、貸倒引当金の戻りを除けば「横ばい決算」との印象が強く、住宅部門には明らかに逆風が吹き始めている。5月中旬以降の金利急上昇により、住宅ローンに関するビジネスが低減しているからだ。 金利上昇がもたらす様々な影響 全米住宅ローン市場で約50%のシェアを持つウェルズ・ファーゴは、先週同部門の10%に相当する2300人の人員削減を発表している。メディアでは米国住宅市場は絶好調との報道も散見されるが、7月の新築一戸建て住宅販売件数が前月比13.4%減と急ブレーキが掛かるなど、バーナンキFRB議長発言に端を発した長期金利上昇により、先行き不透明感が強まっていることには注意が必要だろう。 金利上昇は銀行にとって利ざや拡大への追い風になるとも考えられるが、一方ではこうした住宅ローンビジネスの縮小や保有債券価格の急落による自己資本比率の低下、といった逆風も避けられない。 また、調達金利の上昇に伴う利益圧迫への警戒感もある。資金調達期間が短期化し、固定運用期間が長期化している銀行には、FRBの緩和縮小による金利上昇は確実に減益要因になる。低金利が続く中で米銀の平均利ざやは2006年以来の最低水準に落ち込んでおり、運用・調達のミスマッチによるハイリスク運用へと傾いている銀行は少なくない。 FDICの統計によれば、前回金利上昇が始まった2004年当時と比較して、いわゆる「満期のない預金」の負債全体に占めるシェアは48%から59%に上昇し、一方で固定長期資産の全資産に占めるシェアは17%から28%に増加している。だが、中小規模銀行の多くは金利スワップによる資産負債管理(Asset Liability Managememt)など行っていない、と言われている。 金利上昇となれば「満期のない預金」は銀行から流出してMMFへ戻る可能性もある。それは銀行の短期借り入れコストの上昇要因となり、利ざやはさらに低下する。資金需要の乏しい環境では、貸出金利の引き上げは難しい。 さらに市場部門においても、従来の稼ぎ頭であった債券部門に変調が見え始めた印象もある。金利が上昇局面を迎え、市場取引量は減少傾向となり、規制によって在庫保有に制約が掛かる中では、思うように収益が上がらないからだ。デトロイト市の財政破綻は地方債ビジネスにも影響している。大手は徐々に債券部門への資本投下を絞り込むのではないか、といった憶測も浮上している。 現時点で、米国に金融危機が迫っているわけではないが、FRBによる超緩和の中で金融機関がぬるま湯に浸っていた感は否めない。次期FRB議長がサマーズ氏となれば、量的緩和縮小が前倒しされて長期金利上昇スピードが加速する可能性もある。金利上昇局面で苦しむのは新興国だけではないかもしれない。もっとも、金融危機の教訓が活かされていないという意味では、欧州金融界も似たようなものである。 英国では規制当局が国内5大銀行の資本不足額が昨年末時点で271億ポンド(約4兆円)であったと公表しつつ、各行の資本増強案に対して厳しい評価を与えている。国有化された銀行の構造改革もなかなか進まない。先般、財務省が政府案に抵抗し続けてきた英ロイヤル・バンク・オブ・スコットランド(RBS)のCEOを更迭するといった事態にまで発展するなど、まだ銀行システム安定化には程遠い段階だ。6月末に退任したキング英中銀総裁も、銀行の改革への歩みの遅さに最後まで苛立ちを隠さなかった。 銀行同盟、最大のネックはドイツの銀行システム また銀行同盟への議論が進まないユーロ圏も問題含みである。メディアではスペインなど南欧諸国の金融問題が取り沙汰されることが多いが、実は最大のネックはドイツの銀行システムだ、との見方もある。ドイツの実体経済は強いが、金融機関に見られる財務基盤は意外に脆弱であるからだ。 ドイツの金融機関も自己資本強化など健全化が進んだことは事実だが、最大手ドイツ銀行は他の欧州大手行に比べて資本不足が顕著との指摘が絶えない。地方金融(ランデスバンク)や貯蓄組合(シュパルカッセ)にも同様の批判が強い。それは、資本・経営形態が地方政治と密接に絡み合っているからでもある。 ランデスバンクは通常、地方自治体との共同経営の形態を採っている。それが不正や腐敗の温床になりやすいことは歴然としており、今でも金融経営陣が絡んだ多くの訴訟案件が継続中だ。自己資本比率など表面上の数字は改善を見せているが、その経営構造の転換は簡単には進まない。ニューヨークタイムズ紙が約400あると言われる同国の地方金融機関の資本を分析したところ、その約45%は公的権力によって占められていることが判明した、という。 こうした政治と金融との結託にメスが入りにくいのは、ドイツの左派から右派まですべての政党が金融機関との関係を構築してしまったからだろう。経済が強ければ独自の金融支援力には問題ないという政治意識が、ユーロ圏銀行同盟への議論にブレーキを掛けていることは明白だ。 以上のように、米国も欧州も金融機関は依然として問題含みの状況にある。リーマンショック後の5年間は、実体経済の修復という側面だけに注目が集まり過ぎて、金融システムの修復は後回しにされてしまった。 もっとも、不良債権処理後の日本の金融行政も似たようなものであった。さらにいまの日本では、国債だけに依存する銀行経営が黙々と進行中であり、その先行きに対しては皆が目を閉じたままである。 このコラムについて 倉都康行の世界金融時評 日本、そして世界の金融を読み解くコラム。筆者はいわゆる金融商品の先駆けであるデリバティブズの日本導入と、世界での市場作りにいどんだ最初の世代の日本人。2008年7月に出版した『投資銀行バブルの終焉 サブプライム問題のメカニズム』で、サブプライムローン問題を予言した。理屈だけでない、現場を見た筆者ならではの金融時評。
第4回】 2013年9月3日 田中秀明 [明治大学公共政策大学院教授] 増税は短期ではデフレ効果を持つ それでも予定通り実施すべき理由 ――明治大学公共政策大学院教授 田中秀明 来年4月の消費税率の引き上げ(5%→8%)を予定どおり実施するか否を巡って議論が続いている。政府は、60人にのぼる有識者から増税実施の是非について意見を聞いた。いろいろな意見を聞いて判断すればよいが、最後は多数決で決めるのだろうか。政府は常に様々な制約と不確実性のなかで政策判断をしなければはならない。政府は全知全能の神ではないからだ。筆者自身、経済の実態などについての情報を十分持ち合わせていないが、本稿では、財政再建と経済成長の関係に焦点を当てつつ、消費増税の問題を論じたい。先に結論を申し上げると、増税の短期効果と中長期効果を区別することである。すなわち、短期のデフレ効果を許容しつつ、中長期には、政府の政策遂行の信頼性を高めることにより、財政健全化と持続的な成長を両立させることである。
なぜ消費税増税実施か否かを いま議論しているのか たなか・ひであき 明治大学公共政策大学院教授 1960年生まれ。1985年、東京工業大学大学院修了(工学修士)後、大蔵省(現財務省)入省。内閣府、外務省、オーストラリア国立大学、一橋大学などを経て、2012年4月から現職。ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス修士、政策研究大学院大学博士。専門は予算・会計制度、公共政策・社会保障政策。著書に『財政規律と予算制度改革』(2011年)。 そもそもなぜ消費税率の引き上げを実施するか否かを議論しているのか。昨年8月に自公民の賛成で成立した社会保障・税一体改革関連法うち、「社会保障の安定財源の確保等を図る税制の抜本的な改革を行うための消費税法等の一部を改正する等の法律」の附則第18条がその根拠となっている。
それを要約すれば、消費税率の引き上げに際しては、「経済状況の好転について、名目及び実質の経済成長率、物価動向等、種々の経済指標を確認し、(中略)、経済状況等を総合的に勘案した上で、その施行の停止を含め所要の措置を講ずる。」とされている。 この条文を素直に読めば、来年4月の消費税率の引き上げは、いろいろ勘案して止めることができると解釈できる。「総合勘案」なので、景気が悪い場合でも他に理由があれば増税できるし、景気が良い場合でも同様に増税しないことができる。要は、法律上、増税するか否かの基準はあいまいであり、その時の政権の「判断」だということである。 この附則によれば、増税を先送りするためには、「所要の措置」を講ずる必要がある。一般用語ではないが、これは法律が必要であることを意味する。また、法律上、増税を停止した場合の対応については何も書かれていないので、いつ引き上げるのか、どのような状況で引き上げを認めるのかなどを規定する法律を改めて国会に提出することになる。 つまり、実施を見送る場合は、この秋の臨時国会では、実施の是非、今後の消費増税の手順やあり方、消費税の増収の使途などを巡って、相当の審議が行われることになる。極端にいえば、それは昨年の一体改革の国会審議をもう一度行うことに匹敵するだろう。その場合、例えば、安倍政権が看板の1つに掲げている待機児童ゼロといった施策もご破算にするのだろうか。 何が言いたいかというと、消費増税を見送った場合の対応やシナリオはかなり面倒で、政府・与党内の調整や国会審議は容易ではないことである。国会のねじれは解消したとはいえ、国会の審議時間は相当になるだろう。今景気が上向いている状況で、安倍政権が面倒な国会審議を覚悟して、もっといえば与党内・連立政権内の対立というリスクを承知した上で、あえて実施先送りを選択肢の一つとして考えているとは、常識的には考えにくい。安倍首相は、消費増税の問題は早く片付けて、成長戦略、安全保障、憲法改正などのアジェンダに取り組むことを優先したいのではないのか。 消費増税のデフレ懸念は 払拭できない 来年4月の消費増税は見送るべきという主張の理由は、ようやく日銀の異次元緩和でデフレ脱却の道筋が見えてきたときに、デフレ効果をもたらす消費増税を実施すれば、またデフレに逆戻りで、努力が水泡に帰すということである。要するに、増税のデフレ効果の「懸念」である。 この主張はまったくそのとおりである。半年後の増税がもたらす経済効果は、誰も正確には予測できないからであり、いかなる状況でも、いかなる手段を講じようとも、極論すれば、懸念は払拭できない。増税の実施を判断する今秋の景気が大変に良い場合でも、来年4月はどうなるかは完璧に予想はできない。そもそも、政府やエコノミストは、足元の景気の状態すら正確に判断することはできないことも忘れてはならない。 もし、政府が今日増税を決定し、明日からそれを実施できるのであれば、経済の状況を見極めたうえで増税を判断できるかもしれない。イギリスでは、消費税そのものの導入は国会の承認が必要であるが、ひとたび導入された後の税率の変更は政府の判断でできる。しかし、日本ではそれ不可能だ。 今現在、景気は上向きになっていると考えられているが、それでも懸念だというのであれば、いついかなる時に払拭できるのか、国民にわかりやすい説明が必要である。 財政再建のデフレ効果 はどのくらいあるか そこで、財政再建のデフレ効果について考えてみよう。ここでは日本の問題から離れて、先進諸国の経験や対応を議論する。財政再建と経済成長の関係は日本だけの問題ではなく、これまで幾度となく議論され、研究者やエコノミスト間でも論争になっている代表的なテーマである。 一般的なマクロ経済理論によれば、財政再建はデフレ効果を持つ。経済学や財政学の教科書には、政府が不況期に借金をして公共事業を行えば、景気浮揚効果をもたらすと書かれている。イギリスの経済学者ケインズの理論であり、浮揚効果をもたらすのは政府支出の乗数効果である。例えば、政府支出をGDP(国内総生産)比1%増やした場合、GDPが2%増えるというもので、この場合乗数は2ということになる。逆にいえば、歳出削減や増税を行った場合は、マイナスの乗数効果になる。 乗数効果が実際の経済についてどのくらいあるかについては、これまで多くの研究者が分析を行ってきた。ここでは経済協力開発機構(OECD)の最新の報告書("Fiscal Consolidation: Part 2. Fiscal Multipliers and Fiscal Consolidation"、 OECD Economics Department Working Papers No.933, 2012年) を使って乗数を紹介しよう。 GDP1%の恒久的な財政再建(歳出削減や増税)を行った場合の各国の初年度の乗数を比べる。消費税(付加価値税)など間接税の増税については、フランス(-0.11)、ドイツ(-0.12)、イギリス(-0.14)、スウェーデン(-0.05)、アメリカ(-0.27)などであり、主要国の乗数は-0.1から-0.3の範囲である。日本は-0.43であり、OECD主要国の中では最も高い。つまり、他国と比べてデフレ効果が大きいことを意味している。乗数は大国ほど大きく、貿易依存度が高い国ほど小さいなど、国の経済の性質に依存している。 日本の乗数は大きいが、それでも0.4程度である。この数字は短期の効果を示しているが、消費課税は長期的には経済にプラスの効果をもたらすことが多くの研究でわかっている。所得税や法人税など様々な税目の中では、消費課税が最も景気に対して悪影響を与えないのである。もちろん、増税前の駆け込み需要と増税後の反動などの問題はある。 財政再建の成功例に 見られる意外な共通点 次に、OECD諸国で行われた実際の財政再建と経済の関係を紹介しよう。OECDの分析によると、1年で1.5%(対GDP比)以上赤字が改善した財政再建のケースでは、財政再建開始時の成長率の平均は2.5%、最低は1.8%、最高は4%である。そして、1年目の成長率は0.5〜1%ポイント程度低下し、2年目以降に回復するという傾向が見られる。財政再建はデフレ効果を持つので、これらは予測されうる結果である。 先に説明した増税の乗数効果は短期的な効果であるが、財政再建の効果は、中長期も視野に入れて評価する必要がある。筆者自身、以前、OECD21ヵ国のデータを使って、財政再建が経済成長に与える影響を分析したが、財政再建は常に経済成長の低下をもたらすわけではない。大まかな傾向としては、財政再建は、短期的には経済成長にマイナスの影響を与えるが、中期的にはプラスの影響を与える、という結論を得ている(「欧米諸国における財政政策のマクロ経済効果」『フィナンシャル・レビュー』、2002年7月・財務省財務総合政策研究所)。 財政再建と経済成長の関係は複雑で唯一の正解があるわけではない。様々なケースがあるが、財政が改善し経済成長も達成した「成功事例」を分析すると、共通点がみられる。例えば、スウェーデン(1990年代前半)やカナダ(同)である。端的にいえば、経済が悪化し、財政赤字も拡大する一番悪いときに財政再建の意思決定を行い、財政再建の取り組みを開始することが理想的であるということだ。厳しい時ではないと、財政再建や構造改革について、政治家や国民の間で合意できないからである。その後、経済が上向き、回復した経済成長で税収が増え、財政収支が改善する。タイミングの良い財政再建は、市場に安心感を与えることにより、経済を回復させることができる。 もちろん、そうではない事例もある。特に、経済危機になっている場合である。1980年代前半ニュージーランドは、経済危機に直面していたため、一刻も早く財政収支を改善させる必要があった。すなわち経済成長を待っている余裕はなかった。ニュージーランドの場合は、財政再建期間中、1985年から1992年までの間の成長率は、1988年の2.7%を除いて、1%前後で低迷した。 1997年の消費増税は 失敗だったのか 今回の消費増税でしばしば引用されるのが1997年の消費増税(3%→5%)である。この時の経験が、いわばトラウマになっているわけである。この時の消費増税が日本経済を悪化させたかどうかについては、今でも、専門家の間で議論が続いており、意見が分かれている。 論争を招いた原因の1つは、政府が消費増税のデフレ効果をきちっと評価していなかったことである。1997年度経済見通し(97年1月20閣議決定)では、97年度について、「消費税率引き上げの影響等により年度前半は景気足どりは緩やかとなるものの、規制緩和などの経済構造改革等の実施等と相まって、次第に民間需要を中心とした自律的回復が実現されるとともに、持続的成長への途が拓かれてくると考えられる」と述べているが、消費税率の引き上げ等を含めた97年度の財政のスタンスは明らかにされておらず、消費税の増税や支出削減の緊縮要因は、どの程度見込んでいたかは判明しない。 緊縮財政の是非については議論があるとしても、それは政策判断に基づいたものであり、問題はいかなるインパクトを予想して予算を編成したかである。もし、97年度予算編成時に増税によるデフレ効果が数量的に予測されていれば、金融システム不安やアジア通貨危機によるデフレ効果との関係を検証することが可能であった。例えば、成長率の0.5%の低下は消費増税、1%は金融危機による、といった分析である。 なぜ決断を遅らせるのか 重要なのは短・中長期の効果の区別 安倍首相は、地元の山口県に帰郷した際の8月13日、消費増税に関して、「間違いのない正しい判断をする」旨の発言をした。言葉尻をとらえるわけではないが、そんなことできるのかと疑いたくなる。政府は、常に様々な制約の下、あるいは不完全な情報に基づき判断しなければならないからである。「間違いのない」判断などできるわけがない。重要なことは、そうした制約の中で、どのような理由でどのように判断したかを、合理性をもって説明できるかである。 日本経済は、2012年10〜12月期から3期連続して実質GDP成長率はプラスになっている。それでは不十分だという主張はあるかもしれないが、少なくとも、冒頭の関連法律の附則第18条に抵触するような状況にはない。また、消費増税を先延ばすリスク、すなわち政府与党内の調整や国会審議の困難さ、市場への影響、財政再建についての国際公約違反などを考えると、それに合理性があるとは思えない。 とすると、判断を先延ばす理由は別のところにあるのかと疑いたくなる。たとえば、財政出動を渋る財務省に、大型の補正予算を実施させるためである。あるいは、有識者の意見を尊重したとか言って、結果に対する責任を曖昧にしておきたいのかもしれない。 消費増税は、その影響の程度はともかく、経済にデフレ効果をもつ。経済に悪影響を与えるのに反対であれば、永遠に増税や財政再建などできない。今の経済状況で見送るとすれば、一体どのような状況であればできるのか。 財政再建の議論で重要なことは、短期と中長期の効果を区別することである。一時は苦しくても、中長期で成長軌道に乗り、財政収支の改善によるプラスの効果があればよいのだ。また、実施するとして考慮すべきは、財政再建の副作用を最少化することである。 財政再建は、その手段にもよるが、一般的には、所得や資産の不平等を拡大させるため、それに対する配慮が必要である。例えば、相続税やキャピタルゲイン課税の見直しである。また、財政再建のため増税を行うときには、税制の効率性や公平性などを改善する良い機会である。政府がなすべきことは、消費増税の必要性を国民に説明し、中長期の財政健全化と経済成長に向けて、確固たる姿勢を示すことである。 |