02. 2013年8月23日 10:19:44
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中国経済:悲観論のバブル 2013年08月22日(Thu) The Economist (英エコノミスト誌 2013年8月17日号)中国経済は非効率的だが、不安定ではない。 「ほんの少し前、我々は中国人のことを恐れていた」。ポール・クルーグマン氏は最近、米ニューヨーク・タイムズ紙への寄稿でこう述べた。「今は中国人のために心配している」。同氏をはじめとする多くの著名評論家は、世界第2の規模を誇る中国経済に危機が訪れるのではないかと気に懸けている。 こうした評論家の懸念は、3つの指標に要約されているようだ。まず、経済成長率が以前の2ケタペースから7.5%に鈍化している。投資比率は依然として持続不能な高水準にあり、国内総生産(GDP)の48%を超えている。それと同時に、負債比率(中国の企業、家計、政府の借金の総額)が危険なほど上昇しており、一部にはGDP比200%に達するという試算もある。 減速が鮮明な中国経済 経済成長率に関する懸念は、8月に入り若干和らいだ。貿易、さらには鉱工業生産(7月の値は前年同月比で9.7%増だった、図参照)について力強い数字が発表されたためだ。
だが、景気循環によるアップダウンはあるものの、中国の勢いが減速していることは疑いようがない。 インフレを起こさずに成長できる経済成長スピードの上限を定めているのは、中国の労働者、資本、ノウハウを合わせた複合的な生産能力だ。また、この生産能力により、余剰生産能力の発生と失業者の増加を避けるために必要な成長速度も決まってくる。 最新の数字によれば、持続可能な成長速度は、中国経済が猛進していたころの10%というペースよりも、現在の値である7.5%に近い。 多くのエコノミストにとって、こうした構造的な減速は必然的かつ歓迎すべきものだ。この減速は中国の成長モデルの進化を示すもので、同国は先進国との技術格差を縮め、これまでよりも多くのリソースをサービス分野に投じつつある。だがクルーグマン氏は対照的に、この減速が中国の成長モデルを滅ぼしかねないと考えている。 クルーグマン氏の主張は正しいのか? クルーグマン氏によれば、中国は「余剰農民」を使い尽くしてしまったという。これまでは、地方から工場や都市への労働者の大量流入により、賃金が低く抑えられ、投資収益率が高く保たれてきた。この流入が減速し、一部では逆流も始まっている。 従って、中国はもはや、単に農村から出てくる新たな労働者に資本を割り当てるだけでは、成長を維持できなくなっているというのだ。 「資本拡張」から「資本深化」(労働者1人につき投下する資本を増やすこと)への移行はもはや不可避だ。これに伴い、投資から得られる「リターンが急激に減少」し、投資自体が「著しく減少」する。 そして、投資は需要の大きな源(ほぼ半分を占めている)であるため、これほどの落ち込みを埋め合わせるのは不可能だ。中国はまさに「グレートウォール」にぶつかることになるだろうというのが、クルーグマン氏の主張だ(この比喩は宇宙からも見えるほど一目瞭然だ)。 自殺者続出の中国工場、7割賃上げへ 無尽蔵に思えた安い労働力はもう枯渇している?〔AFPBB News〕 問題は、クルーグマン氏の懸念に正当な根拠があるかどうかだ。中国が「余剰」労働力を使い果たしつつあるという点で、同氏は正しい。 中国の農村部はもはや人々がやすやすと都市へ出て行けるほど人口過剰ではない。今では労働者が都市へ流れると、彼らがあとにしてきた農村部で労働市場の競争が激化し、賃金が上昇する。人々を農村から誘い出すためには、流出先の都市でも賃金を上げなければならない。 しかし、中国社会科学院の蔡ム氏によれば、農村部の余剰労働力は、2003年には既に使い尽くされていたという。中国経済が壁にぶつかるというのなら、10年前にはもうぶつかっていたはずだ。実際には、中国経済はそれ以降、目覚ましい成長を遂げた。かなり以前から、農村部から工業地域やサービス分野への労働者の移動は、中国の成長の主要な原動力ではなくなっている。 ロイヤル・バンク・オブ・スコットランドのルイス・クース氏によれば、1995年から2012年にかけての中国の成長率のうち、労働者の移動が寄与した部分は、パーセンテージにして年平均1.4ポイントほどだったという。 最近の成長の原動力となっているのは、既に産業内にいる労働者の生産性向上であり、新規労働者の流入ではない。中国はもうクルーグマン氏が「滅びる」と懸念するモデルから脱却しているのだ。 著しい非効率を招く投資率の高さ クルーグマン氏や北京大学のマイケル・ペティス氏をはじめとする著名評論家が中国の投資率の高さを批判しているのは、確かに正しい。というのも、そうした投資率の高さが著しい非効率を招いているからだ。 投資とはそもそも、国内の消費者や輸出市場の需要に応じて、その国の生産能力を拡大するためのものだ。だが中国では、投資支出の多くが無駄に消えているとクルーグマン氏は指摘する。生産能力の増強が、生産能力の増強それ自体を目的に行われているというのだ。 だが、過剰投資は、自由な選択肢のない預金者に依拠するシステムのおかげで、今のところ不安定な状況の原因にはなっていない。中国政府が預金金利に上限を設けているため、銀行は預金者に十分な金利を支払わずに済み、安い金利で法人の借り手に融資している。これは実質的に、家計の預金に税金を課し、国有企業に補助金を出しているようなものだ。 中央銀行、人民元変動幅は適切な時期に調整を - 中国 中国では家計から大口の借り手へと資金が移動し、事実上の補助金となってきた〔AFPBB News〕 国際通貨基金(IMF)の李一衡氏らがまとめた2012年の報告書によれば、こうした家計から大口の借り手への資金の移動は、2001年から2011年の間に1年当たりでGDP比4%に達したという。 この事実上の補助金のおかげで、大企業はこれがなければ実行不可能なはずの事業計画に投資できる。 報告書の著者は、中国の投資率は本来、現在の48%よりも40%に近い数字のはずだと指摘している。だが、そうした歪みは、預金者が資金を提供し続ける限りは持続可能だ。そして、中国が国外への資本流出を規制していることを考えれば、預金者に選択の余地はほとんどない。 中国が投資率を下げる必要があるのは明らかだ。だが、クルーグマン氏などの評論家は、投資率の低下は恐慌を誘発しかねないと主張している。彼らの懸念は、経済は成長と破綻の間で際どいバランスを取っているとする、ロイ・ハロッドとエブセイ・ドーマーが提唱した70年前のモデルをなぞるものだ。 経済において投資が果たす二重の役割 このモデルの認識では、投資は経済において二重の役割を果たしている。すなわち、英フィナンシャル・タイムズ紙のマーティン・ウルフ氏の言葉を借りれば、「生産能力増強の源」と「需要の源」としての役割だ。 この2つの役割は、時に相矛盾する形で作用する。成長が鈍化すれば、それほど生産能力を増やす必要はなくなる。これにより投資が減少する。だが、投資支出は需要の源でもあるため、投資が減少すれば、需要も減少し、成長がさらに減速する。生産能力が過剰になる事態を避けようとする行為が、結果的にはさらなる生産能力のだぶつきを招くということだ。 だが、このモデルはどれほど中国に当てはまるだろうか? 中国は世界最高水準の投資率と世界で最も安定した成長率の両方を維持している。それは恐らく、投資の一部が政府の主導により行われているからだろう。政府は他の需要源が弱まっている時に資本支出を増やすし、その逆も同様だ。 中国の国有企業と地方政府の投資事業体が投資資本を割り当てる対象は、必ずしも適切ではないかもしれない。だが、少なくとも資本を動かすタイミングは適切だ。 実際のところ、中国の投資の効率の悪さこそ、著しい不安定状態の発生を阻む一因かもしれない。李氏らの報告書では、これまでと同様の成長率を維持するためには、中国は今後、投資率をさらに高める必要があると指摘している(エコノミストの言葉を使うなら、中国の限界資本係数が上昇しているということ)。だが当然の帰結は、同じペースの投資は低下する中国の成長率と合致するということだ。 悲観論者が懸念しているのは、成長の減速に伴い、生産能力増強に関わる投資の必要性が低下し、ひいては需要が押し下げられることだ。しかし、成長減速の理由が投資効率の低下によるものとするなら、まさに同額の投資で得られる成果が少なくなるため、成長が減速しても同じだけの投資が必要になる。 中国の投資率の高さを批判する人たちは、投資が生み出す余剰生産能力だけでなく、投資のあとに残る負債についても心配している。中国は、国全体としては倹約的だ。同国の貯蓄率は投資率よりもさらに高い。
だが、預金者と投資家は、常に同じというわけではない。両者の間に入っているのが、中国の金融システムだ。このシステムが、膨大な額の資金を預金者から投資家へと移転している。 ゴールドマン・サックスによれば、中国企業の債務は昨年、GDPの142%に達したという。さらに、地方政府が出資する投資事業体もGDP比22.5%に相当する債務を抱えている(図参照)。正確な推定は不可能だが、不良債権は中国のGDPの4分の1に相当する額に達しているかもしれない。 金融システムの太いパイプ 現在の中国と同様の信用ブームは、2008年の米国の危機や、1990年代初頭の日本のバブル崩壊に先んじて起きている。従って、中国も同じような運命をたどるのではないかと恐れるのは自然なことだ。だが、米国や日本の経験を詳細に検証すれば、中国が同じ道をたどる可能性は低いことが分かる。 エコノミストらは、米国の危機を2つの段階に分けて考えることがある。第1の段階は住宅バブルの崩壊、第2の段階はリーマン・ショックだ。米国の住宅価格は2006年には既に下落し始め、家計の資産をむしばんでいた。住宅建設が急激に鈍って成長を圧迫し、建設業界では多くの雇用が消滅した。 だが、その後2年にわたり、米国の中央銀行である連邦準備理事会(FRB)は成長への悪影響の大半を埋め合わせできていたし、失業率の上昇スピードも緩やかだった。 状況が一変したのは、リーマン・ブラザーズが破綻し、急激な金融恐慌を引き起こした2008年9月のことだ。 住宅ローンのデフォルト(債務不履行)により生じる損失がどれほどの額になるのか、最終的に誰がその損失をかぶらなければならないのか、誰にも分からなかった。債権者、株主、マーケットメーカー、トレーダーは、損失が自分の身に降りかからないようにするために、こぞって与信枠をカットし、担保を要求し、証券を処分した。 多くの意味で、このような出口へと殺到する動きが、彼らが逃げようとした危険そのものよりも大きな損害を経済全体に与えることになった。リーマン・ショック後、それまで管理可能な範囲に収まっていた住宅ローン破綻は、壊滅的な流動性の問題へと発展した。過去の融資の過ちが、現在の資金供給を麻痺状態に陥れたのだ。 中国も、米国の景気減速の第1段階と同じような状況を経験するかもしれないが、第2段階は回避できるはずだ。中国が大規模な金融仲介機関の破綻を許すことはないだろう。投資家たちも、中国のいわゆる「影の銀行」(シャドーバンキング)システムを支える理財商品を買わなくなるかもしれない。だが、中国の影の銀行は、かつての米国のそれに比べると、資金源としては規模が小さい。 また、理財商品の購入をやめれば、投資家たちは従来型の銀行預金に戻る可能性が高い。従って、中国の銀行は米国経済を苦しめたような信用収縮を避けられるはずだ。さらに、そうした危機が起きた場合にも、中国政府には必要に応じて金融および財政面での刺激策を取る余地が当時の米国と比較しても十分にある。 一部のエコノミストからは、需要を維持するための取り組みが見当違いに終わるのではとの指摘もある。持続不能なバブル成長が続けば、間違った仕事に就いたままの労働者が増える。彼らを再配置するためには痛みの伴う破綻が不可避になるというわけだ。 変革と拡大を同時に進める力 だが、構造改革は不況時だけに実施されるものではない。着実に経済が成長している国でも、水面下では様々な変動が生じている。そんな中でも労働者は雇用されては解雇され、自らの意志で職を代える。バブル崩壊が斜陽産業から労働者を押し出し、失業させるのと同じように、経済成長も労働者を下り坂の産業から引き抜き、上り調子の産業へと移動させているのだ。 中国はこれまでにも経済再編を経験している。過去10年で、農業分野の労働者の占める割合は全体の2分の1からおよそ3分の1に縮小した。輸出のGDPに占める割合は、2007年には38%だったが、2012年には26%に低下している。 一方で、サービス分野の経済への寄与度が増し、いまや工業と肩を並べるまでになっている。そして、そうした雇用と生産の大変革は、年間10%前後のペースで成長していた経済で起きたものだ。どうやら中国経済には、変革と拡大を同時に進める力があるようだ。 http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/38511 |