04. 2013年8月30日 02:44:50
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10時間目 人の死でもうける金融商品ってあり?「ハーバード白熱教室」のサンデル教授の解説とは 2013年8月30日(金) 小川 仁志 <ゼミのメンバー> 小川先生:43歳、市民との対話をこよなく愛する哲学者。 兼賀大治:56歳、お金が一番大事だと思っている投資が趣味のサラリーマン。 大飯奈弥美:30歳、消費と貯蓄の間で揺れる独身のキャリアウーマン 新実三郎:35歳、知的で現実主義的なビジネスマン。 兼賀:大飯さん、なんだかリフレッシュした感じだね。 大飯:わかります? 夏休みにアメリカのシアトルに行ってきたんです。 小川:シアトルの“東京スカイツリー”、スペースニードルには上りましたか? あそこからはシアトルの街が一望できるので、すごく並ぶでしょ。 大飯:上りましたけど、全然並んでません。お金払って優先入場しちゃいました。 兼賀:え、そんなのあるの? さすがアメリカだな。 新実:アメリカはお金さえ出せば、なんでも買える国ですよ。 優先入場の権利と精子を売るのは同じ!? 小川:ほかにもありますよね。たとえば、商業精子バンクや商業代理母なども有名です。 大飯:体の一部まで市場で売買できるというのは、ちょっとやりすぎのような。 小川:優先入場の権利とどこが違うんでしょうか? 大飯:優先入場というのは、待つという行為とお金を交換することです。それに対して商業精子バンクというのは、体の一部とお金を交換しているわけでしょ。だから…。 新実:待つという行為は体で行うことだよね。つまり、体が疲れないように、本来体がやるべきことをやらなくていい権利をお金で買った。それって体の一部とお金を交換したともとれるんじゃない? 大飯:そこまでいえばそうかもしれないけど、何か違うような気がするわ。 新実:僕にいわせればどっちもよくないな。 小川:どうしてですか? 新実:どっちもフェアじゃないような気がします。お金がある人ほど得をするわけですから。 兼賀:私はどっちも問題ないような気がするな。それが資本主義だよ。違法行為なら別だけど。 小川:これは面白いですね。優先入場の権利と商業精子バンクをめぐっては、3人とも意見が別で、3つの立場があるわけですね。そしてこれらを否定する新実さんと大飯さんとでは、各々根拠が異なる。新実さんはフェアかどうか、大飯さんは体にかかわるかどうかを基準にされています。 新実:これは「日経マネー」(2013年10月号)で先生が紹介されていた、ハーバード大学のマイケル・サンデル教授による市場主義の限界の議論ですよね。 小川:その通りです。ここでサンデルの議論を確認しておきましょう。 マイケル・サンデル(1953−)。アメリカの政治哲学者。コミュニタリアニズムの立場から、共同体の価値を重んじる共通善に基づく政治を提唱。NHK「ハーバード白熱教室」で話題になった。主な著書に『これからの「正義」の話をしよう』『それをお金で買いますか』がある。 大飯:サンデル先生って、NHKで放送したあの「ハーバード白熱教室」の人ですよね?
小川:そうです。日本では「ハーバード白熱教室」や、ベストセラーとなった『これからの「正義」の話をしよう』で有名ですね。 兼賀:正義なんていうけど、そんなきれいごとじゃ済まないんですよ。現実の世の中は。 大飯:でも体の一部を売るのは、やっぱり正義に反すると思いますよ。臓器売買とか。 兼賀:それはたしかに行き過ぎかもしれないけど。 小川:サンデルが出している限界事例でいうと、体の一部を広告に貸し出すというのがあります。 大飯:私はそういうのが嫌なんです。 小川:大飯さんが抵抗があるのは、「ある種の価値は市場で取引されることによって腐敗する」という話に関係しているのでしょう。つまり、サンデルによると、市場取引によって価値が損なわれるものがあるというのです。その典型例が人間の体です。 大飯:人間の尊厳が損なわれるということですか? 小川:そうとらえていいと思います。商業精子バンクもこの視点でとらえると、大飯さんのいうように、市場取引の対象とすべきでないと結論づけることも可能です。 人の死でもうける「死亡債」 新実:先ほどの『日経マネー』では、人の死亡に賭ける死亡債の例を出されていましたね。 小川:はい。生命保険を投機の対象にするわけです。 大飯:人の命をギャンブルの対象にするようなものでしょ。信じられない。 新実:人の命の価値が腐敗するということだよね。 兼賀:大げさだな。 小川:でも、さすがに兼賀さんだって、目の前で死にかかっている人の寿命を当てるクイズをするのは不謹慎だと思うでしょ? 兼賀:それはそうですけど……。 小川:それと同じですよ。 大飯:でも優先入場の話は、価値の腐敗とは関係ないですよね? 小川:そちらは公正の観点と関係しています。つまり、お金がある人ほど得をするというのは、時に不平等をもたらします。それが一つの限界になるわけです。 新実:私が優先入場も認めたくないのは、公正に反すると考えるからなのですね。 兼賀:これも価値観の問題だな。私はちっとも公正に反するとは思わない。だってそれなりのお金を出しているんだから。 小川:ちょっと想像してみてください。兼賀さんのお孫さんが大学入試で落ちたとします。しかもそれが、一部のお金持ちがお金で入学資格を買ったせいだとします。それでも公平に反しませんか? 兼賀:孫が犠牲になると考えると嫌です。先生、ずるいなぁ! 新実:先生のせいにしちゃだめですよ。想像力の問題ですよ、兼賀さん。 兼賀:んぐぐ…… コミュニタリアニズムが描く社会 兼賀:でも、どうしてサンデルは価値の腐敗だとか、公正だとかいうんですか? 本人がよければそれでいいじゃないですか。そもそもその前提が気に入らないんですが。 小川:それはサンデルの思想の根底に、コミュニタリアニズムが横たわっているからです。コミュニタリアニズムというのは、共同体主義とも訳されるように、共同体の価値を重視します。 大飯:みんなにとって大事なことという意味ですか? 小川:そうです。彼は「共通善」という表現を使います。私たちが同じ共同体に生きる以上は、共通に大事だと考える善が存在するはずで、それを前提に物事の価値を決める必要があるのです。そうでないと、人によって正しさの判断がまちまちでは、社会は成り立ちませんから。 兼賀:それはちょっと危険じゃないですか? 正しさは人それぞれでいいじゃないですか。そうでないと昔のムラ社会みたいに、違う意見をいえないような空気になるような気がするんです。 小川:サンデルもそこは警戒しています。彼は、もしコミュニタリアニズムがある価値観に必ず依拠することを意味するのであれば、そんな思想にはくみしないと明言していますから。 新実:つまり彼のいうコミュニタリアニズムは、もっと開かれたものだということですね。 小川:そういうことです。だからサンデルは議論することを勧めるのです。議論の結果として共通善を見出せばいいと。むしろ兼賀さんのいわれる個人主義、政治哲学でいうとリベラルの発想のほうが、共通善について議論することを避けているのではないかと批判します。 兼賀:それはわかりました。ただ、コミュニタリアニズムというのは、つまるところ自分の共同体さえよければいいという発想でしょ。それだと外国や将来の世代はどうでもいいことになりませんか? 小川:それはよくコミュニタリアニズムに対してなされる批判です。サンデル自身の見解は不明確ですが、少なくともコミュニタリアニズムから反論することは可能です。たとえば外国については、コミュニタリアニズムが前提とする共同体を地球規模に広げることで同じように配慮することは可能でしょう。 「超世代的コミュニタリアニズム」に広がる 新実:それは地球上の一人ひとりを尊重するというコスモポリタニズムと同じになりませんか? 小川:コスモポリタニズムはあくまで個人を前提にしていますが、コミュニタリアニズムはやはり共同体を前提にしている点で異なります。 大飯:将来世代のほうはどうですか? 小川:それについては、共同体を未来まで含めてとらえればいいのです。アブネル・デシャリットという政治学者が、「超世代的コミュニタリアニズム」という考え方を表明しています。いわばコミュニタリアニズムの発想を世代間に拡張しようというわけです。 大飯:なんだかコミュニタリアンになっちゃいそうです。 兼賀:私は断固として個人主義を貫きますよ。 新実:相変わらず頑固ですね。 小川:まぁ、色んな意見を受け入れるのがサンデルのコミュニタリアニズムですから、よしとしましょうよ。 このコラムについて 元フリーター小川仁志の「お金の哲学」熱血ゼミ編 デフレ、減収、年金危機、貿易赤字、財政赤字…、とパッとしない話題が続く日本。これらを解決するために金融緩和、財政出動、消費税増税、年金給付の繰り上げが実施され始めていますが、いっこうに変わる気配が見られない。はたして有効な対策とは、どのうようなものか。 それを考えるにはおカネの本質を理解することが欠かせない。おカネを哲学的に考察するのが本コラム。筆者は伊藤忠商事のサラリーマンからフリーターになり、そして市役所勤務を経て哲学者になった異色の経験を持つ小川仁志さん。本コラムは『日経マネー』の熱血教室「お金の哲学」と連動しています。 |