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http://bylines.news.yahoo.co.jp/ogasawaraseiji/20130820-00027398/
2013年8月20日 14時40分 小笠原 誠治 | 経済コラムニスト
金融検査の大幅な見直しがなされると報じられています。例えば、金融機関の資産査定、平たく言えば、金融機関が行っている貸出内容を金融庁の検査官が査定するに際し、金融機関の自主的判断をもっと尊重するというようなことが報じられています。また、検査部門と監督部門の垣根をもっと低くし、情報を共有できる体制にしたいとも報じられています。
このような報道を聞いて、貴方はどうお感じになるでしょうか?
率直に言って、金融機関の関係者であれば別ですが、普通は何の反応も示さない人が殆どでしょう。だって、専門的過ぎて‥
そうですよね? 但し、そういう感想を抱いた貴方でも、何故今検査のあり方を見直そうとしているか、少し想像力を働かせたら、お分かりになるかもしれません。
一体全体、金融庁は何を目的としているのか?
お分かりにならないでしょうか? では、金融庁のボスは誰か?
金融庁の長官のことではありません。誰が担当の大臣かということです。すぐ、お分かりの方は鋭い!
そうです、副総理でもあり、財務大臣でもある麻生さんが、金融庁の担当大臣でもあるのです。
では、麻生さんは、どんなことに腐心しているのか?
そうなのです。何とかしてデフレ脱却という目標を達成したい、と。そして、そのために日銀には異次元の緩和策を打ってもらっている訳ですが‥でも、そう簡単にお金が世の中に出回るようになっている訳ではないのです。何故かと言えば、日銀のマネタリーベースは予定通りに増大しているのですが、その一方で、金融機関の貸出しが、少しは動き出しているようにみえても、まだまだ十分とは言えないからなのです。
そうなのです、麻生大臣は、民間金融機関にもっと融資に積極的になってもらいたいのです。
では、どうするか?
で、麻生さんが金融機関の関係者などから耳にすることは‥金融庁の検査が厳しく‥つまり融資案件の査定が厳しく、直ぐ不良債権扱いされてしまうから、どうにかならないものか、と。
簡単に言えば、十分な担保がなく、しかも直ぐに黒字が見込めないような企業には、最初から融資することができないようになっているのだから、そこのところを見直してもらわない限り、幾ら尻を叩かれたところで、融資する訳にはいかないのだ、と。
まあ、そのような話を耳にした麻生大臣としては、「やっぱり、そうなのか」と。そして、「だったら、もう少し金融機関の判断に任せるべきではないのか、否、金融機関の判断を尊重すべきだ!」ということになったのでしょう。
ということで、今後は、規模の小さな融資案件の査定に関しては、金融庁の検査官がああだこうだ、と口を出すことなく、金融機関の判断を尊重する、と言うのです。
では、これで融資はグーンと伸びることになるのか?
そして、また、こうして金融機関の判断に任せることが望ましいと言えるのか?
私の考えとしては、融資先に十分な担保があろうがなかろうが、そして、将来の収益見通しがどうであろうが、融資をするかどうかはまさに金融機関の経営判断の問題だと思うのです。だから、検査が厳しいから融資がしにくいというのは、理屈としておかしいのです。
それでも金融機関がそのようなことを言うのであれば、そもそもの企業会計原則が厳しいと言っているようなものではないですか!?
もちろん、検査官の資産査定が厳しければ、それに応じて損失処理を余儀なくされることになるので、そうした結果の積み重ねとして、新規融資の判断に慎重になることはあり得るでしょう。しかし、そうした際に、もし、資産査定が余りにも厳しすぎると真に金融機関が判断するのであれば、そのこと自体を問題視して、金融庁の幹部などに訴えるべき話だと思うのです。
それにも拘らず、こうして規模に制限はあるものの、資産査定を金融機関に任せようとしている金融庁。
もちろん、実際に融資を行った結果、その融資案件がどのようになっているかを第一義的に査定するのは金融機関自身であるのは、そのとおり。しかし、それだけでは十分ではないので、さらに公認会計士なり、或いは金融庁の検査官がチェックをすることになっているのです。
検査官が融資案件の査定をしないのであれば、一体何のための検査なのか、という疑問が湧くのです。
もちろん、検査官の数には限りがあり、その一方、検査の対象となる金融機関の数は多すぎる。従って、いつも検査に入れる訳ではないし、検査の内容にメリハリをつけることも時には必要であり、小さな融資案件については、簡易な方式で査定することも多い。
繰り返しになりますが、しかしそうではあっても、最初から資産査定を金融機関側に任せるなんて言ったら、そもそも何故検査局を設けたのかという疑問さえ湧いてくるのです。
何故金融庁が発足したのか? 何故大蔵省から分離独立したのか? 何故監督部門と検査部門が分けられたのか?
それらには、ちゃんとした理由があるのです。
元はと言えば、住専の処理に6850億円の公金を投じることに国民が憤慨したから始まったのです。何故税金を投じる必要があるのか、と。
ちゃんとした検査を行っていたのか、と。金融機関に役所のOBが天下っていて、検査が入ることを教えるようなことをしていたのではないか、と。実際には不良債権になっていたのに甘く査定していたではないのか、と。
そんなことがあったので、厳しい検査体制を敷くことになったのでしたよね。
そして、新たに金融監督庁が発足したときに、平成の高橋是清と呼ばれた宮澤大蔵大臣が、これでもう後悔することのないような立派な検査の仕組みが出来上がったと述べたのでしたよね。
それが、何の反省もなく‥というか、何が良くて何が悪かったのかという総括もなく、ただ大臣の意向で検査の在り方が根本的に変えられようとしている。
誤解のないように言っておきますが、私は何も、なんでもかんでも役所が厳しく監視をすべきだ、などと言いたいのではないのです。例えば、上場会社でもある金融機関には立派な監査法人がついていることでもあり、そうした監査法人がちゃんとした資産査定を行い、それが全く信頼に足りるものであれば、今いるほどの検査官を擁しておく必要もないのです。
しかし、実際には、監査法人などが十分な役割を果たしていないという反省があったではないですか。今は監査法人の資産査定が十分機能するようになっているから金融庁の検査の負担を減らすという論理なら、分かるのです。では、実際にそのようになってきているのか? そうではないでしょ?
いずれにしても、仮にそうやって検査内容を甘いものにしたとしても、それで融資が伸びるかと言えば、大変疑問にしか私には思えないのです。
だって、融資が伸びないそもそもの原因は、少子高齢化が進む中で、昔とは違った融資分野が広がってきているのも事実でしょうが、その一方で、全体として金融機関側から見た場合、貸したいと思うような魅力的な融資先が限られてしまっているからなのです。
もちろん、金融機関側が当局に対し、査定を厳しくし過ぎないで欲しいと懇願しているのはそのとおり。何故ならば、厳しい査定の結果、多額の不良債権の処理を迫られるようなことになれば、即経営陣の責任問題になってしまうからなのです。積極的に融資をすべきだと、ここ何年か役所から働きかけれらてきたのに、その一方で、不良債権を発生させた責任を取れと迫るのか、と。
それが金融機関側の本音。だから、査定を少しばかり甘くするからと言って、本当に融資が伸びるなどとは金融機関側も考えてはいないでしょう。
それに、仮に後先のことを考えずにイケイケドンドンで融資を行うようなところが出てくれば、それは東京都が出資して作った銀行と同じようなことになるだけの話でしょう。
いずれにしても、かつてはパブリックコメントを求めて新しい検査体制を構築した訳ですから、小手先の議論で制度を見直すようなことは止めるべきだと思うのです。もっとオープンに関係者から意見を求めるべきではないのでしょうか。
以上
小笠原 誠治
経済コラムニスト
小笠原誠治(おがさわら・せいじ)経済コラムニスト。1953年6月生まれ。著書に「マクロ経済学がよーくわかる本」「経済指標の読み解き方がよーくわかる本」(いずれも秀和システム)など。「リカードの経済学講座」を開催中。難しい経済の話を分かりすく解説するのが使命だと思っています。
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